人は誰かの支えを受けて生きていく。だが、その「支え」となる人物が常に善良が人物であるとは限らない。
50代女性は母親に苦しめられ、夫にもつらい目にあわされた。共通点は極度の「自分ファースト」。どんな被害を受けたのか、ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが取材した――。(前編/全2回)
「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。2016年の内閣府の調査では、ダブルケア人口は25万人。そのうち女性が17万人。30~40代が約8割だった。30~40代といえば働き盛りだ。働きながらダブルケアをする人の割合は、30代で4割以上、40代で6割という調査もある。本連載は、2019年にダブルケアを経験し、父親を亡くしてから現在まで、100事例以上の介護現場の取材を通して、ダブルケアに備える方法や乗り越えるヒントを探していきたい。
■「あの人を置いて逝かないで…私、困る」
2015年9月。中国地方在住の京橋九美さん(仮名・50代)の72歳の父親は、数日前から変な咳が出始めたため、母親に付き添われて病院を受診した。
「肺がんのステージIVです。転移が多数見られ、リンパへの転移も認められます」。医師から告知された。
その後、明らかに“壊れて”いった母親について京橋さんはこう語る。
「専業主婦の母は昔から『子どもたちより旦那様』で、妻としては最高の人だったと思います。しかし、身だしなみや自分の部屋を綺麗にしておくこと、時間を守ることに対して特に厳しく、口うるさかったため、私は自分のペースで生活することができず、苦手に感じていました。
私にとっては本音を言えるのは父で、思春期に嫌悪感のひとつも抱いたことはありません。今思えば、それも“母のおかげ”とは思いますが、友だちにとってのお母さんの存在が『羨ましい』と思うことが多々ありました」
父親から「がんだった」と告げられた京橋さんは、「あの人(母親)を置いて逝かないで……困る」と追い縋った。父親は笑って、「仕方ないから許してくれ」と言った。父親は、娘が「母親と決定的に相性が悪い」と感じていることに気づいていたが、病身でなすすべがなかったのだろう。
■子どもより“夫ファースト”な母親
商社勤めで忙しい父親は転勤が多く、5歳上の兄と一家4人、生まれ育った地元と東京本社とを行ったり来たりした。
「父のことが大好きな母はいつも『お父さんを休ませてあげて! 子どもは外で遊んで!』が口癖でした。
完璧主義で厳しい母と温厚で頑張り屋な父は、『どちらかが先に逝ったら、続けてもう1人も逝っちゃうのでは?』と昔から言われていたほど仲良しでした」(京橋さん、以下同)
やがて兄が県外の大学進学のために家を出たが、京橋さんが「県外の大学に行きたい」と言うと、両親の反対にあった。
「『女の子は自宅から通える大学! 職場!』と父が強く考えていて、母は父に意見しない人。行きたい大学に行かせてもらえず、悔しい思いをしました。だから地元の短大を卒業した後、初めて両親に反発して、反対されていたアパレル系の販売員の仕事に就きました」
「実家を出るには結婚しか道はない!」そう確信していた京橋さんは、当時交際していた高校の同級生と22歳の時に結婚を決め、23歳になってすぐに実家を出た。
結婚してすぐ、製造業の営業をしていた夫の配属先が遠方に決まったため、京橋さんは仕事を辞めて専業主婦になり、24歳で長女を、27歳で次女を出産した。
■生活費を出し渋る“自分ファースト”な夫
実家を出てから10年ほど経った頃、夫の配属先が再び地元に決まった。
父親は定年退職が迫る中、本社への転勤の話しが出たが、「もう東京で暮らしたくない」と59歳で退職。「今まで必死に仕事をして来たので遊ぶぞ~!」と、母親を連れてあちこち旅行をし始めた。
ある時、何気なく京橋さんの両親が、「家が古くなってきたので修繕しようかと考えている」という話をすると、京橋さんの夫が「2世帯住宅に建て替えて、一緒に住みませんか?」と持ちかけた。
京橋さんの両親はとても喜び、義両親も反対しなかった。だが、ただ1人、京橋さんだけが反対した。なぜなら、夫の金銭感覚に問題があったからだ。

京橋さんは結婚後、夫が生活費を8万円しか渡してくれないことに悩んでいた。手取りが25万円ほどで、2LDKのアパートの家賃が6万円にもかかわらずだ。残り2万円では家族4人が食べていけるわけがない。京橋さんは増額を要求したが拒否され、娘たちを保育園に預け、パートに出るしかなかった。
