■自社株を「増量中」のトヨタグループの名門企業
2025年4月26日、トヨタグループの源流である豊田自動織機が非上場化を検討していると報じられた。そもそもトヨタ自動車は豊田自動織機製作所自動車部を分離してできた会社である。
一説にはトヨタ自動車・豊田章男会長を含めた創業者一族の豊田(とよだ)家が非上場化を提案、主導しているとも伝わっている。このニュースによって豊田自動織機の株価も1万3000円弱から1万6000円台へと急上昇した。
5月7日には豊田自動織機が「自己株式の取得状況に関するお知らせ」というニュースリリースを公表。
それによると会社法に基づき、4月中に自己株式を80万1700株取得したという(途中経過)。取得総額は97億3442万1500円。
4月30日現在で、取得した株式の総数(累計)は987万6623株で、取得価額の総額は1187億8609万970円。取得できる上限は1000万株で、それに近づきつつある。ただ、それでも発行済株式総数(自己株式を除く)に対する割合は3.22%に過ぎないという。
発表の翌日、5月8日の株価は1万7600円まで上がった。豊田自動織機の時価総額は5.63兆円。
■大正製薬、永谷園も…老舗企業の「非上場化」が増えている
創業者一族が非上場化を主導するという流れは、なんか既視感が……。そう、セブン&アイ・ホールディングスのMBO(マネジメント・バイ・アウト)断念のニュースを思い起こさせる。2024年には大正製薬、永谷園など94社が東京証券取引所(東証)で上場廃止となったという。いったい何が起こっているのだろうか。
株式会社には上場企業と非上場企業がある。戦後の日本で大企業といえば、そのほとんどが上場企業で、非上場企業は稀だった。非上場企業としてパッと思い浮かぶのは、サントリー、竹中工務店、YKKくらい。ただし、マスコミの出版社・新聞社は非上場会社が多い。日本生命保険、住友生命保険、明治安田生命保険なども非上場企業だが、そもそもこれらは株式会社ではない(相互会社という保険会社特有の組織である)。
■財閥系を始め、戦前の大企業は上場しない場合が多かった
一方、戦前の大企業は非上場企業が多かった。みなさん中学・高校の授業で「財閥」について習わなかっただろうか。
三井財閥の三井物産は1876年(明治9)に設立されて、上場したのが1942年。実に66年もの間、非上場だった。一時期、三井物産は日本の貿易額の2割を担っていた。その配当が全額、三井一族の懐に入るんだから、そりゃあ、三井家は日本一の大富豪になるわなぁ。1942年に上場したのは、その前年に太平洋戦争が勃発し、さすがの三井財閥も金欠になったからである。
■GHQによって財閥解体、持株会社は解散させられた
1945年、日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗戦して、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に占領され、財閥解体が行われた。具体的にいうと、財閥家族が持っている株式を売却させて、持株会社を解散し、傘下企業をみんな上場させて大衆株主を増やしたのである。これによって、財閥系の大会社は軒並み上場企業になった。
そして、1950年代中盤に日本は高度経済成長期を迎え、1960年代に株式公開ブームが訪れる。戦後日本には「高額所得者公示制度」というものがあって、誰が日本で一番金持ちか新聞雑誌で公表されていた(いわゆる長者番付)。1955年度から松下電器産業(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助が5連覇していたのだが、1960年度に石橋正二郎がトップとなり、世間を驚かせた。
石橋はブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者で、それまで非上場だったブリヂストンタイヤの1000万株を1961年に公開、上場したのだ。昔の株式は額面50円だった、これが株式公開すると数千円で販売される。その差額がそっくり石橋の懐に入るのだ(創業者利益、キャピタルゲインという)。同様に大正製薬の実質的な創業者・上原正吉が、1964年に株式公開(=上場)して長者番付のトップになった。
■今になってなぜ「非上場」の動きが出てきたのか?
