■個性派俳優・岡山天音が怪演する武士で戯作者の恋川春町
恋川春町(1744~1789年)は江戸時代中期の戯作者・狂歌師であり、浮世絵師です。大河ドラマ「べらぼう」においては春町を俳優の岡山天音(あまね)さんが演じています。
「べらぼう」では、春町は地本問屋・鱗形屋(うろこがたや)孫兵衛のお抱え作家でした。同ドラマで孫兵衛を演じるのは歌舞伎役者の片岡愛之助さんであり、孫兵衛はドラマの主人公・蔦屋重三郎、以下、蔦重(横浜流星)と衝突する役回りでした。経営難となった鱗形屋は店仕舞いとなりますが、それに伴い春町は地本問屋・鶴屋喜右衛門(風間俊介)のもとで書くことになります。一方、蔦重も春町を獲得すべく動いていくこになるというのが「べらぼう」第19回「鱗の置き土産」の概要でした。江戸の版元が獲得にしのぎを削ったことがドラマから分かります。
6月1日に放送された第21回「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」では、喜多川歌麿(染谷将太)のお披露目のための宴会で、ライバルの北尾政演、別名・山東京伝(古川雄大)や大田南畝、別名・四方赤良(桐谷健太)がもてはやされるのに憤慨した春町が悪酔いし、彼らの悪口を即興で狂歌にして披露する場面がありました。こんなことが本当にあったかどうかはわかりませんが、春町が狂歌を詠むとのきの狂名は「酒上不埒(さけのうえのふらち)」といいます。
■紀州徳川家家老の臣下の家に生まれ、小島藩に仕える
そもそも恋川春町とはどのような人物だったのでしょうか。
春町が生まれたのは延享元年(1744)のこと。
20歳となった春町は、伯父の倉橋勝正の養子となります。勝正は駿河国小島藩(1万石)に仕える武士でしたが、春町も小島藩に仕えることになりました。お気付きの方もいると思いますが、恋川春町というのはペンネームです。江戸中期、江戸の藩邸が「小石川春日町」にあったことに由来する筆名と考えられています。春町の本名は倉橋格(いたる)ですが煩雑となるので春町で通します。
■藩内で出世しながら、絵や喜劇パロディ小説を手がける
春町は武士として留守居役、重役加判などの要職を歴任しますが「裏の顔」がありました。芸術家としての顔です。当初、浮世絵師を志し鳥山石燕(片岡鶴太郎)に師事しています。
同書の作者は戯作者・朋誠堂喜三二(1735~1813)とされます。喜三二(尾美としのり)の本名は平沢常富と言い、彼もまた武士の家に生まれています。喜三二は秋田佐竹藩士として近習から留守居役にまで昇進しました。社交サロンとも言うべき吉原通いを続けた喜三二は「宝暦の色男」を自称しつつ、黄表紙を執筆していきます。彼の代表作の1つに『見徳一炊夢』(1781年)があります。「べらぼう」の歌麿の登場回(18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」)で吉原に居続け「腎虚(じんきょ)」となり衰弱する様はまさに「色男」の面目躍如?といったところでしょうか。
■黄表紙本『金々先生栄花夢』で文と絵を書き、ブレイク
それはさておき、春町と喜三二は仲が良く、前述したように合作もありました。そんな春町の代表作が黄表紙『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』です。同書が刊行されたのが安永4年(1775)のこと。
■貧しい男が江戸に出て、粟餅屋の座敷で眠り込んで見た夢
今となっては昔のことだが、「片田舎」に金村屋金兵衛という者がおりました。金兵衛は浮世(現世)での楽しみを極め尽くそうと考えていましたが「至って貧しく」、さてどうしようかと様々考えていたのです。熟慮の末、金兵衛は「繁華の都」(江戸)に出ることを思い立ちます。江戸に行き奉公し金を稼ぎ、自らの願望を叶えようというのです。江戸に出てきた金兵衛が立ち寄ったのが「目黒不動尊」。目黒不動尊は「運の神」ということで、ここに参詣して祈願しようとしたのです。
ところが早くも夕方になってしまい、金兵衛は「空腹」となります。名物の「粟餅(あわもち)」を食おうということで粟餅屋の奥座敷に入る金兵衛。しかし餅はすぐにできあがりません。
「われわれは神田の八丁堀に年久しく住んでいる和泉屋清三という者の家来です。主人の清三は段々と老衰してきたのですが、未だ子なし。今年、剃髪し名を“文ずい”と改めましてございます。よって清三は後継者はいないかと探しておりました。そうしたところに君(金兵衛)が出世を望んでここまで来たということを知ったのです。主人は八幡大菩薩を信仰しておりますが、その告げによりそのことを知り、われわれもここまで参ったのです。願わくば主人・文ずいの望みに任せ給え」と。
駕籠に乗せられた金兵衛は清三のもとに向かいます。
■金持ちの後継者になった男は、吉原で遊びほうけ、散財する
