2023年下半期(7月~12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2023年8月3日)
飼い主とペットの両方が高齢化する「ペットの老老介護」では、さまざまな問題が起きる。
医療ジャーナリストの木原洋美さんは「犬が認知症になった場合、夜鳴きは深刻な問題になる。多くのケースでは服薬で収まるが、私が取材した80代女性のケースでは、薬が効かずに追い詰められてしまった」という――。
■愛犬の「声帯切除」を決断した80代女性の苦悩
「声なんかなくたって、ママと一緒にいられるほうが幸せよね」――。愛犬の頭を優しく撫でながら女性(80代)はそう語り掛けた。
認知症による夜鳴きを止めるため、犬は一年ほど前に声帯切除手術を受けていた。発せられるのは、すき間風のような小さな声だけ。

夫に先立たれ、都内のマンションで一人暮らしをしていた女性にとって我が子以上に大切な家族だったが、夜鳴きが始まり、近隣からの怒声や苦情に追い詰められた結果、苦渋の決断に至った。
愛犬を連れて寒空の下、よたよたと夜通しさ迷ったこともあった。
獣医師から教わった、昼夜逆転を改善させるための散歩や鎮静剤を与える等の方策は役に立たなかった。動物愛護センターに引き取ってもらう……なんていう選択肢はあり得ない。
「もう一緒に死ぬしかないんでしょうか」
涙ながらの訴えに、獣医師が提示してくれたのが声帯切除だった。
■人も、ペットも高齢化している現実
65歳以上の高齢者の割合が「人口の29%」を超えた“超高齢化社会”の日本で、犬猫の平均寿命も延び続けている。

ペットフード協会の調査では、犬全体の平均寿命は2022年現在、14.76歳、猫全体の平均寿命は15.62歳。1990~1991年の調査では、犬の平均寿命は8.6歳だったというから、6歳以上も延びたことになる。
当然、高齢化に伴う問題も起きてくる。なかでも深刻なのが、高齢の飼い主による高齢犬の介護だ。人間の老々介護でも問題になっている、体力・メンタル・経済の3点が飼い主に重くのしかかる。
それを物語るのが、動物愛護センターにおける飼い主からの動物の引き取り理由だ。
最も多いのは、飼い主の病気、入院、死亡、次に、引越し、ここ数年増えているのが、犬が高齢で病気になり世話ができないという理由だという。
■止まらない夜鳴きが近隣トラブルを招く
高齢犬の病気でもっともやっかいなのは認知症だろう。
「認知症の犬を初めて診察したのは1980年頃でした。昼夜が逆転し、夜に徘徊(はいかい)して、庭の生け垣に入り込んで動けなくなる。物悲しい声で鳴き続けると相談されて、人間の痴呆(当時は認知症をこう呼んでいた)のようだという印象を受けました」
そう回想するのは、山口動物病院(千葉県市原市)の山口靖人院長だ。同院は、動物を診る大学病院が存在しないこの地域で、大学病院並みの動物医療の提供を目指し、1978年の開業以来40数年。
年中無休で約1万5000日、夜間も病院を開けてきた。
山口院長によると、日本で犬にも認知症があることが広く知られるようになったのは1990年頃。それ以前は、認知症になるくらいまで長生きする犬はいなかったという。
「飼い主さんが切羽詰まって受診するのは、夜鳴きですね。近隣からの苦情や脅迫におびえ、困り果ててやってきます。グルグルと同じ方向に回り続ける・部屋の四隅とか隙間にはさまっても後退できず出られないといった症状も多いですが、夜鳴きほどには困らない」
治療には、たとえば同じ方向に回り続ける犬に対しては、段ボールやお風呂マットでサークルを作り、疲れるまで歩かせてあげるなどの対策をアドバイスし、サプリメントも処方する。

