フォロワーからも分かるその偉大さ
“日本で最初のサイケデリックロックバンド”と言われるザ・モップスは、グループサウンズ、いわゆるGSがブームとなった1967年のデビュー。そのブームの渦中で世に出て来たバンドである。
なので、ザ・モップスのこともリアルアイムではまったく知る由もなく、そのヴォーカリストだった鈴木ヒロミツも役者のイメージのほうが強い。とりわけドラマ『夜明けの刑事』シリーズでの坂上二郎や石橋正次らと並ぶ好演には、子供ながら胸を躍らせてブラウン管に齧りついていた記憶がある。同ドラマシリーズのエンディングテーマを鈴木が歌っていたことも薄っすら覚えているが、やはり役者としての印象が強めであり、ザ・モップスのヴォーカリストであったことを認識するのはそこからもう少し時間を要することとなる。
ギタリスト、星勝の名前を知ったのは、RCサクセションのアルバム『シングル・マン』でのことだったと思う。とはいえ、発売された1976年は、それこそドラマ『夜明けの刑事』シリーズ(1976年)を食い入るように見ていた時期であって、アルバムを聴くどころか、RCというバンドのことも知るはずはなかった。もっとも『シングル・マン』は1976年4月の発売から[販売不調のまま発売後1年とたたずに廃盤となっ]ており、田舎の小学生に届くはずもなかったのだが──([]はWikipediaからの引用)。
ザ・モップスを最初に意識したのは1986年だったと思う。当時、熱心に聴いていたKODOMO BANDが1986年12月に発売したアルバム『NO GIMMICK』にザ・モップス「たどりついたらいつも雨ふり」のカバーが収録されていた(のちにシングルカットもされた)。正確に言うと、ザ・モップスやその楽曲を意識したというよりも、KODOMO BANDが演奏するザ・モップス「たどりついたら~」を意識的に聴いたということだ。
さらに決定的だったのは、1988年10月リリースの氷室京介の2ndシングル「DEAR ALGERNON」のカップリングに収められた同曲を聴いた時だった。KODOMO BANDに次いでヒムロックがカバーしたことで、同曲が日本のロックのクラシックであることをはっきり意識したように思う。当初はまだ吉田拓郎の楽曲だと思っていたのだが、何だかんだあって、オリジナルはザ・モップスであることにようやく辿り着いた。つまり、KODOMO BANDや氷室京介といった、言わばフォロワーからザ・モップスの偉大さを知ったようなところがあるのである。
海外で旬だったロックを一早く輸入
前置きが長くなってしまい、申し訳ない。
M2「サンフランシスコの夜」→Eric Burdon & the Animals「San Franciscan Nights」
M4「孤独の叫び」→The Animals「Inside Looking Out」
M5「あの娘のレター」→The Box Tops「The Letter」
M7「あなただけを」→Jefferson Airplane「Somebody to Love」
M9「ホワイト・ラビット」→Jefferson Airplane「White Rabbit」
M11「ハートに火をつけて」→The Doors「Light My Fire」
「Inside Looking Out」だけが1966年の初出で、あとは全て1967年リリース。ザ・モップスは1967年にホリプロとマネジメント契約して、同年11月にデビューし、『サイケデリック~』を1968年4月にリリースしている。しかも、[デビューに際しては「日本最初のサイケデリック・サウンド」を標榜したが、これは1967年夏、アメリカ旅行でサイケデリック・ムーヴメントを目の当たりにしたホリプロ社長・堀威夫の発案を、メンバーが受け入れてのものだった]というから、スタッフワークも相当に早ければ、ザ・モップス自体の動きも早く柔軟だったと言える([]はWikipediaからの引用)。しかも、短期間で忠実になぞるだけでも大したものだが(M2イントロでの口上(?)はそれに当たるだろう)、単なるカバーに留まらず、オリジナルに敬意を払った上で、自らのエッセンシャルを注入している点はまったくもって聴き逃せないところだ。そこにロックバンドとしての自らの方向性を示していることが感じられる。
音数の差でそれがはっきりと分かるのはM5とM9だろう。オリジナルではブラスとストリングスを配しているM5ではそれを廃してバンドサウンドだけで楽曲を構築する一方、原曲ではバンドの音のみのM9ではストリングスを入れている。M5は派手過ぎず、M9では逆に少しばかり装飾を足した感じだろうか。ザ・モップスのサイケ観を垣間見れるようでもある。バンドのポテンシャルを誇示しているのはM4だろう。M4では原曲同様の長尺の間奏をザ・モップス独自の解釈で演奏しているM11以上に挑戦的であり、野心を感じさせるサウンドを聴くことができる。
聴きどころは中盤。ビートレスになるだけでも十分に独自のアレンジをぶっこんでいることが分かるし、ヴォーカルはまさに“孤独の叫び”という感じがして興味深いのだが、ベースラインも実にいい。パッと聴き、Deep Purple「Black Night」を彷彿する人もいようが、あれは1970年が初出なので、それは明らかに違う。1962年のRicky Nelson「Summertime」と見る向きもあるが、多分それも違うと思う。時期的に考えると、The Blues MaGoos「(We Aint Got)Nothin’Yet」のリフを参考にしたのが正しいのではないかというのが筆者の見立てだ。同曲は本作収録のほとんどのカバー曲と同じく1966年リリースである。さまざまなサイケデリックロックを聴く中でThe Blues MaGoosも聴いていたと考えるのが自然だろう。まぁ、元ネタがどうであるかはこの際、重要ではなく、M4ではザ・モップスがサイケデリックロックの要素を実に意欲的に取り込んでいたことが強調されるように感じるし、バンドの真摯さと先見の明を見るのである。
