※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 19杯目』の一部を再編集したものです。
■新たな教授がやってきて「医局を根底から変える」
しかるべき時に誰と会うかで、人生は大きく変わるものだ。
1人目との出会いは2001年の冬だった。藤原和典が研修医になって1年目のことだ。彼の耳鼻咽喉・頭頸部外科に新たな教授がやってきた。
新教授――北野博也は医局員を集めてひとしきり話をしたあと、食事に行くぞと医局長に声を掛けた。そしてもう一人誰か連れて行くか、と藤原を指さした。なぜ一番下っ端のぼくなんだと驚いたという。
「それまでは、他と同じことをやっている普通の地方大学だったんです。(北野が来て)上の人たちは、大変なことになったという空気でした。北野先生は、医局を根底から変えなきゃいけないっていう話をされました。
食事の場では、緊張のせいか料理の味を全く感じられなかった。同時に、何か面白いことになりそうだと楽しみにしている自分もいた。
直後から医局の雰囲気ががらりと変わり、人が入れ替わった。
翌年、藤原は“医局人事”によって松江赤十字病院、京都医療センターに派遣される。そして2005年に鳥取大学医学部附属病院に戻った。この頃から、北野と中国の香港中文大学を訪れるようになった。ロボット支援手術の視察のためだった。
「そのとき、ロボット手術って何? という感じでした。しかし、北野先生はいずれロボット手術の時代が来ると考えていた。北野先生が親しくされている先生が、香港中文大学でロボットを使い始めようと準備されていたんです」
香港中文大学は1949年設立の公立大学で、世界大学ランキングでは常に50位以内に入る研究大学だ。北野の専門である甲状腺は喉仏の下方にある。
がんなどの摘出手術を行う場合、喉の部分を切開する必要があった。ロボット手術では脇に小さな穴を開けて手術用の鉗子を入れるため、首の部分に手術の跡が残らない。
「慣れない手術方式だったこともあって、皆さん、苦労していた。この手術を広く使って行くのにはまだ時間が掛かる。ただ、ロボットが普及すれば、医療界は変わっていくのだとも思いました」
■「お前はそのままで行けばいい」
北野は既成概念を疑い、常に進歩を求める男だった。北野と話をしているうちに自分が自由になっていく感覚があった。
「小さい頃、親からお前は突拍子もないことをやる、考えが極端だ、もっとみんなに合わせろって言われました」
山陰人は、一般的に控えめで慎重、年長者を立て“継続”を重んじる。自分の考えをきちんと主張する人間は稀だ。
「ぼくは少しでも良いと思うことをやるのがなぜ悪いんだと、心の中で反発していました。北野先生から、お前はそのままで行けばいいと言われて、嬉しかったことを覚えています」
北野は2011年にとりだい病院の病院長となると、『低侵襲外科センター』を立ち上げた。侵襲とは、生体内の恒常性を乱す可能性のある外部からの刺激を意味する。低侵襲とは、患者の身体に傷を付けるメスなどの切開を減らすこと。
低侵襲外科センターの特徴は、ロボット手術に関わる可能性のあるすべての外科系診療科を集めたことだ。大学病院特有の問題として、各診療科が過度に競い合い、壁を作る癖がある。それにより情報共有が遅れ、医療事故に結びつく場合もある。
その問題を解決するため、北野はロボット手術という括りで、半ば強引に垣根を下げたのだ。こうした試みは日本で初めてだった。
■日本の医師はすごい努力をするが、システム作りが苦手
低侵襲外科センター立ち上げの翌年、2012年に藤原はアメリカのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンター及び、ペンシルベニア大学へ留学している。主たる目的は、専門である頭頸部がんのロボット手術の最新状況を肌で感じることだった。
頭頸部とは、脳と目を除く首から上を指す。藤原の得意とする咽頭がんなどは口から鉗子を入れるため、身体に全く傷が付かない。
「アメリカでは(頭頸部がんの)ロボット手術が走り出したというレベルでした。正直なところ技術は追いつけると感じました。
例えば――
ペンシルベニア大学では患者は複数個ある診察室に入る。その部屋を教授が回って行く。診察が終わると新しい患者と入れ替わる。
この方法だと効率的に多くの患者を診ることができる。教授を中心にそれぞれの職種の人間がプロ意識をもって整然と動いているのが印象的だった。
「日本だったら、医師は診察室で待っていて、“はい、次の方どうぞ”っていうふうになる。患者さんの出入りで時間が掛かる。日本の医師って、すごい努力をするんです。しかし、システム作りが苦手」
藤原の人生を変えた2人目の男、頭頸部がんのロボット手術の第一人者であるペンシルベニア大学の教授――ワインスタインからも大きな刺激を受けた。
「かなり癖のある方だったんですが、とにかく食らいついていくつもりで色々と質問しました。(手術の)技術をしっかり教えていただいた上、研修センターの行き帰りはワインスタインさんの車に乗せてもらいました」
ぼくみたいに執念深い奴はあまりいなかったせいかもしれませんが、可愛がってもらいましたと藤原は笑う。
■胃カメラ検査の苦しさを解消するマウスピース
約半年間の留学から戻ると、とりだい病院でロボット手術を任せられることになった。
頭頸部がん分野でのロボット手術は日本では保険適用はもちろん、薬事承認さえ通っていなかった。
「鳥取大学が責任を持って、日本で先駆けて大学の校費で手術をすることになりました」
平たく言うと、手術費はすべて病院持ち、患者の金銭的負担はゼロ、である。
「がんが喉のどこにあるかにもよるんですが、(頭頸部がんの)手術をする場所の数ミリ外側を頸動脈が走っています。失敗したら大事故になりかねない可能性がある。部位によっては最高レベルの難易度の手術なんです」
