プーマのマスターピース「プーマ スウェード」に、革の調達から製造までまるっと日本でコンプリートしたとびきりスペシャルなモデルが誕生した。
名付けて「SUEDE VTG MIJ SILVER」が1月23日(土)、ローンチされる。
「製造を担ったのはグローバル認可の工場です。もともとは我々のサッカースパイクを作っていたところなのですが、サッカースパイクは現在、ドイツ本社のハンドリングによる工場が担当しています。このような生産拠点の整理・統合にあたり、本社は、こちらの工場のように確かな技術を持つ工場に限ってグローバル認可の資格を付与するようになりました」(プーマ ジャパン マーケティング本部ブランド エヴァンジェリスト・野崎兵輔さん)。

対象の工場には本社のスタッフが定期的に視察に訪れ、その技術力はもちろん、労働環境まで審査しているのだという。

さすが本社が認めた工場だけあって、ココで作られたプーマ スウェードはひと味もふた味も違う。
ひと目で違いのわかるグラマラスなシルエットは釣り込みに機械釣りと手釣りを駆使した賜物だ。踵を包み込むようなトップラインのシルエットも美しい。足裏にフィットするよう成型したカップインソールと相まって、履き心地も至福。

毛足の揃ったスエードの美しさも特筆に値するが、見逃せないのはフォームストリップ(シューズサイドの流線型のライン)にも天然皮革を採用している点だろう。オリジンは人工皮革が使われていた。目の詰まったナロウなコットンレースやコントラストステッチもこのモデルのために新たに用意された素材であり、仕様である。
「プーマ スウェードは2018年に50周年を迎え、多くのアニバーサリーモデルがローンチされました。追い風に乗せるべく、持てる力を出し切って作ったのがこのモデル。シルバーで染めたフォームストリップがそのアイコンです。“VTG”はヴィンテージ、“MIJ”はメイド・イン・ジャパンの略です」(野崎さん)。
数奇な運命を辿ったプーマ スウェード

1968年に開催された、メキシコシティーオリンピックの200メートル走の表彰式。金メダリストのトミー・スミスと銅メダリストのジョン・カーロスはスニーカーを指に引っ掛け、靴下姿で入場、そして黒の革手袋をはめた手を高々と挙げた。
それはブラックパワーサリュートと呼ばれた人種差別撤廃のパフォーマンスだった。銀メダリストのピーター・ノーマンも2人がやろうとしていることに共感し、OPHR(人権のためのオリンピックプロジェクト)のバッジを付けて表彰台に。
式はブーイングに包まれ、世界中の新聞が翌日の一面で紹介した。政治的なパフォーマンスはオリンピック憲章に反する行為であり、彼らは世の審判を待つことなくオリンピック村を強制退去させられ、ナショナルチームから除名された。執拗な批判に耐えられず、ジョンの奥さんは自殺したという。彼らが名誉を回復したのはずっと後になってからのことである。
このときトミーとジョンが携えたスニーカーは、同年商品化されたばかりのクラック。

時は下って1973年。プロバスケットボール選手、ウォルト・フレイジャーからプーマに一本の電話が入った。ウォルトは電話口でこう言った。
「トミーのスニーカーをコートで履けるように改良してくれ」。
当時メダリストになるということは、第二の人生が保証されることと同義だった。トミーらは引退後の恵まれた生活を投げ打ってまで声をあげた。そのスニーカーが欲しいと言ったウォルトの心根には、義憤のようなものが少なからず含まれていたに違いない。
プーマはそのソールをそれまでのものから新たに考案したデュラブルスターでアップデート。デュラブルスターはコートシューズに適したパターンを特徴とする現在に続くソールだ。ウォルトのシグネチャーモデルであり、プーマ スウェードの前身となる「プーマ クライド」が誕生した瞬間である。
時計の針を再び戻せば、オリンピックが終わったあとにプーマはある広告を出している。
“スウェード”の名付け親はストリート

クライドはウォルトのニックネームだった。いつだってロングコートに中折れ帽というギャングのような格好をしていたウォルトは、その風体からクライドと呼ばれていた。ご推察のとおり、アメリカン・ニューシネマの傑作『ボニー&クライド』から採ったニックネームである。 相手のボールを盗るのが上手かった彼のプレースタイルにもその名はぴったりだった。
全米屈指のスターの名を冠したプーマ クライドの人気は絶大だった。
1979年に契約が終了すると、クライドを廃盤にしないでくれという声が殺到した。プーマは一計を案じ、クライドの刻印を取り払ったスニーカーを売り場に並べた。当時の靴箱をみると、モデル名のところにも“PUMA”と刻印されている。
ブランド名もモデル名もプーマというのは少々ややこしい。ユーザーはほかのスニーカーと区別するためにいつしか“スエードのプーマ”と呼ぶようになった。そうしてそのまま正式名称に昇格。
スエードがアイコン的レザーとして定着している理由を探れば、ルーツとなるクラックがそもそもスエード素材を纏っていたからだ。競技用のスニーカーとしては珍しかったが、トレーニングシューズにおいては比較的ポピュラーな素材だった。
クライドが消滅し、スウェードの名を冠されるまでの10年余りの間、そのスニーカーには実はもうひとつの名が与えられている。「ステーツ」だ。その呼び名はイギリスを中心にヨーロッパで広まった。アメリカのヒップホップのブームがイギリスへ飛び火すると、彼らの足元を飾った“スエードのプーマ”も上陸した。ヨーロッパの人々はアメリカに敬意を評し、アメリカを意味するステーツの名で呼んだというわけだ。
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竹川 圭=文