■「人類の文明は崩壊しようとしている」マスク氏の独特な危機感
世界最大のSNS「X」を所有するマスク氏だが、その育児観の根底には、一般とかけ離れた特異な思想があるようだ。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、イーロン・マスク氏は自分の子どもたちを古代ローマの軍隊になぞらえ、「軍団(レギオン)」と呼んでいるという。同紙は、マスク氏が人口減少で「黙示録」を迎える(文明が崩壊する)との強い危機感を抱いていると伝えている。
この独特な危機意識は、プライベートのメッセージにも表れている。同紙によるとマスク氏は、元恋人のアシュリー・セント・クレア氏に、「黙示録が訪れる前にレギオンのレベルに到達するには、代理母が必要だ」などとメッセージを送っていた。
マスク氏はこの考えを繰り返し主張している。ウォール・ストリート・ジャーナル紙と豪ニュースメディアのnews.com.auは、マスク氏が自身のXに「出生率の低下により文明は滅びる」などと投稿したと指摘する。
昨年はマスク氏は、サウジアラビアの投資会議で「各国は出生率を最重要課題と考えるべきだ。新しい人間がいなければ人類は存続できず、どんな政策も無意味になる」と語った。
■インフルエンサーとの子どもをめぐる法廷闘争
まるで世界の未来を変えようとしているかのようなマスク氏だが、そのユニークな「子孫繁栄計画」は、ついに裁判沙汰に発展した。
英タイムズ紙によると、26歳の保守系インフルエンサー、アシュリー・セント・クレア氏は、マスク氏との間に生まれた息子を認知するよう提訴。
マスク氏は巨額の金銭でねじ伏せようとしたようだ。米フォーブス誌とウォール・ストリート・ジャーナル紙は、マスク氏がセント・クレア氏に対し、子どもについて口外しないことを条件に、1500万ドル(約21億円)の一時金と月額10万ドル(約1400万円)の養育費を提示したと報じた。
セント・クレア氏がこの提案を拒否すると、マスク氏は養育費を月額4万ドル(約570万円)に減額。さらにウォール・ストリート・ジャーナルの記事公開後には2万ドル(約280万円)にまで切り下げたという。
マスク氏が父親であることは、科学的証拠から明確に裏付けられているという。英インディペンデント紙によれば、親子鑑定でマスク氏がロムルス君の父親である確率は「99.9999%」と判明。セント・クレア氏の弁護士ドロア・ビケル氏は同紙に「支払い減額のタイミングは、親子鑑定と口止め命令について意見が対立した時機と一致している。金銭が武器として使われているとしか考えられない」と批判した。
■面識のない女性に「母親になって」と勧誘
マスク氏の子孫増殖計画は、ネット空間にも拡大している。ウォール・ストリート・ジャーナル紙と米ハフポスト紙は、マスク氏が自身の運営するSNS「X」を通じ、子どもを産む女性を探していると伝えた。両紙によるとマスク氏は、一度も会ったことのない暗号通貨インフルエンサーのティファニー・フォン氏に、子どもを産んでほしいとダイレクトメッセージで誘いかけたという。
断った女性には、経済的な報復が待っていた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とインディペンデント紙は、フォン氏がマスク氏の提案を断るとフォローを解除され、Xでの収入が急減したと報じた。インフルエンサーにとって致命傷だ。フォン氏はXの収益分配制度を活用し、マスク氏との交流が盛んだった2週間に、2万1000ドル(約300万円)を得ていたという。
マスク氏の複雑な「家族帝国」を仕切るのは、彼の腹心だ。ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、マスク氏に古くから協力してきたジャレッド・バーチャル氏が子どもの母親たちとの交渉を担当しているという。バーチャル氏はマスク氏の「家族事務所」を運営しているほか、最近ではドナルド・トランプ現大統領の選挙支援に向け、2億5000万ドル(約360億円)超の資金調達に関わった人物だ。
この統率体制には明確な「原則」が存在する。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、バーチャル氏がセント・クレア氏との2時間の電話で「プライバシーと機密保持が、いかなる場合も彼の生活の最優先事項だ。彼の世界は実力主義で動いている」と語ったと報じた。同紙によれば、バーチャル氏は「優れた仕事をした人」に「見返りがある」と述べたという。
反対に、マスク氏の指示に従わない母親には厳しい罰が待っている。
■母子を住まわせる拠点
マスク氏の野心は、すでに物理的な「拠点」を建設する段階にまで広がっているようだ。
news.com.auによると、マスク氏はテキサス州オースティンで互いに隣り合った複数の豪邸と敷地を買い取り、子どもたちとその母親たちが共に暮らす拠点を作ろうとしているという。この場所は彼の私邸からも近く、SpaceX、テスラ、Xの施設が集まるシリコンヒル産業地区にも近接している。
すでにこの「拠点」の住人となった人々がいる。フォーブス誌とインディペンデント紙によると、マスク氏の脳インターフェース企業ニューラリンクの幹部、シボン・ジリス氏が、マスク氏との間に4人の子どもをもうけ、「特別な地位」を与えられているという。ジリス氏はすでにこの拠点内の警備員が配置されたコミュニティに子どもたちと住み、マスク氏も同施設を「行き来している」とインディペンデント紙は報じている。
だが、すべての母親がこの共同生活を受け入れているわけではない。タイムズ紙とインディペンデント紙によると、カナダ人アーティストのクレア・グライムス・ブーシェ氏は、マスク氏との間に3人の子どもを持っているが、親権を巡る裁判に発展した。グライムス氏はオースティンの拠点への移住を拒否している。
