【前編のあらすじ】九州在住の上村七香さん(仮名・50代)は、父方の祖父母と両親、姉の6人家族で育った。父親は再婚で、12歳差の姉は前妻との間にできた娘だった。上村さんは、26歳の時に同い年の男性と結婚すると、6年後、実家の隣に新居を建てる。57歳で自分が興した会社を定年退職した父親は、その後も仕事を手伝っていたが、67歳で肺気腫と診断されたことを機に、69歳で完全退職。COPDで入退院を繰り返し、78歳で死去する。一方、その年の秋、血圧の薬の処方で通院していた76歳の母親は心臓のペースメーカーを入れる手術を受けたが、その翌年からたびたび不調を訴え始めた。「何かおかしい」。上村さんはペースメーカー手術が原因ではないかと疑い始めた――。
■父親の一周忌
2019年2月。父親の一周忌を迎えたが、母親(76歳)のコンディションは最悪。しばらくほとんど寝たきりだったため、法要中に座っていられるか不安だったほどだった。
その後も改善が見られなかった母親は、主治医に勧められ、検査入院する。
しかし、娘の上村七香さん(九州在住・仮名・当時40代)は、母が初めて受けた胃カメラで「つらすぎる。もう二度とやりたくない」と言い、大腸カメラでは、「今すぐにやめて!」と怒って途中でやめてしまったのを見て不安を募らせた。
母親は結局、検査入院しても不調の原因はわからなかった。
「これほど他人に怒っている母を見たのは初めてで、ただただびっくりしました」
その後の母親は、「今後どんなに体調が悪くなっても、苦痛を伴う検査は一切やらない」という意志を固めるとともに、「しっかりしなくちゃ」と思ったのか、自力で回復していった。だが、心配の種は尽きなかった。
「母は、父が亡くなった後に心臓のペースメーカーの手術を受けたことも、こんなに怒っていた検査入院のことも、3週間後には覚えていませんでした。回復したのは良かったと思いましたが、当時の私は首を傾げるばかりでした。今思うと、父を亡くしたことによるうつ症状だったのかなと思っています」
■夫の裏切り
母親の体調不良に悩まされていた2019年2月のある早朝。固定電話が鳴り、上村さんが出た。すると相手の女性は、「あなたの夫から今、別れ話しをされた!」とまくし立てた。面食らっていると、女性は怒りに任せて、これまでの経緯を暴露し始める。
早朝の電話は、上村さんと夫は清掃管理系の会社に出社する直前のタイミングで、高校生の長男と中学生の次男も登校前であわただしい。
その日の夕方、夫から「話がしたい」との連絡があり、仕事からの帰宅前に、夫と近所の駐車場で待ち合わせることになった。
夫の車を見つけた上村さんが、助手席に乗り込んだ途端、夫は運転席で土下座して「ごめん!」と頭を深く下げた。
「今振り返って、夫のこの行動が、離婚回避できた大きな要因の一つだったと考えています。『私は不倫相手よりも上である』という、プライドを保てましたし、自分の自尊心を守れましたから……」
相手の女性は夫の高校の同級生だった。1年前に飲み会をきっかけに不倫関係に陥ったという。
「相手女性から自宅に電話があったのが2月。3月から夫は単身赴任する予定決だったので、夫とは赴任先に行くまで毎日話し合いました。ただ、単身赴任が始まってからも、私の中の火種みたいなものは4~5年は消えず、『熟年離婚もアリだな』と考えていました。単身赴任はある意味、冷却期間で、それがなかったら、たぶん離婚していたと思います」
上村さんは気持ちの整理には時間がかかったが、夫婦や家族関係には決定的な影響が及ばなかった。しかし、不倫相手はクセモノだった。
上村さんが不在の間に再び自宅へ電話をかけてきて次男が出てしまったり、直接家に来て長男と鉢合わせしてしまったり、夫の弟が経営している店にまで来て、不倫の事実を弟に暴露したのだ。
上村さんは、息子たちや母親には不倫のことは知らせたくなかった。その代わり夫に、「一人で抱えるにはつらすぎるから、お義母さんとお義父さんには話してほしい」と頼み、義両親や義弟から夫を叱ってもらった。
■「アルツハイマー型認知症」
