ゴールデンウィークなどの大型連休明けには心身の不調を訴える人が多い。そのような人とはどう接するべきなのか。
ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)の著者で公認心理師の植原亮太さんは「若手社会人の中には『思春期うつ』に苦しみながら働いている人もいる。中年世代からすれば甘えに思えるが、彼らは決して甘えているわけではない」という――。
■大型連休明けは精神的につらい時期
職場で悩みを抱える人にとって、ゴールデンウィークなどの大型連休明けは精神的にとてもつらい時期です。事実、話題の「退職代行サービス」には依頼が殺到しているといいます。
多くの人は退職代行を頼って仕事を辞めようとする相手に対して責任感がないと感じ、あまりポジティブな印象を抱かないでしょう。私たちは彼らに対してどのように接するべきなのでしょうか。
■一見無責任に見える「若者特有のうつ」とは
仕事がつらい、だるくて起きられない……。そう訴えて私のカウンセリングルームに相談に来た柴崎優平(仮名・23歳)さんは、休職してからひと月ほどが経つと言います。
「仕事は辞めようかどうしようか迷ってて。精神科にも通ってて、うつ病ということで診断書はもらえたんで、病気休職中になっています。その間も給料はもらえるので、使い倒せる制度は使って、もらえるものはもらっておこうかと思っていて」
初回の相談で上記のように話した彼ですが、大人の多くは彼に対して、甘えている、責任感が足りない、などと思うでしょう。
しかし、こころの専門家の立場から言わせると、若者に特有の非定型的なうつが隠れている場合もあることを知ってほしいと思います。

本稿では、この若者特有のうつの正体と、その理解を示していきます。序盤ではそれがなぜなのかを大人(中年以上)の立場から、終盤では若者の立場になってその苦しさを考えていきます。
文中では、若者のうつが定型的なうつ病(不眠・食欲不振に伴う体重減少や、明らかな自責感情を伴う気分の落ち込みが見られるもの)と比べると「未熟」「自責感が薄い」などの表現が出てきますが、決して蔑んでいる意図はないことをご理解いただきたく思います。
※本稿には複数の事例が登場しますが、個人情報の保護に配慮して加工・修正していることをご了承下さい。
■就職1年でうつ病と診断された若い男性
柴崎さんは大学への進学を機に地方から上京し、そのまま就職活動を東京で行い、約1年前の春からとある企業で営業職として働き始めました。しかし最近は食欲が落ち、眠ろうと思っても寝つきが悪く、朝になっても起きられないこともあるようです。ここだけを取り出すと、たしかに定型的なうつ病のようにも思えます。
私は彼に、うつ病と診断されるのに至った経緯は何だったのかを尋ねました。すると、
「社員が中年の男の人ばかりで、いい人もいるんですけど、性格が悪い人も多くて居辛いんよね。一番(嫌なの)はお客さんからのクレーム。理不尽なことばかり、おじさんやおばさんから言われて、『頭ん中湧いてんの?』って思う。同期の子はうまいことやっていて、電話に出なくても済むような器用さがある。
だから、仕方なく自分が電話に出ますけど、なんかいつも貧乏くじを引かされている気がして……。
友達からは『そんなに嫌なら休職すればいいじゃん。すぐ診断書を出してくれるとこ知ってるよ』って言われたので、そこへ行ったら『たぶんうつかな』って言われて、いまに至る感じ。でも、薬ばっか飲んでいても効き目はなくて、副作用で体がだるいだけだから……。いろいろと検索していたらカウンセリングというのがあるんだって知って、それで来ました」
■自分よりも周囲への不満が目立つ
彼の訴えに接して、読者の方々はどのように感じましたか。実は、ここで定型的なうつ病と異なる点が、はっきりとわかります。
それは、うつは自分を責める病であるのに対して、彼が訴えているのは“自責感”ではない点です。もちろん、うまくできなくて苦しいという気持ちはあるのですが、自責感よりも“不満”のほうが上回っているのを感じられるでしょうか。
カウンセラーはクライアントが話す語句ではなく、語句の裏側に流れる感情を聞いています。ここに焦点を当てると、彼が訴えたいものが見えてくるのです。
実際に、うつ病であるか否かの鑑別には、自責感の有無や強弱を必ず私は聞き取ります。“聞き取る”というのは本人に「自責感はありますか?」と問うのではなくて、話している内容から自責感情があるかどうかを“嗅ぎ取る”という意味です。
不眠や食欲不振による体重減少・明らかな気分の落ち込みなど、目の前に現れている症状を聞き取っていく問診とは異なるのが、医師が行う診断手続きとの違いです。
そうして、この不満を嗅ぎ取ることができた読者の方々は、きっとイライラしたはずです。「なにを甘ったれているんだ」と――。
■なぜ若者のうつに大人はイライラするのか
では、なぜイライラしたのでしょうか。ここに、大人側の事情で若者特有のうつへの理解を難しくさせている要因があります。
イライラした方は彼と似たような気持ちを抱えて働いてきたのではないでしょうか。ただ異なるのは、こういった気持ちは自分の中に留めておいて、大っぴらに他人へ表明しなかったし、ましてやこれを理由に休職なんてしなかったという点でしょう。自分の我慢してきた気持ちが他人を通して見えてしまうと、相手に批判的な感情が向いてしまうという“こころの法則”があるのです。
それが「なぜ、イライラするのでしょうか?」という問いに対するアンサーです。我慢してがんばって社会の中で生きてきた大人ほど、未熟に見えてしまう新入社員をつぶしてしまいがちのようです。
私たち専門家も、多かれ少なかれ我慢してがんばって働いているのは事実でしょう。だからこそ、ちょっと未熟というか、不満が中心というか、そんな訴えを聞かされると、イライラした気持ちや叱咤激励したい思いが出てきてしまって、相手がうつで苦しんでいるのを見落としてしまうのです。

