※事例は、プライバシーに配慮し一部加工・修正しています。
■自身を「発達障害じゃないと納得できない」と語る男性
「人前で喋れないし、みんなと同じように振る舞えないし、だから発達障害だと思うんです。そうじゃないと、納得できないです」
そう話すのは、森田一雄さん(49歳・仮名)です。
彼は筆者が営むカウンセリングルームに、知人からの紹介でやってきたのでした。
森田さんは、自身の困りごとを話し続けました。
「言われたこともすぐに忘れてしまうし、上司から『あれ、どうなってるの?』と言われて『やべっ』て思って取り掛かる。だけど、それも思うようにこなせなくて『もう、やらなくていいから』って。――何でこんなこともできないんだ、まともに仕事もできないんじゃ、発達障害に違いないと思って。
診断が欲しくて近くのクリニックに行ったら『注意欠如多動症(以下、ADHD)ですね、間違いないです、薬出しときますねー』って、言われました。言われるままに飲んでいるのですが、そんなに効いている気はしません。それを会社の同僚に相談したら『面白い記事が出てるよ』と言われて見てみると『その発達障害、本当に発達障害?』という記事で。で、調べたら、ここにたどり着きました」
■ADHDの診断に感じた疑問点
彼はここに至るまでの経緯を、時系列で淀みなく説明してくれました。
私は医師ではないので直接的な診断は下しませんが、こころの専門家としてその診断や見立てが本当に正しいのか、発達障害に見えてしまう背景にこころの問題が隠れていないのかを、必ず慎重にチェックします。質問への返答は的確か、話がズレていかないか、などです。
実はADHD(を含む発達障害)の方は、個人差はあるようですが物事を時系列に説明する能力にも何らかの課題があると考えられています。この指摘は精神医学や発達心理学などの心理系の分野からではなく、ロンドン大学での語学研究(Isra Khan Afridi 2024)の成果として大学紀要にまとめられた予備的研究ですが、新たな知見を与えてくれると思っています。
筆者はこの指摘をかなり重要視しています。なぜかというと、駆け出しの頃に熟練の精神科医から正確な見立てを作るには傾聴するしか方法がないと教わっていたからです。上記の指摘が出るもっと以前より、発達障害をスクリーニングするための技法として、臨床現場では当人の「語り」は重要な指標として考えられていたのです。
それを踏まえると、森田さんは本当にADHDなのだろうかという疑問が湧いてきます。
■ADHDなら職場以外でも問題があるはずだが…
読者の方々はADHDのタイプの一つである「不注意優勢型なのでは?」と思ったのではないでしょうか。これは多動性や衝動性はないものの、注意力が散漫であるがために、日常生活上の不都合が出ているというものです。
しかし、これも該当しないのではないかと私は感じていました。なぜならば、彼が訴えている困りごとのほとんどは職場での出来事に集中しており、仕事以外には多動性・衝動性、そして不注意による損失が確認されないからです。
ADHDは生まれつき脳機能に何らかの問題があるとされています。なので、職場でも家庭内でも、いつでも困りごとが起きているのが通常です。が、彼の場合は職場だけで困りごとが起きていることから、ADHDとは別の事情により、職場で思うように能力を発揮できていないと考えるほうが自然です。
ところが、森田さんは自身がADHDであってほしいかのようです。
■「精神科診断を欲する動き」は過去にもあった
実は、人が精神科診断を欲するのは歴史的にも繰り返されてきました。18世紀前半から19世紀ごろにまで遡りますが、文学界ではゲーテ、音楽界ではシューベルトやショパンなどが、自らのメランコリー(現代のうつ病の概念に相当する)を芸術へと昇華し、世間に評価されるようになりました。
すると、メランコリーが芸術性天才的な証明であるかのように世間へ伝わり、内面的な悩みや孤立を抱えていることが「高貴の象徴」として捉えられ、特に中産階級や知識層がメランコリーの診断を求めるようになったのです。
まったく同じとは言いませんが、これと似たような現象が現代でも起きているのではないでしょうか。診断を欲する背景には、所属感と安心感を希求する心理があるようです。
いまでは発達障害という社会的に認められた枠組みに収まることで得られる安心感があるのかもしれません。保護され、手を差し伸べられて然るべき対象にもなっています。
■自信のなさ、人間関係のモヤモヤの原因を発達障害に求める人たち
さて、話を森田さんに戻します。やはり彼も、
「ADHDじゃないと腑に落ちない。こんなに仕事ができないなんて、そうとしか考えられない。逆にそうじゃなかったら、どうすればいいのか……」
と話しました。
私は、どんな気持ちで職場で過ごしているのかを細かく聞き取りました。
