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サメに片脚を喰われたのは幸運。義足のサーフ写真家、マイク・ク...の画像はこちら >>

マイク・クーツはハワイ・カウアイ島出身の義足のサーファーでありフォトグラファー。18歳でサメに襲われて右脚を失うもサーフフォトグラファーとして成功、かつ自分の右脚を奪ったサメを保護する活動家でもあり、世界中のサメとともにダイビングするという並外れた男である。

マイク・クーツは不思議な男だ。彼のような人物にはめったに出会わないだろう。

雷に2度打たれるとか、あるいはサメに噛みつかれる(1150万分の1)とか、それくらいレアな確率だ。しかも、なんと彼自身が、まさにその1150万分の1の確率に当たっている。1997年秋のことだ。

「真面目な話、あれは僕の人生で最高の出来事だった」と彼は言う。本気なのだ。こんな発言(脚を失った体験を幸運だったと思える人なんて、いるだろうか)は、マイク・クーツという男のパラドックスを物語る皮切りにすぎない。

カウアイ島に住むフォトグラファーの彼は、普通の人なら辛い表情をする場面でも、たくさんの笑顔を見せ、何度も笑い声を立てる。

若きボディボード選手として、プロを目指していた矢先に、その事故は起きた。

だが、人生を一変させる出来事への怒りに呑まれてしまうのではなく、クーツは闇の中にも光を見る道を選んだ。失ったものにもチャンスを見つけ、そこに目的意識を持つのだ。

サメに襲われたのは確かにかなり悲惨な体験だったが――「脚を見たら、もう完全にちぎれていて、ホラー映画みたいに血が噴き出していたよ」――クーツが主に憶えているのは「鳥肌が立ったこと」だという。「ムカデを見て、とっさに気味が悪くなるときみたいな……。痛みはちっとも感じなかった。でも、すごい圧迫感があった」。

そのあとの記憶はぼんやりしている。リーシュコードを止血帯代わりにして脚を縛り、ピックアップトラックの荷台に乗せられて病院に搬送された。医師の手が彼の身体を受け止めた直後に、気を失った。


脚を失い、歩み始めた写真家への道

クーツの人生は、この一瞬の体験を境に、大きく変わった。

ボディボードで生計を立てる可能性が閉ざされたので、新たな道を探すことにして、観光業でさまざまな仕事を体験しつつ、趣味程度でカメラを持ち歩き、友人の写真を撮ったりしていた。『ブレイクアウェイ』という雑誌の取材に応じたとき、カウアイ島を訪れたフォトグラファーのジョン・ラッセルに出会い、本格的に写真で食べていこうという気持ちが初めて芽生えた。

「ハワイ育ちだから、写真に向いていたんだ。

ここには美しいものがたくさんあるからね」とクーツは語る。

「日の出も、海で起きているいろんなすごいことも、ここにいれば目に入ってくる。僕はただ、それを伝えられるようになりたいと思ったんだ」。

サメに片脚を喰われたのは幸運。義足のサーフ写真家、マイク・クーツが歩む道
Image courtesy of Mike Coots.

それから20年近くが経った今、クーツは、カウアイのサーフィンの写真と言えばこの人と言われる存在になっている。

業界大手のブランドや雑誌の撮影で、ペルー、フランス、スペイン、ポルトガルにも行った。大きな成功を収めているにもかかわらず、今も謙虚なままで、自分の職業倫理はジョン・ラッセルに教わったと話す。

「彼はメモ帳を持ち歩き、全員の名前を書き留め、誰が誰だったか憶えて、一緒に仕事をした人全員にお礼状を出す」と、メンターであるラッセルについて説明した。「人間関係をすごく大事にしているんだ。絆は絶対に壊さない。それからもちろん、常によい面を探す」。


サメのため、仲間のためにできること

クーツのもうひとつのパラドックス的特徴は、敵を愛することだ。その一環として、彼はサメの保護に関する法整備に取り組んできた。

ピュー環境グループなどの環境保護団体と協力し、フカヒレ漁のせいで年間推定7500万匹のサメが殺処分されている問題と戦っているのだ。

その種の法律としては全米初となる、ハワイ州のサメ保護法案の草案作成を手伝ったほか、世界各地のサメ保護区の設立にも手を貸している。

広大な海域を保護区に設定することで、そこにいるサメを守り、近隣諸国のフカヒレ漁を禁じるのである。

クーツの説明によると、法律が整ったおかげで、サメの個体数は安定しつつある。そのため、現在の彼は義肢の開発に主眼を置けるようになった。

1個あたり1万5000ドル以上する補装具を、手足を切断した人にとって入手しやすく、しかも活動的なライフスタイルにも適したものにすべく、デザインの改善を目指している。

彼が携わっている財団で、サメに襲われて手足を失った人を支援する「フレンズ・オブ・べサニー」の取り組みと、3Dプリンティング技術とのコラボレーションによって、プラスチックと炭素繊維インクを使った義肢のパーツを印刷できるという。

「最近では、かなり安い値段で、義足を上から下まで丸ごとプリントすることだって可能だ。去年あたりから登場したばかりの技術だけど、これが手足を失くした人の未来を切り拓くと僕は思っている」。

人生が彼に教えたことがあるとするならば、それは、瞬間瞬間のはかない大切さだ。「よく思い出すことがあるんだ。フランスで、もう日が暮れかけている時間に、ダスティン・バルカとマクア・ロスマン(※訳注:ともにサーファー)を撮影したときのことだけど」とクーツは語る。

「雲がかかっていて、雨も降っていた。すると突然、ぱっと太陽が現れたんだ。一気に完璧なくらい美しい光景になって、ダスティンがめちゃくちゃいいバックサイドエアーを決めた。ほんの数秒で物事が一気に変わるんだ。すごいことだよ」。

クーツの作品はmikecoots.comで閲覧できる。フレンズ・オブ・ベサニーの活動の詳細や支援の方法については、friendsofbethany.comにアクセスを。

サメに片脚を喰われたのは幸運。義足のサーフ写真家、マイク・クーツが歩む道

 

John Hook=写真 Lisa Yamada-son=文 上原裕美子=翻訳

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