※本稿は、今井むつみ著『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■同じ事実でも言い方で判断が変わる
バイアスの影響範囲は測定不能
イェール大学で心理学を教えているアン・ウーキョン教授は『イェール大学集中講義 思考の穴 わかっていても間違える全人類のための思考法』(花塚恵訳、ダイヤモンド社)の中で、さまざまな思考バイアスを解説しています。
たとえば、同じ事実でも言い方を変えるだけで判断が真逆にも変わってしまうのが、「フレーム効果(フレーミング)」です。ある手術を受けるかどうか迷っているとき、医師から、
「この手術の成功率は90%です」
と言われた場合と、
「この手術は10%の確率で失敗します」
と言われた場合では、手術を受けるかどうかの判断が変わってしまいます。どちらの言い方も、成功率は90%であるにもかかわらず、です。
あるいは、私たちの意思決定は、すでに支払って取り戻せないコスト(時間やお金)に影響を受けてしまいます(サンクコスト回収バイアス)。
典型的なのは、ギャンブルや投資です。これまでつぎこんだお金をあきらめられず、冷静に、合理的に考えればとてもリスクが高いかけ事や投資に、さらにお金をつぎこんで、損を膨らませてしまうのです。
このように、思考バイアスを探せばキリがなく、「人間は思考バイアスの塊」といっても過言ではないのです。
■バイアスは負の側面だけではない
バイアスは人間の種としての生存戦略?
ここまで話してきたように、思考バイアスにはたしかに多くの負の側面があります。しかしそれでも、悪いことばかりではありません。人間が学習し、知識の体系を創っていくためには何らかの思考の偏りが必要です。
私が主に研究している乳児期の子どもであっても、実はいくつかの思考バイアスを持っていることが確認されています。
その一つは「対称性バイアス」です。「対称性バイアス」とは、「AならばBである」と聞いたときに「BならばAである」と推測してしまうバイアスで、しばしば因果関係の原因と結果を入れ替えてしまうものです。
このバイアスは、積極的なカテゴリ化を進めると同時にA→Bという結びつきを教えられたらB→A、A→Cと教えられたらC→Aなどの直接教えられていない結びつきを自力で学習することも可能にします。子どもはまさに「一を聞いて十を知る」を毎日して、ことばをものすごいスピードでおぼえています。これを可能にしているのは、この思考バイアスなのです。
■乳児期の子供が持つバイアス
乳児期の子どもが持っている代表的なバイアスのもう一つは、もの(の動き)に対して、合理性を想定するバイアスです。
乳児期の子どもには、見慣れないものやびっくりしたものを凝視する性質があります。たとえば、急に目の前をボールが横切れば、そのボールを凝視します。しかし、何度も同じボールが横切ると次第に慣れて反応しなくなります(慣れによって反応が弱くなることを「馴化(じゅんか)」といいます)。
同じボールでも、ルートが急に変われば、また驚いてボールを凝視するようになります。
さて、赤ちゃんが障害物を迂回するルートを通るボールに馴化しているとき、障害物をどかすとどういう反応になるでしょうか?
実は赤ちゃんは、障害物があったときの経路ではなく、最短の動きでゴールにたどり着くことを期待することがわかっています。これが、「もの(の動き)に対して、合理性を想定するバイアス」です。
■AIや動物にはないバイアス
これらのバイアスは、AIや動物にはないことがわかっているだけでなく、こうしたバイアスを経た学習が、子どもの母語の習得と密接に関わっているというのは、秋田喜美先生との共著『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)で述べた通りです。そこから考えれば、このような思考バイアスは、人間が学習する上で不可欠なものといっても過言ではありません。
なお、これらの思考バイアスは、「アブダクション推論」と深くつながっています。
アブダクション推論というのは、「正解が一義的に決まらない、論理の跳躍を伴う推論」であり、「ある種の非論理的な推論」です。
そのポジティヴな側面は知識の創造ですが、ネガティヴな側面は思考バイアスを伴う思考の誤謬です。前述の『言語の本質』以降、少しずつアブダクション推論についての理解が広がっているように感じていますが、思考バイアスにとらわれて論理を跳躍させてしまえば、その恩恵を受けるのは難しくなります。いわゆる「バイアスにとらわれて、偏ったものの見方や考え方をしている人」になってしまいかねません。
■バイアスは私たちにとって不可欠なもの
「バイアス=悪」ではない
ここまで、いくつかの思考バイアスについて説明をしてきました。自分を世界の中心と考えたり、自分に都合よく物事を解釈したり、きちんと考えなければいけないところをちょっとした印象などで決めつけてしまったりする態度は、「謙虚さが足りない」とか、「傲慢(ごうまん)であり、今すぐバイアスなく物事を見る方法を身につけなければならない」と思った方もいるかもしれません。
しかし、前述のように、バイアスは私たちが限られた認知能力で世界を捉え、学び、渡り歩いていくためには不可欠なものです。それを実感していただくために、仮にここで、「知ってるつもりバイアス」のない状況を考えてみましょう。
「知ってるつもりバイアス」がない――つまり、「身の回りのものについてその仕組みも含めて詳細に知らないと、そのものを使うことができない」――と、どういうことになってしまうでしょうか。
たとえばスマホ。スマホについて、日常で必要な使い方だけでなく、すべての機能どころか、そのメカニズムまで知らないと使えないとなったら、スマホを使える人は存在しなくなりますよね。私たちは機能もメカニズムも知らないその機械に、大切な個人情報を預けてさえいるのです。
■「自分の知識ではない」と自覚しておくことが大事
身の回りのことをその仕組みも含めて詳細に知ることは不可能ですし、もし、そういったことすべてを知らなければならないと考えているならば、それはものすごく不幸だと思いませんか?
スマホの構造を知らないからという理由で「自分は何も知らない、ダメな人間だ」と思って生きていたら、少なくとも自己肯定感は著しく下がるはずです。
いくら賢くても、いくら時間があっても、世の中のことすべてを理解することはできないものです。自分の精神を健全に保ち、日々をつつがなく暮らしていくためにも、「知ってるつもりバイアス」を持っていることは意外に重要だといえるのではないでしょうか。
くり返しになりますが、世の中のすべてのことを自分の経験として学んでいくことは不可能です。誰かの知識をマイナレッジ(自分の知識)と考えてしまうことで、結果としてうまく集団が回っていく、社会的に生活できる、ということもあるでしょう。大事なのは、それはほんとうは自分の知識ではないと自覚しておくことです。
自分自身でほんとうに知らなければならないことと、知らなくても他の人に頼ればいいことを、きちんと理解しておく。そして人に頼るならば、頼る相手を間違えない。もしかすると、そこが一番問題かもしれませんね。正しい人を見抜けず、知ったかぶりをしている人に頼ってしまうと、大火傷(おおやけど)することになってしまうからです。
なぜ人は、偏ったものの見方をしてしまうのか
・私たち人間には、数え切れないほどのバイアスが存在する。
・アルゴリズムや生成AIなど、人間の思考バイアスを助長する技術は実は多く、いつの間にか思考を手放してしまう危険性がある。
・「バイアス=悪」ではない。人間の学習に役立つ側面がある。
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今井 むつみ(いまい・むつみ)
慶應義塾大学名誉教授、今井むつみ教育研究所代表
1987年慶応義塾大学大学院社会学研究科に在学中、奨学金を得て渡米。1994年ノースウェスタン大学心理学部博士課程を修了、博士号(Ph.D)を得る。専門は、認知・言語発達心理学、言語心理学。2007年より現職。
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(慶應義塾大学名誉教授、今井むつみ教育研究所代表 今井 むつみ)