■深刻化する医師の不足と偏在
AIを医療に導入することのメリットだと信じられていることのひとつに、「医師不足の解消」があります。
経済協力開発機構(OECD)によると、2021年のOECD加盟国の人口1000人あたりの平均医師数は3.7人であるのに対して、日本は2.6人となっています(*1)。医療制度は国によって異なるので単純な比較はできませんが、日本では医師の絶対数がほかの先進国に比べて不足気味であることは、データ上にも表れています。
ただ、日本で医師不足が叫ばれるときに問題とされるのは、絶対数の不足だけではありません。医師が都市部に多く、地方には不足している地域格差、さらに若い医師が志望する診療科が一部の科に集中することによって生じる、相対的な医師不足の問題も指摘されています。
厚生労働省が公表した2022年の「医師・歯科医師・薬剤師統計」によると、日本の医師数は1982年に約17万人だったのが2022年には約34万人と倍増し、人口10万人あたりの医師数も141.5人から274.7人に増えています。
しかし、人口10万人あたりの医師数を都道府県別に見ていくと、医師は大都市と西日本に集中する傾向があり、最も多い徳島県(335.7人)と最も少ない埼玉県(180.2人)には1.9倍の格差がありました。
■離島の手術を担う遠隔AI医療
さらに細かく見ていくと、たとえば北海道全体では254人である一方、札幌市では337.9人、愛知県全体では234.7人である一方、名古屋市では325.2人であるなど、人口20万人以上の中核市で医師数が多い傾向がわかります(*2)。
AI医療が本格導入されれば、医師が不足している地域でも自動問診を通じて患者さんを診察できるようになります。
また、患者さんから離れた場所にいる医師がロボットを操作して手術を行う遠隔手術も実現が近づいています。2021年2月から3月にかけて、約150キロ離れた青森県の弘前大学医学部附属病院とむつ総合病院の間で行われた実証実験では、驚くほどスムーズに操作できたといいます。
将来的には、離島などの遠隔地に住む患者さんが、東京など大都市にいる外科医の手術を受けることは普通になるでしょう。
■若手医師の美容外科への人材流出
もっとも、こうした地域格差以上に厚生労働省が現在危惧しているのは、診療科による偏在です。
2010年代以降、医学部を卒業し、初期臨床研修を終えた若手医師が専門研修に進まずに、美容外科をはじめとする自由診療に集中(「直美(ちょくび)」といわれます)する一方、内科や小児科など、保険診療を主体とする診療科には進みたがらない傾向が加速したのです。
日本医師会の関連組織「日本医師会総合政策研究機構」が2022年5月に公表したレポートには、すでに次のようなことが書かれています。
美容外科は、絶対数としては少ないが、最近の増加が顕著である。過去には、若手医師が主たる診療科として美容外科を選択することはほとんどなかったが、2020年は診療所の若手医師(35歳未満)1602人のうち、美容外科が245人である。
(中略)東京都区部一極集中で、皮膚科、美容外科の医師が増えた。診療所若手医師のうち美容外科の医師は15.2%を占める。
(中略)現状は、いくら医師養成数を増やしても、保険診療ではなく自由診療を主とする診療科への医師の流出が避けられない状態にある(*3)。
■「直美」問題の本質とは何か
美容外科志向の高まりは、単に流行や若手医師の志向変化といった表層的な現象にとどまりません。そこには、日本の医療資源配分そのものが抱える構造的な歪みが透けています。
診療報酬制度や、保険診療と自由診療の収益格差、都市集中型の開業環境、そして診療科間の労働負荷の偏り──これらが複合的に作用し、社会的に必要な分野から人材を吸い上げてしまう。
たとえば外科医不足について、朝日新聞の報道によれば、2040年にはがん手術を担う消化器外科医が約5200人不足し、現在提供されているがん医療は維持できなくなる恐れが指摘されています(*4)。
また、日本外科学会によると、若手外科専攻医の割合は2018年度の約9.6%から2025年度には8.8%へ低下していて、若手の外科離れが進んでいます(*5)。NHKの番組でも、外科医の長時間労働や過酷な勤務環境に対する敬遠から、地方の基幹病院では手術枠削減を余儀なくされる事例が紹介され、構造的な担い手不足が全国的に進行している現状が浮き彫りになりました。
