「この仕事、わたしには向いていない」と思ったときはどうすればいいのか。元日本マイクロソフト役員の澤円さんは「仕事の向き不向きを気にする人は、その仕事が楽か楽じゃないかを気にしているだけのことが多い。
向いていないという思い込みで仕事を辞めるのはもったいない」という――。
※本稿は、澤円『得意なことの見つけ方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「わたしには向いていない」という幻想
ここで、すぐに行動できない人が持ち出しがちな言葉(理由)を分析してみます。
それは、おもに周囲からの評価に影響を受けて発せられる「わたしには向いていない」という言葉です。
なにか新しいことに出会ったときに、「向いている、向いていない」を気にする人がいます。でも、よく考えてみると、これはちょっと不思議なこだわりです。
なぜなら、「自分に向いていなければ、なにもかもをあきらめるの?」という疑問が生まれるからです。逆から見れば、「自分に向いていることだけをやって生きるの?」という疑問も残ります。
そこで、「わたしには向いていない」と思ったときには、ぜひ自分の周囲の環境を少し見渡してみてください。すると、少なくとも民主主義国であり戦時でもない日本で暮らす日本人であれば、いまかなりの程度「やりたいこと」に挑戦し、「得意なこと」を活かして、自由に生きていく選択肢を手にしていることに気づくはずです。
場合によっては、環境や条件、タイミングなどが合わないという制約はあるでしょう。それでも、かなり多くの可能性を持っているのは事実です。

つまり、自分の可能性は「すでにかなり開かれているのだ」と見方を変えればいいのです。「向いていない」という感覚や思い込みだけですべてをあきらめるのは、僕はかなりもったいないことだと感じます。
■「向いていること」だけをやるのは難しい
確かに、「向いていること」が本当に好きなことなら、それだけをやって幸せに生きられる場合もあるでしょう。ですが、僕の経験上、ことはそう簡単にはいきません。「向いていること」だけをやり続けるのは、実は案外、難しいことだからです。
その理由は、仕事でも生活でも、他者とのコミュニケーションでもなんでも構いませんが、ほとんどの場合、「向いていること」のなかに「向いていないこと」が含まれているからです。
■どのみち「向いていないこと」もしなければならない
仕事で考えるとわかりやすくなります。仮に「いま好きな仕事をしている」「毎日仕事が楽しい」として、よくよくその仕事の中身を分析すると、その好きな仕事のなかにも「向いていないこと」がたくさん含まれていると気づくはずです。
例えば、営業が好きなのにエクセルを使った事務作業が苦痛だったり、クリエイティブな作業が好きでもそれを多くの人の前で発表するのは苦手だったりするのは、よくある話ではないでしょうか。
つまり、「向いていること」を一定のレベルで行おうとするなら、どのみち「向いていないこと」もそれなりにやる必要があるというわけです。
もちろん、「向いていないこと」に時間と労力を取られ過ぎないように、それらを外部委託して効率化を図ることは重要です。
ただ、なにかをはじめる前から「向いている、向いていない」を気にし過ぎると、せっかく自分にやってきたチャンスを逸してしまうため、僕はあまり意味がないと考えています。

■「楽かどうか」を気にしているだけ
僕は、「向いている、向いていない」を気にしている人は、実は「楽にできるか、楽にできないか」を気にしている面があると見ています。
もちろん、「向いていないこと」が心身に悪影響を与えるような状態なら、すぐにその場を離れたほうがいいと思います。
しかし、「楽にできないこと」を避けてばかりいると、それを頑張ってやり遂げた人が持つ能力やスキルを得られないことはあきらかです。なにかをやり遂げた人たちは、しんどい状況を自ら工夫して乗り越えてきたことで、自分なりの経験値や行動のメソッドが蓄積されているからです。
そして、それらの経験値や行動のメソッドがまた、次の前進のための原動力になっていきます。
このようなことをお伝えしているのは、僕自身が、長年苦労して続けたエンジニアという職業にそもそも向いていなかったからです。ちなみに、長年続けた後に、ある機会に職業の適性度を測る検査を受けたとき、もっとも向いていない職業はエンジニアという結果が出て、目が点になってしまいました。
客観的に適性を測っても「向いていない」わけなので、エンジニアとしての能力は三流であることを僕は認めています。僕よりも優れたエンジニアは、世の中にごまんといます。
ならば、「向いていない」からものにならないのかというと、そうでもないと僕は考えます。長年三流エンジニアを続けた結果として、いまの僕があるということは、「ものにするステップ」が変わる可能性があるということです。
■三流には三流の戦い方がある
エンジニアを例にして述べていきますが、みなさんはご自身の職業を当てはめて考えてみてください。

