■水痘帯状疱疹ウイルスとは何か
水痘帯状疱疹ウイルスは、帯状疱疹の原因となるヘルペスウイルスの一種です。このウイルスは、多くの人が子どものころにかかる水ぼうそう(水痘)の原因ウイルスでもあります。水ぼうそうが治った後も、ウイルスは完全には消えません。神経(脊髄後根神経節など)に潜伏し、何十年も静かに過ごします。
しかし、加齢やストレス、病気などで免疫機能が下がると、ウイルスが再活性化して神経を伝って皮膚に現れることがあります。これが帯状疱疹です。神経の支配領域に沿って、水疱が帯のように現れるので、「帯状」疱疹と呼ばれます。何より特徴的なのが「激しい痛み」です。
帯状疱疹は軽症例もありますが、多くの人にとってすごく痛い病気です。急性期は抗ウイルス薬による治療を行いますが、皮膚症状が治っても、神経の損傷によって「帯状疱疹後神経痛」という慢性的な痛みが残ることもあります。寝返りや衣服のこすれでも痛むという例も少なくありません。
■二種類の帯状疱疹ワクチン
そんな帯状疱疹には、予防する手段としてワクチンがあります。現在、日本で使われているのは、病原性を弱めたウイルスを使う「生ワクチン」と、ウイルスのたんぱく質の一部だけを使った「組換えワクチン」の二種類です。私自身は無料になる定期接種の対象外ですが、50歳を超えた時点で自費で組換えワクチンの接種を受けました。2万円前後×2回とやや高額ではありますが、ワクチンから得られる利益と害とを勘案し、受ける価値は十分にあると判断しました。
組換え帯状疱疹ワクチンには有効率約97%という高い予防効果があり、50歳以上の人で帯状疱疹の発症を大幅に減らせることが臨床試験で示されています(※1)。生ワクチンと比べて、高齢者でも有効性は高く、年齢による効果低下が小さいのも特徴です。副反応として接種部位の腫れや発熱はありますが、それを上回る効果が期待できます。
一方、生ワクチンは有効率が50%程度とやや劣り、海外では組換えワクチンに切り替えられつつありますが、長年の使用実績があり、安全性に関するデータも蓄積されています。私は組換えワクチンをおすすめしますが、好みで生ワクチンを選んでもよいでしょう。
※1 Efficacy of an adjuvanted herpes zoster subunit vaccine in older adults - PubMed
■帯状疱疹ワクチンと認知症予防
ここからが今回の本題です。近年、帯状疱疹ワクチンを接種した人は、帯状疱疹だけでなく認知症になるリスクも下がっているという観察結果がいくつも報告されています。その中でも特に注目されたのが、2025年に英国ウェールズで行われ、『Nature』誌に掲載された大規模な研究です(※2)。
これまでも帯状疱疹ワクチンを接種した人は接種していない人に比べ、認知症の発症率が低いとする研究が複数報告されています。ただし、そうした研究はあくまで何らかの関連があるという「相関関係」を示すものであり、ワクチンのおかげで認知症にならなかったという「因果関係」は断定できません。
そもそも、一般的にワクチンを接種する人は健康意識が高く、学歴や収入といった社会経済的な条件にも恵まれている傾向があります。ワクチン接種者に認知症が少なくても、ワクチンのおかげではなく、そうした背景を持つ人が認知症になりにくいことを反映しているだけかもしれません。こうした背景の影響を減らすには、生活習慣や社会的な条件も含めて分析することが重要です。
※2 A natural experiment on the effect of herpes zoster vaccination on dementia - PubMed
■画期的な「回帰不連続デザイン」
最近では、背景要因を丁寧に調べた信頼性の高い研究も増えています。ただ、それでもすべての影響を完璧に取り除くことは難しく、見落とされた何らかの要因が結果に関わっている可能性は常に残ります。
そこで登場したのが「回帰不連続デザイン」という手法です。これは現実の制度や政策によって生じた境目を利用し、その前後を比較するというもの。今回の研究では、イギリス・ウェールズで1933年9月2日以降に生まれた人が接種対象となった帯状疱疹ワクチンの定期接種化に着目しました。1933年9月1日生まれの人たちと翌日生まれの人たちは、誕生日がたった1日違うだけでワクチン接種の可否が決まる一方、健康状態や生活習慣などの要因にはほとんど差がないと考えられます。
こうした「偶然に近い違い」を利用して、ワクチンの効果だけを取り出して分析できるのがこの手法の強みです。その結果、ワクチンを接種したグループでは7年間の追跡期間中に認知症と診断される確率が有意に低く、約20%の相対的リスク減少が見られました。この効果は女性でより顕著だったといいます。
■認知症を予防するメカニズム
ひとつ注意すべきなのは、この研究で使われたのは組換えワクチンではなく、古くから使われている生ワクチンだったという点です。では、組換えワクチンだと認知症予防効果を見込めないのでしょうか。じつは別の観察研究によると、組換えワクチンを接種した人のほうが、生ワクチン接種者よりも認知症のリスクがさらに低かったという報告もあります(※3)。
もちろん、帯状疱疹ワクチンは認知症予防を目的として作られたわけではありません。なのに、認知症予防に効くとしたらなぜ効くのでしょうか。想定されているメカニズムのひとつは、ウイルスの再活性化を抑えることで、脳の炎症を防ぐという働きです。この場合、組換えワクチンで認知症がより予防できたことを矛盾なく説明できます。
帯状疱疹の原因ウイルスは、脳や神経に炎症を引き起こすことがあります。実際、ウイルスが再活性化して帯状疱疹を起こしたあと、一部の人では脳の血管に炎症が生じ、記憶障害や認知機能の低下を招くことがあると報告されています。
※3 The recombinant shingles vaccine is associated with lower risk of dementia - PubMed
■過度な期待は禁物だが損はない
ここまでの話を読むと、帯状疱疹ワクチンは帯状疱疹だけでなく認知症も予防できる「夢のワクチン」のように思えるかもしれません。しかし、医師としてひとつ強調しておきたいのは、これまでの研究だけではまだ、帯状疱疹ワクチンが認知症を予防すると言い切れるものではないことです。
また、認知症を予防するとしても、その効果は控えめです。相対リスク低下は20%ほど。つまりワクチンを接種しなかったら10人が認知症を発症するところ、ワクチンを接種することで認知症の発症を2人減らして8人にする程度です。
とはいえ帯状疱疹ワクチンは、つらい帯状疱疹と、後遺症として残る神経痛を予防するという点では確かな効果が証明されていて、それだけでも接種するだけの価値が十分にあります。加えて、認知症を予防できる可能性があるのならば、「もしかしたら!」と副産物を期待しつつ接種するのは悪くない選択ではないでしょうか。
なお、帯状疱疹ワクチンは定期接種を受ける方法もあります。日本では、2025年4月から65歳を迎える方が定期接種の対象で、1回接種の生ワクチンまたは2回接種の組換えワクチンのいずれか1種類を助成を受けて接種します。また、2025年度から2029年度までの5年間の経過措置として、その年度内に70、75、80、85、90、95、100歳となる方も対象です。
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名取 宏(なとり・ひろむ)
内科医
医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。
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(内科医 名取 宏)