■「クルド人密着番組」はなぜ延期されたのか?
NHKが4月5日に、埼玉県川口市のクルド人について放送したドキュメンタリー番組「フェイクとリアル~川口 クルド人 真相~」が偏向しているとして批判され、NHKが再放送を延期したという話を、産経新聞が報じた。番組は、クルド人問題を「フェイク」「ヘイト」と一面的に捉えた描き方で、「産経ニュース」のニュース画像が、出典を記述することもなく無断で使われていた。
あたかも産経記事がヘイト投稿を助長したかのようだったと同紙は主張している。
この番組を私は見ていないが、クルド人問題は日本で起こっていることなので、報道が真実とかけ離れていれば、気づく人が必ずいる。そして、その人たちが声をあげれば、NHKは間違いを修正せざるを得なくなる。
しかし、もしこれが異国についてのドキュメントであったなら? おそらく多くの人はその内容を、疑うことなく信じてしまうに違いない。
■「極右」「ナチ」と呼ばれる人気政党の正体
さる1月21日、やはりNHK(BS)が夜10時45分より、「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」という50分ほどの番組を放映した。英米が共同で制作したもので、内容はドイツのAfD(ドイツのための選択肢)についてのドキュメント。ある米国人ジャーナリストがドイツに渡り、AfDの周辺を取材するという体裁だった。
AfDというのは、2013年、ドイツの経済学者らが、EUの金融政策に抗議して作った党だった。ただ、その後、15年9月以来、メルケル首相が行った無制限な難民受け入れを批判したことで、急に注目を浴びた。それを機に、当初よりAfDのポテンシャルを強く警戒していた他党が、AfDに「反民主主義」、「極右」、「ナチ」等々のレッテルを貼り、メディアと共に激しく弾劾し始めた。
しかし、それから10年、国民が皆、それに踊らされたわけではなかった証拠に、AfDは着実に支持者を増やし続け、今年の2月末の総選挙ではついに第2党の座に躍り出た。NHKが前述のドキュメントを流したのは、その選挙のちょうど1カ月前だった。

ただ、見てみたら、このドキュメントはあまりにも酷く、どう贔屓目に見ても、内容は半分しか真実ではない。例えば、この番組の中で大きく取り上げられた、いわゆる“ヴァンゼー会議2.0”。
■「国家転覆のための密会」として大批判
これは昨年11月、ベルリン近郊のポツダムのホテルで、AfD(ドイツのための選択肢)の党員ら「悪しき思想の持ち主」25人が秘密会議を開き、ドイツ国内にいる何百万人もの外国人を国外に追放するための計画を練ったという話。ちなみにヴァンゼー会議というのは、1942年1月、ナチの幹部らがベルリンのヴァンゼー湖畔で、ユダヤ人を国外に移送すると決めた会議だ。
この忌まわしい“謀議”を嗅ぎつけたのがコレクティーヴというNPO(非営利団体)で、彼らがHPに「国家転覆のための密会」としてアップしたレポートを、主要メディアが大々的に報じ、それを受けたショルツ首相が、「恐ろしい計画が進行している」と国民にビデオメッセージまで発信。その後、あちこちで、政府の要人までが加わった反AfDのデモが繰り広げられた。そしてそれをメディアが毎晩、「勇気ある国民行動」とトップニュースで鼓舞したのだ。
なお、コレクティーヴは政府のお金は受け取っていないと言いつつ、実は、間接的なものを含めると社民党と関係の深い筋からの寄付が多い。一番有名なスポンサーは、ジョージ・ソロス氏のオープン・ソサエティ財団と言われる。
■裁判所は誹謗中傷を認めたが…
ただ、実際には、この会合は秘密でも何でもなく、普通のレストランで行われた私的な会合だったため、参加者の1人であった保守派の弁護士がコレクティーヴを誹謗中傷で訴えた。その途端、“ヴァンゼー会議2.0”の信憑性はたちまち溶解し、裁判所が、原告の主張をほぼすべて認めた。
ところが、前述のドキュメントでは、コレクティーヴのレポートのみを真実のように取り上げ、しかし、その後、それが司法により覆されたことには一切触れなかった。
もちろん、コレクティーヴの名前も、その素性も。要するに、製作者の意図は明らかにAfDの誹謗と悪魔化。ただ、それが、見た人は皆、絶対に信じるだろうと思われるほど、極めて巧みになされていた。
■テロリストではなく、“政敵”潰しに躍起
また、このドキュメントの中で、キーパーソンの一人となっていたのが、チューリンゲン州の憲法擁護庁のトップであるシュテファン・クラーマー氏だった。
話を進める前に、まず憲法擁護庁とは何かということを説明しなければならない。これは国内向けの諜報機関で、テロの計画や政府転覆の企てなどがなされていないかを監視するのが仕事だ。
ただし、内務省の下部組織で、独立機関ではない。連邦(国)の内務省の下に連邦の憲法擁護庁が、加えて16各州政府の内務省の下に、それぞれの州の憲法擁護庁が設置されている。そして、それらがここ数年、ナンシー・フェーザー前内相の命により、本来の使命であるテロリストの摘発や治安保持はそっちのけで、AfD潰しに没頭していた。
フェーザー内相の信条はというと、左というより極左に近いのではないか。21年12月以来、ショルツ政権の中で絶大な権力を振るい、左でないものはすべて極右、つまり違法として罰しようと努力してきた。その氏の最大の目的が、AfDの撲滅だったと思われる。

