■日本人が信じてきた神話が崩れ始めた
いい大学、そしていい会社に入ることは幸せなのか。
受験生にとって、そして受験生を抱えた親にとって、この問いはとても重要である。
なぜなら今「いい大学を出て、いい会社に入れば、人生は安泰」という、これまで多くの日本人が信じて疑わなかった神話が、崩れ始めているからだ。
私は僧侶としての法務の傍ら、10年ほど前からYouTubeにて『大愚和尚の一問一答』と題する、人生相談に仏教の智慧で応える番組を配信してきた。
そこに寄せられる相談内容は、恋愛、夫婦関係、親子関係、学校や職場でのいじめ、病気、死や死後のこと、仏壇やお墓についてなど、多岐にわたっている。登録者の増加とともに相談件数も増え、現在未回答の相談数は、4500件を超える。
■「いい会社」の経営陣たちの嘆き
中でもコロナパンデミック以降、急上昇した相談内容がある。
それが、「仕事や経営」「職場の人間関係」に関することだ。
新入社員からは、上司について、中堅社員や幹部からは、上司やトップとの関係、社員採用と部下の育成についての相談が多い。
また、こうした相談にお答えするうちに、さまざまな企業から、幹部研修、社員研修の依頼が届くようになった。
依頼者は、中小企業ばかりではない。
今、中小企業はもちろんのこと、大企業であっても苦戦を強いられている。
彼らが抱えている課題が、いい大学を出て、いい会社に入ったからといって、必ずしも「幸せ」とは言えない根本要因となっている。
実は「いい会社」だからこそ直面するジレンマがある。
1つが「イノベーションが起きない」こと。
2つ目は「人が育たない」ことだ。
■大企業には安定を求める人が集う
皮肉なことに、これらのジレンマの1つの原因は、その会社が「いい会社である」ことにある。
どういうことか。
先ずは、1つ目の「イノベーションが起きない」理由について。
一般的に「いい会社」と呼ばれる会社は、大企業だ。組織も大きいし、歴史もあるし、給与も高いし、残業も少ないし、有休も福利厚生も手厚い。
それを求めて入社してくる社員たちは、安定を求める人たちだ。
企業は、黎明期→成長期→成熟期と大きくなるにつれて、人も社内の雰囲気も丸くなる。あらゆることが平均化され、仕組み化され、尖ったところ、ゴツゴツしたところがなくなってゆく。
安定した環境下では、大胆なチャレンジや、イノベーションは起きにくいのだ。
■優秀な学生と優秀な社員は別物
次に2つ目の「人が育たない」のはなぜか。
良い会社は、良い学校を出た人たちから採用する。彼らは、良い学校で良い成績を修めてきた人たちだ。
ところが、学生と社会人では評価される軸が違う。
学生時代は、暗記力や試験への対策力が高く、成績優秀であることが評価される。
しかし社会人となると、顧客の気持ちを想像したり、チームプレーが出来たり、リーダーシップがとれることが評価される。
だからリアルな対人関係に乏しいデジタルネイティブ世代はとくに、上司や顧客とのコミュニケーションに苦労する。
そして、親にも学校の先生にも叱られることなく育ったがゆえに、プライドが高く、顧客や上司からの指摘やクレームに弱く、ストレス耐性が低い傾向がある。
そんな世代に気を遣って、仕事の量を増やさない、無茶振りもしない、責任も問わない、嫌がる雑務もさせない、などのホワイト度を高めれば高めるほど、社員は育ちにくくなる。
■ベンチャーのほうが成長できることも
なぜなら、人間はもともと危険や苦痛から逃れようとして進化してきたのに、「いい会社」になればなるほど、会社側が若手社員の苦痛や不満を少しでも軽減しようと努力し、実際そのような環境や仕組みを実現してしまうからだ。
黎明期のベンチャーのような、優しい上司も、望ましい環境も、充実した研修も、明確な仕事の役割分担もなく、少人数であらゆる業務をこなさなければ会社が回って行かないような、いわばブラックな環境に置かれたほうが、短期間で圧倒的なスキルと経験が身に付くこともある。