セント・クレア氏も同様の誘いを断った。
■「男は戦争のためにいる」「帝王切開で脳が発達」
マスク氏の子育て論には、科学的根拠が怪しい独自の理論が散見される。
タイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙は、マスク氏がセント・クレア氏に帝王切開を勧める一方、子どもへの割礼を控えるよう求めたと報じた。マスク氏は帝王切開により脳の発育が促されると主張したという。また、ユダヤ教徒のセント・クレア氏にとって割礼は重要な儀式だったが、マスク氏はこれを拒否したという。
マスク氏はXに、「確かに他の要因も関係しているでしょうが、帝王切開を多用することは、脳の大きさを拡大させる要因になっています。なぜなら、脳の大きさは歴史的に、産道の径によって制限されてきたからです」と投稿している。
独自の理論を提唱する一方、男女の役割分担においては旧態依然とした振る舞いが目立つ。news.com.auとウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、マスク氏はセント・クレア氏へのメッセージで、「歴史上、女性だけの強力な軍隊は存在しなかった」と強調。さらには、「男は戦争のために存在する。本物の男はね」とも加えたという。
■マスク氏が火星移住を計画する理由、米紙の指摘
所有するSpaceXを通じて宇宙進出を進めるマスク氏だが、根底に流れる思想は最先端の科学と真っ向から矛盾しているようだ。
インディペンデント紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙は、マスク氏が子孫繁栄を火星移住計画にも結びつけて考えていると報じた。マスク氏はXで、「人類と、私たちが知っているすべての生命が長期的に生存するためには、多惑星化する(火星など地球以外に進出する)ことが不可欠だ」と述べている。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、マスク氏の主要企業がすべて移住計画のために存在するとも取れる、との見解を示している。
記事はマスク氏の理念として、人口減少の危機にある地球文明を救うこと、およびレギオンを通じて高い知性を持つ人間を地球上に増やすことが挙げられると指摘。そのうえで、「彼の複数の事業は、そうした理念を実現するために設立された。SpaceXの主な目的は、火星に到達可能なロケット船を建造することであり、電気自動車メーカーのTeslaなど彼の他の企業は、その計画に資金を提供している」と論じている。
■英紙「まるで女性を歩く子宮扱い」と猛批判
壮大な目標を掲げるマスク氏だが、その女性観に厳しい批判が集まっている。英ガーディアン紙は、マスク氏が女性を「自己中心的な野望を達成するための、歩く子宮」としか見ていない、とする批判的記事を掲載した。
同紙のコラムニスト、アルワ・マハダウィ氏は「マスク氏と同じ行動を、もし女性がとったらどうなるか、想像もできない。フォックス・ニュースで袋叩きにされ、ひどい母親だという批評が溢れかえるはずだ」と指摘した。フォックス・ニュースは共和党寄りの報道で知られる。
そもそもマスク氏が懸念する人口減少問題は、実際のデータとかけ離れているとの指摘もある。ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、デイビッド・フォン・ドレーレ氏はマスク氏の恐怖を「終末論的」と一蹴した。
同氏は「世界人口は膨大で急増している。戦争、飢餓、疫病、避妊があるにもかかわらず、現在80億人以上が地球に暮らし、半世紀後には約100億人に達する見込みだ」と述べる。
■子孫繁栄計画に見える“歪んだ倫理観”
影響力が大きいマスク氏だけに、こうした行動は関わった女性たちとの個人間での問題にとどまらず、社会全体に影響を及ぼすおそれがある。奇しくもマスク氏は、Tesla株の急落を受け、積極的に関与していたトランプ政権と一定の距離を置く方針を表明した。だが、仮に要職に留まっていれば、人口減少を阻止するため優秀な軍団を増殖させるべきとの持論が、アメリカの政策決定に一定の影響を及ぼしていた可能性も否定できない。
問題の根底には、権力と金をほしいままにするマスク氏の強固な立場があるだろう。子供をもうけるよう女性に持ちかけた末に、あるときは父親として認知することを拒み、金銭で口を封じようとする。女性に優劣を付け、自身の帝国内での立場に変化を付ける「実力主義」を押し通す彼だが、権力で女性を支配しようとしているとのそしりは免れない。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によるとマスク氏は、「教育を受けた人々がもっと子どもを持つことが重要だ」と周囲に繰り返し語り、自身の軍団の存在を正当化していたという。一方でワシントン・ポスト紙は、マスク氏の「子孫の軍団」計画について言及し、火星移住構想と同様に現実味に欠けると指摘している。
人類が存続の危機にあると訴え、軍団の増殖と火星移住で解決するという独自の世界観を語るマスク氏だが、果たしてどこまで社会に受け入れられるだろうか。
彼はTesla、SpaceX、ニューラルリンクなど数々の先進的企業を率いるほか、ChatGPTのOpenAIの黎明期も支えている。実業界の名手としてその経営手腕は高く評価されているが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が指摘するように、こうした企業に自身の子孫繁栄計画の資金調達役を担わせる目論見があったのだろうか。
仮にそうであれば、科学技術を活用する一流企業の立役者との名声とは裏腹に、何やら薄ら寒いものを感じざるを得ない。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)