※本稿は、橋本淳司『あなたの街の上下水道が危ない!』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■2042年には4割の下水道管が「寿命切れ」
国土交通省の統計によると、全国の下水道管の総延長は、2022年度末の時点でおよそ49万キロメートルに達しています。これは地球を12周以上できる長さに相当します。そのうち、法定耐用年数である50年をすでに超えている下水道管は、約3万キロメートル(7%)あります。
しかしこの数字は、今後急速に拡大していくと見込まれています。
10年後の2032年には約9万キロメートル(19%)、20年後の2042年には約20万キロメートル(40%)に達するという予測が出ています。つまり、下水道の寿命切れが、これから本格的に全国で始まるのです。
高度経済成長期に都市部で整備が始まった下水道は、1990年代に建設のピークを迎えました。そして、それからおよそ30年が経過し、更新のピークが目前に迫っています。
■1日7件のペースで道路陥没事故が発生
現在、事故が多く起きているのは、先行して下水道が整備された都市部ですが、これからは老朽化の波が地方にも押し寄せることになります。
2022年度には、全国で約2600件の下水道に起因する道路陥没事故が発生しました。
ただし、地中深く埋設された大きな管の劣化が進めば、八潮市で起きたような大規模な陥没が、いつどこで起きてもおかしくない状況になるかもしれません。
注意が必要なのは、老朽化そのものが事故の唯一の原因ではないということです。下水道事故には、腐食、地盤、構造の複雑さ、気候の影響、そして他の地下埋設物との関係など、複数の要素が絡み合っています。つまり、単に「年数が経ったから危ない」という話ではありません。とはいえ、事故を引き起こす条件が、徐々に全国でそろい始めているのもまた事実です。
■八潮の事故は局所的な条件が重なった
下水道管の老朽化による陥没事故は2022年度に約2600件発生と前述しましたが、十数年前には3000~4000件発生していました。
減少の背景には、2015年の下水道法改正があります。法改正により、全国の下水道施設に対して、計画的な点検と維持管理を行うことが義務づけられました。とくに、硫化水素などにより腐食のおそれが大きいとされる管路については、5年に1回以上の頻度での点検が定められています。
八潮の事故では、下水道管の形状がカーブしていたこと、そこに汚水が滞留しやすく、硫化水素の発生が促進されたことなど、局所的な条件が事故を引き起こした要因の1つと考えられています。
「腐食のリスクが高い場所」とされているのは、次のような条件に該当する箇所です。
・コンクリートなど腐食しやすい素材で造られており、特別な防止措置が取られていないもの
・下水の流れに急な段差や落差がある箇所
・伏越(ふせごし)構造などで硫化水素が多く発生しやすい箇所
こうした基準に基づき、全国の下水道管は状態によって「I(重度)=速やかな対応が必要」「II(中度)=5年以内に対応を検討」「III(軽度)=長期的に使用可能」の3段階に分類しています。
■下水道関係者が「まさか」と驚いた理由
2021年度からは2巡目の点検が始まり、2023年度時点での点検実施率は、マンホールで55%、管渠(かんきょ)(下水道管)で52%にとどまっています。半分以上は点検済みとはいえ、逆に言えば、いまだ点検されていない箇所も数多く残されているのが現状です。
実際、八潮市の事故現場となった下水道管も、2021年度に点検が実施され、「ただちに補修の必要はない」と評価されていました。この管は50年の耐用年数には達しておらず、評価区分は「II(中度)」に分類されていました。定められた基準に基づいて点検が行われていたにもかかわらず、事故は防げませんでした。
埼玉県下水道公社は点検、管理を実施しており、管路情報についてもGISシステムで公開されているという徹底ぶりでした。管理体制としては全国の模範とされる同公社で起きた事故なので、下水道関係者の中には「まさか」という声も多く聞かれました。
これは、下水道インフラの管理について、「これまでの点検では不足なのではないか」という新たな問いをもたらしています。
■2週間にわたり下水道の使用自粛を呼びかけ
八潮市で発生した道路陥没事故は、流域下水道という広域インフラの弱点を私たちに突きつけました。事故発生を受けて、埼玉県は中川流域下水道を利用する11市4町のうち9市3町、約120万人に対し、下水道の使用を自粛するよう要請しました。
生活排水の使用を控えるよう求められるというのは、都市生活において極めて異例の事態です。要請は2週間におよび、広域で下水処理を集約していることの影響の大きさが明らかになりました。
流域下水道のメリットは、処理場を集中化することにより処理能力の高い設備を整え、運転コストや人件費を抑えられる点にあります。とくに、人口の多い都市圏ではこの方式が効率的で、安定した水質管理や土地利用の面でも合理的です。実際、現在では全国の下水処理人口の約4割が流域下水道によって支えられています。
■影響は「水を流せない」だけではない
しかしその一方で、今回のように幹線管にトラブルが発生すると、その影響は広範囲に及び、単独公共下水道と比べて復旧にも時間がかかります。とくに処理場に近い幹線では、大量の下水が高速で流れているため、ひとたび破損が起きれば被害の拡大も早く、深刻化しやすいのです。八潮のケースでは、腐食による管の破損が原因とされ、結果的に直径40メートルにおよぶ陥没が生じました。