こうしたジレンマに対して、何かできることがないかと考えた私は、2023年の秋に「経営マンダラ」を作り、中小企業から上場企業の社長、医師、教師、弁護士、政治家などが参加する実践会を立ち上げた。
「経営マンダラ」とは、2600年続いている仏教教団(キリスト教よりもイスラム教よりも古く、世界一永続している組織とも言われている)の組織運営法と、世界一永続している会社と評される数々の日本伝統企業の永続経営の秘訣を分析して、その要素を9つのマンダラ形式にまとめたものだ。
■「経営」とはもともと仏教用語
私自身、このマンダラに基づいて複数の事業を創業し、10年で事業承継し、コロナパンデミックを経てなお、それらの事業が自立的に成長している。
こんなことを書くと、「僧侶が経営?」と眉をひそめる人もいるかもしれない。
しかしあなたはご存知だろうか。「経営」とはもともと仏教の言葉である。
経営の経は、お経の「経」と書く。経とは縦糸のこと。経典にはブッダの教えが記してある。
ブッダの教えは真理だ。
この真理の縦糸に、創意工夫の横糸を絡ませて、美しくて丈夫な布地を永く織り続ける営みが、「経営」なのだ。
■仏教集団が世界最幸・最長である理由
ブッダの教団は世界一お金持ちの集団ではなかった。しかし、世界最幸の教団であり、世界最長の組織だと言われる。
ブッダの滅後、多くの分派が起こったものの、2600年の時を経て今なお、ブッダの教えのもとに弟子達が集まり、ブッダが実現しようとした個人の救済と、世界の和平を祈念し続けている。
それが可能であった理由は、仏教の歴史が人育てとイノベーションの歴史だからだ。
日本仏教だけでも、最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など、「ブッダの教え」という縦糸の上に、さまざまな人財が育ち、イノベーションを起こしてきた。
企業であれば、創業の理念、社是などが縦糸にあたる。
永続している会社の理念には、必ずその会社が社会に貢献しようとする旨が宣言してあるはずだ。理念の縦糸に、創意工夫の横糸が編み込まれた歴史が、会社の歴史である。
■本当の「いい学校」と「いい会社」
今、日本経済は低迷していると言われている。円安が進み、日本の土地も企業も海外の資産家に買収され続けている。
失われた30年(40年に突入しつつある)を取り戻し、経済的にも、精神的にも豊かな日本となるためには、この崩れかけた「いい学校」→「いい会社」=「幸せ」という方程式の中身を見直す必要がある。
真の「幸せ」は、「給料と休み」が多ければ得られるかと言えばそうではない。
本当に「いい学校」とは、そこに通う一人でも多くの先生、生徒、そして保護者が、「自分の学校が最高だ」と思って通う学校だ。
本当に「いい会社」とは、創業者の社会を益そうとする「志と情熱」に一人でも多くの社員が共感し、「自分の会社に、自分の仕事に誇りを持って」働く会社だ。
そして、本当の幸せとは、尊敬できる上司のもとで、信頼できるチームの中で、自分の持てる能力や感性を主体的に、思い切り発揮して、誇り高く働くことだ。
もし学校や企業のトップが、生徒や社員が、本気でそう信じて行動するならば、「いい会社」は必ずしも大企業である必要はない。
ベンチャー企業でも、中小企業でも、もちろん大企業であっても、そこに必ずイノベーションが起こり、人が育ち、結果として経済的にも精神的にも社会が豊かになってゆくはずだ。
だれもが幸せになりたいと願って生きている。だれもが幸せでありたいと願って働いている。
どうせ働くのなら、経営者も新入社員も、本気で「いい会社」を目指してみてはどうだろうか。
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大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。
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(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)