AI医療が人間の医者よりも優れる点は何か。『AIに看取られる日 2035年の「医療と介護」』(朝日新書)を出した医師の奥真也さんは「AI診療は、数百年分の全医師が経験した臨床データを同時に参照できるという強みがあり、病名の特定という点でも圧倒的なアドバンテージがある」という――。
■AI化で進む治療の「答え合わせ」
逆説的に聞こえるかもしれませんが、AI医療の普及が進むと、その移行期(過渡期)には、医療ミスとして表面化するケースが一時的に増える可能性があります。
これまでの医療現場では、医師自身が判断に確信を持てないまま、「たぶんこのあたりの病気だろう」とアバウトな診断や処方を行う場面が少なくありませんでした。そして多くの「誤診」は、患者さんの症状が悪化しない限り、振り返って検証されることがなく、見逃されてきたのです。
しかし、近年の医学は「この病気にはこの治療が必要」という明確化が進み、ガイドラインも整備されて、診断や処置の「正解」が以前より見えるようになってきました。結果として、これまで曖昧に済まされていた誤診やミスがはっきりカウントされるようになってきたのです。
AI医療が本格的に導入されれば、「答え合わせ」はさらに進みます。過去の医療行為が検証され、従来の方法に潜んでいた不適切な診断や処置が明らかになることで、一時的に「ミスが増えたように見える」現象が起こるでしょう。
■稀な病気にも強いAI診療
しかしこれは、可視化と精密化が進むための通過儀礼であり、長期的には医療の質と安全性を高めます。
ある医師がガイドラインに沿わない処方をしようとしたとき、AIが「この検査ステップがまだ完了していません」とアラートを出すことで、判断を補正するとします。そのとき、AIの指摘によって初めて「これまで自分がどれほど勘や慣れで診療していたか」に気づき、背筋が伸びる医師も出てくるかもしれません。
いまのところ、すべての病気に診療ガイドラインがあるわけではありません。
新薬の開発と同じく、ガイドラインが作られる病気には「患者数が多く、多くの人の診療の役に立つ」「希少疾患で国も支援している」といった背景が必要です。
では、そうした病気に対してAIは無力なのでしょうか?
これも逆で、AIのほうが対応できるのです。ガイドラインは基本的に病名ごとに作られていて、医師が病名に見当をつけられなければ、そもそもガイドラインを参照するところまで到達できません。特に、稀な病気の場合には、診断に慣れていなくて病名を絞り込めない医師も少なくないのが現実です。医師がその職業人生で一度しか遭遇しない病気は普通にあるのですから。
■簡単なQ&Aで病名を提示するAI
一般の人からすれば、「そんなこともわからない医者などいるのか」と思われるかもしれませんが、決して珍しくはありません。
多くの医師が日常的に診ているのは、珍しくない病気です。日常的に診療する相手の99%以上は風邪や高血圧、糖尿病などの「よくある病気」の患者さんであり、それ以外の病気には触れる機会がほとんどないままキャリアを重ねている医師は多くいます。「総合診療医ドクターG」(NHK)のように病名を推理する番組が成立するのは、まさに「診たことのない病気の診断は難しい」という医療現場の現実を反映しているからです。
一方、AIは違います。AIはビッグデータに紐づいて、患者さんの症状と過去の膨大な診療データを照合し、既知の事例とを参照して「可能性のある病気」を候補として挙げられます。患者さんが簡単なQ&A形式で十数問の質問に答えるだけで、考えられる病名のリストを提示できるのです。
初期のうちは病名候補が多すぎることもあるかもしれませんが、人間の医師と違って「見落とし」は起こしにくく、ディープラーニングにより候補の精度は加速度的に高まってきています。
もちろん、人間の医師でも、ガイドラインのない病気を正確に診断できる名医は存在します。ただしその情報源は、あくまで自分が経験してきた範囲に限られます。一方のAIは、数百年分の全医師が経験した臨床データを同時に参照できるという強みがあり、病名の特定という点でも圧倒的なアドバンテージがあるのです。
■「外部思考」を備えたマルチモーダルAIとは
2020年代に登場した、多くの種類の情報をまとめて扱えるマルチモーダルAI診断システムは、「医療の外部記憶化」をさらに進化させました。
