鎌倉に本社を構えるチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」社長の石原紳伍さんは、学生時代はラグビー選手として活躍し、リクルートでは新規開拓ギネスを達成した異色の経歴の持ち主だ。なぜチョコレート・ブランドを立ち上げたのか。
その背景に迫る――。
■リクルートで驚異的な記録を樹立
石原さんが入社するまで、リクルートの新規顧客開拓数の社内ギネスは数百件/年だった。ところが石原さんは、入社してわずか10カ月あまりで1700件という驚異的な記録を樹立してしまったのである。まさに超人的な営業成績と言っていい。
なぜ、こんなことが可能だったのだろうか。
「広告営業を担当していたのですが、ラグビーの経験があったので努力をすることはまったく苦ではありませんでした。でも、勝ち負けを決めるスポーツと違って、仕事は勝ちと勝ちじゃないと成り立ちません。ですから、広告を使って経営課題を解決してあげましょうというアプローチではなく、常に、どうすればお客様と一緒にワクワクしながら同じ夢を見られるかを考えながら営業をしたのです」
20代後半にして、年収は数千万円を突破。石原さんの活躍は当然、リクルート幹部の知るところとなり、社長直属の“寺子屋”で、徹底した幹部教育を受けることになった。
「いわゆる虎の穴(厳しい訓練を受ける場)のような組織ですが、課題として出された本を読み込んでレポートを書いたり、他のメンバーとディスカッションをしたりしながら、政治、経済、歴史、文学、宗教、哲学と、あらゆるジャンルのリベラルアーツを学ぶのです。時には社長と直接ディベートをすることもありました」
■「自分の生き方は正しいのだろうか」
ラグビー漬けの青春時代を送ってきた石原さんは、猛烈な勢いでさまざまな分野の教養を吸収していった。
だが、幹部教育を施したリクルートの幹部には、誤算があったのだ。
いや、リクルート側の誤算というより、石原さんがあまりにもストレートに教養と向き合い過ぎたということかもしれない。
「リクルートは素晴らしい会社だと思いますが、創業者である江副浩正さんの『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』という哲学を実践すると、リクルートという会社の枠をはみ出してしまう可能性があるのです。たとえば、当時、営業マンだった自分が抱えていたリスクに比べると、担当していた飲食業や旅館・ホテル業が抱えていたリスクはとても大きかったのですが、寺子屋でさまざまな本を読んで勉強すればするほど、これでいいんだろうか、自分の生き方は正しいのだろうかという疑問が強くなってしまったのです」
石原はさんはまさにリクルートの持つ哲学どおり、「(幹部教育という)機会によって自らを変え」てしまったのだ。
■「文化をつくりたい」という気持ち
退社したい旨を幹部に伝えると、猛烈な引き留めに遭った。それはそうだろう、前人未踏の新規開拓ギネスを持つ人材だ、おいそれと手放すわけにはいかない。
1年限りという約束で別会社への移籍を許されて社長秘書の仕事を経験したあと、約束通りいったんはリクルートに戻ったが、自分が「世のため人のためになる仕事をしているのか?」という疑問はむしろ大きく膨らんでしまった。
そして、半ばプライベートの旅で訪れたコロンビアで目にした風景が、退社の意志を後押しすることになった。
「コロンビアに行って、自分はビジネスをやりたいというよりも、文化をつくりたいんだということがはっきりとわかったのです。『経済は文化の僕である』(福武總一郎)という言葉がありますが、国際社会で日本という国が愛され生き残っていくためには、文化国家であることがとても大切な要素です。日本が世界からながく愛してもらえる国であることこそ、本当のサステナビリティーではないかと考えるようになったのです」
リクルートの幹部たちも、最終的に石原さんの考え方を理解してくれた。28歳、破格の年収を投げ打って、石原さんはリクルートを退職する。
果たして、石原さんがコロンビアで見た風景とはいったいどのようなものか。
そして石原さんの言う文化とは何か。そこに、ビジネスマンが自らの仕事を振り返り、生き方、働き方を変えるヒントがあるだろうか。
■仕事と生活とチョコレートが自然につながる風景
「僕がコロンビアで出会ったのは、まるで南国のフルーツのようなカカオの実の味わいと、日本における日本茶と和菓子のように、日常にチョコレートが溶け込んだ人々の生活でした。コロンビアの人たちには毎朝チョコレートドリンクを飲む習慣があって、生産者と生活者がカカオでつながっている。その風景が、とても素敵だったのです。一方で、日本のチョコレートといえば、当時はバレンタインデーのギフトという刷り込みとコンビニで売っている“砂糖菓子”のイメージが中心。僕はコロンビアで『カカオの幸せ』を目の当たりにして、日本でも日常的にチョコレートを楽しむ文化づくりができないかと考えたのです」
コロンビアでは、仕事と生活とチョコレートが日常の中で自然につながり合っていた。それは、石原さんの大阪の実家での原体験に通じる風景でもあり、職と住と食の融合こそ、石原さんが理想とする文化のありようなのだろう。
石原さんは、単なる消費財としてチョコレートを作り、売るのではなく、その国の文化と呼べるレベルにまで、日常生活にチョコレートを浸透させたいという遠大な理想を描くようになったわけだ。あまりにも遠大過ぎる気もするが……。
■目指すは、日本の食のブランディング
「たとえば、ジャパニーズ・ウイスキーはいまでこそ世界的な評価を得ていますが、鳥井信治郎さんがスコッチに学びながら国産ウイスキーをつくり始めた当初は、おそらく今とは品質も大きく違ったでしょうし、事業としても厳しい時代が長かったと思います。しかし、それから90年以上たって(※「白札」の愛称を持つ「サントリーウイスキー」は1929年発売)ウイスキー文化はすっかり日本に定着しましたよね」
だから、チョコレートも、日常にしっかり根を張った文化として日本に定着していく可能性があるということだろうか。