事故発生当初、生活排水は止まることなく流れ続けており、仮設バイパス管が整備されるまで、上流からの水を汲み上げて流入量を調整しなければなりませんでした。下水道が機能しなくなるという事態は、水を「流す」ことができなくなるという意味であり、飲み水の確保と同じくらい深刻な問題を引き起こします。
下水道が機能不全に陥ると、私たちの暮らしにはどのような影響があるのでしょうか。
下水道は単に排水を処理するだけでなく、「街を浸水から守る」「水環境を守る」「衛生的な暮らしを守る」といった、社会生活の根幹を支える役割を担っています。
■豪雨が起きたら洪水が起きたかもしれない
八潮市の事故直後、県は市民に対して入浴や洗濯の自粛を呼びかけました。これは、衛生的な生活環境が一時的に損なわれたことを意味します。さらに、塩素消毒のみを施した下水が新方川へ放流され、水質環境への影響も懸念されました。もしこの事故が梅雨や台風の時期に発生していたら、被害はさらに拡大していた可能性があります。
事故現場では下水道本管の上にある雨水管も損傷していたとされ、豪雨によって雨水が適切に排水されなければ、地域一帯が内水氾濫に見舞われていたかもしれません。
八潮市が属する中川・綾瀬川流域は、標高が10メートル以下の低地が広がる地域です。ここでは洪水が起きると、河川の水位が周囲の地面よりも高くなりやすく、水が流れ出せずに溜まってしまうという特性があります。過去には繰り返し浸水被害が発生しており、1985年以降、この流域では25回もの洪水が記録されています。
■大事な地下インフラが「手負いの龍」に
かつては田んぼやため池が雨水を一時的に受け止めていましたが、市街地化の進行とともに地表が舗装され、雨水が地下に浸透しにくくなりました。その結果、降った雨の多くが下水道や雨水管に流れ込み、処理能力を超えた際には内水氾濫が発生します。中川・綾瀬川流域の浸水想定区域は約210平方キロメートル、人口にして180万人、想定される被害額は約26兆円にのぼります。
流域では、河川改修や放水路整備、雨水貯留施設の設置、農地の保全など多様な治水対策が講じられてきましたが、浸水被害はなお続いています。
この事故は、目に見えない地下のインフラが、都市の暮らしを根底から支えているという事実を思い出させてくれました。流域下水道という地下に潜む龍は、その存在を忘れられ、老朽化と管理の難しさから「手負いの龍」となりつつあります。
■見えない腐食、進行する老朽化
今回の事故をきっかけに、流域下水道が抱える老朽化と腐食のリスクがあらためて注目されるようになりました。実際、流域下水道は全国各地に敷設されており、その総延長は幹線部分だけでも約7000キロメートルにのぼります。これに接続する市町村の関連管路を含めると、さらに広大なネットワークが地下に広がっていることになります。
国土交通省が公表した「令和5年度下水道管路メンテナンス年報」によると、流域下水道において腐食のおそれが大きいとされる管渠は全国で879キロメートルに達しています。定期的な点検や調査は実施されていますが、すべての劣化箇所を正確に把握し、予防的に補修を行うのは容易ではありません。
腐食が目に見える形で現れる前に、管の内壁では静かに劣化が進行しています。今回の八潮の事故では、破損した下水道管は1983年に敷設されたもので、定期点検では大きな異常は確認されていなかったとされています。しかし実際には、硫化水素が酸化して硫酸となり、コンクリートを内部から侵食した可能性があります。
■下水道管の腐食リスクが高い大阪府
さらに、腐食が進んだ下水道管では、管内に土砂や水が入り込みやすくなり、空洞が形成される危険性も高まります。空洞が一定以上に拡大すると、地表の重みを支えきれず、突然の陥没を引き起こします。これは今回の事故と同様のメカニズムであり、他の地域でも発生するリスクは決してゼロではありません。
大阪府では、腐食リスクの高い管渠の延長が全国で最も多く、119キロメートルに及びます。都市化の早い段階で流域下水道を導入した地域ほど、いままさに老朽化のピークを迎えているのです。腐食や劣化の進行に対して、いかに先手を打てるかが、インフラの安全性を守るうえで重要な鍵となります。
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橋本 淳司(はしもと・じゅんじ)
水ジャーナリスト
1967年群馬県生まれ。アクアスフィア・水教育研究所代表、武蔵野大学工学部サステナビリティ学科客員教授。出版社勤務を経て、水ジャーナリストとして独立。国内外の水問題を調査し、その解決策を多岐にわたるメディアで発信している。「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」や「東洋経済オンライン2021 ニューウェーブ賞」など。著書に『水辺のワンダー ~世界を旅して未来を考えた~』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなるのか』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る~水ジャーナリストの20年~』(文研出版)、『2040 水の未来予測』(産業編集センター)など多数。
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(水ジャーナリスト 橋本 淳司)