歌手の小林幸子(70)が、BS日テレ『YKK APプレゼンツ 森田健作アワー 人生ケンサク窓』(毎月第2・4土曜 前9:00)の5月ゲスト(5月11日・25日)に登場する。

 前千葉県知事で俳優の森田健作(74)が、ゲストの人生最高の瞬間やどん底の時期などを深掘りしていく番組。
今回は、芸能活動60周年を迎え、芸能界のラスポスとも称されるなど、第一線で活躍し続ける小林の原動力を解き明かしていく。

 小林はデビュー当時、森田と同じサンミュージックに所属していた。森田は「ウチにいる時にヒット曲が出せなかったのは事務所が力不足だった」と苦笑いし、「年齢は僕の方が上だが、芸能界では大先輩」と紹介する。

 小林が芸能界に入ったのは、小学校4年(1968年)の時、のど自慢番組『歌まね読本』(TBS)に出場し、グランドチャンピオンを獲得したのがきっかけ。小林は「審査委員長だった古賀政男先生に声をかけていただきました。その時は古賀先生について全く知識がなかったのですが、その翌年(69年)、芸能界に入ってから、その偉大さに驚きました。
今にして思えば私の人生を変えた時でしたね」と振り返る。

 同番組は森田もテレビで見ていたそうで「とにかく歌のうまい子だって思ったんです。ですから、その後にサンミュージックでお会いした時は、すぐに分かりましたね。それだけサッちゃんの歌にはインパクトがあったんですよ」と言うと、小林は「私にとって健ちゃんは、幼なじみですから」と笑う。

 また小林は、15歳のころ年齢的に出演できないテレビ番組に出演したくて「18歳です」と誤魔化したことも「もう時効でしょうから」と告白。一方で「あの当時は、今あることに一生懸命だった」としみじみ。


 全国区の人気になったのは、デビュー15年目の79年に発売した「おもいで酒」だった。同曲は200万枚を超えるヒットとなり、その年の『NHK紅白歌合戦』に初出場。毎回、豪華衣装が大きな話題を呼び、特に2009年の「紅白にラスボス降臨」と言われた「メガ幸子」が転機になったという。「リハーサルでは完璧だったのですが、本番でうまくいかなかった。でも、その後、ニコニコ動画の人たちと会って意識が変わったんです」と、その経験が現在の“ラスポス”のきっかけに。「私にとって人との出会いと毎日を大切にすることが、結果として夢につながるのだと実感している」と語った。


 4月28日に千葉・幕張メッセで開催された『ニコニコ超会議2024』では、小林が「ギャル界のラスボス さちぴ☆」姿を披露した。 両目に計8枚のつけまつげを施すなど、2時間かけたギャルメークにミニスカート、厚底ブーツでステージに降臨し、ダンサーたちとパラパラを踊った。小林は「緊張したけど、癖になりそう!変身願望がある人はやってみて。新しい自分を発見するのに年齢は関係ない!」と呼びかける。