人から見られていると思うと冷や汗が出てしまう、声をかけられるとミスを指摘されるのではないかと思いビクビクしている、目の前にある仕事をこなそうと考えるあまり他のことが抜けてしまっている――森田さんはそのように話しました。
やはりこころの状態が大きく影響して常に「あたふた」しているようです。そして、自信をなくしてしまっているように見えます。それで思うように仕事ができないのでしょう。
近年では自信のなさや人間関係のモヤモヤをも、発達障害が要因であると思う人が増えてきています。なぜなら精神科診断自体がそのように変更され(DSM-ⅣからDSM-5へのアップデートを機に、該当症状が6→5へ減少・発症年齢が7歳→12歳へ引き上げられる)、多くの人に当てはまるようになってしまったからです。
それに伴い、身近な困りごとの多くが発達障害によるものかもしれないと思わせるようなメッセージが至る所から発せられてもいるからです。
■不安感が高い人ほどADHDっぽく見えてしまう
不安なときほど、自分の状態を指し示す概念を欲するのは人の心理です。自信がない人ほど、それを欲するのも自然なことです。そしてそういう不安が高い人ほど、ADHDのスクリーニング検査で得点が高まることがあるようです。それにより誤診されたり過剰診断につながったりするとの報告が、Arij Alarachi氏ら(Assessment誌、2024)によってアメリカの心理学系ジャーナルに掲載されました。
この研究は、不安障害と診断されて通院している人に診断基準を基にして作成したチェックリストで自己申告してもらうと、約40%の人がADHDの診断基準Aを満たしたというものです。しかし実際には、ADHDの臨床的特徴を満たしたのは約3.4%に過ぎず、ADHDの過小評価と現行の診断基準には問題点があるという文脈で論じられています(註:研究サンプルの偏りに依拠した数値のため、一般化には注意が必要)。
が、その一方で、過剰診断や誤診につながるさまざまな可能性も指摘しています。「完璧主義や不安による集中力低下」「学校や職場での配慮を目的とする報告」「トラウマやストレスによる実行機能障害がADHDに似る」などです。
これは筆者の現場での感覚とも一致しています。大人にしろ子どもにしろ、不安感やストレスが高い人ほど発達障害に見誤られてしまうのです。
これからの検証に期待したいところですが、過剰診断と誤診による本来は不要な薬物療法での損失、誤ったラベリングによる自己成長機会の損失なども、研究で報告され始めています。
■「私、発達障害かも」と思ったら
では、発達障害かもしれないと思っている人はどうすればよいのでしょうか。
もちろん、本当に発達障害が隠れている可能性もあるので、きちんと問診・検査してくれる医療機関や民間カウンセリングルームを利用するのがよいでしょう。ある程度の期間は経過観察してくれるところを選ぶべきです。経過観察している最中に自分のことを話し、また聞いてもらえる体験から不安が減少していき、落ち着いた生活を取り戻すことは十分に可能だからです。
そして本当に発達障害だとしても、いまはできることがあります。特にADHDだと薬物療法が有効な面もありますが、自信のなさや不安などにはカウンセリングなどの心理的支援を導入する価値とその有効性が示されつつあります。こうしたものを組み合わせながら環境調整していき、できるだけストレス機会を低減していくのが重要です。
いずれにしても、まだまだ日本では、こうした心理的支援の活用がなされていない現状があります。
■診断名を手にする以外にもこころが安らぐ方法はある
なぜ発達障害だと思いたいのかの根本的な部分を見ていくと、これまでに気づかなかったこころの問題も見えてくるでしょう。ここまでに述べてきた不安や緊張、焦りなどです。
こうした部分を心理療法を通して見ていき、以前よりも人生が豊かになっていった人たちを筆者は少なからず知っています。
事例の森田さんもその一人で、発達障害だと思いたい気持ちの裏には不安と緊張があって、それは生育歴や家族との関係に問題があったと知り、乗り越えていきました。
発達障害という社会的な概念が、現代では生きづらさの説明に一役買っていると言えるのではないでしょうか。
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植原 亮太(うえはら・りょうた)
公認心理師、精神保健福祉士
1986年生まれ。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。著書に第18回・開高健ノンフィクション賞の最終候補作になった『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)がある。
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(公認心理師、精神保健福祉士 植原 亮太)