勤勉な日本人が、なぜ貧しくなったのか。労働生産性はG7最下位、ジェンダー平等も最低水準にとどまる。
フランスで暮らす作家・林巧さんは「毎日利用しているパリの地下鉄やバスで目にする『車内風景』に、その答えのヒントがある」という。現地からリポートする――。
■パリの地下鉄には「自由」と「ざわめき」がある
毎日、パリ市内をメトロ、バス、トラムで移動していて、それが日常になると車内風景が日本とは全く違うことに気がつく。
スマホで通話している人はいつもいるし、乗り降りに苦労する大きな手荷物や電動キックボード、自転車を持ち込む人もいる。飼い犬を連れて乗る人も多く、通路を塞ぐような大型犬でも遠慮なく連れてくる。一方、スマホをみる人だけでなく、紙の分厚い本を読んでいる人も必ずいて、そのうち半分くらいはフランス語でロマンと呼ばれる長編小説を読み耽っている。
白人、黒人、アジア人が入り交じって、車内にはある種の緊張感がある。他人と微かでも接触すると、必ず「パードン(ごめんなさい)」と挨拶する。老人や幼い子連れにはお互いの人種を問わず即座に席を譲り、赤ちゃんを乗せたベビーカーの乗降ではドアに近いところにいる人が必ず手を添えてサポートする。
人のファッションや髪型のセンスも千差万別で、車内はいつもわさわさとして、何かが聞こえ、ものごとが動いている。しんと静かで、皆一様の気配でものごとが止まってみえる、日本の車内とは決定的に異なっている。フランスと日本とのこの違いはどこからくるのか。

■フランス人は「長く休んでも生産性が高い」
一定時間あたりの労働で経済価値がどれだけ生み出せるかを測る労働生産性という概念があり、G7の7カ国で比較すると、日本は50年間ずっと最下位で、6位になったこともない。1位を長い間、保ってきたのがアメリカで、そのアメリカを凌いで1位になったことがあるのはフランスとドイツの2カ国だけである(日本生産性本部 参照)。
フランスもドイツも日本とは違って“定時で帰る”国だが、有給で取れるヴァカンスでは7~8月に集中して4~5週間、連続でとるフランスに分があるようにみえる。つまり、フランスはそれだけ長く休んでもG7で1位になれるだけの労働生産性を培ってきた。
2023年の労働生産性(1時間あたりのGDP)をみてみると、日本は56.8ドルでフランスは92.8ドルである。少し差があるというレベルの違いではない。日本の労働生産性はフランスの半分よりも少し大きい(61.2%)という圧倒的な差が生まれている。
■日本はOECD38カ国中29位の生産性
G7での比較を離れて、日本とアメリカも含めヨーロッパを中心に38カ国の先進国が加盟するOECD(経済協力開発機関)のデータからみてみよう。
2023年の労働生産性のOECD加盟国の平均は約70ドルで、フランスの92.8ドルはこれより遥かに高く、日本の56.8ドルはこの平均値をかなり下回り、38加盟国のなかで29位である。平たくいえば、日本は世界全体のなかでも長時間労働が課され、それにみあわない経済価値しか生み出せずにいる、ということになる。
時代は大きく変わってきている。世界中で男女間のジェンダーバランスの改革が急速に進められるなか、世界経済フォーラムが今年6月に発表した2025年の日本のジェンダーギャップ指数は0.666(1が完全平等、0が完全不平等)で、対象148カ国のうち118位の低さとなっている。

ちなみにフランスは0.765で35位。労働生産性の指数と同じく日本はG7では群を抜いて最下位で、世界全体のなかでも最底辺レベルである。
それとこれとは違う話だろうか? 長い労働時間の果てに成果が乏しいことと、ジェンダーバランスの不均衡で社会が歪むことの根は、どこかで絡み合ってはいないだろうか?
■パリの地下鉄に「禁止と強制」はない
さて、パリのメトロに毎日乗っていて、車内の空気に馴染んで思うのは、パリには自由がある、あるいは禁止と強制がない、ということだ。みんな自分の好きなスタイルで乗り込み、それぞれ好きなことをやっている。乗り合わせた他人がどんな格好をしていようが、何をしていようが気にしない。
パリのメトロでも禁止行為はいくつかある。無賃乗車、喫煙、飲食、事前申請のない楽器演奏や物乞い行為など。だが厳密に禁止運用されているのは無賃乗車くらいだ。今はほとんどの人の乗車券はスマホに電子的に入っているが、不意打ちの検札でそれがなければ問答無用で即時70ユーロ、支払いが遅れると120ユーロの罰金を徴収される。
喫煙はフランス政府がこのところ急速に取り締まりを強めていて、レストランなどの屋内では吸えなくなって、この7月からは一部の公園やビーチでも吸えなくなった。だからメトロで吸う者はいないが、街での歩きタバコはどこでもみかける。
飲食、楽器演奏、物乞いは特に取り締まっている気配はない。
ジュースや缶ビールを飲む人、パンやスナックを食べている人はよくみかける。アコーディオン、サックス、トランペット、ヴァイオリンなど、狭い車内でよく弾く(吹く)なあと感心するような楽器演奏、紙コップを手にした物乞い行為(これはカトリックの伝統と合致する、という側面がある)はよく回ってくる。
■「責任ある自由」が秩序をつくる
そんな車内だから、スマホでの通話など、音量的に微々たるものでほとんど気にならない。もちろん、話す人は隣席で本を読んでいる人の邪魔をしないように、上手に小声で話している。
日本ではシートの色を変えてはっきりと存在しているシルバーシートも、ほとんどのメトロ車両にはない。新しい車両の窓にときおりそれらしいシールが貼ってあるが、誰も気にしていない。
すでに書いたように、座る席を必要とする乗客をみつければすぐ、あくまで自発的に笑顔で席を譲る、というのがパリのメトロのルールだから、そんな席をわざわざ色を変えてつくる必要がない。隣の空いている席にカバンを無造作に置く人も多いが、混んでくると膝の上に移すし、気づかなくとも「パードン」と小さく声をかければ、爽やかにすぐどける。
パリのメトロには自由があり、禁止と強制がない、という感覚が伝わっただろうか。
自由と、そして禁止と強制はひとつの対立概念ともいえる。自由なところに禁止と強制はなく、禁止と強制があるところには自由はない。パリ市内を走るメトロ、バス、トラムの車内風景で象徴的にあらわれる、彼らの自由と、そして禁止と強制の抑制は、そうした公共交通の車外にも広がっている。

