2020年上半期に発売されたレコードの売り上げが1980年代ぶりにCDを上回った。なんてニュースが昨年、ニューヨークで話題になった。
ここに出ていた数字はどちらかというと、音楽再生装置としてのCDが本格的に表舞台から消えつつあることを示していたのだけれど、レコードの売り上げが毎年着実に伸びていることもまた事実。
OCEANS読者のなかにも、最近はストリーミングとレコード(またはカセット)の両使い、なんて人もいるではなかろうか。
より便利で安価なものに流れていくのが人の常なら、大抵のものはオンラインで聴けてしまうからこそ、特別な楽曲は「自分のモノ」として所有したいという思うのもまた人情。
とういうことで今回取材したのは、「誰もが簡単に一枚だけのレコードを作れる」レコードカッティングサービスを提供している「null records(ヌルレコーズ)」。クラブやライブハウスのイベント現場でライブレコーディング&カッティングを行い、その場で7インチレコードを削り出して販売、というユニークな活動がじわじわと話題になっている。
さて、神出鬼没な“出張レコード制作屋”の全貌を紹介しよう。
レコードを知らない子供の反応がキッカケで

この日の現場は、null recordsがレギュラーで出店しているクラブイベント。過去のイベントで録ったライブや持ち込みの音源を、その場で7インチ盤にカッティングする。
録音システムは、音源データが入ったPCからD/Aコンバーター(デジタル音源をアナログ信号に変換する機材)、コンプレッサー(音圧を調整する機材)を通ってポータブルカッティングマシーンへ、という流れ。
使用するポータブルカッティングマシーンは、オーギ電子という国産メーカーがかつて
製造していた「ATOM RECORDER」。
マイクを介して音源を本体に吹き込むシンプルなもので、当時のコピーには「今日から私もレコード歌手!」「貴方のお店が今日からレコーディングスタジオに!」とある。つまり、スナックや一般家庭向けに販売されていた機械のようで、null recordsでは音割れ防止や音質を考慮してコンプレッサーなどを噛ませて使用している。

出張カッティングサービスのアイデアが浮かんだのは、仲間に誘われて参加したアウトドアイベントで初めて見たポータブルカッティングマシーンと、それに群がる子供たちの反応に感銘を受けたことがきっかけだった。
「そのイベントでは、子供たちにマイクを持ってしゃべってもらって、レコードに吹き込まれた自分の声を聞く、ということをやっていて。子供たちの驚きと喜びの反応がすごかったんですよ。親にとっても良い思い出作りになっていて、とてもハートウォーミングな光景だなと。
同じことはiPhoneでもできるし、そのほうが簡単で低コストで、なんなら音も良いかもしれない。レコードカッティングはとにかく制約だらけで面倒臭いし、時間もかかる。けれど、形に残すことができる。この存在感がこそが、子供たちを『なんだこれ!』って喜ばせる理由なんだと思うんですよ」とnull recordsのナルさんは話す。
子供もつい興奮していまう“吹き込み”のプリミティブな感動は、デジタルネイティブ世代にとってはもはや魔法にように映るのかもしれない。
7インチでメッセージを贈るロマン
null recordsが活動をスタートしたのは2019年1月。これまで多かったオーダーは、歌手やバンド、ラッパーのライブ録音だが、同じくらい、記念品としてのメッセージ録音もあったという。

「クラブのスタッフが退職する際の送別会では、送り出すスタッフたちが7インチにメッセージを吹きこんで本人にプレゼントしていました。
僕は娘が生まれたときに、産声をA面に録音して、B面には成人した彼女に向けての父からのメッセージを吹き込みました(笑)。
レコードってプレーヤーがないと聴けないわけですけど、聴けなくても贈られて嬉しいという不思議な魅力がありますよね。そこにある“溝”に何かしらの音が刻まれている、という事実に価値があるのかな。そのレコードをプレーヤーに乗せるチャンスがあったら聴いてみて、というのもロマンがあっていいですよね。
録音される方も撮り直しができない分、良い緊張感があるみたいで、みんな楽しんでやってくれますよ」。

この日、カッティングが終わって完成したレコードをターンテーブルに乗せてスピーカーから音が流れると、オーディエンスからは感嘆の声が漏れた。さっきまで散々、DJたちのレコードを使ったプレーを聴いていたのに!
聴く行為ひとつでも、ちょっとした“手応え”みたいなものを感じられた方がいいのかもしれない。null recordsによって削り出されていくレコードを見て、考えさせられた。
谷川慶典=写真 三木邦洋=取材・文