世界的に日本食がブームになっている。ただ、日本で名前は同じでも現地では味わいが大きく異なる日本食があるという。
古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話』(ポプラ社)より、言語学者の大山祐亮さんのエピソードを紹介する――。(第1回)
■中国生活3年目の研究者が感じたこと
福建省は南の方の沿岸部なので、やはり南国のような雰囲気がある。近所にはバナナらしき木が生えているし、日本よりもずっと夏が長い。12月に30度になったこともある。とにかく夏が長く、暑がりな私にはほとんど長袖が必要ない。クーラーは4月から必要になる。同僚に北の方の黒竜江省出身の先生がいるが、その先生の実家のあたりではまだ雪が降っているのに、こちらではクーラーが必要、なんてこともある。地域差が大きすぎて、「中国の気候は○○で」などと一概に語ることはできそうもない。
ほとんど1年中日差しが強いので、晴れの日に外を歩く時には日傘が手放せない。天気にかかわらず傘は必需品である。直射日光に当たると冬でもジリジリとしたものを感じる。雨に関しては日本の梅雨のように集中して降る季節はない。
どちらかというと冬に降りがちなイメージがあるが、8月末の帰省を終えて中国に戻るくらいのタイミングで台風が直撃することが多く、飛行機がちゃんと飛んで学期はじめに間に合うのか毎年心配になる。
店で見かけるものにも、やはり南国らしいところがある。個人的に異国情緒を感じるのはドリアンとドラゴンフルーツ(写真1)。
■花粉症は立派な体調不良
この辺りの地域では、大きめのスーパーならどこに行ってもずらずら並んでいるのを見かける。ドリアンはかなり癖があるのだが、今となってはどちらも美味しく食べられる。ドラゴンフルーツはヨーグルトをかけるのがおすすめで、ドリアンは特にピザがおいしい。学生はスイカをパクパク食べていることが多い。見かけるたびに「うちの母だったら大喜びだろうな」と思うが、肝心の私はウリ科アレルギーがあるらしく、食べると口の中と耳がかゆくなるのであまり好んでは食べない(写真2)。花粉症もアトピーもある、難儀なアレルギー体質である。
そういえば、こちらに来てからは花粉症に苦しむことがなくなった。逆説的だが、花粉症というものの本当の恐ろしさは、花粉症のない環境に来てみないとわからない。目の不快感、鼻詰まり、喉のイガイガ感など、花粉症によっていかに多くの症状が出ていて、それがいかにひどいのかということは、中国に来て初めて知ることとなった。
この前日本に帰省した時に「妙に鼻水が出て目がかゆい、風邪か?」と思っていたところ、体調不良ではなく久々に発症した花粉症だったということがあった。花粉症というのは風邪に匹敵する体調不良なのである。
■中国にいて本当に恋しくなる日本の食べ物
食べ物に関してはやはり果物の印象が先行するが、果物以外でもかなりバリエーションは豊富だ。チャーハンや餃子のような定番の中華料理ももちろんあるし、日本料理の店も結構見かける。ただし、寿司屋だけは中国では入りにくい。おいしいのだが、高いのである。
某有名回転寿司チェーンの中国支店を見かけたことがあるが、ひと皿500円くらいすることもある。昔と比べて日本の回転寿司も値上がりしたけれども、中国はそれ以外の料理が安価なこともあってかなり割高に感じてしまう。
ちなみに、中国にいて本当に恋しくなる日本の食べ物は揚げ物類である。中国の揚げ物と日本の揚げ物では衣が全然違う。「日本式唐揚げ」という食べ物はあるが、本当に日本の唐揚げのような衣にはなかなかお目にかかれない。
寿司などももちろん食べたくなるが、揚げ物のような「似ているものはあるけれど日本のものとは微妙に違う」というのが一番恋しくなる。
そんなわけで、牛丼、カレー、回転寿司、そして「鳥貴族」は帰国する機会があったら必ず食べに行く。
■これを見ると故郷を思い出す
食べ物こそ日本のものが食べたくなることはあるが、あまり生活に不自由していないこともあって、私自身は望郷の念にかられることは少ない方だと思う。
ただ、それでもごく稀に、ふと「そういえばここ異国なんだよなあ」と思うことがある。それは中国語を聞いた時でもなく、街並に異国情緒を感じた時でもない。夜、月を見た時である。
阿倍仲麻呂が「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と詠んだのは今から1200年以上前、唐代の中頃のこと。日本から遣唐使として唐の地にやってきた仲麻呂は、時の皇帝玄宗に仕えて名を上げたが、結局一度も故郷に帰ることなくこの大陸で客死することとなった。
彼と違って私は帰る気になればすぐに帰れる。インターネットを経由して日本人と仕事をすることも増えた。風景にしたって、当時は今のように高層ビルはなかっただろうし、ちょっと目に悪い明るさの真っ赤な電光掲示板もなかっただろう。だけれども、月を見た時にふるさとを思い出す人間の心は、1200年経ってもやっぱり変わらないらしい。
■生活における最大の不満
中国の部屋と日本の部屋の違いはいくつかあるが、まず目につくのは玄関で「上がる」という概念がないことだろう。
靴を履く領域と脱ぐ領域の間に明確な境界線がない。私はカーペットで無理やり境界線を作っているが、玄関に段差がないのには未だに違和感がある。
もうひとつ違いが目立つのは「ベランダ」の扱いである。日本でベランダといえば室外のイメージだが、中国のベランダは室内で、部屋の一種である。内装を決める段階で注文すれば日本のような室外仕様にもできるらしいが、大抵は壁と窓で囲われた普通の部屋と同じような作りになる。洗濯機を置いたりする場合が多い。私の宿舎も例に漏れず洗濯機を置いていて、さらに高いところに洗濯物を干すための棒がついている。設置型物干し竿とでも言うべきだろうか。実際に使う時にはさすまたのような棒でハンガーをひっかける。
現状で中国生活最大の不満は、お風呂にお湯を張って入る習慣がないことだ。一般的な風呂場にはそもそも浴槽自体がない。シャワーとトイレが同じ部屋にあるのが一般的だ。
私の宿舎も同様で、一応ガラスで仕切られてはいるものの同じ部屋である。折り畳み式の浴槽を使っていたこともあったのだが、給湯器がそこまでの量を想定していないので途中でお湯が出なくなってしまう(写真3)。
宿舎の自室で風呂に入るという希望は早々に放棄した。ただし、不幸中の幸いというべきか、福建省には中国では珍しく温泉地がある。たまに温泉に入りに行って「入浴欲」を満たす生活をしている。

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大山 祐亮(おおやま・ゆうすけ)

言語学者

1994年生まれ。栃木県出身。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。福州外語外貿学院外国語学部准教授。専門分野:比較言語学・インドヨーロッパ語族。『天空の城ラピュタ』の中でムスカ大佐がラピュタ語を読むシーンを見るなどして、古代文字に興味を持つ。
東京大学に提出した博士論文『共通スラヴ語―印欧祖語からスラヴ語派に至るまでの音韻・形態法の通時的変化の研究』が、優秀な若手研究者の論文に贈られる第13回東京大学南原繁記念出版賞(2022年)を受賞。著書に『外国語独習法』(講談社)がある。

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(言語学者 大山 祐亮)
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