■「正義の味方」のように描かれているが…
チューリンゲン、ザクセン、ザクセン=アンハルトの3州はAfDが非常に強く、中でもチューリンゲン州ではAfDが州議会における最大の会派だ。それを何が何でも潰そうとしているのが同州の憲法擁護庁で、同庁はここのAfD支部にすでに極右の「疑い」をかけている。「疑い」というのは「確定」の前段階で、その次が「禁止」だ。
AfDチューリンゲン支部の代表である超人気の政治家、ビヨン・ヒョッケ氏は「疑い」ではなく、すでに極右政治家と確定され、2020年からは憲法擁護庁の監視対象となっている。そして、これを指揮しているチューリンゲン州の憲法擁護庁のトップが、前述のNHKのドキュメントで正義の味方として描かれていたクラーマー氏だった。
ただ、私の目には、クラーマー氏は正義の味方どころか、極左のアウトローのように映る。あるいは、AfD狩りの汚れ役を演じるために抜擢された刺客? しかし、フェーザー内相にしてみれば、全国各州の憲法擁護庁は、このクラーマー氏を手本にAfD狩りをするべきなのだ。
■NHKはしっかり調べているのか
だから、クラーマー氏はどんなに理不尽な方法でAfDの議員を迫害しようが、また、AfDの支持者を“茶色い滓(かす)(茶色はナチの色とされている)”と冒涜しようが、一切お咎めなし。フェーザー内相という守護神の威力は絶大だった。一方、彼の横暴や脅しに耐えられず部下が全員辞めてしまい、後任者も居ついた試しがないということなどは、ドキュメントではもちろん一切言及されなかった。一時が万事このようだったので、放送を見た私がどれだけ驚いたか、読者の皆さんも想像してくださると思う。
米英が共同でこのようなプロパガンダ動画を作成する意図がどこにあるのかはわからないが、それよりも、NHKがこんな偏向“ドキュメント”を放映してもよいものか。
ここで語られている内容に真実ではないことが多く散りばめられていることは、ほんの少し調べればわかるはずだ。
■全体主義がゆるやかに進行している
そもそも憲法擁護庁には、法的には、ある党を極右などと政治犯扱いする権限など備わっていないという。つまり、フェーザー内相は自分たちにとって目障りな政敵を無きものにするため、自分の権限と国民の税金を使い、憲法擁護庁に平気で越権行為をさせていると見られても仕方がない。しかも、AfD以外のすべての政党と政治家がそれを黙認。私は数年前から、ドイツではソフトな全体主義が進行していると主張してきたが、それが現実になり始めている。
ちょうどこの原稿を書いていたとき、新たなニュースが飛び込んできた。5月2日、フェーザー内相が、憲法擁護庁が全国すべてのAfD支部を極右と認定したと発表したのだ(前述のように、これまでは3州の支部のみが極右と認定されていた)。
理由は、人権を無視した極右思想だそうで、1100ページにも及ぶ証拠があるというが、肝心のその証拠は開示できないそうだ。これまでもAfDは極右と言われながら、どこが極右かわからないまま、皆がそれを信じさせられてきたが、政府はこれからもその方針を続けられると思っているのだろうか?
それに対し、ただちにAfDが所轄の裁判所にその決定の停止を求めた結果、それが認められ、最終的な判決が出るまで、AfDを極右と呼ぶことが禁止された。司法が憲法擁護庁の動きにブレーキをかけたわけだ。しかし、時すでに遅しで、5月11日は、政府の支援を受けた左翼団体がデモを打ち、「AfDを即時禁止政党にせよ」と呼びかけていた。
■辞任直前の権力者が仕掛けた一手
ただ、驚くのは、フェーザー前内相が、AfDの運命を左右するこの重要な決定を、新政府が成立する3日前、つまり、自分が任を退く3日前に下したことだ。