戦前は企業を非上場のままにして一族の支配下に置くケースが多かったが、戦後は上場して一攫千金を目指すケースが増えていった。大企業が軒並み上場していった結果、上場企業=世間に認知された大企業というイメージが浸透していく。上場する際の審査が厳しかったこともあって、上場を目標とする起業家がふえた。
ではなぜ、今になって非上場化しようとするのか。それは買収リスクが増えたからである。
松下幸之助は松下電器産業の配当収入で日本一の大金持ちになった。では、その収入を何に使っていたかというと、松下電器産業の株式購入に充てていた(『日本の長者番付』)。松下電器産業は急成長して増資すると、幸之助は大株主の地位を死守すべく、ひたすら株式を買わざるを得なかったのだ。
ただし、松下幸之助は現在の創業者一族より気が楽だった。松下電器産業が買収されるリスクはほぼなかったからだ。
■松下幸之助は配当収入でもうけたお金で自社株を買っていた
終戦後の動乱で、一部の上場企業が新興成金によって株式買収・企業乗っ取りの危機に遭遇したが、それは比較的資本金の小さな企業の話であって、松下電器産業のような大企業には無縁の話だった。ところが、1964年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加盟して、段階的に「資本の自由化」が行われると様相は一変する。それまで、日本では外国資本による株式取得が制限されていたが、OECD加盟によって制限が大幅に緩和されたのだ。
そのとき、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)は株式の多くを取引先に持ってもらい、浮動株を少なくすることで買収リスクを極小化した(株主安定工作、株主の安定化)。客観的に考えれば、外資の傘下に入る選択肢だってあったのだが、トヨタ自動車工業の場合、創業者の豊田喜一郎が急死して、大番頭の石田退三が社長を務めていた。石田は将来的に豊田家に“大政奉還”することを考えていたらしい。それまでに外資に買収されては大変である。
■トヨタ自動車は何よりも外資の買収を恐れている?
その鮮やかな手際を見た自動車業界は、あれよあれよという間に株主安定工作を推し進め、燎原(りょうげん)の火のごとく他業界に伝播した。取引先に株式を持ってもらう代わりに、取引先の株式も所有することになり、互いに株式を持ち合う結果となった(株式持ち合い)。浮動株が少ないことが株価を高く維持し、時価発行増資でも有利に働いた。株式持ち合いサマサマだったわけだ。
とはいえ、どの業界も押し並べて株式を持っていた訳ではなかった。カネのある銀行・生命保険会社が日本企業の大株主になっていた。ところが、1990年代中盤のバブル崩壊で、その銀行・生命保険会社が不良債権に苦しみ、所有株式を売却していく。「持合い崩れ」である。売られた株式は海外投資家が買い増し、いつの間にか日本企業の大株主に海外投資家が名を連ねるようになっていった。
日本でもかつて、海外投資家が日本企業を買収しようと試みたことがあった。買収するには、浮動株をかき集めるだけではダメで、既存の株主から株式を譲ってもらわねばならない。
■取引先の株主と違い、海外投資家は簡単に株を売ってしまう
しかし、今、日本企業の大株主となっている海外投資家は、利益になるなら、所有株式を簡単に売却してしまう。そこで敵対的買収、TOB(テイク・オーバー・ビット)が行われる。「今、1株100円の何とか社を、何月何日までに1株150円で買収します」。時価10億円分の株式を持っていたら、15億円で売れて5億円の儲けになる。そんなの売らない訳がないよね。また、時価総額でみると、海外企業は桁が一つ違い、日本企業が買いやすくなっている。
日本は今、真の意味での「資本の自由化」を迎えている。そして、その対抗策が、買収される前に非上場化することなのだ。
2024年に非上場化した企業の中でも特に有名な大正製薬ホールディングス、永谷園ホールディングスは、ともに同族企業である。
同族企業は建設、食品、製薬、小売りなど特定の業種に偏っている。工場などの設備投資が比較的かからない業界が多い。カネがかからないから大規模な増資の必要がなく、大株主の座を維持することが容易で、大株主だからトップを世襲する大義名分が立つ。そういう理屈だ(トヨタ自動車を同族企業と見るかは判断が難しいところではある)。
■西武の堤義明会長「上場しなければならない理由がわからない」
上場する大きなメリットの一つは機動的な資金調達が可能なことであり、増資の必要性が低ければ、上場する必要はない。同族企業は他者の経営介入を嫌う傾向が強いので、なおさら非上場化しようということになる。
20年前にそのことに気づいていた経営者がいた。西武鉄道の堤義明である。
2004年に西武鉄道が株式名義の虚偽記載で告発された際、義明は記者会見で「私には西武鉄道が上場しなければならない理由がわからない」と発言。多方面から非難の声が浴びせられ、上場廃止にされた。その結果、西武鉄道グループは資産内容が悪化し、銀行団によって解体されてしまう。
西武鉄道グループは典型的な同族会社で、西武鉄道自体も上場する必要性がなかった。1950年代に多額の銀行融資を受ける際、銀行から上場して資本金を増やすように指導されたらしい。非上場化が一般的であれば、その後すぐに西武鉄道は非上場化して、現在もグループ経営を続けていたかもしれない。
----------
菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。
----------
(経営史学者・系図研究者 菊地 浩之)