マルチモーダルシステムは画像(X線画像、CT、MRIなど)、文字情報(電子カルテ、問診記録、介護記録など)、音声(患者さんの咳、呼吸音、心音、お腹の音など)、数値データ(血液検査データ、バイタルデータなど)といった複数の情報源を統合的に分析します。
本格化する前のAIは単一のデータグループ(画像のみ、など)を扱うことが多かったのですが、マルチモーダルAIは人間の医師のように多角的な情報を総合判断できます。
たとえば、胸部X線画像の微細な影、患者さんの咳の特性、血液検査値の微妙な変化を組み合わせることで、早期肺がんの検出精度が向上する事例が報告されています。
マルチモーダルシステムは単なる「外部記憶」を超え、「外部思考」機能を提供します。医師が気づかない複数データ間の相関関係を発見し、新たな診断の視点を提示するのです。
■診療ガイドラインもAIの得意分野
診療ガイドラインが現在の医療をどこまで正しくカバーしているかという検証も、将来的にはAIに任せるべきだと私は思います。
ガイドラインに記された治療法が臨床であまり効果を出していないなら、よりよい方法に見直されるべきですし、新しい薬や診断技術が登場した際には、それを反映すべきです。
日本では1990年代以降、多数のガイドラインが編まれてきましたが、それらが妥当かどうかを体系的に検証する取り組みはほとんど行われていません。医師の多くは病気や臓器ごとの専門性に関心を持ちますが、ガイドライン全体の網羅性や有効性に目を向ける医師は非常に少ないのです。
一方、アメリカでは古くから「ガイドラインのためのガイドライン」も研究対象とされ、多数の専門家がその更新や評価に取り組んでいます。日本はこの分野でも大きく後れをとっていきました。
その点、AIならば過去の診療データをもとに、ガイドラインが現状に即しているかを迅速かつ客観的に評価し、必要な改定も自動で行うことができます。学会の重鎮の意向や上下関係に左右されることもなく、効果が見込めない記述はデータに基づいて淡々と削除してくれるでしょう。
「数年に一度」のガイドライン改定サイクルを待たずに、リアルタイムで更新できることはAIの大きな強みです。古い慣習や「偉い先生」の影響を引きずらず、純粋に医学的な妥当性だけを見て進化できるのです。
■特別な職業ではなくなる医療業務
こうしたAI医療の時代には、もはや「名医」という概念がなくなります。医師は特別に尊敬される存在である必要はなく、ほかの専門職と同様に、冷静かつ技術的に社会に貢献すればよいのです。プログラマーが特別に称賛されずともテクノロジーを支えているように、医師も過度な偶像視から離れ、もっとドライで機能的な役割に戻っていくべきだと思います。
AI医療が普及すれば、医師がすべての診療科目に通暁(つうぎょう)する必要はなくなります。専門外の知識や薬の使い方などはAIがサポートしてくれるので、しっかりとした基本的な知識があれば、臨床の実務は十分こなせるようになるでしょう。
その結果、医学教育も見直されるはずです。現在のように6年間かけて全科目を学ぶ必要はなくなり、身体の仕組みや基礎的な病理を学んだうえで、各自の専門に集中する仕組みに変わっていくかもしれません。将来的には、学部の修業年限が短縮される可能性は十分あります。
臨床プロセスの多くをAIが支える時代には、医師に求められる専門性は相対的に低くなり、より多くの人が気軽に目指せる職業になるかもしれません。当然、医師という職業のステータスがいまより下がる可能性がありますが、私はそれはむしろ自然なことではないかと思っています。
たとえば、臨床医と基礎研究をするコースで免許の種類を分ける制度があってもよいかもしれません。実際、戦時中の日本には「医専」と呼ばれる4~5年制の医学専門学校が存在し、卒業生が現場で臨床を担っていました。AI時代には、そうしたマルチな育成ルートが復活するかもしれません。
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奥 真也(おく・しんや)
医師・医療未来学者
1962年、大阪府生まれ。医師、医学博士。
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(医師・医療未来学者 奥 真也)
■AI化で進む治療の「答え合わせ」
逆説的に聞こえるかもしれませんが、AI医療の普及が進むと、その移行期(過渡期)には、医療ミスとして表面化するケースが一時的に増える可能性があります。
