■日本に嫁いできた中国人妻が起こした殺人事件
その事件は、夜になると闇に閉ざされる千葉県の50戸ほどしかない集落で起きた。だが、そこから犯人の女が逃げ込んでいたのは、深夜も煌々と明かりの灯る東京の繁華街だった。
2006年3月、千葉県警は千葉県匝瑳(そうさ)郡(当時)に住む山口進さん(仮名、当時54)に対する殺人未遂容疑で、すでに別の容疑で身柄を拘束していた妻の山口麗奈(仮名、当時33)を逮捕した。
麗奈は中国・黒竜江省出身の中国人で、1993年10月に行った見合いによって、94年9月に21歳年上の進さんと結婚。以来、日本に帰化して日本名を名乗っている。
麗奈は04年4月に、通常の10倍にあたる量の糖尿病治療用のインスリンを、睡眠薬で眠らせた進さんに注射。進さんは血糖値低下による脳障害で意識不明となり、5年以上目覚めることなく、09年に死亡した。
犯行に使用されたインスリンは、麗奈が病院で知り合ったA子(逮捕時41)から、進さん殺害の成功報酬500万円を約束したうえで受け取っており、麗奈の再逮捕と同時期に、A子も殺人未遂容疑で逮捕されている(後に懲役8年が確定)。
■焼け跡から見つかった他殺体
麗奈と進さんとの間には、結婚直後から金銭面や、その後授かった2人の子供の養育についての揉め事が続いていた。近隣にある飲食店主は言う。
「あの女(麗奈)は、近所ではずいぶん評判が悪かった。結婚して越してきてすぐに、まわりの家に聞こえるくらいの金切り声を上げて、よく家族(夫やその両親)に文句を言っていたから。あと、両親が殺された時に火事になっただろ。その時も、近所の人たちはみんな消火に駆けつけたし、次の日とかは農作業を休んでまで火事場の後片付けを手伝ったんだよ。だけどあの嫁はお礼の挨拶一つしてこない。だからみんな、とんでもない嫁だと思っていたし、『あそこの嫁には近づくな』って感じで、ほとんど近所付き合いはなかった」
ここで「両親が殺された」との発言が出てくるが、麗奈が嫁いできた翌年である95年12月、進さんの実家の母屋が全焼し、焼け跡から進さんの父親(当時78)と母親(当時73)の他殺死体が発見されていたのである。
司法解剖の結果、父親は絞殺され、母親は撲殺されていたことが判明。両親と対立していた麗奈に疑いの目が向けられたが、事情聴取などで証拠は見つからず、事件は未解決のままだ。なお、この火災で進さんには1000万円を超える保険金が入っている。
■なにかあったら麗奈を疑うように
進さんの知人は言う。
「進はよく『麗奈はカネ遣いが荒い』とこぼしていました。『あいつは中国に家を建てた』とも話していて、ずいぶん中国に送金していたようです」
03年、麗奈が進さんとの間に生まれた2人の子供を連れて中国に帰省した際、子供たちをそのまま中国に残し、1人で日本に戻ってきた。
この傷害事件について、千葉県警は06年2月に麗奈を逮捕しており、同年3月の殺人未遂容疑での逮捕は、それに続くものである。
なぜこれほどまで逮捕に時間がかかったのかというと、進さんは、火傷をした際には警察に訴え出ていなかったのである。しかし、麗奈が自分に危害を加える可能性があることは周囲に伝えており、自分にもしなにかあったら麗奈を疑うようにと親族に訴えていた。
そして進さんが04年4月、当初は原因不明であったが、麗奈にインシュリンを打たれて植物状態になったことから、親族が警察に届け出たというのが一連の流れである。
■浅草で始めた「夜の商売」
捜査の目が自分に向けられたことを察知した麗奈は、千葉の家から逃げ出しており、06年2月の逮捕の際には、東京都台東区浅草にある風俗店で働いていた。
麗奈の実の妹が、知人の50代の男性に資金提供を受けて浅草で風俗店を開業しており、彼女はそこを頼ったのである。
じつは麗奈は千葉から逃亡してすぐに、約1000万円をかけて美容整形手術を受けていた。それは顔面のみならず、豊胸や腹部の脂肪吸引などにも及んでいたという。
