接待ではどのような店を選ぶといいのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉さんの連載「一流の接待」。
第3回は「接待のプロが『お座敷』を選ぶ理由」――。
■接待の「絶対領域」をもつ
わたしは「絶対領域」という言葉が好きだ。本来は「何人(なんびと)にも侵されざる聖なる領域」という意味だが、なぜか今では、ボトムスとソックスの間から微妙に覗く素肌の太もも部分のことになっている。だが、意味はさらに転じている。絶対領域とは何人も付いてくることのできない得意技の領域としてわたし自身は使っていきたい。
接待こそ絶対領域として自分の得意技にするべき技だ。接待は食べたり飲んだりするだけのことではない。相手をもてなすために全力で考え行動することだ。自分のなかにある、そこはかとない「萌え」の気持ちを表現することでもある。
そんな接待のなかの最高峰、お座敷の宴席は今や伝える人が少なくなった。ここでは最後のお座敷達人とも言うべき、ある飲料メーカーの老賢人経営者の伝統芸を記しておく。老賢人の絶対領域芸については元幹部から聞いた。
ここに書いたことが日本に伝わるお座敷宴席の作法である。
■接待の王様のやること
接待のなかでもっとも難度が高いのがお座敷を使った宴席だろう。接待の極地、伝統芸の最たるもので、メジャーリーグで言えばワールドシリーズみたいなものだ。元幹部が伝えてくれた珠玉の技は、お座敷での宴席に参加した時に大いに役立つ。招かれる機会がない場合は一生懸命、働いて、お座敷の宴席を一度は経験することだ。
わたしが会ったことのある老賢人は東京、京都、大阪の宴席、そして、銀座と北新地の高級クラブの王様とも言える達人だった。ここでは元幹部2人の話から座敷での宴席を説明する。予約方法から見送り、手土産、心づけの渡し方までだ。
なお、お座敷の宴席といっても座敷には2種類ある。ひとつがお茶屋、待合の茶屋だ。お茶屋は調理をしない。料理は仕出し屋から取る。
京都の祇園にある一力茶屋が代表だ。一方、料亭は調理施設があって料理を食べるのが主目的である。東京で座敷の宴席をやる場合、お茶屋はほぼない。料亭で宴席を開いて、芸妓を呼ぶという形になる。
今はそれぞれの地域で組合を作っていて、ホームページもあればインスタグラムもやっている。そこを見てから予約するのだけれど、行ったこともない人が「すみません、宴席を1週間後の午後6時から6名です。芸者さん、何人いればいいですか」と電話しても、警戒されるだけだ。
座敷での宴席をやろうと思ったら、経験者、それも慣れている人に紹介してもらわないといけない。
■田中角栄、中曾根康弘も使った「料亭政治」
元幹部は令和のお座敷事情について、次のように教えてくれた。
「お座敷宴会はほぼなくなりました。待合政治などと言われてお座敷を使うことを叩かれてから、政治家が使わなくなったんです。昭和の頃は田中角栄さんはこの料亭、中曾根康弘さんはここと決まっていたけれど、どこもなくなってしまった。
使う人がいないから仕方ないですし、働く人を募集しても来ないのでしょう。
赤坂でも今残っているのは浅田と佐藤だけです。向島の料亭、風情はありますけれど、ちょっと遠いからなかなか行けません。今でも料亭へ行く人が使うのは新橋だけではないでしょうか。新喜楽、金田中、吉兆といったところです。
昭和の頃の頃の経営者は接待というとやはり料亭でした。洋食と言えばフレンチではなくステーキ屋だった。イタリアンを食べようなんて経営者はいなかった。
でも、今は会社の経営者でもお座敷接待の技を持っている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。ベンチャーの方々はお金を持っていても、フレンチ、イタリアン、ワインバー、そしてプライベートクラブでしょう。それが最近の接待の場所です。
今、お座敷で宴会をやっているのは高齢のオーナー経営者だけですね。
しかも、親に連れてこられて経験しているようなオーナー経営者だけだと思うんです。ネットで予約していくところではありません。料亭の宴席を経験したいという方は慣れている方に連れて行ってもらって、女将(おかみ)を紹介してもらうところから始めなくてはいけないと思います」
そういう、お座敷、冬の時代でも、飲料メーカーの経営陣は今も料亭、お茶屋での接待を続けているようだ。
■そもそもどうやって予約する?
料亭で芸妓を入れて宴席を持つ場合の予約だが、紹介者にまず連絡してもらってから、電話すること。突然、電話しても、予約は取れない。また、行ったことのない料亭を宴席に使うこともやらないほうがいい。一度は行ったことがあり、使う座敷も知ったうえで予約をする。宴席に入ってもらう芸妓についても、「初めまして」とはいかないだろう。
基本的には一度でも顔を合わせたことがある芸妓を呼ぶ。もし、誰ひとり知らないのであれば料亭に相談する。料亭の女将が呼んでくれる。お座敷の宴席が初めてで、そのうえ芸妓に会うのも初めてという人たちだけでお座敷へ行くのは絶対にやめること。