サイケを自らのバンドに巧みに導入
ザ・モップスのオリジナル楽曲となると、個人的には、M1「朝まで待てない」とM8「ベラよ急げ」のシングル曲は、歌メロというか、そこへの日本語詞の乗り方と、ビート感が如何にもGSといった印象を受けたものの、ギター、オルガンを使ったやはりカッコ良いと思う。他のグループも似たようなギターサウンドを出していたようにも思うが(筆者はGSに詳しくはないので漠然とした印象でしかないけれど)、楽曲におけるギターのポジションがより前面に出ているような印象を受けた。M1よりもM8はそれが強くなっているようだし、シングル曲以外はさらに奔放に鳴っているように感じる。歌だけが前に出ているのでなく、一体化しているというか、いい意味でごちゃ混ぜになっているようで、その様子が実にいい。
M3「アイ・アム・ジャスト・ア・モップス」は“ジャパニーズガレージパンク”として世界からも注目されたというのも頷ける音像。楽曲全体を引っ張るベースラインに躍動感がある。歌詞に放送禁止用語があるとして一時期はアルバム未収録だったM6「ブラインド・バード」は、ミドルテンポではあるものの、手数の多いドラミングがなかなか個性的で、個人的にはパンク~グランジにも通じる空気を感じたところ。
M10「朝日よさらば」でのギターもいい。イントロから軽快なリフを聴かせているが、そこだけで終わるのでなく、終始、歌に並走していく。ギターが楽曲の中心であるようなスタイルは、1960年代後半ではかなり新鮮ではなかったかと考えるが、実際にはどうだったのだろうか。
極めつけはアルバムのフィナーレ、M12「消えない想い」で間違いなかろう。シタールをあしらった、まさにこれぞサイケデリックロックというサウンドである。単にシタールを入れるというだけでなく、ギターとのアンサンブルが実にスリリング。サイケの要素をバンドに取り込んだ様子はお見事という他ない。当時GSのグループにこんなふうに外音を導入したバンドがどれくらいいたのかは分からないけれど、ザ・モップスはその急先鋒であったことは大方想像がつく。M12はシングル表題作にこそならなかったが、『サイケデリック~』に先駆けて発売された「ベラよ急げ」のB面であったということで、その推し具合も分かるし、アルバムのラストを飾る位置に置いたことでもバンドサイドが重要視していたこともうかがえるところだ。
当時のマネジメント会社の社長の他、作詞の阿久悠、作曲の村井邦彦や大野克夫も一丸となってサイケデリックロックを標榜していたとも伝え聞く。ザ・モップスを取り巻く環境はすこぶる良かっただろうことは、本作収録曲の伸び伸びとした様子からも想像できる。しかしながら、1stシングル「朝まで待てない」はそれなりに売れたとのことだが、2nd「ベラよ急げ」は芳しくなかったらしいので、『サイケデリック~』もバンドサイドの意気込みほどには成功しなかったようだ。その後、バンドは方向を変え、一時期はコミックバンドのようになったというから驚きではある。才能あるミュージシャンの集まりであったゆえに、何でも対応できたのだろうか。以降、冒頭で取り上げた「たどりついたらいつも雨ふり」(1972年)がスマッシュヒットするものの、バンドは1974年に解散。メンバーは前述の通り、それぞれに俳優業や音楽制作の裏方に従事することとなった。
だが、[1980年代以降、サイケデリック期の楽曲については、欧米のガレージ・ロックファンから評価されるようになった。「ブラインド・バード」などの楽曲は複数の海賊盤コンピレーションに収録され、アメリカでは1stアルバム『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』が何百ドルというプレミアつきで販売されていたという(1994年当時)]。また、これも先に少し触れたが、2001年にリリースされた[世界的なガレージロック・コンピレーションアルバム『Nuggets』シリーズの「ナゲッツII:オリジナル・アーティファクツ・フロム・ザ・ブリティッシュ・エンパイア・アンド・ビヨンド、1964-1969[Disc4]」の5曲目に、ザ・モップスの「アイ・アム・ジャスト・ア・モップス」が収録されている]([]はWikipediaからの引用)。ザ・モップスが世界的な評価を得たのは解散から10年近く経ってからで、しかもその高評価は一過性ではなく、今も続いているのである。ザ・モップスは早過ぎるほど早過ぎた日本ロックの最大最強のレジェンダリ―バンドなのだ。
TEXT:帆苅智之
アルバム『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』
1968年発表作品
<収録曲>
1. 朝まで待てない
2. サンフランシスコの夜
3. アイ・アム・ジャスト・ア・モップス
4. 孤独の叫び
5. あの娘のレター
6. ブラインド・バード
7. あなただけを
8. ベラよ急げ
9. ホワイト・ラビット
10. 朝日よさらば
11. ハートに火をつけて
12. 消えない想い