令和元年の秋場所前、横綱・白鵬が日本国籍を取得した。
これで引退後は親方となり、角界に残って後進の指導にあたれる。
2019年6月末にモンゴル政府が国籍離脱を承認していたので、白鵬にとっては万歳三唱ものの吉報だったのだろう。
ところが、である。国家間でのお膳立てが整ったにもかかわらず、「白鵬部屋」が実現しない可能性もあるという。日本相撲協会が白鵬の一代年寄を認めないのでは――。角界に不穏な空気が漂っている。
幕内最高優勝42回という史上最強の実績。数々の不祥事で相撲界がどん底に落ちたときにもじっと土俵を支えてきた最大の功労者だ。白く美しい体躯は惚れ惚れするようなバランスの良さで、相撲に暗い小学生でも白鵬のことだけは知っている。日本語も堪能で人懐っこい。文句なしの第一人者だ。白鵬本人は間違いなく一代年寄をもらえると思っている。
背景には一代年寄という制度自体の見直しがある。この最高の称号を得たのはわずか4横綱だけ。大鵬、北の湖、千代の富士(辞退して九重を襲名)、そして貴乃花。しかし栄光の部屋はすべて消えた(親方が他界するか角界から去った場合、その部屋は消滅。一代限りの部屋だ)。
私などは「誰もいないからこそ、白鵬に一代年寄を」と思うのだが、「一代年寄は、この4人だけで打ち止めに」という意見も強い。一代限りのデメリットもあり、貴乃花親方が「乱」を起こして角界を去ったときの貴乃花部屋力士の移籍時の混乱は記憶に新しい。
もし制度廃止になると、白鵬にとってははなはだ迷惑なタイミングとなる。かつては数億とも言われた年寄名跡を、いわばタダで取得できるチャンスを失するのだから。だが、白鵬は第一人者だ。もちろん正規に年寄名跡を取得すれば相撲部屋を開くことはできる。
■引退後に協会にすら残れないかもしれない
ここで再び「ところが」となる。年寄名跡を取得しても、引退後に協会にすら残れないかもしれない、というのである。こっちのほうが「まさか」である。文句なしの実績の陰で、その品行が問題視されている。
審判部を公然と批判したり、優勝インタビューのときに万歳三唱をしたり(日馬富士暴行事件の最中だったにもかかわらず)、観衆に三本締めを促したり。なにより、勝ちにこだわりすぎる土俵上の所作の数々。ある力士は白鵬の強烈なエルボー打ちを顔面にくらって失明の危機に遭ったほどだ。目に余る蛮行が協会には気に入らない。その点は協会も毅然としていて、八角理事長自らが激烈に注意している。現理事長が現大横綱にガチで叱咤した。
要するに、白鵬は相撲部屋を経営する品位に欠ける、と協会は思っている。しかし世論の反発も甚大だろう。
■協会に残れば、まちがいなく理事長の椅子を狙う
有力力士が親方になれなかった前例はある。元小結・板井は年寄名跡を取得しているのに理事会の承認を得られず。巡業をさぼるなど著しい不良行為が理由だが、板井は角界を去ったあとに八百長告発の急先鋒となった。
しかし外国人力士が日本に帰化し、角界に残った例は少なくない。
ハワイ出身の高見山、小錦、武蔵丸(武蔵川親方)。琴欧州(鳴門親方)、モンゴル勢では旭天鵬(友綱親方)らである。このときには理事会ではまったく問題にならなかった。
大相撲を30年以上取材している「大相撲ジャーナル」の長山聡編集長はこう言う。「ハワイ勢やモンゴル勢の旭天鵬は人気者だったものの、いわば脇役だった。ところが白鵬は実績も人気も王道を行く主役です。協会に残れば、まちがいなく理事長の椅子を狙うでしょう」。
出る杭は打たれる。白鵬と協会の対立はファンが思っている以上に深刻である。白鵬の意識がどう変化するのか。「打てるものなら打ってみろ」という強気の体を私などは望むのだが。
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須藤 靖貴(すどう・やすたか)
作家
1964年、東京都生まれ。「相撲」の編集部員などを経て、第5回小説新潮長編新人賞を受賞。相撲小説の第一人者。著書に『おれ、力士になる』『消えた大関』『力士ふたたび』など。
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(作家 須藤 靖貴)