※本稿は、伊藤賀一『もっと学びたい!と大人になって思ったら』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。
■社会人入学してわかった大学教育の問題点
大学に再入学してわかったこと。これは即答できます。第一に、とくに1・2年時の一般教養課程や教職課程で、何人かを適当に組ませて行われている対話型主体的学習の空虚さです。近ごろは、中等教育段階でもやたらに流行っていますが、ぼくは大学での経験から各所で「前提知識のないグループワークなど人生の無駄遣い」と公言しています。
そもそも一方通行型の講義なら1分もあれば論理立てて教えられる結論を、だらだらと1時間話し合って、妙なところに着地させるくらいなら、遊んでいたほうがマシです。
また、グループ内に中高一貫校などで場慣れした「デキる」学生がいることもあり、グループの他学生からはありがたがられるかもしれませんが、その人がドヤ顔で語る意見を聞いて、それを丸パクリでコメントペーパーに書いて終わり、というのはいかがなものかと思います。グループワークが個人の意見拝聴会に終始してしまってはあまりに意味がないでしょう。
■前提知識がないゆえに議論がまったく進まない
ぼくが体験した最もひどい例をぼかしながら出してみましょう。日本のプロ野球(日本野球機構〔NPB〕)にセ・リーグとパ・リーグがあることすらほとんどの学生が知らない状態で、プロ野球だけでなく、サッカーのJリーグ、バスケットボールのBリーグを含めたボールスポーツを活用した地方創生を論じるグループワークが始まる。
そうするとどうなるかというと、セ・パの存在すら知りませんから何をとっかかりにすればいいのかわからず、「大谷くんすごいよね」「ウチの県で甲子園強いのは」とメジャーリーグと甲子園の話題で盛り上がり、そのうち球技どころかマイナー部活の変な顧問の話になり、運動部出身者と文化部出身者が険悪になってタイムアップ。
そして、最終的に東京で生まれ育った1人が代表で当てられて「そもそも地方創生なんてしないほうがいいと思う」とちゃぶ台返しを行い、先生も「みんなどう思う?」だって。なんじゃそれは。せめて先生あなたの意見も聞いてから考えたい。そのまま全員が沈黙して、授業終了時間に……。これでは何のために頭脳と時間とお金を遣い早稲田に入ったのかわかりません。
■「行きたい学部」に入ったわけではない学生たち
この件に関しては、大きく2つの問題があります。
1つ目が、主題(テーマ)に対し意欲の低い学生が多いことです。これは、大学が就職予備校化している、ということが背景にありますが、学生が必ずしも第一志望の学部・学科に入学しているわけではないからこそ起きる現象です。
ちなみにこの現象に国公立か私立かは関係ありません。国公立大学だと基本的に前期・後期1校しか受験できないので、浪人回避のために最も行きたい学部をあきらめてしまうパターンが意外と多いのです。
そして私立だと、保険をかけて複数大学・学部を受験できるのはいいのですが、入学試験の「運ゲー」要素が強く、どの大学・学部に合格するのかわからない。
問題の2つ目が、近年の大学入試方式は、筆記試験中心の一般選抜の割合が減り、高校の校長の推薦書が必要な学校推薦型選抜(公募推薦・指定校推薦、もとの推薦入試)と総合型選抜(もとのAO入試)が増えており、偏差値では計れない選抜がなされていることに由来します。
ざっくばらんにいえば、学校推薦型選抜は「今後の大学との関係を考え、高校が『推薦したい』生徒を入れる」入試で、総合型選抜は「アドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)に沿い、大学が『欲しい』と求める生徒を入れる」入試です。
■教員の想定する前提知識のレベルがずれている
附属校・系列校出身者がエスカレーター式に入学するパターンもありますし、留学生もいます。国公立大は一般選抜が8~9割以上ですが、私立大は学校型推薦と総合型選抜が難関大・有名大で3~5割程度、それ以外で6~8割程度を占めます。
何が言いたいのかというと、そもそも教員が考えているようなレベルの前提知識を、その大学・学部の学生がそろえているのかは不明なのが現代なのです。
一般選抜ばかりの頃であれば、「この試験を突破したということはこのレベルの知識はあるだろう」と推測できたかもしれませんが、今や状況は変わっています(とはいえ学校推薦型選抜や総合型選抜が悪いというわけではなく、これまではいなかったような多様な学生を集められているのも事実であり、あくまでも状況の変化と捉えたほうがよいでしょう)。
