若者のアルコール離れは日本だけの話ではない。数多くの産地を持つイタリアも同様だ。
※本稿は、大石尚子『イタリア食紀行 南北1200キロの農山漁村と郷土料理』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■高級ワインの産地が集中するピエモンテ
北部の食文化は、アルプス山岳地帯から続く中山間地域と、パダーノの平野部に大きく二分される。アルプスの麓に位置するピエモンテは、冷涼な気候である。地中海からの風やアルプスからの冷気がアペニン山脈で遮られて、多様な農作物を産出する。おかげで希少な高級食材や高級ワインの産地が集中している。
バローロは「ワインの王」、バルバレスコは「ワインの女王」と呼ばれるほどである。ピエモンテは、トスカーナと並ぶ一大産地で、高級ワインを多数産出する。ワイン格付けで最高ランクのDOCGやDOCのワインがイタリアで最も多い(ちなみに、イタリアのワイン生産量は2015年以降、フランスを抜いて世界一位。イタリア20州のすべてで赤・白・ロゼワインを産出する)。
ワイン好きなら一度は訪ねてみたいバローロとバルバレスコは近接しており、トリノから南東50キロメートル、ワイン産地で有名なランゲ地方にある。
■厳格な規定がブランド力を高めている
バローロのワイン畑は、バルバレスコよりも標高が50メートル高く、霧の影響で日照時間が短い。これが長期熟成に適した葡萄を産む。逆に、バローロの葡萄よりも多くの太陽を浴びて育つバルバレスコの葡萄は、ふくよかなワインに仕上がる。そこから「ワインの女王」の異名が付けられた。バローロもバルバレスコも、この名前を名乗るためには、DOCGの規格をクリアしなければならない。葡萄の品種はネッビオーロのみである。バローロの熟成期間は最低38カ月。
生産地はバローロはバローロ村とその周辺の11のコムーネ(自治体)に限られ、バルバレスコはバルバレスコ村を含む3つのコムーネである。ほかに、畑の土壌成分と標高、葡萄の樹齢など細かく規定されている。厳格な規定が、産品のブランド力を高めている。
■銘ワイン「バローロ」の誕生秘話
こうした銘ワインも、名声を得るまでには多くの努力の積み重ねがあった。ネッビオーロ種のワインは、元来は微発砲の甘いワインだった。今のような辛口に生まれ変わったのは、まさにイタリアが社会変革を起こそうとしていた時代だった。国家統一後に初代首相となったカミッロ・カブールは、ピエモンテの小さな農村の村長だった。その頃、彼はフランスの醸造家を村に招聘し、新たな醸造技術を導入していた。この挑戦によって甘口のネッビオーロは、今につながる長期熟成の、フルボディの辛口に変わったのである。
その後、バローロの名声が確立されたのは、統一国家の宮廷で提供されるようになったためである。
■立ち上がった若き生産者「バローロ・ボーイズ」
しかし、「バローロの物語」はここで終わらない。人の嗜好は時代とともに変わる。1960年代後半、ワインが大衆化し、ボジョレー・ヌーヴォーのようなフルーティで早飲みのワインがブームになった。バローロの最低熟成期間は38カ月だが本当にバローロらしい味になるには10年は必要とも言われる中で、そうした長期熟成の高額ワインは時代遅れになった。そうした時流に抗し、何とかその状況を打破したいと立ちあがった若者たちがいた。「バローロ・ボーイズ」と呼ばれる生産者たちである。
コンサルタントのマルコ・デ・グラツィアが先導し、それまでの、長時間のマセラシオン(葡萄をつぶした後、果汁と皮と種を一緒に漬け込んでおくこと)、大樽長期熟成という伝統手法を見直し、フランス・ブルゴーニュ地方の熟成法を採用し、新しいタイプのワインづくりに向かった。短期マセラシオンでバリック(小樽)を使用し、早飲みで果実味のある「モダン」なバローロワインである。彼らがつくったバローロは、ボジョレー・ヌーヴォーの旗振り役としても有名なワイン評論家ロバート・パーカーなどの支持を得るとともに、アメリカを中心に高評価を受けて、一大ムーブメントを引き起こした。
■「モダン派vs.伝統派論争」で知名度がさらに上昇
反面、伝統的な手法を守るバローロのつくり手たちもいる。
20世紀後半のワイン生産は、大量の葡萄を買い付け、大規模に生産する大手ネゴシアン(ワイン商)の寡占状態になっていた。葡萄を栽培し醸造する小規模な自家栽培ワイナリーは、どう生き残っていくのか、岐路に立たされていた。モダン派は、これまでのバローロとは違う価値を創り出すことで、世界的な評価を得ようとした。その思いは、伝統派の気持ちと違いはなかった。ワインづくりを通じて地域の発展を願っている点は、双方に共通している。
■イタリアでも起きている「若者のアルコール離れ」