まず、三流エンジニアをメタ思考によって分析すると、エンジニアとしての適性がないにもかかわらず、エンジニアリングの基礎知識や実地の経験値を持っている状態といえます。だからこそ、世の中のIT初心者に対して、わかりやすく説明できるという「得意なこと」を生み出せるわけです。
当然、一流のエンジニアは、僕のような領域に足を踏み出す必要はありません。そんなことをしなくても、エンジニアリングの専門領域で十分勝負できるからです。
また、エンジニアとして二流の人も、一流を目指したり、エンジニアとして独自色を出したりしますから、同じく僕のような領域に踏み出す必要はありません。
ただし、二流の領域の人がしんどいのは、たくさんの人が切磋琢磨している領域にいることで、すでに労働市場がレッドオーシャン化していることです。
本当はこの人たちも領域をずらしたり、変えたりすれば、大きく活躍できる可能性があります。でも、常に切磋琢磨して「上には上がいる」ことを肌身で知っているために、自信を失ってしまっている場合がよく見られます。
「いい能力を持っているね! 他の領域で使ってみれば?」と誰かにアドバイスされても、「いや、わたしなんかまだまだですよ」「大した能力でもないですよ」などと謙遜してしまい、チャンスを逃す場合があるのです。
■「向いていないこと」が「得意」に化けることもある
もうひとつ、常に時代は変化していきますから、時代の変化とともに「向いていないこと」がプラスに転じることは十分あり得ます。
僕の場合は、インターネットの登場によってエンジニアリングの世界どころか、全世界が様変わりしていきました。それゆえ、多くのエンジニアが等しく同じインターネット時代のスタートラインに立つことになり、自腹でパソコンを買ったおかげもあって、図らずもインターネット・テクノロジーについてわかりやすく説明するという生業を手にしました。

そして現在は、生成AIがコードを書く世界に変わりつつあります。すると、生成AIが解釈し理解できるように指示する「プロンプト」のプロセスには、言語化能力が重要になりますから、ハイレベルなコードを書けなくても、言語化能力がある人のほうが生成AI時代には「向いている」可能性もあるわけです。
これはどんな領域でも、言語化能力に秀でている人が活躍できると見ることもできます。
ちなみに、生成AIはトレンドになっている時点で、すでにレッドオーシャン化していますから、流行っているからといってそのままエンジニアの世界に飛び込むと、厳しい競争環境が待っているともいえるでしょう。
ぜひ、僕の三流エンジニアとしての戦略を、みなさんの仕事に置き換えて、頭のなかでいろいろとシミュレーションしてみてください。
まとめると、「向いている、向いていない」「楽にできるか、楽にできないか」にこだわっていても、未来を切り拓いていくことはできません。そうではなく、自分自身を客観的に「観察」し、発想を転換することが必要です。たとえ三流であっても、その経験や知識、行動メソッドを、他の「得意なこと」や別の領域と掛け合わせれば、いきなり差別化された武器に化けることは十分あり得ます。
「向いていない」ことですら、「得意なこと」に変えられるのです。
■発想の転換ができるかどうか
「向いていない」ことですら、自分の「得意なこと」に変わるかもしれないのであれば、しんどいと思うことでも、簡単に投げ出さないほうが道は開けるかもしれません。
ただし、しんどいことを強制されて毎日嫌な気持ちになっていたり、誰かのいう通りにしたくなかったり、作業に意味を見出せなかったりするなら、すぐにやめるのもいいでしょう。
つまり、このときの選択も「意思」の問題なのです。