そのようにして“別人”となった彼女は、妹のやっている風俗店「X」(仮名)で働き始めるのだ。麗奈の妹について知る人物は証言する。
「ルミ(仮名)を名乗る妹は、身長160cmくらいのスリムな体型で、ストレートのロングヘア。
ルミが「X」を始めたのは05年春のこと。その前には、日本で約3年間の風俗経験があったようだ。彼女の夫は甲信越地方に住んで会社を経営する日本人男性で、彼女自身は月曜から金曜は「X」に出て、週末だけ夫のいる家に帰るという生活を送っていた。
■働き始めてすぐにトラブル
この妹のルミが風俗店「X」を始めて約1カ月後に、麗奈は彼女を頼ってやってきた。そしてルミの共同経営者に50万円を借りて、「X」と同じマンションの同じフロアに、「X」のプレイルーム兼自宅として2DKの部屋を借りる。
「X」は501号室であったが、その部屋は503号室だった。麗奈はそこに寝泊まりしながら、源氏名「ナギサ(仮名)」として働くようになったのだ。浅草での麗奈を知る人物は言う。
「麗奈は最初に『X』に現れた時から、風俗の仕事に抵抗がない感じでした。外見は店の写真の通りで、服装とかはズボン姿が多く比較的地味なほうでしたが、美人でいい子だと評判で、予約がなかなか取れないほどの人気でした」
すでに記したが、麗奈は大金をかけた整形によって、過去の地味な容貌は捨て去り、夜の世界が似合う美女となっていたのである。
だが、彼女は妹の店「X」で働き始めて2~3カ月も経たないうちに、トラブルを起こしてしまう。麗奈は503号室を使って、「X」と同じ風俗店「P」(仮名)を立ち上げたのである。
その際の共同経営者は、埼玉県下で何軒もの風俗店を経営する男性で、「X」の客として麗奈と出会い、彼女を気に入ったことから共同経営を持ちかけたと見られている。
■警察が気づいた特別サービス
麗奈は「P」を立ち上げるにあたり、「X」にいた女の子を引き抜くなどもしたため、当然ながらルミとの間で諍いとなり、断絶状態となってしまう。両店を知る人物は説明する。
「『P』は麗奈を含めた2~3人の女の子が在籍していて、全員が中国人でした。麗奈は『X』での源氏名の『ナギサ』ではなく、『ミヤビ』を名乗るようになり、店長兼店員として受付や電話番もやっていました。
麗奈は以前と同様、その部屋に寝泊りしており、1日平均で6~7人の客をこなしていたようです。ルミの店『X』は風営法の届出をしている店だったため、本番行為は禁じられていましたが、届出をしていない麗奈の店『P』では本番行為もやっていました。
というのも、『P』のホームページを見ると、〈90分コース(2万円)以上には“特別サービス”有り〉と書かれています。この、わざわざ“特別サービス”と表示する書き方はイコール、本番行為を指しますから」
だが、そんな麗奈に捜査の手が伸びるのは間もなくのこと。逮捕された際に風俗店で働く彼女の写真が出ると、以前の姿を知る人々の誰もが、その容姿の大きな変化に驚いたという。
殺人未遂罪で起訴された麗奈は、「殺すつもりはなかった」として傷害罪の適用を主張したが、07年に千葉地裁は懲役15年の判決を言い渡す。その後の控訴審でも同判決が支持され、08年になって、彼女の判決が確定した。
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小野 一光(おの・いっこう)
ノンフィクションライター
1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てノンフィクションライターに。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』『東京二重生活』『風俗ライター、戦場へ行く』などがある。
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(ノンフィクションライター 小野 一光)