日銀は4月30日~5月1日に開催した金融政策決定会合で政策金利の据え置きを決めた。
金融政策決定会合とは、その名の通り、金融政策を決める会合で、年に8回、概ね1カ月半毎に開催され、今年は1月下旬、3月中旬、今回、6月中旬、7月下旬、9月中旬、10月下旬、12月中旬に予定されている。
今回は政策金利を0.5%で据え置いたわけだが、これは大方の予想通りであった。その理由は、「トランプ関税の影響で市場が混乱しているため」というわけではなく、ただ利上げを急ぐ理由がないからである。
第一に、インフレが加速する恐れがあまりない。そう言うと、コメを含めた食料品価格もガソリン代も上がっているのに、という疑問を持たれる向きもあろうが、日銀は金融政策を決める上でこれらの価格を対象としていない。
なぜなら、食料品の多く、そしてガソリンの原料である原油はほぼ全てが輸入であり、海外の相場は国内の金融政策では如何ともし難いためである。さらに言えば、コメを含めた食料品は天候に左右されるが、これも日銀の手の及ばないところである。
■消費者物価は依然として2%を上回る
では、金融政策の判断材料となる物価とは何なのか。まずは、代表的なインフレ指標である「消費者物価指数(CPI)」が挙げられるが、その中だけでも3つの重要指標がある。1つは食料品やガソリンなどのエネルギーも含めた全体を示す「総合」、もう1つは天候に左右されやすい生鮮食品を除いた「コア(生鮮食品を除く総合)」、最後の1つは、コアからエネルギーも除いた「コアコア(生鮮食品・エネルギーを除く総合)」である。
「総合」指数の最近の動きを見ると(図表1)、今年1月に前年比+4.0%まで上昇したあと、3月にかけて生鮮食品の価格が落ち着いたため+3.6%へ鈍化したが、それでも日銀の物価目標である2%を大きく上回っている。
生鮮食品を除いた「コア」も、1月の+3.2%から2月は+3.0%へ鈍化したが、3月は再び+3.2%へ伸びを高め、さらにエネルギーも除いた「コアコア」も、1月こそ+2.5%にとどまっていたが、3月には+2.9%へ伸びを高めるなど、いずれも2%を超えている。
ただ、コアやコアコアの最近の上昇は、コメを含めた食料品が幅広く値上がりした影響が大きく、その背景には、これまでの輸入食料やエネルギー価格の上昇が様々な製品やサービスの価格に転嫁されたこともある。
そのほか、政府による電気・ガス代の補助金の終了や再開も物価動向の見極めを難しくしている。つまり、海外での相場上昇により物価が押し上げられている部分が多く、政策的要因で振れが大きくなる面もあるということである。
■日銀の見る物価の基調は未だ目標の2%に届かず
そのため、日銀は、金融政策でコントロールできる国内の要因に限ったインフレ動向として「基調的な物価上昇率」を試算し、これを見て金融政策を判断している。残念ながら、この「基調的物価」は公表されていないが、植田総裁によると現時点でもまだ2%には届いておらず、しかも当分は届かないとみているため、利上げを急がないということである。
第二は、前回1月の利上げから3カ月しか経っていないことである。その前の利上げは昨年7月であり、約半年の時間をおいた。日銀は、その大きな理由の一つに、金利の上昇が経済に与える影響を見極めることを挙げた。
欧米における一般的な利上げペースは、1~2カ月毎、様子を見るとしても、せいぜい3カ月程度であるが、日本の場合、長らくマイナスないしはゼロ金利の時代が続き、現役世代のうち「金利のある世界」を知らない人が半数以上を占めるようになった。
そのため、慎重に利上げを進める必要があったわけだが、利上げの間隔を前回の半年から3カ月に短縮すれば、日銀が利上げを急ぎ始めた、というメッセージとして受け止められかねない。したがって、特段の理由がない限り、金融市場でもコンセンサスになりつつある「半年に一度」という利上げペースを変えない方が良いとの判断もあったと考えられる。
■円安の修正も利上げを急がない一因に
第三は、行き過ぎた円安の修正が進んでいることである。
この時点での実際のドル円相場は150円台であり、それが140円台になったところで、企業の採算ラインを基準とすれば依然として円安水準である。したがって、「円高」と言うよりも「円安の修正」と表現する方が適当であろう。
それはさておき、円安の進行時は、それが輸入物価の上昇を通じて国内物価の押し上げにつながるため、日銀は行き過ぎた円安に対して、利上げによる円安の修正を迫られることがあった。これまでの常識では、為替の動向が金融政策の判断材料とされることはなかったが、昨年7月の利上げ時に、筆者の知る限り初めて円安の進行を利上げの判断材料とした。
その後も、1ドル=150円を超える円安進行時には、日銀に利上げのプレッシャーがかかりがちだった。ところが、トランプ政権誕生後は、その不透明な政策がドル安圧力、つまり円安の修正につながり、日銀に対する利上げ圧力は影を潜めている。
■日銀はトランプ関税の影響をどうみたのか
以上の理由で現状維持となったが、先述の通り予想された結果であり、今回の注目は、専らトランプ関税の影響を踏まえ、日銀が日本経済や物価の先行きをどうみているのか、であった。今後の金融政策を見通すうえでの大きなヒントになるからである。
日銀は、金融政策決定会合の2回に一回、1、4、7、10月の3カ月毎に、経済・物価の見通しをまとめた「経済・物価情勢の展望」、通称「展望レポート」を公表する。今回は、その発表のタイミングであり、トランプ関税の影響を見通しにどう織り込むのか注目された。結果は、トランプ関税の影響により今年と来年のGDP成長率が下方修正され、物価上昇ペースも鈍化するというものであった。