これまでの医療現場では、医師自身が判断に確信を持てないまま、「たぶんこのあたりの病気だろう」とアバウトな診断や処方を行う場面が少なくありませんでした。そして多くの「誤診」は、患者さんの症状が悪化しない限り、振り返って検証されることがなく、見逃されてきたのです。
しかし、近年の医学は「この病気にはこの治療が必要」という明確化が進み、ガイドラインも整備されて、診断や処置の「正解」が以前より見えるようになってきました。結果として、これまで曖昧に済まされていた誤診やミスがはっきりカウントされるようになってきたのです。
AI医療が本格的に導入されれば、「答え合わせ」はさらに進みます。過去の医療行為が検証され、従来の方法に潜んでいた不適切な診断や処置が明らかになることで、一時的に「ミスが増えたように見える」現象が起こるでしょう。
■稀な病気にも強いAI診療
しかしこれは、可視化と精密化が進むための通過儀礼であり、長期的には医療の質と安全性を高めます。
ある医師がガイドラインに沿わない処方をしようとしたとき、AIが「この検査ステップがまだ完了していません」とアラートを出すことで、判断を補正するとします。そのとき、AIの指摘によって初めて「これまで自分がどれほど勘や慣れで診療していたか」に気づき、背筋が伸びる医師も出てくるかもしれません。
いまのところ、すべての病気に診療ガイドラインがあるわけではありません。
新薬の開発と同じく、ガイドラインが作られる病気には「患者数が多く、多くの人の診療の役に立つ」「希少疾患で国も支援している」といった背景が必要です。
患者数が極端に少ない病気だと、適切な専門家や学会が十分に存在せず、ガイドライン自体が誕生しないことは珍しくありません。
では、そうした病気に対してAIは無力なのでしょうか?
これも逆で、AIのほうが対応できるのです。ガイドラインは基本的に病名ごとに作られていて、医師が病名に見当をつけられなければ、そもそもガイドラインを参照するところまで到達できません。特に、稀な病気の場合には、診断に慣れていなくて病名を絞り込めない医師も少なくないのが現実です。医師がその職業人生で一度しか遭遇しない病気は普通にあるのですから。
■簡単なQ&Aで病名を提示するAI
一般の人からすれば、「そんなこともわからない医者などいるのか」と思われるかもしれませんが、決して珍しくはありません。
多くの医師が日常的に診ているのは、珍しくない病気です。日常的に診療する相手の99%以上は風邪や高血圧、糖尿病などの「よくある病気」の患者さんであり、それ以外の病気には触れる機会がほとんどないままキャリアを重ねている医師は多くいます。「総合診療医ドクターG」(NHK)のように病名を推理する番組が成立するのは、まさに「診たことのない病気の診断は難しい」という医療現場の現実を反映しているからです。
一方、AIは違います。AIはビッグデータに紐づいて、患者さんの症状と過去の膨大な診療データを照合し、既知の事例とを参照して「可能性のある病気」を候補として挙げられます。患者さんが簡単なQ&A形式で十数問の質問に答えるだけで、考えられる病名のリストを提示できるのです。
初期のうちは病名候補が多すぎることもあるかもしれませんが、人間の医師と違って「見落とし」は起こしにくく、ディープラーニングにより候補の精度は加速度的に高まってきています。
もちろん、人間の医師でも、ガイドラインのない病気を正確に診断できる名医は存在します。ただしその情報源は、あくまで自分が経験してきた範囲に限られます。一方のAIは、数百年分の全医師が経験した臨床データを同時に参照できるという強みがあり、病名の特定という点でも圧倒的なアドバンテージがあるのです。
■「外部思考」を備えたマルチモーダルAIとは
2020年代に登場した、多くの種類の情報をまとめて扱えるマルチモーダルAI診断システムは、「医療の外部記憶化」をさらに進化させました。
マルチモーダルシステムは画像(X線画像、CT、MRIなど)、文字情報(電子カルテ、問診記録、介護記録など)、音声(患者さんの咳、呼吸音、心音、お腹の音など)、数値データ(血液検査データ、バイタルデータなど)といった複数の情報源を統合的に分析します。
本格化する前のAIは単一のデータグループ(画像のみ、など)を扱うことが多かったのですが、マルチモーダルAIは人間の医師のように多角的な情報を総合判断できます。
たとえば、胸部X線画像の微細な影、患者さんの咳の特性、血液検査値の微妙な変化を組み合わせることで、早期肺がんの検出精度が向上する事例が報告されています。
