■WBC独占配信に文句を言っても仕方がない
アメリカの動画配信大手ネットフリックスは、2026年3月に行われる第6回WBCの放映権を獲得した。
東京ラウンドを含む全試合について、日本国内の放映権が独占契約された件について、日本球界、および国内メディアはまだくすぶり続けている。
NPBの中村勝彦事務局長「ネットフリックスが独占取得したので、交渉のテーブルにすら乗っていない」
巨人の山口寿一オーナー「放送権は主催団体が持っているもの。どこに売るかはこちらは関与できない」
ちなみに前回までWBC東京ラウンドの放映権は、山口オーナーが社長を務める読売新聞グループを通じてTBSとテレビ朝日に付与されていた。
そしてNPBコミッショナーで、経団連名誉会長でもある榊原定征氏は「5000万から6000万人が視聴可能だった環境が失われるのは極めて重大な問題」として、今年7月に米国でマンフレッドMLBコミッショナーと面談し、日本のファンが試合を見られなくなる懸念を直接伝えたとのことだ。
ただただ困惑しているような印象だ。率直に言うが、今の日本は、トップクラスのビジネスマンでさえこの体たらくだから、世界経済から後れを取るのだと思う。
今回のWBC放映権をめぐる話は、きわめて単純である。
■150億円を用意すればいいだけ
2023年の前回大会は、これまでにない盛り上がりとなった。とりわけ東京ラウンドの視聴率が40%を超えたことから、WBCの運営会社であるWBCI(ワールド・ベースボール・クラシック・インク)は、今回の放映権はより高く売れると判断した。そこで前回までの読売新聞を経由したTBS、テレビ朝日と交渉する前に、ネットフリックスに売ったのだ。
前大会の放映権は、TBSとテレビ朝日はあわせて30億円だったとされる。これに対し、ネットフリックスは150億円を提示した。これでは勝負にならない。
ネットフリックスは視聴者に有料で番組を販売する「サブスク」なので、これまで無料でWBCをテレビ観戦していた視聴者が見られなくなる。
これを解消するには、日本側があらゆる手を使って150億円を“耳を揃えて”持って来るほかはない。ただし、日本側が同額を提示すれば、さらに増額するかもしれない。現在、ネットフリックスの日本の契約者は1000万人超とされる中で、WBCを新規契約者獲得の絶好のチャンスだと思っている。
要するに非常にシンプルなお金の話だ。
■被害者ぶるNPBと日本のメディア
日本側はNPBもメディアも「ネットフリックスのせいで、一般の野球ファンがWBCを視聴できなくなる」とあたかも被害者のような口ぶりで窮状を訴えている。
だが、一般の野球ファンが、WBCを視聴できなくなりそうなのは、ネットフリックスのせいではない。WBC東京ラウンドというコンテンツの価値が高騰していることに気が付かずに、それに見合うだけの金額を提示できなかった不甲斐ない日本サイドのせいだ。
日本のメディアは、ネットフリックスに対して「初月だけ無料にする考えはないか?」「日本戦だけでも無料視聴するようにできないか」などと問い合わせているそうだが、先方の答えは「ありえない」しかない。
日本メディアは、ネットフリックスが行っているのが慈善事業や公共事業ではなく「ビジネスだ」ということが理解できないらしい。
彼らは、今回のWBC東京ラウンド放映権獲得を、日本市場拡大のビジネスチャンスだと思っている。その核心部分の利権を手放すはずがないのだ。
より大きな視点で考えれば、この話は、「日米の経済格差」の問題だと言ってよい。
■なぜ大谷に1000億円も出せたのか
今、NPBのトップクラスの選手は、MLBに移籍するのが「既定路線」になっている。
野球選手として「世界最高の舞台でプレーしたい」と思っているからだが、本音の部分では「NPBにいては絶対に手にすることができない高収入が得られるから」と言っても良い。
大谷翔平のNPB時代の最高年俸は2.7億円だった。2024年にドジャースと結んだ契約は10年7億ドル(約1050億円)、1年にならせば105億円だ。山本由伸は、NPB時代の最高年俸は6.5億円だったが24年にドジャースと12年総額3億2500万ドル(約488億円)の契約を結んだ。1年にならせば40.6億円だ。
MLBで成功したとは言えない選手でも、筒香嘉智のNPBでの最高年俸は4億円だったが、MLB2年間の報酬は1100万ドル(16億円)だった。年平均で8億円。
なぜ、MLBはこんなに巨額の年俸を選手に支払うことができるのか。
それは、MLB球団のビジネス規模が、NPBよりも遥かに巨大だからだ。
観客動員そのものは、今年でいえばMLBの1試合の平均観客動員は2万9194人なのに対し、NPBは3万1576人とNPBの方が上回っている。
しかし球団の売り上げは、NPBが未公表ながら100億円から400億円程度とされるのに対し、MLB球団はニューヨーク・ヤンキースが7億ドル(約1050億円)、ロサンゼルス・ドジャーズが6億ドル(約900億円)とされる。文字通り「桁違い」なのだ。