具体的な数字で確認すると(図表2:日銀政策委員の大勢見通し)、2025年度の成長率見通しは、前回1月には中央値で前年比+1.1%だったものが今回は+0.5%へ0.6%ポイントも引き下げられた。
続く2026年度についても、前回の+1.0%から今回は+0.7%へ0.3%ポイント引き下げられている。つまり、日銀はトランプ関税によって日本のGDPが2年間合計で0.9%減少すると予想したわけである。
■デフレに後戻りするリスクが高まる可能性
特に注目すべきは、2025年度の成長率が+0.5%まで引き下げられたことであろう。日銀の試算によると、日本の潜在成長率(供給力の伸び)は2024年10~12月期時点で0.66%であり、それを下回る成長率は供給力が需要を上回りデフレ圧力がかかることを意味する。つまり、デフレに後戻りするリスクが高まる可能性を示していることになる。
実際に、日銀は消費者物価の見通し(中央値)を「コア」で2025年度について前回1月の前年比+2.4%から+2.2%へ、2026年度についても+2.0%から+1.7%へ引き下げた。展望レポートは「この間、消費者物価の基調的な上昇率は、成長ペース鈍化などの影響を受けて伸び悩む」としており、景気の減速で物価の上昇ペースが抑えられると説明している。
さらに、今回から見通しの対象となった2027年度のコアも前年比+1.9%と予想、「見通し期間後半」になってようやく「『物価安定の目標』と概ね整合的な水準で推移する」とした。この表現は前回と同じであるが、今回から見通し期間が1年延びているため、物価目標の達成時期も1年先送りされたと考えて良いだろう。
■今後も利上げを続けるのか
このように、景気の減速が見込まれる中で、日銀は利上げを続けられるのか、という声があるのは極めて自然であろう。
今回の会合後の記者会見で日銀植田総裁は、利上げ姿勢を維持する理由を問われ、「見通し期間内に基調的物価が2%に大体到達するという見通しが維持されている」と答えた。
補足すると、日銀は現在の金利水準が経済情勢に対して低過ぎると判断していることも、利上げ継続の理由となる。今回の展望レポートでも「現在の実質金利がきわめて低い水準にある」との判断が示されている。さらに、今後、「基調的な物価上昇」が足踏みしたとしても、その先に2%に達することに自信が持てれば、利上げをする可能性があるともしている。
ただ一方で、基調的な物価上昇率が伸び悩んでいるときに、無理に利上げをすることは考えていないともしている。要するに、利上げのタイミングをうかがう状況が続くものの、トランプ関税の影響が見通し難い状況下にある限り、これまでよりは慎重に利上げを判断するということであろう。
■次の利上げはいつか
そのため、これまで筆者を含め多くのエコノミストや市場関係者が予想していた7月利上げの可能性は低下したと考えざるを得ない。ただし、トランプ政権が各国個別に課す「相互関税」の10%を超える部分については、適用の猶予期間が7月8日であり、それまでに関税が引き下げられる方向で日米間の交渉がまとまる可能性がある。7月の決定会合は、その半月ほど後の30~31日に予定されており、それまでに米国が日本に課す関税について何らかの結論が出ている可能性は十分にあろう。
植田総裁も会合後の記者会見で、利上げを急がなければいけない可能性について聞かれた際に「トランプ大統領が関税をゼロにするとか、あるいはきわめて低い水準で満足するというオプションが取られたときに」起こり得ると答えており、トランプ関税が日銀の想定より低いところで早期に決着すれば、7月の利上げすら可能性がないとも言えない。また、植田総裁は、物価目標の到達時期が後ずれするからと言って、利上げの時期が同じように後ずれするわけではない、ともしている。
したがって、強いて次の利上げ時期を予想するなら、1年以内という答えが適切なのであろう。
■利下げの可能性はあるのか
もちろん、トランプ関税とその影響次第では、利下げに転じる可能性もあろう。猶予期間のうちに日米の交渉がまとまらず、相互関税が引き上げられれば、関税のダメージに加え、不透明感が一段と強まり、日本経済も後退色を強める恐れがある。
日米の関税交渉は6月中の首脳会談開催による決着が一つの目安とされている。その結果次第で、トランプ関税の前提は変わり得る。植田総裁は、展望レポートのタイミングではなくても、経済・物価の見通しを修正すると明言した。そのため、6月16~17日に予定される次回決定会合の時点で、対日トランプ関税について何らかの結論が出て、それを反映して経済・物価の判断がどのように修正されるのか、まずは注目される。
いずれにしても、当分の間、トランプ関税次第で利上げも利下げもあり得る、極めて不確実性の高い状況が続き、その間、金融政策の先行きを巡って長期金利や為替相場が乱高下しやすいことを覚悟しておくべきだろう。
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武田 淳(たけだ・あつし)
伊藤忠総研社長・チーフエコノミスト
1990年3月、大阪大学工学部応用物理学科卒業、2022年3月、法政大学大学院経済学研究科修了。1990年4月、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。第一勧銀総合研究所(現みずほ総合研究所)、みずほ銀行総合コンサルティング部などを経て、2009年1月、伊藤忠商事入社、マクロ経済総括として内外政経情勢の調査業務に従事。2019年4月、伊藤忠総研へ出向。
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(伊藤忠総研社長・チーフエコノミスト 武田 淳)