マルチモーダルシステムは単なる「外部記憶」を超え、「外部思考」機能を提供します。医師が気づかない複数データ間の相関関係を発見し、新たな診断の視点を提示するのです。
■診療ガイドラインもAIの得意分野
診療ガイドラインが現在の医療をどこまで正しくカバーしているかという検証も、将来的にはAIに任せるべきだと私は思います。
ガイドラインに記された治療法が臨床であまり効果を出していないなら、よりよい方法に見直されるべきですし、新しい薬や診断技術が登場した際には、それを反映すべきです。
そうした作業はAIの得意分野であり、むしろAI主導で進めるべき領域です。
日本では1990年代以降、多数のガイドラインが編まれてきましたが、それらが妥当かどうかを体系的に検証する取り組みはほとんど行われていません。医師の多くは病気や臓器ごとの専門性に関心を持ちますが、ガイドライン全体の網羅性や有効性に目を向ける医師は非常に少ないのです。
一方、アメリカでは古くから「ガイドラインのためのガイドライン」も研究対象とされ、多数の専門家がその更新や評価に取り組んでいます。日本はこの分野でも大きく後れをとっていきました。
その点、AIならば過去の診療データをもとに、ガイドラインが現状に即しているかを迅速かつ客観的に評価し、必要な改定も自動で行うことができます。学会の重鎮の意向や上下関係に左右されることもなく、効果が見込めない記述はデータに基づいて淡々と削除してくれるでしょう。
「数年に一度」のガイドライン改定サイクルを待たずに、リアルタイムで更新できることはAIの大きな強みです。古い慣習や「偉い先生」の影響を引きずらず、純粋に医学的な妥当性だけを見て進化できるのです。
■特別な職業ではなくなる医療業務
こうしたAI医療の時代には、もはや「名医」という概念がなくなります。医師は特別に尊敬される存在である必要はなく、ほかの専門職と同様に、冷静かつ技術的に社会に貢献すればよいのです。プログラマーが特別に称賛されずともテクノロジーを支えているように、医師も過度な偶像視から離れ、もっとドライで機能的な役割に戻っていくべきだと思います。
AI医療が普及すれば、医師がすべての診療科目に通暁(つうぎょう)する必要はなくなります。専門外の知識や薬の使い方などはAIがサポートしてくれるので、しっかりとした基本的な知識があれば、臨床の実務は十分こなせるようになるでしょう。
その結果、医学教育も見直されるはずです。現在のように6年間かけて全科目を学ぶ必要はなくなり、身体の仕組みや基礎的な病理を学んだうえで、各自の専門に集中する仕組みに変わっていくかもしれません。将来的には、学部の修業年限が短縮される可能性は十分あります。
臨床プロセスの多くをAIが支える時代には、医師に求められる専門性は相対的に低くなり、より多くの人が気軽に目指せる職業になるかもしれません。当然、医師という職業のステータスがいまより下がる可能性がありますが、私はそれはむしろ自然なことではないかと思っています。
たとえば、臨床医と基礎研究をするコースで免許の種類を分ける制度があってもよいかもしれません。実際、戦時中の日本には「医専」と呼ばれる4~5年制の医学専門学校が存在し、卒業生が現場で臨床を担っていました。AI時代には、そうしたマルチな育成ルートが復活するかもしれません。
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奥 真也(おく・しんや)
医師・医療未来学者
1962年、大阪府生まれ。医師、医学博士。
経営学修士(MBA)。大阪府立北野高校、東京大学医学部医学科卒。英レスター大学経営大学院修了。専門は、医療未来学、放射線医学、核医学、医療情報学。東京大学医学部22世紀医療センター准教授、会津大学教授などを歴任した後、製薬会社や薬事コンサルティング会社、医療機器企業に勤務。著書に『Die革命』(大和書房)、『未来の医療年表』(講談社現代新書)、『未来の医療で働くあなたへ』(河出書房新社)、『人は死ねない』(晶文社)、『医療貧国ニッポン』(PHP新書)など。
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(医師・医療未来学者 奥 真也)
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