■父・大休さんにとって自慢の一人娘
高市早苗氏は、1961年3月7日、奈良県内で、サラリーマンの父の大休(だいきゅう)さんと、奈良県警に勤める母の和子さんの間に、長女として生まれている。
ちなみに、高市氏が7歳の時には、弟で、のちに秘書として長年高市を支える知嗣(ともつぐ)氏が生まれている。
私は高市氏が国会議員になって以来、政局の節目節目にインタビューを行い、彼女の人生についても話を聞いてきたが、高市氏の人格形成に大きな影響を与えた人物といえば、やはり、父の大休さんと母の和子さんの2人である。
父の大休さんは、長女である高市氏のことを誰よりも溺愛し、育てたといわれている。弟の知嗣氏に対しては厳しかったようだが、一人娘は、自慢の存在だったらしく、かわいくてならなかったのだ。
■営業マンの教え「まず褒めて話をしろ」
大休さんは、トヨタ系列の機械メーカーのサラリーマンだった。西日本全土を統括する大阪の営業所に勤めていたため、夜中であろうが、休みの日であろうが、仕事の取引先でひとたびトラブルがあると直ちに駆けつけなければいけなかった。真夜中に自ら車を運転して「島根県まで行ってくる」と言い残して、飛び出していったこともあった。
高市氏は、子供ながらに仕事熱心な大休さんの様子を見て、たびたび思っていた。
〈お父さんは本当に責任感が強いんだな〉
そう思い、父のことを誇りに思った。
父はエンジニアではなく営業職だったが、取引先のことを何よりも大切にしていた。そして営業マンだけあって、人当たりも非常によかった。
「相手のことを認めながら、まず褒めて話をしろ」
それが父の口癖で、のちに高市氏は政治家になってからも、たびたび諭すようにアドバイスをされたという。
■アメリカ流で論破する娘を心配していた
高市氏は、優しい父の大休さんから、議員になってから一度だけ、きつく注意されたことがある。
「お前は、自分と違った意見を持った相手に対して、ストレートにモノを言いすぎる。アメリカ流の交渉術を、日本に持ち込むのはやめなさい」
大休さんのように、ビジネスの社会で長く生きてきた人の目から見れば、国会での質問や、討論番組などに出演する際の高市氏のやり方は、不必要な敵をつくっているように映っていたようであった。
大休さんとしては「相手を褒めちぎって、そんで一本ひゅ~っと、骨を抜いたるねん」をモットーとして接してほしかったようだ。たとえ、間違った考えだと思っても、まず相手の意見、相手の見識を評価してみせてから、やんわりと自分の意見を言うほうが高市氏にとっても得策だということだろう。
大休さんは言った。
「徹底的に相手を論破した人のほうが立派には見える。でも、お前がそれをする必要はない。政治家だから主張すべきはしてもいいけど、お前の言うことが100%正しいという保証はない。だから、必ず相手の意見も評価して、それでも相手を言い負かそうとする時は、相手の顔を潰さない、必ず相手の逃げ道をつくるやり方を身につけなさい」
高市氏は、気づいてみると、父の指摘に一理あると思った。
■国会議員として靖国神社に参拝する理由
高市氏は、国会議員として靖国神社に、たびたび参拝しているが、それは父の大休さんの影響もあるという。
「昭和一桁生まれ、軍国少年最後の世代の父が、小さい頃に私を映画館に何度か連れていってくれたんですが、小学校くらいの時の映画は全部戦争をテーマにした作品ばかり。家の本棚に並ぶ本も、山本五十六や東郷平八郎を主人公とした本が多かった。それから戦争関係の歴史本も多かった。私も父の影響で、東郷平八郎と山本五十六について書かれたものはほとんど読みました」
父の大休さんは軍歌も好きだった。早いうちから安月給でやりくりして、いいステレオを購入して、休みの日にはよく聴いていた。
高市氏も、大休さんと映画に行くのが好きだった。ほとんどが戦争映画だったので、エンディングはたいてい悲しいシーンであった。戦艦が沈んだり、兵隊が亡くなるシーンがあると、子供ながらに見終わると悲しくなり、ワンワンと泣くこともあった。
■戦争映画からお子様ランチが定番コース