ただし、慣れればぼくとしてはそれほど難しくないと思っているんですとも言う。
とりだい病院の低侵襲外科センターは、頭頸部がんのロボット手術の実績を積み上げ、藤原は薬事承認、そして保険適用に必要なガイドラインの作成にも関わった。
「この治療を進化させるには多くの施設で手術する必要がある。どうしたら患者さんの安全を担保しながら、皆さんが手術できるか、10年先を考えながら原案を作りました」
同時期、藤原は医療機器の開発も手掛けている。胃カメラ検査の苦しさを解消できないか、という消化器内科からの相談で「馬てい形」――U字型のマウスピースを思いついた。
カメラを入れた時の「オエッ(Gag)」を「少なくする(less)」という意味の「ギャグレスマウスピース」は2018年11月に販売を開始、最初の1年間で700セットを売り上げた。
それまでの前歯で噛んでいたマウスピースを奥歯で噛むように改良したのだ。既成概念にとらわれない藤原らしい発想だった。
■3番目の出会いは「鳥取大学医学部」を志望していた起業家
2020年、藤原の背中を押す新たな出会いがあった。はじまりは、沖縄コンベンションセンターで行われた頭頸部外科学会総会だった。
「学会で楽天メディカルの方に話しかけられたんです。おそらく彼らはモニター調査をしていたんだと思います。その面談でこういう治療がありますが、ご興味ありますかと訊ねられた」
がん細胞に結合する薬剤とレーザー光を照射し、がん細胞を破壊する、光免疫療法である。
2012年に楽天グループ代表取締役会長兼社長・三木谷 浩史の父親が末期の膵臓がんと診断された。三木谷は、父親を助けるために世界中の治療法を探し、アメリカの国立がん研究所で進められていた光免疫療法を見つけたという。
三木谷の父親は残念ながら、この新しい治療法を受けることはできず亡くなった。それでも三木谷は歩みを止めることなく、2019年に後に楽天メディカルとなる企業を立ち上げたのだ。
「ぼくらが手を尽くして、もう治療方法がありませんという患者さんに新たなオプションが増えるという治療。ぼくは昔、血液内科に出向していた時期があり、化学療法にも興味がありました。理論的にこの治療は成功するという直感がありました。こうした新しい治療を鳥取大学がやらずして、どこがやるんだと」
三木谷の第一印象は、物静かな男というものだった。しかし、口を開くとがらりと変わった。
「とにかく自分の目標に猪突猛進の人。損をしようが、これをやるんだと決めたら貫く」
三木谷は高校生のとき、鳥取大学医学部への進学を志望していた時期があったことも二人の距離を縮めた。
「お兄さんがお医者さんで、(米子市)皆生に親戚がいらっしゃった。実際は、一橋大学に進学されるのですが、鳥取大学に対する思いがあった」
後日、三木谷は鳥取大学医学部を訪れ、学生相手に講演を行なっている。定員を超える学生、教職員が集まり、三木谷の話に聞き入った。
■臨床外科医、教員、研究者、医療機器開発者、そして病院運営まで
2023年、藤原は低侵襲外科センターのセンター長に就任、同時期にとりだい病院の患者サービス担当として『とりだい病院サポーター』――ボランティアを束ねることになった。そして国立大学病院で初の試みだった『とりだいフェス 2024』の実行委員長も務めた。
臨床外科医、教員、研究者、医療機器開発者、そして病院運営が仕事に加わったことになる。
「本当はもう少し純粋な教授でいたかったんですが、病院全体を俯瞰して見るのもいい機会だと思って楽しみながらやっています」
患者サービス担当には多くの投書、意見が寄せられる。そこから様々な発見もあったという。
多忙の中、研究論文執筆の時間をどのように取っているのですかと聞くと「ぼくは机に座って、書くのが苦手なんですよ」という答えが返ってきた。
「論文の元になるデータを頭に入れておいて、外来(診療)へ向かい歩きながら、組み立てています。外来に着いたら、メモ用紙にばーっと走り書きする。それを基に後から机に座って書いていく」
長らく日本の医療は、医療従事者の心意気、精神力、忍耐力に頼り、効率化を怠ってきた。昨年、医療従事者にも『働き方改革』が適用されることになった。
いかに医療の質を下げずに、持続的な医療を提供するか。既成概念に囚われず、前向きに物事を進める藤原のような人材は、これからより必要とされるだろう。
藤原和典(ふじわら・かずのり)
1975年鳥取県鳥取市生まれ。2001年鳥取大学医学部卒業。松江赤十字病院、京都医療センターを経て、2005年4月鳥取大学医学部附属病院に入職。2012年米国メモリアル・スローン・ケタリングがんセンター及びペンシルベニア大学へ留学。2021年鳥取大学医学部感覚運動医学講座耳鼻咽喉・頭頸部外科学分野教授に就任する。2023年より病院長特別補佐及び低侵襲外科センター長に就任し、病院運営に携わっている。2025年から広報・企画戦略センター長。
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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日京都市生まれ。『カニジル』編集長。『UmeBoshi』編集長。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『新説・長州力』『新説佐山サトル』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。2021年、(株)カニジルを立ち上げ、とりだい病院1階で『カニジルブックストア』を運営中。
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(ノンフィクション作家 田崎 健太 写真=馬場磨貴)