「寿司に代表される日本の食は明らかに世界の食文化をリードしていますが、残念ながら日本は、『場所』に根差した文化のブランディングが苦手だと感じています。たとえば、シャンパンはスパークリングワインの一種ですが、フランス政府はシャンパーニュ地方のスパークリングワインしかシャンパンと呼ばせません。ヨーロッパはこうした場所ごとのブランディングがとても上手い。僕は日本の食のブランディングを、チョコレートを通じて広げていきたいと思っているのです」
無暗にチョコレート文化を広めようというのではなく、特定の場所に根差した文化として広めていこうという戦略だろうか。
となると、メゾンカカオの本拠地である鎌倉が重要な意味を持ってくることになる。石原さんにとって鎌倉とは、いったいどのような「場所」だろうか。
■「海に面している」鎌倉を選んだ
メゾンカカオは現在8店舗を展開している。先述の通り、本社は鎌倉にあり本店も鎌倉の小町通りにある。石原さんが大阪出身であることを考えれば、関西、たとえば京都や奈良での店舗展開もあり得たはずだが……。
「文化を創造する以上、京都、奈良、鎌倉の三大文化都市のいずれかで勝負をしたいという思いがありました。ではなぜ鎌倉を選んだのかといえば、海に面していることがとても大きいですね」
たしかに鎌倉には由比ガ浜、材木座海岸という「海」がある。
「鎌倉は海を介して宋との貿易を始めた都市であり、禅の精神を日本に広めた都市でもあります。
鎌倉というと武士が作ったイメージが強いと思いますが、禅的な美意識の強い町でもあると同時に、実は文士が作った町でもある。こうした背景もあって、鎌倉には文化の変化を受け入れるソフトな感覚があるのです。湘南地方は移住者が多い場所ですが、サーフカルチャーに象徴されるように、鎌倉には過去の歴史をフィーチャーしつつ新しいものを理解し受け入れていく環境がある。裏返して言えば、京都のような排他性がない。メゾンカカオが鎌倉を選んだ理由はそこにあります」
■開業当初は「1年もたない」と噂された
開業当初、老舗が軒を連ねる鎌倉では1年もたないだろうと噂されたそうだが、メゾンカカオは今年、開業10周年を迎える。それには鎌倉という「場所」の力も寄与しているということだろうか。
「鎌倉は店舗ごとの固定ファンが強く歴史の長いものを信頼する空気がある一方で、鶴岡八幡宮の宮司さんなんかもまさにそうなのですが、進化や新陳代謝を拒否しない探究心や許容力がある文化もあり、サーフカルチャーが存在することでそのふたつが融合しているのです。そこが鎌倉の大きな魅力ですね」
メゾンカカオの生チョコレートには、海塩を使った「SURF」という商品がある。創業10周年を迎えたメゾンカカオは、鎌倉発祥であることを、今後どのようにしてブランディングに結びつけていくのか。シャンパーニュのように、KAMAKURAがチョコレートの代名詞として世界に認知される日が来るのだろうか。
■コロンビアに学校を建てるのは「当然のこと」
石原さんは、100年かけて日本にチョコレート文化を創造していくことを自らのミッションとして掲げている。俗に食は三代と言うが、100年といえばほぼ三世代である。

「まだ、何の達成感もありませんが、100年続くブランドの基礎を僕が社長をやっている間に作りたいと思っています。10年目にはこんなことをやった、20年目にはこんなことがあったと、いまは、未来に向けた手紙を書いている最中だと思っているのです」
メゾンカカオはコロンビアのカカオ農場とパートナーシップ契約を結ぶだけなく、財団を設立してコロンビアに学校を建てるプロジェクトも推進しており、すでに複数の学校を建設している。ご存じの通り、コロンビアは麻薬の原料、コカの一大生産地でもある。そしてカカオの生産地とコカの生産地は重なっており、麻薬に起因する児童虐待も多く学校に通っていない子どもも多いという。
そうした地域に学校を建てることは、コロンビアが100年永続するブランドのパートーであることを考えれば、「それは僕の夢でもあったし、必要不可欠で当然のことでした」と石原さんは言い切るのである。
「僕が生きているうちには叶えられないことが多いと思いますが、100年後、メゾンカカオがどのようなブランドになっているかは、今行うすべての意思決定によると思います。未来は今、作られている。その覚悟と信念を持って仲間と進んでいきたいです」
大言壮語と見るか、稀代の突破者と見るか。メゾンカカオの今後の展開から、目が離せない。

----------

山田 清機(やまだ・せいき)

ノンフィクションライター

1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。


----------

(ノンフィクションライター 山田 清機)
編集部おすすめ