「夫は育児も、自分がやりたいことしかしないスタンス。お金も、自分のためにしか使いたくない人でした。自分が身につけるものにこだわりが強く、車や服や靴など、欲しい物は我慢しない。どんな状況でも手に入れます。だから夫は、『金銭的に私の両親を当てにするのではないか?』という不安があったのです」
建て替え費用の頭金は父親が出し、夫は2500万円を35年ローンで組んだ。
いざ同居が始まると、両親や子どもたちの嬉しそうな姿を見て、京橋さんは救われる思いがした。
ところが、京橋さんが40歳になった時。夫が食べ物も衣服も何もかもクレジットカードのリボ払いで購入しており、毎月10万円以上の支払いが発生していることが判明。
夫は二世帯住宅のローンを毎月10万円弱支払っているものの、生活費は以前の8万円から、なんと2万円へ大幅に減らされていた。
不満だらけだった京橋さんだが、夫が二世帯住宅のローンは支払ってくれているため我慢した。下手に夫を刺激したら、住むところを失うことになりかねないからだ。
だが、「このままではいけない」と考えていた京橋さんは、自身の給与アップのため以前勤めていたアパレル系の会社に正社員として復職する。
ところが、さらに状況は悪化する。子どもたちのために小さい頃から積み立てていた学資保険を夫が勝手に解約し、100万円以上あったはずの返戻金を、自分のためだけに使ってしまったことが発覚したのだ。
「さすがに我慢の限界でした。これまでのたくさんの『無理だ……』が重なって、離婚を決意しました。100万円を何に使ってしまったか。何度も何度も追及しましたが、答えません。リボ払いやカードローンなどを平気で使っていましたから、返済に消えたのだと思います」
当初、京橋さんの両親は離婚に反対だった。なぜなら、京橋さんが夫の問題を両親に隠し、1人で我慢し続けていたからだ。

しかしそれまでの経緯を知った両親は、「家を失うことになったとしてもお前を応援する」と納得してくれた。
夫との話し合いの結果、離婚後は夫が家を出て行き、家の名義は京橋さんに変更。ローンは京橋さんが払うことに。
「夫は、親権に関してはすんなり『譲る』と言い、養育費は『払えません』と即答しました。それまでも、子どものためにお金を出すことはほとんどなかったので、『払えないなら、今後は父親を名乗らないでほしい』と伝えました。当時は離婚に反対した娘たちも、さすがに大人になり、離婚後1円の援助もしてくれなかった父親に不信感を持っています」
■車の運転中に「どこに向かっているんだっけ?」
それから10年以上経った。
元々“夫ファースト”だった母親は、父親ががんだと分かって以降、家にいる時も病院へ行く時も、父親から離れたがらなくなった。
父親はすぐに抗がん剤治療に入ったが、容態は日に日に悪くなっていく。それと連動するかのように、母親は何かにつけて京橋さんに当たり散らすようになり、見かねた父親が止めに入るほどだった。アパレル系の会社で正社員として働いていた京橋さんは、母親との衝突を避けるために、わざと残業をして帰宅を遅らせた。
しかし、父親と過ごせる時間はもうあまり残っていないことも分かっていた京橋さんは、頭を悩ませていた。
母親は、昔から毎日の掃除を欠かさなかったが、この頃、キッチンが乱れ始めた。
中でも冷蔵庫の中は、いつから入っているのかわからない食材やおかず、調味料などが詰め込まれ、パンパンになっていった。
買い物に出かけている間が、唯一、母親が父親から離れる瞬間だった。その間に、冷蔵庫の中の悪くなったものや賞味期限切れのものを2人で片付けていると、「ボケはじめちゃったかなぁ~」と父親とつぶやいた。病院に付き添ってくれる母親が車の運転中に「どこに向かっているんだっけ?」と言い出すことや、病院の受付や医師・看護師の説明が理解できていない様子を話してくれた。
父親は、「母さんに買ってきてほしいものを頼んでも、すぐに忘れちゃうんだよな~」と言って、こっそり京橋さんにメールで頼むようになった。
京橋さんはその頃の心境をこう話す。
「『きっと、何よりも大切な父を失う恐怖と、残された時間を受け入れることが難しくて、心が病んでしまったのかな……なんて思っていました。私自身も、受け入れるのはつらくて苦しいことでしたから」
おそらく京橋さんが受け入れるのがつらく苦しかったのは、父親のがんだけでなく、母親の認知症もだったのだろう。母親は京橋さんが挨拶をしても返してくれなくなり、話しかけても怒ったようにしか返事をしなくなっていた。
■父親の死後、挙動不審になった母親
肺がんが判明してから、半年ほど抗がん剤治療を受けた父親は、「効果が感じられない。しんどいだけだ」と言って治療をやめる決断をし、緩和ケア病院に移ることになった。
