今も称えたい“ガールポップ”の動き
1990年代前半に“ガールポップ”なるムーブメントがあった。いや、正確には、“ガールポップ”をムーブメントにしようとする動きがあったと言うべきだろう。少なくとも筆者には“ガールポップ”自体が流行った記憶はない。安室奈美恵や浜崎あゆみがそこに関連付けて語られる節もあるようだが、安室は1990年代半ば、浜崎は2000年頃に、それぞれ単独でブームとなったのであって、女性ポップス、ロックシンガーがこぞってヒットチャート上位にランクされるような時期はなかったと思う。
ご存知の方も多いと思うが、“ガールポップ”は『GiRLPOP』であって、元は音楽専門誌の名称である。『GiRLPOP』についてはWikipediaの紹介が端的なので、以下それに譲る。[『GiRLPOP』(ガールポップ)は、エムオン・エンタテインメント(旧ソニー・マガジンズ)から発行されている音楽雑誌。ガールポップという言葉は、1990年代から2000年代中盤、ソニー・マガジンズが中心となって提唱したレコード会社と音楽産業の販売拡大戦略。日本の若手女性ポップス歌手・シンガーソングライターに焦点(フォーカス)をあて、メディアミックスという方法論(メソッド)でムーブメントを起こすことを目的とした。
ここまでの拙文は“ガールポップ”を否定的に捉えているように聞こえるかもしれないが、むしろ逆である。
忘れじの“ガールポップ”シンガー
そんな“ガールポップ”のアーティストというと(『GiRLPOP』の誌面を彩ったアーティスト…とも言い換えられる)、前述した森高千里、永井真理子、久宝留理子の他、谷村有美、近藤名奈、井上昌己、久松史奈らが思い出されるが、個人的には、リアルタイムで何度かインタビューさせてもらった佐藤聖子の印象が強い。自分にとっての“ガールポップ”は佐藤聖子と言ってもいいくらいだ(当時“ガールポップ”勢の中で筆者が直接取材したのが彼女だけだったという言い方もできる)。派手過ぎないサブカル少女…といったルックスが好きだったこともあるが、彼女の音源も好みだった。自分はインタビュー後にそのアーティストの音源を聴き返すことはほとんどないのだけれど、彼女の音源は何故かよく聴いた。
『After Blue』収録曲は、今で言うところのコンテポラリR&Bといったジャンルに分けられる。1980年代のソウルミュージック≒ブラックコンテンポラリ、アーバンポップということもできるだろうか。ただそうは言っても、本格的なそれというより、J-POP成分多めではある。歌メロもキャッチーであったりポップであったりして、複雑なものはまったくないと言っていい。歌唱もフェイクが少ないので(というか、ほとんどない気がする)、誰にとっても親しみやすく、昨今の高度なポップス、ロックに慣れた人には物足りなさが残るかもしれない。しかし、それだけに、現在でも誰もが違和感なく聴くことが出来る代物ではあると思う。ただ、彼女の声質は好みが分かれるような気がする。M1「21」のタイトルはアルバム発売時に彼女が21歳であったことに由来しているが、21歳らしい声質と言えばそうだし、21歳よりも幼さが残るようでもあると言えばそうとも言える歌声であり、加えて若干のハスキーを孕んでいる。ハスキーと言ってもほんのわずかなもので、彼女を大きく特徴付けるほどのものではないが、そこに不安定さを感じる人がいるかもしれないとは思う。決して歌が下手な人ではない。下手ではないが、昨今ブラックミュージックに慣れたリスナーはもっともっと迫力のある日本人シンガーの楽曲を耳にしているので、これもまた物足りなさを感じるのではないだろうか。…と、ここまで書いて、自分でも佐藤聖子を貶めているような気もしてきたので、少し擁護(?)すると、M6「PAIN」は2ndシングルだっただけあってか、これは大分パワフルでインパクトは強い。ロッカバラードというスタイルが良かったのかもしれないし、キー、メロディーも合っているのかもしれない。まさに“PAIN≒痛み”を感じさせるような歌唱でもあるし、Aメロではほんのちょっぴりセクシーさも感じる。この辺から、彼女のアーティストとしての本質は、決してアイドル性に寄らない、シンガーソングライターであったことは確認できる。
そうしたシンガーとしての若さを補って余りあるのが本作参加のミュージシャンたちである。1990年代らしく、リズム隊は全編シーケンサーによるプログラミングで賄っているものの(その辺は当代R&B、ブラコンらしさではある)、ギター、キーボード、サックスなどは生音が配されており、いずれも楽曲全体の躍動感の底上げに大きく寄与している。M1「21」のカラッとした明るさを演出しているのは、今剛のギターのカッティングであり、水島康貴のオルガンであろう。今剛のギターはアルバムのラストM10「東京タワー」でもいい仕事をしている。少しいなたいというか、ざらついた音が楽曲の雰囲気にとても合っていると思う。ビート強めのM4「恋が風になって」をシリアスかつドラマティックに聴かせているのは、グリッサンドがいちいち効いている、これまた水島のオルガンの妙味によるところだろう。また、松原正樹の冴えわたったギタープレイの力もかなり大きいと思われる。松原のギターはM9「After Blue」でも聴くことができ、いずれも、楽曲の世界観を100%後ろ向きではなく、わずかな光を感じさせているのは、氏の軽快なギターだろう。サックスは、70年代から00年代まで日本の音楽界で欠かすことができなかった音楽家と言っても過言ではないJake H. Concepcionが、M6「PAIN」とM9に参加している。