この格差の最大の要因が「放映権料」だ。
■放映権料の差=日米の経済格差
21世紀に入ると、日本ではプロ野球のナイター中継の視聴率が10%を割り込み、かつて巨人戦全130試合を放送していた地上波キー局はナイターのレギュラー放送から撤退した。以後、NPB球団は地元密着のマーケティングで健全経営を目指した。
結果、地上波での放送は年間十数試合になった。放映権料は数十億円で、収益の3割程度。
これに対しMLBは、リーグを統括するMLB機構が全米のテレビネットワークやケーブルテレビ局大手、さらには世界的な動画配信メディアと大型契約を結んでいる。その一方で各球団はローカル局と契約を結んでいる。合計すると契約額は年間40億ドル(約6000億円)を超すと言われている。
この10倍超にもなる放映権料の差が、日米のプロ野球の経済格差につながっている。
そのことはNPB球団も承知のはずだ。
年間2500万人を超す観客を集めるNPBは、大手のネットメディアにとっては、魅力あるコンテンツになりつつある。
世界的なスポーツ専門ビデオ・オン・デマンド会社のDAZNは、2017年からJリーグとの間で10年間で約2100億円の放映権契約を締結。J1~J3全クラブの放映権をパッケージで獲得した。この契約は2023年から2033年までの11年間で約2395億円という新たな放映権契約へと更新された。これにより、それまで、Jリーグ中継を行っていたスカパーJSATは撤退を余儀なくされた。
■ネトフリが次に狙うのは
DAZNは、Jリーグよりも観客動員が多いNPBの放映権獲得を目指した。
機構が一括で放映権交渉をするJリーグと異なり、NPBは個別の球団との交渉となった。だが、広島は地元ローカル局に義理立てして、DAZNとの契約をしなかったために、DAZNは「12球団パッケージ」というコンテンツを作ることができず、中途半端な状態で推移している。
今回のネットフリックスのWBC東京ラウンド放送が成功し、多くの契約者を獲得することができれば、新規顧客となった日本の野球ファンのために、NPB球団と放映権の包括契約を目指すことは想像に難くない。
前述したとおり、今、NPB球団は地上波放送局、ローカル局、BS、CS局、DAZNとの間に、1球団当たり年間、総額数十億円程度の契約を結んでいる。しかしネットフリックスは、その数倍の契約金を提示する可能性があるだろう。
NPB球団は、昭和の時代から続く放送メディアとの関係性を重視して、毎年代わり映えのしない放映権契約を結んできた。
そもそも日本のテレビメディアにとって、今のプロ野球はさして魅力あるコンテンツではなくなっている。地上波のテレビでプロ野球を見るのはライトユーザーで、熱心なファンはすでに有料のBS、CSやDAZNなどを視聴している。
■日本のプロ野球界に対する「黒船」
地上波テレビは、NPB球団との契約を惰性で継続しているに過ぎない。NPBの放映権ビジネスは、価値を最大化できず、中途半端な状況にとどまっているといってよいのだ。
ここにネットフリックスが進出して、遥かに高額の放映権料を提示すれば、今の民放各局など日本側メディアは、スカパーJSATのように、撤退を余儀なくされるのではないか?
今回のネットフリックスによる「WBC東京ラウンドジャック」は、いつまでも昭和のぬるま湯的なビジネスモデルに甘んじている日本のプロ野球界に対する「黒船」だと言ってよい。確かに、日本のライトユーザーの視聴機会をシャットアウトすることは、せっかく盛り上がっている野球ブームに水を差す危険性があるだろう。
しかしだからといって「日本のファンがこれまで通りテレビでWBCを見ることができるように、何とかしてください」と言いに行くのはあまりにも芸がなさすぎる。
ネットフリックスを中心として、メディアやNPB、広告代理店などがコラボレーションする新たなスキームを考えるべきだ。
それと同時にNPB球団は、これを契機に大して貢献度の高くない地上波テレビ局への依存をやめて、DAZN、ネットフリックスをはじめとする世界的な動画配信メディアとの放映権ビジネスに真剣に取り組むべきだ。そのことが、日本人スター選手の過度な流出を食い止める最大の施策になるはずだ。
日本のプロ野球界、そしてメディアは野球ファンのためにきちんと「ビジネスの話」をして、良い結果をもたらしてほしい。
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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。
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(スポーツライター 広尾 晃)