和泉屋の門まで着いた金兵衛。清三の住まいはまことに豪華なものでした。後継者になってくれそうな若者の出現に清三は大いに喜び、酒を出し「親子主従の祝儀の酒宴」を開きます。金兵衛は家督を継ぎますが、段々と「奢に長じ」、日夜、酒宴を催すようになります。「類は友を以て集る」の言葉通り、金兵衛の周囲には手代の源四郎、太鼓持ちの万八、座頭の五市など良からぬ輩が集まってくるのでした。
金村屋金兵衛ということで、金兵衛は人々から「金々先生」と呼ばれます。金兵衛は前述の悪友に唆されて吉原に行き「かげ野」という女郎と馴染みになりました。遊びで散財していく金兵衛(手代の源四郎は、金兵衛に多く金銀を使わせてその余りをくすねていました)。放蕩三昧の金兵衛に養父の清三は大いに怒り、金兵衛の衣服をはぎ取り、昔の姿にして屋敷を追い出すのでした。
追い出された金兵衛は呆然として途方に暮れますが、粟餅の杵の音に驚き、起き上がって見ればこれまでの事は「一炊(いっすい)の夢」だったのです。金兵衛は、人間栄華を極めたとしても、それも一時の夢、粟餅一臼の内のごとしと悟り、生まれ故郷に戻ります。
■蔦屋から出した『鸚鵡返文武二道』がベストセラーに
好評を博した『金々先生栄花夢』の他にも春町は『高漫斎行脚日記』『三升増鱗祖』『三幅対紫曾我』といった作品を残しています。しかし春町の藩における地位が高まってくると、文筆活動は停滞していきました。天明7年(1787)、春町は御年寄本役(120石、現在の価値で年収660万円換算)にまで昇進します。
順風満帆とも言うべき春町ですが、天明9年(1789)に刊行された黄表紙『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』(以下『鸚鵡返』と略記)によって思わぬ事態に陥ります。同書は蔦屋から刊行されました。
『鸚鵡返』は延喜(901~923年)の帝(醍醐天皇)の御代を舞台としています。天下泰平が続いたことにより人心が華美に流れ無益の物入りがあるのを帝は嘆いておりました。そしてみずから倹約に励んでいたのです。帝が補佐の臣としたのが菅原道真の一子・菅秀才でした。周囲に役に立つ人材がいないと見た秀才は人々に「武を習わせて兵を強くせん」と欲し、源義経(剣術)・源為朝(弓)・小栗判官(馬術)を召し出し、人々に武術の指南を行うことを命じます。義経らは人々に武術を教授しますが、教わった人々は次第に暴走していきます。義経の「弟子」は小路に出て、木刀などを持ち、往来の人を次々にぶちのめしていくのです。馬術の稽古をした者は洛中洛外を徘徊し、傍若無人に男女を押し倒して乗るのでした。
■学問を奨励する松平定信のような為政者をからかう内容
当然、騒動となり、喧嘩口論が続出します。困惑した帝は秀才を呼び出し騒動を収めるよう命じます。秀才は今度は「武」ではなく「学問」が大事として、安房国に隠棲していた学者・大江匡房を召し寄せるのでした。秀才は匡房に自著『九官鳥のことば』という仮名書きの書物を与えて、これで人々に「聖賢(せいけん)の道」を教えよと命じます。匡房は仰せに従い『九官鳥のことば』を基に講義したので、人々は競って同書を読みました。ところが同書には政治を凧揚げに準えた箇所がありました。人々は凧をあげれば天下国家が収まると考え、いい年をして皆が凧あげに熱心になるという有り様。『鸚鵡返』のメインの内容はこのような感じです。
■松平定信が恋川春町を呼び出したというのは本当か?
『鸚鵡返』は松平定信による寛政の改革(特に文武奨励策)を皮肉ったものでした。同書は大いに評判となり、重版もかかり、江戸でよく売れました。同書が春町の主君・松平信義(駿河小島藩主)の作品ではないかとの噂も立ったと言います。春町はこの黄表紙の件で松平定信から召喚を受けたとされますが、老中が一藩の留守居役を直接呼び出すことは考えにくいとの見解もあります。
寛政元年(1789)7月7日、春町は満45歳で病死したとされますが、自殺説も存在します。死因についてはっきりしたことは分かりません。定信から召喚を受けたとの話が立ち、その年に春町が亡くなったので、あらぬ憶測を呼んだのかもしれません。『鸚鵡返』は春町最後の著作となりましたが、この頃から武家が「当世文芸」に関わることを遠慮する「自粛の空気」が醸成されたと考えられています。
春町の死と共に、蔦重を始め、出版に関わる人たちにも、時代の逆風が吹き始めることになっていくのです。
参考文献
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002年)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024年)
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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(作家 濱田 浩一郎)