2019年以降、母親は冬になると体調不良になり、春になると回復してくるというサイクルを繰り返した。書籍やネットで調べた上村さんは、「老人性うつ」や「季節性うつ」を疑った。
2020年4月、長男は東京の大学に入学。
ところが当時はコロナが始まったばかり。長男の一人暮らしの準備で一緒に東京に来ていた上村さんは、一向に大学が始まる気配がないため、長男とともに九州に戻った。
「長男は大学1年生の間、一度も東京へ戻ることはなく、一度もキャンパスに行くこともなく、実家でオンライン授業を受けて2年生になりました。この時一緒に帰って本当によかったです。一人暮らしも自炊も大学生活も全て初めてだった息子が、一人離れた場所で、あの緊急事態宣言中をまともな心情で暮らせたとは思えません……」
2022年5月から上村さんは、母親の体調を踏まえ、「認知症ケア専門士」の本を購入して学んだ。そして同年6月。母親はかかりつけの病院で長谷川式認知症スケールを受けた。
同年8月。7月に伯母と叔父が遊びにきたことを、母親は完全に忘れてしまっていた。2人がいる間、耳が悪い母親は会話するというより聞き役が多かったが、時々は会話に参加していた。ところが、帰ってから2~3時間後には、「何を話したか覚えていない」と言い、そんな自分を「恐ろしい」とつぶやいた。
同年秋、認知症専門医に診てもらうと、予想通り「アルツハイマー型認知症」と診断された。しかし、上村さんは、「自分が隣に住んでいるから」と、あえて要介護認定は受けなかった。
母親は、味噌汁程度は作り、掃除や洗濯は自分でできていたが、不慣れなことやわからないことがあると、不安のせいか、1日に何度も電話をかけてくるようになる。
次男がまだ中学生だった頃、習い事の送迎や買い物などでの車の運転中、数分おきに電話がかかってきて、しかも全て同じ内容。一語一句変わらないことも多く、まるで台本を暗記しているかのようだった。
「最初は『なるべく母からの電話には出てあげたい』と思っていましたが、結局母は忘れてしまい、何度も同じ内容で電話がかかってくるので、最終的には『無視しても無視された事も覚えていないんだから、出なくてもいい』という考え方に至りました」
上村さんが電話に出られなかった2時間で14件着信があったため、実家に行き、
「すごい着信があったけど、なんかあった?」
とたずねると、
「何もないよ。私、電話かけた?」
と平然と答えた。
■人生の岐路
2024年。次男が大学に進学するため、単身赴任になって6年目の夫と同じ福岡市内で一人暮らしを始めた。
ひと月に1回、単身赴任先から自宅に帰ってくる夫は、ある日新築マンションのチラシを持ち帰った。夫の職場から近く、立地条件も良く、管理費も他と比べると安価な物件だった。
「私は夫の退職後、地元に戻った夫と夫の不倫相手が暮らすこの田舎町で、死ぬまで暮らすことが嫌で嫌でたまりませんでした。その私の気持ちを伝えたところ、便利な街で快適に暮らしていた夫も、退職後、何もない田舎町に戻ってくる気持ちがなくなったようでした」
上村さんは、マンションを購入するとしても定年退職後のつもりだったが、夫が「先に俺と次男が住んでいたらいいだろう」「今なら駐車場も空いている」と言うため、急遽購入を決断。
上村さんや母親が暮らす田舎町には高齢者施設の数も種類も少なく、「希望してもすぐに入れない」と聞いていた。
そのため2年前、同じ田舎町に暮らしていた70代前半の義両親は、義父が完全に現役を退いたことをきっかけに持ち家を売却して荷物を最小限に減らし、夫婦で元気なうちに、夫の単身赴任先と同じ福岡市内にある高齢者施設に入居していた。そのことが後押しとなり、「母も少しでも元気なうちに、新しい暮らしを始めたほうがいいのではないか」と思った上村さんは、購入したマンション周辺で施設を探す。
すると徒歩圏内に良い施設を見つけた。