社会情勢によって、人々の嗜好も価値観も変化する。最近、日本では若者のビールや日本酒などのアルコール離れが指摘されているが、イタリアでも同じ傾向がある。図表1の通り、ワインを常用飲酒する人口は2010年の45%から2023年にかけて29%に減っている。
また、フォーブス・イタリアは「ワイン業界の消費減退に警鐘。若い消費者を惹きつける仕掛け」と題し、現在(2024年7月23日)から2039年の間に、消費量は約120万ヘクトリットル減少すると推定され、15~39歳のワイン消費量は2010年の37%から現在は26%に減少していると報じている。また、イタリアオンラインワインマガジン「Wine Meridian」によると、2022年の統計では、ワイン飲酒者数は2008年と比べて、25~34歳で38%、35~44歳で50%減少している。
そうした中で、売り上げを伸ばしているのは自然派ワインと呼ばれるものである。イタリアのワインジャーナリスト、ジャンパオロ・ジャコボによると、イタリアのレストランでは、店に置くワインの5~10%は自然派のものだという(イタリアワインジャーナルGeniusLoci)。保存料や添加物を一切使用せず、できるだけ機械に頼らずに醸造する。
■伝統は継承するだけでは続かない
このように、伝統・モダンの範疇を超えるようなさまざまなワインが登場し、これまで強かったブランドでも、選ばれるためには試行錯誤が必要となっている。バローロも醸造方法は多様化し、モダン派、伝統派の間に明確な区別はなくなった。これまでは、バローロ産地のいろいろな畑で収穫された葡萄をミックスして醸造していたが、昨今は混ぜずに、それぞれの村で収穫した葡萄だけを使ってつくる。それによって、村の個性を打ち出せる。そうしたワインの中から、自分の好みに合った一本を見つける、という特別性は、バローロ・ファンをさらに惹きつけることにつながる。
銘ワインは、しばしば危機に直面し、しかし、革新を通して名声を確立してきたのである。
■約1300万円の値段がついた「白トリュフ」
ピエモンテには、ワイン以外にも世界の人々がこぞって手に入れようとする食材が多くある。バローロの産地でもあるアルバ地方には白トリュフがある。トリュフと言えばフランス産も有名だが、その多くは黒トリュフである。生食向きの香り高い白トリュフは、ピエモンテの特産である。地元の人たちは「白いダイヤモンド」と呼ぶ。
アルバでは、90年ほど前からトリュフの大きさを競う品評会が開催されている。毎年10月頃に開催される白トリュフ祭りの期間に、国際オークションが開催され、どのぐらいの高値が付くかがニュースになる。コロナ禍の2021年にも開催され、830グラムの白トリュフが10万ユーロ(約1300万円)で競り落とされた。落札したのは香港のイタリアンシェフだった。一カ月間開催されるトリュフ祭では、食べ比べや有名シェフによるクッキングショー、銘柄ワインや特産ヘーゼルナッツの販売会がある。秋のアルバには、世界からグルメが集結し、アルプスの麓で大地の恵みを満喫する。
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大石 尚子(おおいし・なおこ)
龍谷大学教授
1973年生まれ。兵庫県出身。1995年大阪外国語大学イタリア語学科卒業。アパレル商社勤務、在ミラノでのファッションコンサルタント助手などを経て、2007年同志社大大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースに入学、11年同博士課程修了。10年より龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)にて活動。15年より龍谷大学政策学部准教授。23年より同教授。18年5月~19年3月イタリア・プーリア州にて在外研究。編著『食と農のソーシャル・イノベーション』(藤原書店、2024年)、共書『トリノの奇跡』(藤原書店、2017年)、『ソーシャル・イノベーションの理論と実践』(明石書店、2022年)ほか。
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(龍谷大学教授 大石 尚子)
龍谷大学教授の大石尚子さんは「ワインを常用飲酒する人口は2010年の45%から2023年にかけて29%に減っている。だが、そんな中でも売り上げを伸ばしている種類のワインがある」という――。
※本稿は、大石尚子『イタリア食紀行 南北1200キロの農山漁村と郷土料理』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■高級ワインの産地が集中するピエモンテ
北部の食文化は、アルプス山岳地帯から続く中山間地域と、パダーノの平野部に大きく二分される。アルプスの麓に位置するピエモンテは、冷涼な気候である。地中海からの風やアルプスからの冷気がアペニン山脈で遮られて、多様な農作物を産出する。おかげで希少な高級食材や高級ワインの産地が集中している。