■男女別の更衣室も、ブラック校則もない
この夏、パリで何カ所もの市民プールに出かけてよく泳ぎ、ソラリウムと呼ばれる屋外エリアでからだを焼いた。
フランスのプールの更衣室は日本と違って男女にわかれていない。大きな更衣室フロアがあって、そこに並ぶ個室のひとつで男も女も着替えをする。男女別更衣室の“男の入室禁止(あるいは女の入室禁止)”がない。
プールに入っても日本のように監視員が高いところで見張って強い笛を鳴らしたりはしない。プールサイドからそれとなく見ていて、危ないな(飛び込みなど)と思うと、そこに行ってコミュニケーションをもつ。禁止でも強制でもない、話し合いで事故を防ぎ、禁止の笛が鳴りわたることはほぼない。
学校のなかはどうだろうか。フランスの公立校は中学、高校とも制服はなく、服装、髪型、髪色(フランス人の髪色はもともとブラウン、ブロンド、黒、赤と多様である)についても自由なところがほとんどで“スカートの丈の長さ”などという問題は発生しない。
日本の学校は中学、高校ではほとんど制服があり、学校生活のなかでの禁止と強制のオンパレードを事細かに校則が定めている場合が多い。一方、フランスの学校が校則として明示しているのは大前提としての自由の尊重(および他人の権利の尊重)と、自由にともなう責任がある、ということが多い。
こうしたフランスの校則の精神は、そのままパリのメトロの車内にも息づいている。

■高い生産性とジェンダー平等を支える“自由”の文化
労働生産性の向上が目指すのは、豊かで幸せな暮らしだ。ジェンダーバランスの均衡が目指すのも、すべての人たちにとっての、豊かで幸せな暮らしだ。
それはおそらく禁止と強制からは生まれない。そして責任のある自由が大きくかかわってくる。労働生産性の指数も、ジェンダーバランスの均衡の指数も、世界で最上位層に位置する国の多くは、目下のところ、北欧の諸国とアイスランド、アイルランドである。
パリのアパルトマンで楽器を弾く(吹く)ことは、なかなか難しい。旧いアパルトマンは素敵にみえるが、音は相当に響く。楽器の音を鳴らしていたわけではないが、音楽は聴く。それでも階下の住人のフランス人から怒鳴り込まれたことがあった。
日本からもってきた楽器がある。東京で祭り囃子をやっていて、その囃子に使う篠笛が2本。古典調子といって西洋音階ではない囃子のための篠笛の4本調子(As dur/変イ長調)と、唄笛といって西洋音階に調律した篠笛の3本調子(G dur/ト長調)。

パリ郊外のセーヌ川沿いにサン・クルーという城があり、かつてナポレオン・ボナパルトも暮らしたが、普仏戦争で城は焼け落ち、外郭の庭園と広大な森が残された。アパルトマンでは吹けないので、ここの深い森であるときから篠笛を吹くようになった。
■禁止のない森で生まれた即興のセッション
いろいろなフランス人との出会いがあったが、とりわけ忘れられないことがある。
若いフランス人のカップルがやってきて道を訊いてきた。そのとき一本の篠笛を布の笛袋に仕舞い、もう一本の篠笛を袋から出そうとしていたのだが、彼は驚いて言った。
「KATANAか?」

KATANAという発音に驚いて、彼を見かえして返事をする。

「いや違う。……竹の横笛だ」

彼はまじまじと篠笛をみている。

「音が出せるのか? 聴かせて欲しい」
少し考えてから“竹田の子守唄”を吹き始めた。“守(もり)もいやがる、ぼんからさきにゃ、雪もちらつくし、子も泣くし……”という歌詞の、アニメの主題歌にもなった歌だ。するとタバコを吸いながらみていた彼女のほうが歩み寄り、篠笛の演奏のすぐ隣で踊り始めたのだ。
間違いなく知らない曲だろうし、テンポがゆっくりとした曲でふつうは踊れる曲ではない。だが彼女は音楽にあわせ、からだを魅惑的にしならせて踊った。かつてお城であった森のなかで素晴らしい踊りを披露した。
このフランスのサン・クルーの森で3人が自由であったこと、禁止も強制もなかったこと、そうした状況がこうした場面を生んだのだろう、と思いかえしている。

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林 巧(はやし・たくみ)

作家

大阪生まれ。慶應義塾大学卒。長編小説に『世界の涯ての弓』『亜洲魔鬼行~アジアン・ゴースト・ロード』『ピアノ・レッスン』、連作短編集に『斃れぬ命~老林亜洲妖怪譚』、紀行に『マカオ発楽園行き ~香港・マカオ・台北物語』『アジア夜想曲~旅で出合った忘れられない風景』『エキゾチック・ヴァイオリン ~アジアの響きをめぐる旅』など。

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(作家 林 巧)
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