デパートやスーパーの刺身が高い。安くおいしく刺身を食べる方法はないか。
元水産庁職員の上田勝彦さんが、プロが切った刺身よりおいしい刺身のつくり方を伝授。フリーライターの大宮冬洋さんが実践した――。
■かつて魚は自給率110%だった
カロリーベースの食料自給率で5割を切る状況が40年間も続いている。現時点ではトランプ関税回避の代償としてアメリカ産の安いトウモロコシや大豆が大量に輸入される見込みだが、風向きが変わって海外からの食料や飼料の輸入が激減したらどうなるか。パンや肉は超高級品になるだろう。
心配し過ぎる必要はない。豊かな漁場に恵まれた日本には500種類とも言われる食用魚介類があるからだ。実際、1965年度の食用魚介類の自給率は110%に達し、余った10%は缶詰に加工して輸出されていた。現在は5割弱にまでその数字を落としているが、原因はサケ、カツオ、マグロなどの比較的調理しやすく輸入も多い魚種に人気が集中していることにある。
かつては代表的な大衆魚だったのに家庭での消費量が落ちているのがマアジ(以下、単にアジと記載)だ。美味しくないから、では断じてない。さばきたてのアジの刺身を食べてみてほしい。
その爽やかな旨味でご飯も酒も進んでしまうことだろう。
■プロが切って時間を経た刺身は素人の切りたてにかなわない
「『あじは味なり、その味の美しきをいふなり』と古書にあるとおり、血の味が濃いサバやマグロとは違って、アジはスッキリと食べられる。ただし、空気に触れるとどんどん劣化するのが魚。特に青魚は劣化が早い。プロがどんなに上手に切った刺身も素人の切りたてにはかなわないんだ」
ここは鎌倉にある鮮魚店「サカナヤマルカマ(以下、マルカマ)」。アジをさばきながら親しみやすい口調で教えてくれるのは、元漁師で元水産庁職員の上田勝彦さんだ。アジを丸ごと多めに買ってさばくことをおすすめするのは初夏に旬を迎えて美味しくなるから、だけではない。アジはイワシやサバと同じく「多獲性魚類」と言われ、巻き網漁などで一度に大量に獲れる魚の代表格。たいていお手頃価格で買える。
アジをおすすめする理由は他にもある。魚をさばくことの基本を覚えるにはもってこいの魚なのだ。
「同じ魚を一度にたくさんさばくことが上達のコツ。
でも、イワシは骨の付き方が特殊だし、タイなどの大きな魚では一度に何尾もさばいたら食べ切れないし財布も痛い。その点アジは沢山練習できて、刺身がボロボロになっても美味しく食べる方法もある」
お手頃価格で、魚の基本形のような骨格をしているので三枚おろしの良き練習台になり、自分でさばいてすぐに食べればデパ地下の刺身よりも美味しい。アジはとにかくありがたい魚なのだ。
■目が白くなっているから鮮度が悪いアジ、とは限らない
アジの三枚おろしはネットで検索すれば動画がたくさん出てくる。干物用に開きたい場合は筆者が体験して書いたこちらの記事を参照してほしい。ここでは、アジをお得に無駄なく味わい尽くす方法を上田さんに教えてもらいたい。
まずは買い物から。「関アジ」などのブランドアジは新鮮なうちは生きて泳いでいるかのように目が黒く澄んでいる。1匹ずつ釣り上げる方法で漁獲され、活け締め(※刃物で即殺して血抜きする方法)されるからだ。ただし、安めのアジは目が白くなっているからと言って鮮度が悪いとは限らないので注意したい。
「巻き網漁で獲った魚は野締め(※魚を氷水に入れて低温死させる方法)が多い。氷をしっかりきかせると目が白くなるんだ」
では、良し悪しはどこで見分けるのか。
上田さんによれば、腹びれと肛門の間を指で押してみることが一番わかりやすいという。ブニュブニュと柔らかいものは鮮度が落ちて内臓が溶けかけている証拠で、当然ながら味も落ちている。逆に、腹が固いものを選べばほぼ間違いない。魚売り場でベタベタ触るわけにはいかないが、指で一押しぐらいは許されるだろう。
■アジをさばくときの注意点
「小魚、特に青魚は人間の体温でも傷みやすい。さばくときは頭以外の部分をなるべく触らないように!」
上田さんの指導を思い出しながら、ゼイゴと皮は刺身で食べる直前に切り取る。空気に触れることよる劣化を最小限に抑えて、鮮烈な味を楽しめる。
「皮をはいだら、キッチンペーパーなどを密着させて水分を吸わせること。皮をはいだ後の皮下にある汚れを水分と一緒に取り除けるので、後味の臭みがなくなり、より美味しく食べられるよ」
■アジの刺身をたくさん作れば、いろんな料理に展開できる
マルカマで仕入れた新鮮そのもののアジを刺身にできた。生姜醤油で食べるのが定番だが、スライスしたたまねぎと一緒に食べても合うらしい。3尾分ぐらいでさすがに食べ飽きてくるが、心配ない。上田さんが提唱する「アジの三段活用」で別の美味しい料理に楽に移行できる。