バローロは「ワインの王」、バルバレスコは「ワインの女王」と呼ばれるほどである。ピエモンテは、トスカーナと並ぶ一大産地で、高級ワインを多数産出する。ワイン格付けで最高ランクのDOCGやDOCのワインがイタリアで最も多い(ちなみに、イタリアのワイン生産量は2015年以降、フランスを抜いて世界一位。イタリア20州のすべてで赤・白・ロゼワインを産出する)。
ワイン好きなら一度は訪ねてみたいバローロとバルバレスコは近接しており、トリノから南東50キロメートル、ワイン産地で有名なランゲ地方にある。
両村とも人口1000人未満で小さい。しかし、この村を中心とした周辺地域を含めて、500を超えるワイナリーがある。葡萄の品種は、ネッビオーロという13世紀頃からこの地方で作付けされていた土着品種である。この辺りには三本の川が流れ、複雑に隆起する丘陵地帯が連なる。隣接する土地でも地質や地形の違いによって、産出されるワインはまったく別物になる。
■厳格な規定がブランド力を高めている
バローロのワイン畑は、バルバレスコよりも標高が50メートル高く、霧の影響で日照時間が短い。これが長期熟成に適した葡萄を産む。逆に、バローロの葡萄よりも多くの太陽を浴びて育つバルバレスコの葡萄は、ふくよかなワインに仕上がる。そこから「ワインの女王」の異名が付けられた。バローロもバルバレスコも、この名前を名乗るためには、DOCGの規格をクリアしなければならない。葡萄の品種はネッビオーロのみである。バローロの熟成期間は最低38カ月。
そのうち18カ月は樽熟成しなければならない。バルバレスコの場合は26カ月の熟成期間で、その内9カ月の樽熟成が義務付けられている。
生産地はバローロはバローロ村とその周辺の11のコムーネ(自治体)に限られ、バルバレスコはバルバレスコ村を含む3つのコムーネである。ほかに、畑の土壌成分と標高、葡萄の樹齢など細かく規定されている。厳格な規定が、産品のブランド力を高めている。
■銘ワイン「バローロ」の誕生秘話
こうした銘ワインも、名声を得るまでには多くの努力の積み重ねがあった。ネッビオーロ種のワインは、元来は微発砲の甘いワインだった。今のような辛口に生まれ変わったのは、まさにイタリアが社会変革を起こそうとしていた時代だった。国家統一後に初代首相となったカミッロ・カブールは、ピエモンテの小さな農村の村長だった。その頃、彼はフランスの醸造家を村に招聘し、新たな醸造技術を導入していた。この挑戦によって甘口のネッビオーロは、今につながる長期熟成の、フルボディの辛口に変わったのである。
その後、バローロの名声が確立されたのは、統一国家の宮廷で提供されるようになったためである。
そこには、当然、首相カブールの介在があった。銘ワインのバローロの誕生には、時の覇権者サヴォイア家を中心とした国家統一の動き、海外(フランス)からの新技術の導入、農村の再生を願う村長(後の首相)の存在があったのである。
■立ち上がった若き生産者「バローロ・ボーイズ」
しかし、「バローロの物語」はここで終わらない。人の嗜好は時代とともに変わる。1960年代後半、ワインが大衆化し、ボジョレー・ヌーヴォーのようなフルーティで早飲みのワインがブームになった。バローロの最低熟成期間は38カ月だが本当にバローロらしい味になるには10年は必要とも言われる中で、そうした長期熟成の高額ワインは時代遅れになった。そうした時流に抗し、何とかその状況を打破したいと立ちあがった若者たちがいた。「バローロ・ボーイズ」と呼ばれる生産者たちである。
コンサルタントのマルコ・デ・グラツィアが先導し、それまでの、長時間のマセラシオン(葡萄をつぶした後、果汁と皮と種を一緒に漬け込んでおくこと)、大樽長期熟成という伝統手法を見直し、フランス・ブルゴーニュ地方の熟成法を採用し、新しいタイプのワインづくりに向かった。短期マセラシオンでバリック(小樽)を使用し、早飲みで果実味のある「モダン」なバローロワインである。彼らがつくったバローロは、ボジョレー・ヌーヴォーの旗振り役としても有名なワイン評論家ロバート・パーカーなどの支持を得るとともに、アメリカを中心に高評価を受けて、一大ムーブメントを引き起こした。
■「モダン派vs.伝統派論争」で知名度がさらに上昇
反面、伝統的な手法を守るバローロのつくり手たちもいる。
「伝統派」と呼ばれる。ワインソムリエやワイン批評家の間で「モダン派vs.伝統派論争」が巻き起こり、バローロの知名度はさらに上昇した。ただ、両者が対立しているわけではない。バローロ・ボーイズたちは、決して伝統派との対立を望んではいない。