これが、大人側にとって若者のうつの理解を難しくさせている一番の心理的な要因なのではないかと、筆者は考えています。
■まだ心だけが「思春期のまま」な社会人がいる
さて、若者のうつとは具体的になんなのかを説明していきます。
「現代型うつ」や「新型うつ」などと呼ばれることもありますが、それらはマスコミ用語であって正式な疾患名ではありません。これらをインターネットで検索すると、その特徴などはさまざまに言われていますが、やや未熟で他責的であり、男性に多い傾向があるというのがおおむねの共通見解のようです。
これに代わる相応しい呼称を提案するとしたら「思春期うつ」だと筆者は思っています。社会に出たばかりの若者は、思春期のこころの余韻をまだ強く残していることがあるのです。現代型でも新型でもなく、いつの時代にも若者のうつは存在していました。昔からある例で言うと、発達障害でも精神疾患でもないのにもかかわらず、社会参加できず長期間にわたって引きこもりの状態が続くなどです。
読者の方々も思春期のころに、親と話さなくなり、自分の部屋で過ごす時間が増え、ひとりで考える時間が多くなった経験があるのではないでしょうか。
思春期うつは、この煩悶とした気持ちを抱えながら学校や家の中で過ごすのではなく、社会に出て与えられた役割を果たしていかなければならないつらさがあります。自分のことで手一杯なのに、さらに仕事をしなければならない責任も社会から付与されるのです。
彼らも懸命に仕事をします。
うつになるほどですから、根は真面目です。しかしその割には自責感が薄く感じられるので、大人の立場からすると思春期うつは掴みどころがなく「非定型的」なのです。
■落ち込むことは自責の念があるということ
では、なにが「非定型的」なのでしょうか。
たとえば、こころが成熟した大人であれば、仕事がうまくいかずに落ち込んで食欲が減り、眠れなくなると、沈んだ気分が持続します。これはこころのどこかで自分を責め続けているからで、休みの日に遊びに出かけたりしても、簡単に気持ちが上向くことはありません。むしろ、外に出て遊んでいることすらも責めてしまうでしょう。疲れ切って、そして自分が生きていることすらもいけないことだと思ってしまうのです。
ここまで行くと、うつ病の中等症と指摘されるかもしれません。とても苦しい状態ですが、ある意味では周囲のせいにせず自らに責任を帰しているその姿勢は、こころが大人として成熟している証でもあります。
過去に私のところへ相談に訪れた25歳の男性が「うつなんです」と訴えていました。しかし、週末の様子を聞き取ると、「大学時代の友達と遊んで、めっちゃ楽しかったっす。来週も、みんなでレンタカー借りて海まで行きます」と話します。
次いで職場の人間関係を質問すると「係長とは相性合わないっすね。なにかと細かい人で、あんまり好きじゃないっすね」と言って、それからは無言になりました。その行間から読み取れたのは「俺は言われた通りにやっているのに、いちいちうるさく言われるので困る」です。
我慢して働いているので気分は鬱々とし、その上司がいる職場に向かうのが億劫になるというのが彼の訴えのようです。こうした我慢が慢性的なものになると、不眠や食欲不振などに至るのは、定型的なうつ病とも同じです。が、冷静に比較すると、自責感情にはかなり差があるのがわかります。
上記の2事例とも、わかりやすくするためにやや強調して記した節はありますが、もしかしたらこんな感じの若者が職場にいるという心当たりがある方も、少なくないのではないでしょうか。
■出社前に頭やお腹が痛くなる原因
非定型的な思春期うつのもうひとつの特徴は身体愁訴で、すなわち体調不良の訴えも目立つことです。「頭痛い」「お腹痛い」「気持ち悪い」と言って、出社前に訴えるそれです。
これは中高生にも多く、不登校の原因にもなってしまうことがあります。内科では異常なしと言われますが、思春期外来では起立性調節障害と言われることがあります。
ここでは詳しく述べませんが、この思春期年齢に好発するとされる起立性調節障害には、心理的な要因が多分に関係していることから、やはり思春期うつとは切っても切れない関係にあるのです。
■社会人はみな大人であるという思い込み
再び話を戻すと、定型的なうつ病は大人のこころを持っていることによって発症します。大人は自責できる力を持っているので、それが行動と感情に現れるのです。
思春期の子どもに対して注意や指摘をすると、反発や不満で返されることが多くはありませんか。思春期の子の定型的な反応です。だから彼らの立場からすると決して非定型的ではないのですが、社会人がみな大人であると思い込んでいるのを考慮すると、大人になった彼らのうつは非定型的だとされてしまうのです。
年齢が成人に達した彼らは中高生のように表立って反発はしませんし、年齢的にそんなことをしたら社会から嫌われることは理解しています。しかし繰り返しますが、こころはまだ思春期の余韻を残しているので、大人のようには振る舞えず、社会が求めるそれとの狭間で悩み苦しんでいるのです。