両曲共、声にならない切なさ、言葉にならないやるせなさといったものを見事にサックスで表現している。力が入り過ぎず、サラリと吹いているように感じられるのもいい。職人技を堪能できる。ギタリストはもうひとり、M7「ほおづえの夜」に参加している笛吹利明も忘れてはならない。M7は世界観も暗く、おそらくアルバムの中で最も地味なナンバーと捉えられるだろうが、その分、とても丁寧にアンサンブルが取られているような印象がある。とりわけアコギの存在感が素晴らしく、アウトロでの重ね方は絶品で、間違いなく聴きどころである。『After Blue』は、こうした優れたミュージシャンたちによって創られた作品であることがよく分かるし、彼らを招聘してアルバムをディレクションしたスタッフを含めて、佐藤聖子がいかに大切にされていたのかも想像できるところである。
歌詞から考えるアーティスト性
今回『After Blue』を聴き直してもっとも注目したのは歌詞である。軽く衝撃を受けた…というとかなり大袈裟だけど、佐藤聖子の音楽性、アーティスト性が面白い方向であったことを改めて受け取ったような気がする。意外にも…と言っていいのかどうか分からないが、当時21歳の女性シンガーのわりにはラブソングが少ないのである。本作ではM4「恋が風になって」とM8「夢で逢いましょ」との歌詞は佐藤聖子本人が手掛け、あとはすべて西脇唯が書いている。作家に外注しているにも関わらず(註:西脇唯は自身もシンガーソングライターとして活動しているので、厳密に言えば、作家ではないが…)、こうした作風であったことには、明らかにスタッフの意志を感じさせる。そこには本人の想いもあったのかもしれない。以下、具体的に見ていこう。
《それは今日 届いてた あなたからの手紙/同じ街 ちがう夢 二人で話しあった/遠い教室/「がんばれ!」P.S.からつづいている 元気な文字/こんなに離れていて こんな近く気持ちが見えるよ》(M1「21」)。
《ONE,the one I have trust in/けずらない プライド/ONE 勝ちとって この街にある 真実》《ハードワークをこなして いきがって ここで何してるの/笑いとばせる元気を つよがりにしないで》(M5「HOTでいこう」)。
《そんなにうまく ゆくわけないよ/ぼおづえついて ぼんやり笑った》《できもしない あこがれだけ 見ていたの?/いいえ 信じてる 自分がまだ どこかにいる》(M7「ほおづえの夜」)。
《二人で予約をした 川べりのレストランに/キャンセルの電話して なんだか 力がぬけた/何を着ていこうかなんて 今年は悩まずにすむ/気のいい仲間のパーティー 一日まぎれこむわ》《雨が雪に変わる 立ち止まる待角/気がつけば誰より すれちがった心/どこでなくしたのか 来た道を見るけど/もどらない そんな気がした》(M9「After Blue」)。
《いつも ここにしかない明日を/おしえて東京 瞳の中に/高く高く 昇りつめてく それがすべてじゃないこと》《どんな恋でも どんな夢でも かけがえのないカタチにして/大好きなまま 抱きしめたい もっと もっと もっともっと》(M10「東京タワー」)。
ラブソングが少ないと指摘したわりに、恋愛の影があるM9、M10も取り上げたが、M9はクリスマス時期を舞台にしたロストラブソングであるし、M10は《恋》というワードが出て来るものの、《恋》を含む、もう少し大きな世界観を綴っている。どちらも所謂ラブソングとは少し趣が異なる。M1は歌詞中の《あなた》は男女どちらにも受け取れそうだが、明確に異性を表しているわけでもないし、M5、M7に至っては直接的な恋愛描写は見受けられない。これら以外の5曲はストレートなラブソングで、概ね情熱的な内容なので、決してラブソングを完全にスポイルしていたわけではないようだが、このラブソングと非ラブソングが半々というのは『After Blue』の特徴ではあろう。
もっとも興味深く思えたのは、やはりM10。“ガールポップ”というムーブメントが仕掛けられていた最中、(言葉は悪いが)そこに一枚乗ったアーティストの2ndアルバムが《高く高く 昇りつめてく それがすべてじゃないこと》で締め括られるというのは、さすがに奇異なことに思える。時期や当時の状況だけを考えれば、“ワイはやったるで! 天下獲ったるんや!”くらいの内容のほうがはまりは良さそうだ。何故そうならなかったかと言えば、やはり彼女の声質や歌唱力によるところだったのではないだろうか。若さと併せて寄る辺なさも感じる彼女のボーカリゼーションには、少なくとも“音楽シーンを昇りつめよう!”という内容は似合わなかった。個人的にはそんな風に考えた。キャラクターに合わなかったと言ってもいいかもしれない。スタッフも(もしかすると本人も)無理をさせず、等身大の立ち位置を大切にしたのだろう。だとすると、この辺からも佐藤聖子が大事に育てられていたアーティストであったことをうかがうことができる。そんな背伸びした感じがないところや、スタッフワークの丁寧さを感じさせるところも、筆者が『After Blue』を好んで聴いた理由なのかもしれない。発売から30年以上を経て、初めて気付けた。
TEXT:帆苅智之
アルバム『After Blue』
1992年発表作品
<収録曲>
1.21
2.思いはかならず届く
3.友達よりあなたといたい
4.恋が風になって
5.HOTでゆこう
6.PAIN
7.ほおづえの夜
8.夢で逢いましょ
9.After Blue
10.東京タワー