※本稿は、平光源『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■現代人の5人に1人を襲う「半うつ」
「半うつ」とは一体どのような状態なのでしょうか?
実は、心の状態を理解するのに、とてもわかりやすい方法があります。
それは「脳の中で何が起きているか」を見ることです。
私たち人間の脳の中では、神経細胞同士が「神経伝達物質」という物質を使ってやり取りをしています。これが減ってしまうと、脳のネットワークがうまく働かなくなり、心にも影響が出てきます。
数人で会話のやり取りをしようにも、誰かが無視したり、あやふやなことを伝えたりすればコミュニケーションは破綻します。
脳内でもまさに同じようなことが起こってしまうのです。
特に重要な役割を持つ各神経伝達物質が以下の3つです。
①セロトニン(心のブレーキ):
心の安全装置のような存在。低下すると憂鬱、不安、焦燥感が強まります。
②ノルアドレナリン(心のアクセル):
心にやる気を灯す存在。
③ドーパミン(心のエンジン):
心にワクワクを抱かせてくれる存在。低下すると楽しくなくなります。
極端に言ってしまえば、うつ病とは、この3つの神経伝達物質全てが大幅に減ってしまった状態と言えます。
■「半うつ」もれっきとした生理的変化
では、「半うつ」は?
3つの神経伝達物質全てが不足しているわけではないけれど、どれか1つ、あるいは2つが不足している状態。
これが「半うつ」です。
ここでとても大切なことをお伝えします。
うつ病にしても半うつにしても、あなたの「気合」や「怠け」が原因ではありません。
「神経伝達物質の減少」という、れっきとした生理的な変化によって起こっているのです。
ですから、くれぐれも自分を責めないでください。
これらの神経伝達物質は、ストレス、睡眠不足、栄養の偏り、運動不足などによって過度に消費され、必要以上に減少していきます。
現代社会で生きている以上、誰にでも起こりうることなのです。
では実際、どれくらいの人が「半うつ」状態にあるのでしょうか?
厚生労働省の調査では、うつ病の有病率は5.7%。
さらに、2018年のチューリッヒ大学の研究によると、うつ病の一歩手前の「適応障害」の有病率は15.7%とされています。
「適応障害」とは、今いる環境にいることが辛く感じられる状態です。
しかし、環境は変わっていないのに憂鬱以上の気分を感じている方もたくさんいるはずです。
そういったことから鑑みると、控えめに見積もっても、現代人の5人に1人は「半うつ」の状態にあると言えるでしょう。
■「うつではない」と言われるのもそれはそれで辛い
「これってもしかして、うつなのかな?」
そんな不安を抱えて誰かに相談した時、こんな言葉が返ってくることがあります。
「うつじゃないでしょ! まだ働けてるんだから」
「うつの人はもっと深刻だよ」
「気の持ちようじゃない?」
確かに、重度のうつ病は本当に辛い病気です。
朝、ベッドから起き上がることすらできない。
シャワーを浴びることも、歯を磨くことも、まるで足に重りをつけて山を登るような大変さになってしまう。
大好きだった趣味にも一切興味が湧かず、家族や友人との会話さえ苦痛に感じる。そして何より辛いのは、「死んでしまいたい」という気持ちが頭から離れなくなることです。
でも、自分なりに辛いと感じているのに「うつじゃない」と一蹴されてしまうのも、それはそれでとても辛いものです。
なぜこんなことが起きるのでしょうか?
それは、普通の「憂鬱」と「うつ病」が、とてもよく似ているからです。
私たちが日常で感じる憂鬱は、美味しいものを食べたり、誰かに話を聞いてもらったり、好きな音楽を聴いたりしているうちに、2~3日で自然と晴れていくものです。
ところが、うつ病に向かう憂鬱は違います。
最初は同じような「なんとなく憂鬱」だったものが、だんだんと重く、長く続くようになっていく。
まるで坂道を転げ落ちる雪玉のように、どんどん大きくなっていって、最後には「うつ病」という深刻な状態になってしまうのです。
出発点が同じだからこそ、見分けるのがとても難しいわけです。
そして、その「途中の段階」、つまり「半うつ」の状態にいる人を、周囲が適切にサポートするのは、名前がないと本当に困難です。
■転がる雪玉を止めるためには
実は、これと同じような問題が他の分野でも起きていました。
例えば、「発達障害」という言葉が広く知られる以前、該当する人たちは「変わった子」「わがままな子」「努力不足の子」といった曖昧な表現で片づけられていました。
周囲も「どう接したらいいのかわからない」「厳しくすべきか優しくすべきか迷う」という状況でした。
しかし、ADHD、ASD(自閉症スペクトラム障害)などの具体的な名前がついたことで、それぞれに適した支援方法が明確になり、本人も周囲も適切な対応ができるようになったのです。
「更年期障害」という言葉も同じです。
以前は「ただのイライラ」「年のせい」「気の持ちよう」と片づけられていたものが、「更年期障害」という名前がついたことで、家族も職場も「医学的な変化で、配慮が必要な状態」として理解できるようになりました。
「半うつ」にしても、まったく同じことが言えるのです。
名前があることで、本人は「これは何かおかしい」と気づきやすくなり、周囲の人も「これは見逃してはいけない状態だ」と理解して、適切な配慮ができるようになる。
転がり始めた雪玉を、大きくなる前に止めることができるのです。
■日常生活を送れてしまう厄介さ
食卓全ての献立を考えて作る元気がないけれど、ご飯をレンチンして、スーパーで買った総菜を並べてなんとかごまかす。
思考力がなくなって自分では考えることができないけれど、上司の考えてくれたルーティンワークだけはギリギリこなす。
このように、「半うつ」の人は一見、健康そうなので、日常生活が送れてしまいます。
しかし、実態はどうでしょうか?