20世紀後半のワイン生産は、大量の葡萄を買い付け、大規模に生産する大手ネゴシアン(ワイン商)の寡占状態になっていた。葡萄を栽培し醸造する小規模な自家栽培ワイナリーは、どう生き残っていくのか、岐路に立たされていた。モダン派は、これまでのバローロとは違う価値を創り出すことで、世界的な評価を得ようとした。その思いは、伝統派の気持ちと違いはなかった。ワインづくりを通じて地域の発展を願っている点は、双方に共通している。
■イタリアでも起きている「若者のアルコール離れ」
社会情勢によって、人々の嗜好も価値観も変化する。最近、日本では若者のビールや日本酒などのアルコール離れが指摘されているが、イタリアでも同じ傾向がある。図表1の通り、ワインを常用飲酒する人口は2010年の45%から2023年にかけて29%に減っている。
また、フォーブス・イタリアは「ワイン業界の消費減退に警鐘。若い消費者を惹きつける仕掛け」と題し、現在(2024年7月23日)から2039年の間に、消費量は約120万ヘクトリットル減少すると推定され、15~39歳のワイン消費量は2010年の37%から現在は26%に減少していると報じている。また、イタリアオンラインワインマガジン「Wine Meridian」によると、2022年の統計では、ワイン飲酒者数は2008年と比べて、25~34歳で38%、35~44歳で50%減少している。
そうした中で、売り上げを伸ばしているのは自然派ワインと呼ばれるものである。イタリアのワインジャーナリスト、ジャンパオロ・ジャコボによると、イタリアのレストランでは、店に置くワインの5~10%は自然派のものだという(イタリアワインジャーナルGeniusLoci)。保存料や添加物を一切使用せず、できるだけ機械に頼らずに醸造する。
■伝統は継承するだけでは続かない
このように、伝統・モダンの範疇を超えるようなさまざまなワインが登場し、これまで強かったブランドでも、選ばれるためには試行錯誤が必要となっている。バローロも醸造方法は多様化し、モダン派、伝統派の間に明確な区別はなくなった。これまでは、バローロ産地のいろいろな畑で収穫された葡萄をミックスして醸造していたが、昨今は混ぜずに、それぞれの村で収穫した葡萄だけを使ってつくる。それによって、村の個性を打ち出せる。そうしたワインの中から、自分の好みに合った一本を見つける、という特別性は、バローロ・ファンをさらに惹きつけることにつながる。
銘ワインは、しばしば危機に直面し、しかし、革新を通して名声を確立してきたのである。
伝統は、継承するだけでは続かない。新たな手法、価値を創造し、絶え間ないイノベーションを繰り返してよみがえるのである。
■約1300万円の値段がついた「白トリュフ」
ピエモンテには、ワイン以外にも世界の人々がこぞって手に入れようとする食材が多くある。バローロの産地でもあるアルバ地方には白トリュフがある。トリュフと言えばフランス産も有名だが、その多くは黒トリュフである。生食向きの香り高い白トリュフは、ピエモンテの特産である。地元の人たちは「白いダイヤモンド」と呼ぶ。
アルバでは、90年ほど前からトリュフの大きさを競う品評会が開催されている。毎年10月頃に開催される白トリュフ祭りの期間に、国際オークションが開催され、どのぐらいの高値が付くかがニュースになる。コロナ禍の2021年にも開催され、830グラムの白トリュフが10万ユーロ(約1300万円)で競り落とされた。落札したのは香港のイタリアンシェフだった。一カ月間開催されるトリュフ祭では、食べ比べや有名シェフによるクッキングショー、銘柄ワインや特産ヘーゼルナッツの販売会がある。秋のアルバには、世界からグルメが集結し、アルプスの麓で大地の恵みを満喫する。
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大石 尚子(おおいし・なおこ)
龍谷大学教授
1973年生まれ。兵庫県出身。1995年大阪外国語大学イタリア語学科卒業。アパレル商社勤務、在ミラノでのファッションコンサルタント助手などを経て、2007年同志社大大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースに入学、11年同博士課程修了。10年より龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)にて活動。15年より龍谷大学政策学部准教授。23年より同教授。18年5月~19年3月イタリア・プーリア州にて在外研究。編著『食と農のソーシャル・イノベーション』(藤原書店、2024年)、共書『トリノの奇跡』(藤原書店、2017年)、『ソーシャル・イノベーションの理論と実践』(明石書店、2022年)ほか。
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(龍谷大学教授 大石 尚子)
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