わかりやすくたとえ話をします。あなたは仕事で10キロメートル離れた場所へ行かなければならないのに、電車やタクシー、自転車なども使えない状況にあるとします。そんなとき、誰かに「君は歩いて来て」と強制されたなら、それは完全にパワハラになります。
でも、あなたがたまたま週末に10キロメートル走ろうと思っていたとしたら、「ちょうどいいから走ってみよう」と考えるかもしれません。週末の時間を仕事の移動時間に割り当てられるなら、それは効率的といえます。もちろん、パワハラを黙認するという意味ではありません。
このように、「ならば、10キロメートル走って自分を鍛えてやるか」と発想を転換できるかどうかは、あなたの「意思」次第だということです。
自分のあり方や考え方を変えることは、持って生まれた素質や能力というよりも、「意思」だと見ることが大切です。
だから、しんどいと思いながらも、一方で自分の鍛錬にもなると思えるのなら、それは続ければいいのではないでしょうか。
なにより、自分の道は自分で選ぶことが大切だと僕は思います。
自分の考えや捉え方を自分で選べるようになっていくと、「あたりまえ」と思い込み、凝り固まっていた自分のなかの価値観がシャッフルされていきます。
世の中には自分が想像する以上にいろいろな選択肢があることに気づき、思考が軽やかになっていくのです。

■「あたりまえ」を捨てていけば景色は変わる
実のところ、行動するときに選択肢が思い浮かばないのは、多様な価値観のサンプルに出会っていないからともいえます。
最近SNSで流れてきた、映画『男はつらいよ』シリーズの41作目『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』のワンシーンを観て、「いわれてみればそうだよね」と思ったことがあります。
それは寅さんと、柄本明さん演じるエリートサラリーマンの坂口が温泉宿で会話しているシーンです。その日のうちに会社へ戻ろうとする坂口を見て、寅さんがこう尋ねます。
「おまえがいないと会社、潰れちゃうのか?」
坂口は「そんなことありませんけど」と答え、「だったらいいじゃないか」という寅さんと一緒に温泉へ行きます。
自分が行かなくても会社は潰れない。ならば、どうして自分はそこへ戻ろう、戻ろうとしていたのだろう? そんな疑問を抱いたときにはじめて、せっかく温泉宿にいるのだから温泉に入ったほうがよほどハッピーだと気づくわけです。
「自分で選ぶ」ということは、そんな自分のなかの「あたりまえ」をどんどん手放していくことなのです。
そうして自分で自分に“ゆらぎ”を与えていくから、どんどん“越境”しながら、行動していけるようになるのです。

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澤 円(さわ・まどか)

圓窓 代表取締役

1969年生まれ、千葉県出身。株式会社圓窓代表取締役。立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT子会社を経て、1997年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。情報コンサルタント、プリセールスSE、競合対策専門営業チームマネージャー、クラウドプラットフォーム営業本部長などを歴任し、2011年にマイクロソフトテクノロジーセンター長に就任。業務執行役員を経て、2020年に退社。2006年には、世界中のマイクロソフト社員のなかで卓越した社員にのみビル・ゲイツ氏が授与する「Chairman's Award」を受賞した。現在は、自身の法人の代表を務めながら、琉球大学客員教授、武蔵野大学専任教員の他にも、スタートアップ企業の顧問やNPOのメンター、またはセミナー・講演活動を行うなど幅広く活躍中。2020年3月より、日立製作所の「Lumada Innovation Evangelist」としての活動も開始。主な著書に『メタ思考』(大和書房)、『「やめる」という選択』(日経BP)、『「疑う」からはじめる。』(アスコム)、『個人力』(プレジデント社)、『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』(大和書房)などがある。

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(圓窓 代表取締役 澤 円)
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