大休さんは、家族サービスにかこつけて、高市氏を連れ出すことで、自分が好きな戦争映画を見たかったのだろう。当時は、土曜日も出勤が当たり前だったので、休みは日曜日だけ。近くに映画館がないために、高市氏は地元の橿原(かしはら)市から近鉄に乗って、大阪の難波まで遊びに出た。
映画を見たあとは、近鉄百貨店のレストランでお子様ランチを食べて帰るコースが定番だった。
父の大休さんは、料理も上手だった。母の和子さんが残業の時などは、もっぱら腕を振るってくれた。高市家では家族みんなでともに夕食を取るという決まりがあり、両親のどちらかが遅い時でも揃うのを待って、必ず一緒に食事を取った。
高市氏が振り返って語る。
「何がおいしかったかというと、あんまり記憶にないですが、時間がない時はすき焼きや鍋物。あとは、肉じゃがや野菜炒め。なんでもおいしくつくってくれました。父に比べると、母は料理下手で、言ったら罰が当たりますが、おいしくないうえに時間がかかって、品数が少ないんです。私もそれを継いでしまって、要領が悪いんです」
■国家公務員の道を捨て、松下政経塾へ
高市氏が神戸大学経営学部を卒業し、松下政経塾へと入塾したのも大休さんの影響があったからだという。
高市氏は当時、国家公務員の試験を受けて筆記試験までは通っていた。しかし、土壇場になって「松下政経塾を受ける」と言い出した。
トヨタグループに勤めていた父は、トヨタの取り組んでいる品質管理に始まり、株価の見方、景気、企業のコスト削減の難しさ、アジアやアメリカ、ヨーロッパ、ロシアなどとの貿易事情など、子供向けではない話も、ごく当然のこととして話してくれた。
知らないことばかりだったが、一人前に扱ってもらえることがうれしかった高市氏は、父の話に必死に耳を傾けた。
今思えば、それほど高度な話でもないが、夜逃げした経営者の話や、破産手続きの仕方など、時折ユーモアを交えながら、大休さんは、面白おかしく話してくれた。だからこそ勉強嫌いだった高市氏は、自然に経営に興味を持つようになっていった。神戸大学の経営学部を進学先に選んだのも、父の影響が多少なりともあったのかもしれない。
■「運のいいヤツと思われなさい」という助言
いつからか高市氏は、「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助のもとで、金融や為替の勉強をしてみたいと真剣に考えることになっていく。
さらに松下政経塾に合格できたのも、大休さんからのアドバイスによるものが大きかった。
三次試験の面接の前日、高市氏は、父の大休さんから松下幸之助の本を1冊、手渡された。
「行きの新幹線のなかで読むように」
さらに、大休さんは言った。
「ひと言だけ、言っておくけど……。参考までの話だから。
父によると、よく会社の面接試験などで、不景気の時には面接官の同情をなんとか買おうと、泣きを入れてくる人がいるのだという。
「父を亡くして、残された母は病気で、自分がこの会社に入らなければやっていけません」
だが大休さんは、そういう同情作戦には否定的だった。
「でも、そんな運の悪い人間を会社に入れたら、社運まで傾いていくと思うから、俺が面接官だったら落とすよ。それだったら、ニコニコして、運のいいヤツだと思われなさい」
それが父がくれたアドバイスだった。
■思いっ切りの笑顔で松下幸之助に選ばれた
高市氏の面接試験は明らかに失敗だったという。しかし、父の言葉を思い出しながら、面接会場の外に出ると、廊下で松下政経塾の職員がポラロイドカメラを持って待ち構えていた。
子供の頃から、「カメラを向けられたら笑いなさい」と言われて育ったので、ひどく落ち込んでいるにもかかわらず、高市氏は精一杯の笑顔をつくって撮影に臨んだ。
あとで話を聞いてみると、三次試験は松下幸之助本人がその夜、ホテルの部屋で受験者のポラロイド写真を並べて合格者を選んだという。その判定基準は、運のよさそうな顔か、愛嬌のある顔だった。
面接では、極度の緊張によって愛嬌を示す余裕などなかった。だが、ポラロイド写真の撮影時には、思いっ切りの笑顔で映ることができた。
なんと、それが合格の決め手になったのだ。父の大休さんの「ニコニコしていなさい」という教えがあってこそだった。
(別冊宝島編集部)

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