■飼い主の自己責任でいいのか
問題の夜鳴きには、鎮静剤を使う。よく効くのは、アセプロマジンという薬で、30分くらいで効果が現れ、少なくても4、5時間、長い場合は9時間から10時間くらい持続する。
「アセプロマジンがよく効くので、当院では、夜鳴きが原因で声帯切除に至るというケースはないですね。でも、これ以外の薬を使っている先生のところでは、追いつめられる患者さんもいるかもしれません」
年金生活の高齢者にとって、ペットの医療費にかかる経済的負担は重い。車なしには、通院できない地域もある。何より、飼い主本人が元気でなければ、ペットの面倒を見るのは難しい。
ペットの老々介護問題は、単純に、飼い主の自己責任では済まされないのではないだろうか。
しかし日本では、夜鳴き問題の最後の砦とも言える声帯切除を引き受ける獣医師は少数派。「欧米では動物虐待にあたるから」等の理由で、以前は行っていたがやめたという獣医師もいる。結果、どうしようもなくなった飼い主が、愛犬を泣く泣く動物愛護センターに引き取ってもらい殺処分(※)という事態も起きている。
※筆者註:2012年の法改正によって、センターは安易な理由での引き取り要請を拒否できるようになり、センターでの殺処分は減っています。
■追い詰められて病院に来る人が大多数
ペットの高齢化の問題に詳しい帝京科学大学の佐伯潤教授は、早目の対処の重要性を強調する。
「治療するための“早目に”ではありません。要するに、備えるということです。大多数の場合、飼い主さん的にも犬的にも、追い詰められて病院に来るんですよ。でも、早目に心構えや対応の仕方を決めるなどをしておけば、場合によっては治療をしなくても対処できる」
というのも、人の認知症同様、犬の認知症についても研究が進み、いろいろなことがわかってきているからだ。
「たとえば夜鳴きにしても、むやみに鳴いているわけではなく理由がある。体が痛いとか、不自由だからやってほしいことがあるとか、寂しいから傍にいてほしいとか。情動という心の動きから鳴いているので、そこを理解して、上手く接すれば、症状をエスカレートさせずに済むんです」
だから、ちょっとおかしくなってきたら、どういった対処をしたらいいのかを早めに、かかりつけの獣医師以外にも、老齢動物の介護に詳しい獣医師や、犬の行動学の専門家に相談するよう佐伯教授は勧める。
■早期治療で治る病気もある
一方で、これもまた人間の認知症と同じで、犬の認知症も原因がよくわかっていないところもある。
たとえば人間の認知症には、アルツハイマー・レビー小体・血管性に分類される三大認知症があるが、犬の場合も、脳血管障害に起因する認知症があると言われており、この認知症は治療が可能だ。
体の不調で動けないことが、認知機能の衰えを加速させている場合には、不調の原因を治療し、動けるようにしてあげることで、認知機能が改善することもある。
「犬にしてみれば、体の自由が利かないから、なんで僕は動けないんだとか、あっちに移動したいのに行けないとか、いろんな理由があって鳴いている。それなのに、多くの飼い主さんは、単純に年を取ったせいで動きがにぶいとか、寝ているんだとか判断し、異変のサインを放置してしまいがちです」
確かに。寝ている時間が増えると、高齢だから仕方ないと思い、歩き方がノロノロしてくると、この子もずいぶん老けたなと考えがちだが、じつはそうした動き方の変化の裏には、治療すれば治る病気が潜んでいることもあるらしい。
「運動を心がけるようにしたり、マッサージしたりすれば、ペットだって延ばせる健康寿命がある。だからこそ、異変のサインを見逃さず、早目に対処できるようにしなければ」
■ペットの小さな変化を見逃さないでほしい
佐伯教授が病院長を務める帝京科学大学附属動物病院では、専門の教員を中心として現在、高齢ペットの飼い主を対象に、健康寿命を延ばすための老犬教室と老猫教室を企画中。年を取ると、どんな変化が起きて来て、どういうサインを見逃したらダメなのか、身体機能が落ちてきたペットの適切なケアの仕方などを紹介し、参加者の相談に対応する予定だという。
せっかくなので、人の医療とも連携して、高齢の飼い主と高齢ペットの両方を対象にする教室にしたらどうだろう。ペットを飼うことは、高齢者の健康に対し心身両面でメリットがあることがわかっている。老々介護の不安軽減に役立つだけでなく、長い目で見れば、医療費問題の解決にもつながるはずだ。

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木原 洋美(きはら・ひろみ)

医療ジャーナリスト/コピーライター

コピーライターとして、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わった後、医療に軸足を移す。ダイヤモンド社、講談社、プレジデント社などの雑誌やWEBサイトに記事を執筆。近年は医療系のホームページ、動画の企画・制作も手掛けている。著書に『「がん」が生活習慣病になる日 遺伝子から線虫まで 早期発見時代はもう始まっている』(ダイヤモンド社)などがある。

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(医療ジャーナリスト/コピーライター 木原 洋美)