京都大学は、戦前に研究目的で沖縄から持ち出した少なくとも106体の遺骨を保管していることを公表した。返還協議に応じる方針も示した。

 持ち出された遺骨は地域別に本部町49体、南城市13体、那覇市10体と、「沖縄県内」34体。いずれも1929~33年に採集したものだという。鹿児島県の奄美大島や徳之島などから採集した遺骨も360体ある。大学ホームページに掲載した。
 約100年前のこととはいえ、これだけの遺骨が持ち出されていたことに驚きを禁じ得ない。
 研究目的で持ち去られた遺骨は、近年、元の土地に返還することが世界的な潮流となっている。
 一方、国内では返還を求める先住民族らと大学側との対立が続いていた。
 それが一転、東京大学は今年10月、アイヌ民族の遺骨返還に際して、先住民族の尊厳を深く傷つけたとして正式な謝罪文をホームページで公表した。
 学内に返還へ向けた特別チームを設置。保管している遺骨の現状などを調査・整理し、今後返還につなげるという。
 京大も返還手続きのガイドラインを公表した。返還請求者は民法上の祭祀(さいし)承継者とし、個人が特定できず地方自治体などが遺骨の「移管」を求めた場合は協議に応じるとしている。

 一方、謝罪の言葉はなかった。
 採集は適切だったとするが、そもそも当時、沖縄と日本の大学の力関係は同じではなかった。京大も、まずは過去の採集と長期間の保管に対し謝罪すべきだ。
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 100年近く前の遺骨の個人や遺族を特定することは容易ではない。
 遺骨は持ち出された時点で、副葬品などと切り離されている。京大は、さらに詳細に採集場所や時期を特定するなど個人の特定へ努力を続け、その結果を公表すべきだ。
 返還・移管された遺骨の埋葬にも課題が残る。
 2018年には、第一尚氏の子孫らが同大に対し、今帰仁村の百按司墓(むむじゃなばか)から持ち出した遺骨の返還を求める訴訟を起こした。
 大阪高裁は請求を棄却した一方、「遺骨はふるさとに帰すべきだ」と付言。同大は今帰仁村教育委員会へ管理を移す形で「返還」した経緯がある。
 返還された遺骨はいまだに村歴史文化センターで保管されており、遺族が求める墓への「再埋葬」は実現していない。
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 今後さらに遺骨が移管された際、どのように埋葬するのか。

 北海道白老町には、遺族や団体へすぐに返還することができないアイヌ民族の遺骨や副葬品を受け入れる施設がある。国管理の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」で、国内9大学や海外の博物館などから返還された1300体余の遺骨が保管されている。
 返還された遺骨をどう弔うのか。
 地元自治体を含め、知恵を出し合い、考えてほしい。
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