ここのところ話題になっている「退職代行サービス」を利用する若者の中には、実は思春期のうつを抱えている人も少なくないのではないかと推察できます。
■有効な対応は「話を聞くこと」のみ
そんな若者の「思春期うつ」に対して、私たち大人はどうすればよいのか。
それは、ただ話をしっかりと聞いてやる以外にありません。うつが軽症であればあるほど、治療の中心は支持的精神療法という受容と傾聴の効果に立脚したカウンセリングが中心になります。
事実、日本うつ病学会の治療ガイドラインでは「軽症うつ病」および「児童期思春期のうつ病」においては、薬物療法ではなく上記のような話を聞く技法や、身の回りの環境調整が推奨されています。
特に思春期うつは、訴えられる内容が自責感情ではなく不満のほうが上回っていると述べましたが、不満もずっと抱えているのはつらいものなのです。ならばいっそのこと全部、吐き出してしまったほうがよいのは間違いありません。
現に冒頭の事例の柴崎さんは、毎回一枠50分間のカウンセリングは自分の言いたいことだけを話して帰っていきます。そうすると「気分が沈まない時間が増えてくる」のだそうです。不満も、不安も、もうダメかもしれない気持ちも、すべてを聞きます。
■若者への「ご機嫌取り」は本質的解決にはならない
ときに筆者は、研修講師を務めた際に若手社員への対応を管理職に助言することがあります。ただただ口を挟まずに、聞いてあげるようにと伝えます。
ベテランの管理職だと、自分の経験を伝えたり善意で励ましたりしてしまいがちなのですが、うつになって気弱になっている人ほど、励ましは「もっとしっかりしろ」という否定的なメッセージとして聞こえてしまうものです。いくら私が助言したところで、直属の上司など部下との関係性が近ければ近いほど話を聞くのは難しいでしょう。そんなときには、専門家に対応と理解を相談するのをお勧めします。
近年では若者の離職を防ぐための企業努力として、初任給の引き上げや社内での催し事を企画するなど、いわば「ご機嫌取り」がなされる風潮もあるようですが、こころの成熟途中であるという観点から考えると、これはけっして本質とは言えないのがおわかりでしょう。本質的な対応は、私たち大人が彼ら若者を(自分も若者だった頃を思い出して)理解するほかないのです。
人の話を聞く、若者に理解を示す、これらは大人としてのこころの成熟度が試されているようにも思えます。
■心身の成熟スピードは人それぞれ
最後に、いま正に悩んでいるあなたへメッセージを伝えたいと思います。
私たち人は、誰でも未熟な状態から人生がスタートしていきます。成熟に向かうためのスピードは人それぞれです。これは身長が伸びるペースや体型が人によって違うのと同じで、目には見えませんが、こころの成熟にも個人差があり、どこまで成熟することができるのかもまた人によって異なります。
しかし、社会はこの個人差を勘案してはくれません。18歳になれば社会的には成人として位置付けられ、就職すれば職責を果たさなければならなくなります。これに対応できるこころの準備が整っていればよいのですが、そうではない場合も、もちろんあるでしょう。
そんな中で懸命に働いてきたのなら、このゴールデンウィーク中に仕事から離れて自分のいまの状況を考えずにはいられなかったのではないでしょうか。仕事から離れるという非日常のときにこそ、たどり着けた答えもあるでしょう。そうして出た判断には自信を持ってよいのです。週のほとんどを費やす仕事という日常から離れたときに浮かぶ判断やアイデアは、事態を好転させる可能性を秘めていることは、脳科学的にも立証されつつあるようです。
悩んでいるときは自分の生き方が変わるチャンスです。
仕事を続ける強さもあれば、辞めるという変化を受け入れる強さもあるのです。我慢し続けて暗澹たる気持ちに苛まれるくらいなら、負担が少ないほうを選んではいけない理由は、どこにもないのです。

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植原 亮太(うえはら・りょうた)

公認心理師、精神保健福祉士

1986年生まれ。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。著書に第18回・開高健ノンフィクション賞の最終候補作になった『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)がある。

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(公認心理師、精神保健福祉士 植原 亮太)
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