「初めまして、○×物産の山本です」

「新橋の○○です。こちらこそよろしくお願いします」
そんな会話で始まる宴席は想像がつかない。銀座のクラブやキャバクラに始めていく人たちだけで2次会をやることはありうる。しかし、お座敷に初対面同士が集うというのは聞いたことがない。
■当日の「靴下」は攻める
さて、予約して当日になる。
ホストは早く来ているわけだから、先に部屋に通される。部屋に入る前には玄関に下足番がいる。汚れた靴、きたない靴下でお座敷に行ってはいけない。それは靴を脱ぐ飲食店を訪れる際のマナーだ。女性の場合、素足はよくない。ストッキングを着用することだ。それはスリッパに汗がつくからだ。

お座敷宴席の何たるものかをよくわかっている人は会社で靴下を履き替えてから宴席に臨む。また、その時には靴下のデザインまで気にする。ビジネスパーソンは黒の靴下が多い。だが、わたしはお座敷宴席での靴下は派手なほうがいいと思う。クレイジーソックスのような派手な靴下をしていって、それを話題にする。靴下の柄を話題にできる宴席があるとすればそれはお座敷だけだ。
また、派手な柄の靴下が宴席で話題になったとする。それを手土産として用意しておけば、もらったほうは嬉しい。特に、自分自身では絶対に派手な靴下を買ったりしないタイプの人ほど喜ぶ。
ここで覚えておかなくてはいけないのは部屋に入ったホスト側はゲストが来るまでは座卓に座ってはいけないことだ。ゲストが来るまで、部屋の隅であぐらを組んで待つ。正座する人もいるけれど、足がしびれるからやめたほうがいい。また、相手を待つ時、座布団は敷いていい。
■和食で好き嫌いは厳禁
待っていると、料亭の仲居さんがお茶を持ってくるから、飲んで待っていること。手持ち無沙汰でなんとも間の抜けた風情だが、これは座敷宴会のしきたりだ。フランス料理店やイタリア料理店で着席しないで立って待っていたら異様な光景だけれど、畳の部屋の宴席では着席してはいけない。うなぎ、ふぐ、すき焼きといった店の個室で宴席を行う時も同じようにする。
ただし、居酒屋の個室など、すごく狭い部屋、半個室の場合は入り口にいちばん近い席にホスト側が座って待てばいい。
料亭の食事はもちろん和食のコースだ。品数は多いから、アレルギー、食べられないものがあったら、先に伝えておくこと。
なかにはこんな人がいるだろう。
「僕は生ものダメです。鮎とかきゅうりとか食べられません。お酒は飲めませんし、ケトジェニックダイエットをしているので糖質はやめておきます」
偏食の多すぎる人はそもそも会食には向かない。何でもおいしいおいしいと言って食べる人が出向くべきだ。また、ワインの銘柄や日本酒について、知っていることは悪くないけれど、自慢のように語ってはいけない。
「ロマネコンティの畑は何度も行ったことがあります」

「やっぱり日本酒は黒龍あるいは常山ですね。酒は福井県ですよ」
聞かれてから答えるのはいいけれど、自分から酒についての蘊蓄(うんちく)は語るべきではない。
■季節を語れる人間は一目置かれる
あえて言うけれど、男も女も安い酒を「おいしい」と言いながら嬉しそうに飲む人間のほうが好感度が上がる。高い酒を飲みながら蘊蓄を語る人間の好感度は下がる。これは一種の法則だ。
一流の人間が話題にするのは酒や料理ではなく、季節と自然の話なのである。
特に和食は季節によって素材が変わる料理である。料理の話をすることは季節の話題を語ることにつながる。和食のコースが出る店では季節について、料理について、そして自然について勉強しておいて、話題にすること。
「鮎の季節ですね。蓼(たで)酢を味わえるのはこの時くらいなんですね」