1段目は「アジのたたき」。5ミリ幅ぐらいの刺身に切り分けて、ネギ、生姜、大葉のみじん切りと和えるだけ。アジをあまり細かく切らないことがコツだ、と上田さん。
「箸でつまみやすいぐらいがちょうどいい。薬味にはみょうがを入れてもいいね。薬味の役割は魚の臭いを隠しつつも調和することにある」
三段活用の2段目は「アジのなめろう」。千葉県房総半島の漁師が船上で醤油が貴重な時代に開発したと言われる料理で、上記のたたきに味噌を適量加えて包丁でたたくだけで完成する。
そして、3段目。「アジの山家焼き」もしくは「アジの水なます」だ。なめろうをピンポン玉大にしたものを大葉にのせて平たく押し、フライパンで表面を軽く焼いたら香ばしい山家焼きになる。なめろうをボウルに入れて氷水を注いで溶き混ぜれば、夏場に嬉しい水なますに変身する。そのまま飲んでもいいし、ご飯にかけても爽やかに味わえる。

■刺身でも焼いても煮てもおいしいが、これだけはダメ
もちろん、鱗と内臓を取り除いたアジを刺身ではなく塩焼きや煮つけも良い。揚げたてのアジフライも最高だ。開いて干物にすれば保存性も高まる。最後に、上田さんはアジのありがたさと注意点を強調した。
「どんな料理にしてもしっかりとその旨味を伝えてくれるのがアジなんだよ。脂が少なくたって身がちゃんと旨い。ただし、蒸し料理だけはいまいち。アジに限らず、青魚を蒸すのはやめたほうがいい」
■「もちもちしていて、生臭みがまったくない!」
このたびマルカマで購入したアジは12尾。筆者は愛知県の三河地方に住んでいるが、翌朝も首都圏で予定があるので帰宅するわけにはいかない。鮮度が落ちないうちに調理して食べたい。千葉県浦安市に住んでいる叔母の台所を借り、従妹とその彼氏くんにも来てもらうことした。ちなみにこのメンバーで集まるのは年末年始の味噌作りだけ。
鮮魚のおかげで親戚との交流頻度も増えることになった。
「もちもちしていて、生臭みがまったくないね!」

「白身に近い味がする。すごく美味しいです」
上田さんの指導通りにアジをさばいて刺身にして出したところ、従妹と彼氏くんがすぐに絶賛。筆者が失敗したとき用に野菜と肉の料理を作って備えてくれた叔母も目を細めている。
生臭みが感じられないのはアジの鮮度が大きいが、その次ぐらいに丁寧な下処理が効いているはずだ。使い古しのハブラシで血合いをしっかり取り、水気をよく拭いて刺身にした。
ちなみに頭と骨も捨てていない。まとめてボウルに入れて水を張り、濁ったら捨てて、また新しい水を張る。3回ほど繰り返すと水が澄んでくる。こうして下処理した頭と骨で作ったあら汁には魚臭さがなく、出汁の豊かな香りを楽しめる。
■切り方だけで味がここまで変わる
刺身を少し食べたら、たたきの出番。青魚の匂いとしょうがや大葉の香りは確かに調和する。暑い時期の清涼剤にもなる爽やかさかだ。
食卓の熱気が高まったのは、「アジの三段活用」の2段目にあたるなめろうを出したとき。自分たちで作った味噌を使ったのだから盛り上がるのは当然だが、アジは主張し過ぎずに薬味と味噌と一体化している。これは、旨い……。
「刺身、たたき、なめろう。薬味は抜いても、アジの切り方でこんなに味が変わるんだね。こうして一度に食べるとよくわかる!」
切り方で味が変わる――。上田さんが聞いたら喜びそうだ。ギャルっぽかった我が従妹もすでにアラフォー。いいことを言う女性になったなあ。
3段目は、なめろうを一口サイズにまとめて大葉の上にのせた山家焼き。中火か強火でフライパンを熱し、表面を焦がすようなイメージで軽く焼いて、早めに取り出すのがポイントだと思った。従妹の彼氏くんが次のようにコメントしてくれたからだ。
「半生のほうがフワッフワでホロホロした食感を楽しめますね。なめろうよりも塩味を強めに感じます。酒の肴にも最高ですね」
なかなか鋭い味覚をしているな。栃木県宇都宮市出身の彼は『七水』という地酒を持ってきてくれた。旨味は豊かなのにさっぱりとした後味。まさにアジみたいな酒だな。一緒にどんどん飲んでいたら、宇都宮には餃子の他にも美味しいものがたくさんあるので今度案内しますと誘ってもらった。アジの三段活用は山家焼きで終わりだが、飲み食い好きの縁は限りなく広がっていく。

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大宮 冬洋(おおみや・とうよう)

フリーライター

1976年埼玉県所沢市生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職。退職後、編集プロダクションを経て、2002年よりフリーライターに。著書に『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せの見つけ方~』(講談社+α新書)などがある。2012年より愛知県蒲郡市に在住。趣味は魚さばきとご近所付き合い。

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(フリーライター 大宮 冬洋)
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