しかも大学教員のほとんどは、東大・京大を筆頭とする難関国立大や早慶などの難関私大の修士号もちか博士号もち……。教員と学生のすれ違いがあるように見えました。
ただし、3・4年生の少人数でのグループワークであれば、興味や前提知識がそれなりにある学生が集まっていますし、ファシリテーターたる教員がしっかりしていれば、主体的学習もよいものになります。
■「先生ガチャ」は確実に存在している
また、もちろん教員にも、グループワーク指導のうまい先生とへたな先生がいます。
先ごろ、WBS(早稲田大学ビジネススクール)の研究科長になられた池上重輔先生の講義は、MBA(経営管理専門修士)取得コースで全員が社会人大学院生であることを差し引いても、抜群の面白さです。
お2人の共通点は、グループワーク主体の講義中に、「自身がいちばん楽しそう」なところです。結局のところ、「どんな授業も教員次第」なので、学生たちの言うところの「先生ガチャ」はあるといえばあるのです。そんなものない! 自主的に学ぼう! はきれいごとすぎるでしょう。
ちなみに早稲田では、『マイルストーン』という、全授業を個別に5つ星で評価した分厚い冊子が発売されており、これで学生は楽単(楽勝で単位が来る授業)度合や講義の評判を見て、ドキドキしながら学期はじめの科目登録をすることになります。受講できるかが抽選で決まる講義は、抽選結果に一喜一憂です。なんだか楽しそうでしょう? はい、学生もなんだかんだガチャを楽しんでいるのです。
■若者は元気がないわけではなかった
ずいぶん話が長くなりましたが、大学に入ってわかったことの2つ目を書きましょう。それは、上から見る学生と横から見る学生はぜんぜん違うということです(ここでいう「上」は、ぼくの職業である「先生」目線であり、「世代」や「立場」のことは指していません)。
若者は意外と本当に真面目です。普段、講師として子どもたちを見ていたり、同じ講師同士で「最近の受験生は……」と話したりしていると、ちょっと暗いというか、熱量が少ないのかなと感じることがありました。でも同じ学生として横並びで彼らと話していると、そんな単純な話でもないことがわかりました。
周囲の大人たちに結構「がっかり」してきた今の若者は、あらゆることにあまり高い期待をもたず、一見冷めているように見えます。過去も「がっかり」、現在も「がっかり」なら、未来もまた「がっかり」だろう……。すなわち「やっぱり」の衝撃を避けようと、自分や他人に寛容になっているのです。
だから、さまざまな瞬間に、優しい学生は多いです。そして、ムキになることが少ないので、決まったルールは(自分が損するのも嫌というかメリットがないので)、まあ守ります。若者をかばうわけではないですが。元気がないのとはまた違うのです。
そりゃあもちろん、東大の学費値上げ反対のデモに参加したり、イスラエルのガザ攻撃に反対する市民運動に参加したり、極端な保守的な考えをもち積極的に活動している熱い学生も、左右限らず、どこの大学にも一部はいます。
それでも全体的におとなしく=真面目に見える。そして本当に真面目。いうなれば争いを好まない感じで、ぼくは、それが悪いことだと思っていません。世代で見えるものには違いがあるのです。
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伊藤 賀一(いとう・がいち)
予備校講師
1972年、京都府生まれ。法政大学文学部史学科卒業後、早稲田大学教育学部生涯教育学専修卒業。東進ハイスクール講師などを経て、現在はンライン予備校「スタディサプリ」で高校日本史・歴史総合・倫理・政治経済・現代社会・公共・中学地理・中学歴史・中学公民の9科目を担当。「日本一生徒数の多い社会科講師」として活躍中。著書に『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』(Gakken)のほか、『アイム総理』『改訂版世界一おもしろい日本史の授業』(以上、KADOKAWA)、『1日1ページで身につく! 歴史と地理の新しい教養365』(幻冬舎新書)、『いっきに学び直す教養としての西洋哲学・思想』(朝日新聞出版社、佐藤優氏との共著)など多数。
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(予備校講師 伊藤 賀一)