「鱧と松茸ですか。出会いものですね」
こういう話題は接待する相手が外国人だとさらに喜ばれる。和食コースに合わせるのはやはり日本酒だ。「Sake」は世界に通用するアルコール飲料になったから、外国の人に対しても日本酒を味わってもらえばいい。もちろん、シャンパン、ワインを頼んでもいい。ただし、赤ワインはこぼすと畳が変色するので、気をつけること。
■次の一杯が来たらグラスは空ける
わたしの親友で年上の剛腕で男女問わずしてなぜかモテる弁護士がいるけれど、この人は会食になると活躍する。酒を選ぶセンスがいい。料理と酒の相性について一家言、持っている。シャンパンとカクテルのカミカゼ(ウォッカ、ホワイトキュラソー、ライム)が好きな人でもある。
モテモテ弁護士は会食のテーブルでグラスが林立することを嫌がる。彼の判断は正しい。たとえば6人でフランス料理を食べたとする。シャンパン、白ワイン、赤ワインと進んでいくと、卓上にグラスが林立する。そうなると、必ず誰かが倒してしまう。
モテモテ弁護士はグラスが増えてくると、「早く飲め。全部、飲んでしまえ」と叱咤する。そして、ソムリエに片付けるよう指示する。この人と会食すると、ワイングラスを倒す人がいなくなるので、出席者は安心する。グラス奉行あるいはグラス監督をする人がひとりいると、宴席は平穏無事に進行する。わたしもその道を目指そうと思って、日夜、宴席に参加している。そして、この人の教えはいくつもあるが、そのうちふたつだけ記しておく。
■シャンパンの開栓は「ため息の洩れ」
ひとつはシャンパンの開栓だ。「ふっ」と小さな息が洩れるくらいの音をさせて開ける。ポンとさせるのは下品だ。そして大きな音をさせると炭酸が抜けてしまう。シャンパンの開け方は、ため息の洩れを基準とする。
もうひとつは椅子に座って会食する場合、座敷でも普通の床でも箸やフォークを落とした場合は自分で拾ってはいけないことだ。会食の相手は床あるいは畳に落ちた箸を拾う行為を見ている。手が床に触れるところを見ている。相手を嫌悪させてはいけない。「すみません」と声を上げて仲居さん、ウェイターに拾ってもらう。もちろん、落としたものを使ってはいけない。
話は戻る。
宴席で飲む酒の話だけれど、今はジャパニーズウイスキーが人気だ。ただし、食中酒としてはアルコール度数が高いからハイボール、もしくは水割りで飲めばいいと思う。外国人のなかには「山崎」「白州」「響」「余市」「竹鶴」を好んで飲む人がいる。
■芸妓に「上手ですね」と言ってはいけない
芸妓とのコミュニケーションだけれど、彼らはプロだから、お酌したり、会話をリードしてくれたりする。出席者は芸妓にお酒をすすめるべきだけれど、がばがば飲む人はいない。また、嫌がるのに強要するのはアルハラだ。芸妓は踊ったり、歌ったりする。これはもうただ鑑賞するのみだろう。邦楽や舞踊に素養がある人でもなければ感想は言えない。舞踊、三味線などについては「目の保養でした」と言うほかはない。詳しい人はそれなりの感想を言えばいい。彼女たちは的を射た感想は喜ぶ。
プロに対して、「上手ですね」と言うのは的を外した誉め方だ。拍手して「勉強になりました」くらいがいいかもしれない。
わたしが覚えている限り、的確な感想を言って芸妓が感激していたのは日本画家の千住博氏が「美しい踊りですね」と言った時だけだ。高名な画家から「美しい」と言われたから嬉しかったのだろう。私たち、ド素人が偉そうな感想を言っても、彼女たちはムカつくと思われる。
■お座敷遊びで最もむずかしい場面とは
お座敷の宴席でもっとも気をつけることは心付けだ。フランス料理店、イタリア料理店では勘定にサービス料が付いているから払う必要はない。ところがお座敷の場合は複雑極まりない。
芸妓、仲居、下足番、女将と心付けを渡すからだ。これが実に難しい。普通は幹事役、秘書が渡すけれど、老賢人の宴席では本人が渡すことになっているようだ。確かに、お座敷の心付けは秘書よりも、やはりホスト側のトップが渡したほうがいいのではないか。
また、渡す相手によってタイミングがある。下足番に渡すのは靴を預かってもらった時だろう。宴が終わった帰りでもいいのだけれど、ゲストを見送っていたりしてうっかり忘れてしまうことがある。それを考えると、下足番は靴を預かってもらう時点で渡したほうがいい。
芸妓、仲居、女将には通常であれば宴席がお開きになった時に渡す。だが、飲料メーカーの大物は渡し方が粋だ。宴席の流れを見ていて、盛り上がりがあった直後に「ああ、今日は楽しい日だな。女将、これ取っといてくれ」とさりげなく渡す。裸で札を渡すわけではない。センスのいい金封に入れたお金だ。むろん現金である。商品券はダメ。金額は1万円だろう。千円札を入れることはない。
■現代こそ「お座敷接待」は役に立つ
今はお座敷の宴席が激減しているから心付けを渡したことのない人のほうが一般的だろう。
だが、心付けを渡すことも含めてお座敷の宴席は一度は経験しておくべきだ。特に外国人を接待する環境にあるビジネスパーソンは必須と言える。接待の飲食体験はさまざまあるが、お座敷の宴席は日本文化だ。日本文化を味わうためにも機会があるビジネスパーソンは進んで参加するべきと言いたい。そして、社長秘書などの役職にいる人はお座敷での宴会を経験したら、それを記録しておいて後任にも伝えること。
フランス料理店、イタリア料理店は個人でも利用するだろうから、作法やしきたりなどは利用しているうちに勝手に覚える。だが、お座敷の宴席ばかりはそうはいかない。家族で芸妓の踊りを見に行くわけはないから、ビジネス接待でしか経験できない。日本文化を守るために、お座敷の宴席作法は受け継いでいくしかない。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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