そして今後、この件は、5月6日に成立したフリードリヒ・メルツ氏の新政権に引き継がれるわけだが、AfDを好きか嫌いかは別として、これはさすがにやり過ぎ。このまますんなりいくとは思えない。
当然、国民、独立系メディアのジャーナリストをはじめ、多くの法律学者が、これはドイツを法治国家から逸脱させる出来事だとして一斉に声をあげた。同時に米国からも、ルビオ国務長官や、ヴァンス副大統領といった大物によるドイツ政府への鋭い批判が飛んできた。
2月にミュンヘン安保会議でヴァンス氏が、EUの権力者らが言論の自由を抑圧していると主張したとき、内政干渉だとして腹を立てた国民も、今では、やはり彼らに分があったのかも、と思い始めているのではないか。
■世論調査では首位政党を争うまでに
最近の世論調査ではAfDの支持者は優に1000万人を超えており、CDUと支持率の首位を熾烈に競っている。私の目に映るAfDの支持者は極右とも反民主主義とも程遠く、単に極端なグローバリズムや、ドイツのこれ以上の左傾を嫌っているだけで、家族や伝統を大切にしているごく普通の人々だ。彼らがAfDの政治家とひとまとめで極右思想の持ち主にされてしまうなど、こちらのほうが反民主的だ。
ただ、ドイツの場合、今、これらの動きにブレーキをかける政党がない。なぜなら、このままいけば、次の総選挙でAfDが第1党になることはほぼ確実と見られており、すべての政治家がそれを望んでいないからだ。だから誰かが、AfD潰しは民主主義を守るためと主張すれば、皆がもっともらしく頷く。その歪んだ状況に関しては、新政府でも大して変わりがないだろう。
それどころか、これまでも大学や官庁や自治体では、職員がAfDの支持者だという理由で解雇されてきたが、それが今後、さらに堂々と通用するようになることもあり得る。
日本では知られていないが、実は、ドイツではすでに言論の自由がかなり制限されている。先日、あるジャーナリストが、フェーザー氏が「私は言論の自由が嫌いです」と書いたプラカードを持っている合成写真を投稿したら、フェーザー氏に訴えられて、なんと懲役7カ月の判決となった。どこから見ても風刺であったが、ドイツでは、与党の政治家に対しては風刺はすでに通用しない。
■与党と左派NGOがグルになるドイツの歪み
ある年金生活者がXで、シャンプーのコマーシャル写真に細工をして、ハーベック経済・気候保護相(緑の党)は「頭が弱い」とからかったら、やはりハーベック氏に侮辱罪で訴えられた。ちなみにハーベック氏は3年半の任期の間に、800回以上、ベアボック外相(緑の党)は500回以上も国民を侮辱罪で訴えている。
しかも、それがしばしば有罪となり、罰金を課せられるため、今では国民は与党批判のコメントさえ控えるようになった。一方でAfD叩きは、どんなに卑怯なものでも一切お咎めなしという信じられない状況が定着している。
民主主義の根幹は言論の自由であり、民主主義崩壊の過程で、まず制限されるのが言論だ。そして、それが進めば世の中は監視社会となり、自ずと全体主義化する。短絡的な政治目的のために言論の自由を制限すれば、必ずあとでその報いが来るだろう。
それだけに、今回NHKで放映された“ドキュメント”には、大きな疑問を感じる。他国のことはそうでなくてもわかりにくい。だからこそ、公平な情報が提供されることを願ってやまない。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)

作家

日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。

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(作家 川口 マーン 惠美)
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