仕事を終えると、リビングで力尽きて、そのままソファの上で寝てしまう。
「何かしなきゃ」と思いながら「何もできない」を繰り返して、気がつけば1年が過ぎている。
そういったせっかくの人生をいつもギリギリの生活で過ごしている方が多く、本当にそれが「日常生活」と呼べるかは、少し疑問が残ります。
私たちは、ギリギリで生きるために生まれてきたわけではありません。
「ただ生き延びる」ために生まれてきたわけではありません。
朝起きた時に「今日は何をしよう」とワクワクして、夜眠る時に「今日も良い1日だった」と思える。
そんな当たり前の幸せを味わうために生まれてきたはずです。
■「何かおかしい」と感じる人に伝えたいこと
「ただ……、今の私にはそんな余裕はない」
そう思われるかもしれません。
でも、だからこそお伝えしたいのです。
「半うつ」の状態は、まだ選択肢がたくさんある場所にいるということを。
「なんだかおかしいな」
「前の私と違う」
「このままじゃダメかも」
そう感じられること自体が、実はとても貴重な能力なのです。
本格的なうつ病になってしまうと、この「気づく力」さえも失われてしまうことがあります。自分の状態を客観視することが難しくなり、「これが普通」「仕方ない」と感じるようになってしまうのです。
でも、あなたは違います。
この本を手に取り、ここまで読み進める集中力も残っています。
文字を追って、内容を理解して、「そうそう、これって私のことかも」と共感する力もある。
そして何より、「何かおかしい」「何とかしたい」と感じる感覚が、まだしっかりと残っている。
この感覚こそが、変化への第一歩なのです。
■心の病を否定してしまう心理
気づいた時にはもう「うつ病」になってしまっていた――。
私のクリニックでもそういった方が後を絶ちません。
そこには「心が弱っている状態」を受け入れたくない心理が働くのでしょう。
では人はなぜ、自分の心の状態を正しく受け止めることが難しいのか?
精神科医として、次の3つの原因があると考えます。
心の病を否定してしまう心理① アイデンティティの崩壊
「私は努力でなんでも乗り越えられる」
「私は自分をコントロールできている」
そんなふうに自分を信頼してきた人ほど、心の不調を認めることが難しくなります。
なぜなら、これまで築き上げてきた「自分」というものが、「うつ」という得体の知れないものによって崩されてしまうような気がするからです。
私たちは「考えて行動できる脳」こそが自分自身だと思っています。
だからこそ、その脳がうまく働かなくなった時、「自分でなくなってしまう」という恐怖を感じるのです。
この恐怖は、ある意味とても自然な反応と言えるでしょう。
心の病を否定してしまう心理② 社会的偏見
「うつなんて甘えだ」
そんな間違った偏見が、まだ社会には残っています。
そして、その偏見を自分にも当てはめて「私はそんな甘えた人間ではない」と無理に思おうとしてしまう。
そういった「ダメな人間」と周囲に思われることへの恐怖。これは、江戸時代の「村八分」や、縄文時代の「集落からの追放」に匹敵するほど、私たちの本能に深く刻まれた恐怖なのです。
「そんな大層な状態ではない。私は大丈夫」
そう思ってしまうことが、半うつやうつ病を長引かせる原因となっています。
心の病を否定してしまう心理③ 恥の文化
80年前、文化人類学者のルース・ベネディクトは著書『菊と刀』の中で、興味深い指摘をしました。
「欧米人は罪の文化があり、日本人は恥の文化がある」
例えば、道にゴミを捨てることについて日本と欧米で次のような違いがあると言うのです。
日本人は人が見ている街中では「恥をかく」から捨てないけれど、誰も見ていない山奥では平気で捨ててしまう人もいる。
一方、「悪いことをすれば神から罰が与えられる」と考える欧米人は、捨てる捨てないに関して場所に関係なく一貫した行動を取る。
つまり、私たち日本人は「他人の目線」が意思決定に大きく影響する文化で育っているのです。
「うつなんて恥ずかしい」と感じてしまうのも、この文化的背景があるから。
でも、これは日本特有の感覚であって、世界共通の真理ではありません。
心の不調を「恥ずかしい」と思って否定する必要は、まったくないのです。
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平 光源(たいら・こうげん)
精神科医
東北で精神科医院を営む精神科医。高校時代に不登校を経験し医学部受験に失敗。3浪してうつになるも、読書をきっかけにうつから回復。その経験を踏まえ、約25年精神科医として心のケアに当たる。支援学校学校医、老健施設往診医、いのちの電話相談医、傾聴の会顧問など、その活動は多岐にわたる。精神保健指定医、精神科専門医、日本医師会認定産業医。著書『あなたが死にたいのは、死ぬほど頑張って生きているから』(サンマーク出版刊)が2022年の第2回メンタル本大賞優秀賞を受賞。
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(精神科医 平 光源)