父親は身の回りの整理をし、役所での手続きなど、自分がいなくなった後に京橋さんにしてほしいことをまとめた。父親も京橋さんも、父親の死後、母親が何もできない状態になっているだろうということは想像できていたからだ。自分の意志で自由に動けなくなった身体で「お前には苦労させちゃうけど、ごめんな。頼むな」と力なく笑いかけられた京橋さんは、「任せとき! 何も心配しなくていいから!」と答えるしかなかった。
2017年10月。父親は亡くなった。74歳だった。
「母が取り乱すのではないか」と身構えていた京橋さんだったが、意外にも母親は落ち着いていた。ところが父親の葬儀では、挙動不審になった。ひと所に留まっていることができず、ウロウロウロウロしてしまうのだ。
「何もわからない」と言って母親から父親の通夜・葬儀のみならず、さまざまな手続きなどを丸投げされた京橋さんは、葬儀後、親族に「お母さん、ちょっとおかしいよ」と耳打ちされた。「わかってるよ……」と思いつつ、母親には「大丈夫だよ。心配ないよ」と声をかけ、なだめるために背中をさするしかなかった。
■四十九日後の診断結果
父親の四十九日まで忙しくしていた京橋さんは、休んでいた分を取り戻すように仕事に打ち込んだ。しかし母親の今までにない奇行は、否が応でも目に入ってきた。
「落ち着きを取り戻したように見えた母が、久しぶりに作ってくれた魚の煮付けや味噌汁は、塩辛すぎて食べられませんでした。指摘したり、残したりすると怒るし、食べられないしで大変でした」
不安になった京橋さんは、冷蔵庫や食料ストックの賞味期限を確認し、腐っているものや切れているものがあれば処分した。
次第に母親は、毎日使っていた電子レンジが使えなくなり、コーヒーメーカーを壊してしまった。だんだん好きだった料理をしなくなっていき、父親の死後1カ月も経つ頃には、家事全般をしないようになってしまった。京橋さんは口論になるのを避け、黙って全ての家事を受け持つようになっていった。
ただ、ただ一つ。京橋さんが仕事から帰ると、ご飯だけは炊いてくれていた。
「毎日、母は得意気にご飯だけは炊いてくれるのですが、当時我が家は、母と私と中学生の次女の3人だけ。毎日5合炊かれたら、あっという間に冷凍庫がご飯で埋まりました」
長女は大学進学で家を出ていた。京橋さんは優しく、「今日はご飯炊かなくていいよ」と言ったり、炊飯器に「今日はご飯炊かない」と書いて貼ったりしたが、全く効果がなかった。
京橋さんは、仕事がひと段落ついたタイミングで休みを申請し、母親を病院に連れて行く。
診察室で母親は、医師に「どこも悪くありません。無理矢理連れて来られました!」と言い放ったが、それでも医師や看護師の指示に従い、いくつかの検査を受ける。
母親は、長谷川式認知症テストも医師からの質問も、答えられないことの方が多かった。母親の横で黙って見守っていた京橋さんは、不安そうに何度も自分に確認を取る母親に、微笑みかけるのが精一杯だった。
医師は、「認知症検査の結果は30点満点中12点です。中度のアルツハイマー型認知症ですが、かなり進行しています」と診断。京橋さんは驚かなかった。
その後、京橋さんは、介護や認知症に関する本を読み漁った。
「正直、書いてあることはできないことの方が多かったですし、母とはもともと仲良し母娘ではありませんが、認知症になり、分からなくなってしまうことに戸惑い、不安でいっぱいになっていることは理解できましたし、そのつらさやしんどさはとても伝わっていました」
子どもより“夫ファースト”な母親のもとで育った京橋さん。
もしかしたら子どもの頃の京橋さんは、「私はお父さんより大切にされていない。お父さんは、お母さんに大切にされていいな……」と両親の関係に羨望の眼差しを向けていたのかもしれない。
京橋さんが「厳しすぎる」「口うるさい」と形容する母親は、おそらく過干渉だった。自分に対する母親の言動からあまり愛情を感じ取ることができなかった京橋さんは、「苦手」「あまり関わりたくない」「相性が悪い」と感じ、母親から距離を置いていた。
そんな“夫ファースト”な母親のもとで育った京橋さんは、その後、“自分ファースト”な夫を選んでしまい、お金に苦労させられ、離婚に至った。
人は、自分が育った家庭と同じような家庭を築いてしまう場合が少なくない。
子どもにとって一番身近な存在である母親が、自分を大切に思ってくれていると思えなかった。だから、自分を大切にしてくれる夫を選べなかったのかもしれない。
京橋さんは、下の娘はまだ中学生で仕事もある中、“苦手な”母親の介護が本格化していった。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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