■収入格差が生む自由診療偏重
美容外科を中心とする自由診療に人材が流れるのは、美容外科とそれ以外の診療科目では収入格差があまりに大きいからです。
日本の医師法は医師国家試験に合格して診療に従事しようとする医師に対し、国の指定を受けた研修病院で2年以上臨床研修を受けることを義務づけています。「激務で薄給」というイメージが強かった研修医の待遇は、2004年に新医師臨床研修制度が施行されて以降はかなり改善されましたが、それでも研修医(初期研修医)の平均年収は約450万円であり、決して高いとはいえません。
初期研修を修了すると、医師は自分が進みたい診療科を選択し、専門研修プログラムを持つ医療機関で3~5年間の専門研修(後期研修)を受けて専門医になるのが一般的ですが、この際に後期研修を受けず、自由診療の道に進むことも可能です。後期研修中の医師の平均年収は約700万円であるのに対して、首都圏の美容外科チェーンで常勤医師として勤務した場合の年収は約2000万円で、残業なども少ないといわれています。
保険診療に魅力を感じられず、手っ取り早く稼げる自由診療に進もうと考える若い医師が増えるのは、短絡的ではあるものの理解できなくもない現象でしょう。もっとも、この自由診療偏重の流れは、美容ブームしかり、ほかの自由診療ビジネスしかりで、一過性の要素はあるでしょう。
ただし、その背後にある制度的な格差構造を放置すれば残り続け、別の診療科の偏在という形で再び表面化します。
■過激な規制案に映る厚労省の焦り
いずれにせよ、これは明らかに社会全体にとって望ましくない状況です。本来であれば、美容外科を志望する医師には別途「美容医学部」のような専門学部を設けるか、あるいは高い税負担を課すコースを設定することで、真に必要な医療分野からの人材流出を防ぐべきです。
さて、こうした待遇格差があるがゆえに、厚労省にはいまのうちに美容外科の開業を規制し、人材流出を止めなければ、いずれ医師不足で保険診療ができなくなってしまうという強い危機感があります。同省が医師偏在問題の是正のため2024年春から冬にかけて開催した「新たな地域医療構想等に関する検討会」でも、若い医師が自由診療に流出する問題は主要な議題のひとつになりました。
最終的にとりまとめられた案では、2026年度の診療報酬改定に向けて外科医など長時間労働になりやすい診療科の医師に対する経済的支援を議論していくとの方針を定めるにとどまりましたが、途中の議論では、内科や外科など公的保険の対象となる一般的な診療に5年ほど従事した医師にしか自由診療の開業を許可しない案も出たとも報じられています。
美容外科で開業を目指す医師の場合、首都圏の美容外科チェーンで2~3年勤務医として働いて、そのあと東京・大阪などの大都市で開業するのが典型的なパターンで、地方に赴任することはあまりありません。厚労省としてはそこに目をつけて、地方の医療に貢献したことのない医師にはクリニックを開業させないようにし、同時に医師の地域偏在も解消する一挙両得をねらったのでしょう。
こうした強い規制案は憲法が保障する職業選択の自由に抵触しかねないとして結局は見送られましたが、こんないささか「過激」な案さえ飛び出すほどに厚労省の焦りは深いのです。
*1 OECD, “Society at a Glance 2024: Health and care workforce”
*2 厚生労働省「令和4(2022)年 医師・歯科医師・薬剤師統計の概況」
*3 前田由美子「医師養成数増加後の医師数の変化について」日本医師会総合政策研究機構、2022年5月13日
*4 「がん手術の医師、40年に5千人不足『今の医療継続できない恐れ』」朝日新聞、2025年7月25日
*5 「『最大の課題は若手医師の外科離れ』、武冨・外科学会理事長」m3.com、2025年4月11日
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奥 真也(おく・しんや)
医師・医療未来学者
1962年、大阪府生まれ。医師、医学博士。経営学修士(MBA)。大阪府立北野高校、東京大学医学部医学科卒。
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(医師・医療未来学者 奥 真也)