「少しずつ認知症が進行する中で、『将来的に大変になったら、施設に入れてね』と母はいつも言っていました。父は地元を愛していましたし、『ここで死にたい』と言っていました。『ここで』と言うのは『この町で』なのか、できれば『自分の家で』という願望もあったと思います。結局、地元の病院で亡くなったので、父の願いは叶ったのではないでしょうか。母は、父ほど『地元』に執着していませんでした。なので、母の介護のための引っ越しではなく、私たち都合の施設入居になりました」
■親の介護は「原家族」の関係を見直す機会
2025年6月。予定通りに母親は高齢者施設に入居した。ところが……。
「母が施設に移った後しばらくは、母から頻繁にかかってくる『あんた、私のことが嫌いでここへ入れたの?』という電話に悩まされました。母とは何度も話し合い、納得の上で入居しました。なのに、今までにない症状が出てきたようです。あまりにショックで、私は眠れなくなってしまいました」
母親自身も環境の変化に戸惑っていたのだろう。日が沈むと心細くなるのか、夜中や明け方だろうとお構いなしに「あんた、私の事が迷惑でここに追い払ったんでしょ?」と電話してくる。
ある日一睡もできなかった上村さんは、ちょうど夜勤だった夫に朝方電話をかけて話を聞いてもらった。
「母を変えてしまったのは引っ越しだと思います。『引っ越すのはもっと後でも良かったのに』と、今さらどうしようもないことをぐるぐると考えてしまいました。しかし悲しんでばかりいても仕方がありません。母の対応策を考え、自分の心と体を守ることを意識して暮らそうと思い至りました」
幸い上村さんには、夫だけでなく、姉や2人の息子たちに支えられている。
「母に声を荒らげてしまったこともあります。本当はしっかりしているわけではない自分が、『母を支えなくては』と気を張りすぎて疲れてしまうことと、『しっかりしていた母に戻ってほしい』という願望とで、私が子どもに戻って甘えているような状態になり、ストレスを発散するように声を荒らげてしまっていたように思います」
上村さんが愚痴や泣き言を言っても、介護に向き合うこれまでの姿を知っている2人の息子たちは「母さんは本当にいい娘だと思うよ」と口をそろえる。
母親が入居した施設が、姉も暮らす福岡市内だったため、姉との関係性にも変化があった。
「姉はずっと父や母のことを気にかけてくれていて、私に全てを任せていることに対して罪悪感を抱いていました。でも私は『母の実の娘である私がやるのが当然のことだ』と思っていました。しかし最近は、『こんな考え方はおこがましいのかもしれない』と思うようになりました」
母親が施設に入り、姉は母親に会いやすくなった。しかし姉に遠慮の気持ちがある上村さんは、
「最近暑いし、無理してお母さんの所に行かなくてもいいよ」
と言った。すると姉は、
「お母さん寂しいかな、と思ったりしてさ」
とポツリ。
「その時初めて、『姉が母のところに行く行かないは、私が決めることではないんだ』『私が知らないだけで、姉と母には二人だけの親子の時間があった』ということに気がつきました。母に関する事は、『私が仕切らなくては』と勝手に出しゃばっていたように思います」
遠方で暮らしていて同居していなかった姉は、父親が入院した時、ほとんど父親と一緒にいられなかった。
「母が元気なうちに施設に入居したことで、母と姉の『母娘の時間』を復活させられたような気がして、『私の選択は間違っていなかったのだ』と嬉しく感じています」
来春、自宅を売却し、上村さんも夫と次男が暮らすマンションに移る。その時が待ち遠しいという。
「引っ越したら、毎日でも母に会いに行きます。幸い、夫が『親が生きている間に何回会えるか』ということを気にしてくれているので、悔いの残らないように過ごすつもりです。7年ぶりの夫と次男との3人暮らしが楽しみです」
親の介護が、生まれ育った“源家族”の関係を見直す機会となるケースは少なくない。施設に入所し、生活面のサポートや身体介護をプロに任せることで、家族は余裕を持って、現在だけでなく過去や未来について語り合うことができる。筆者も上村さんの選択は正しかったと考える。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)