ヒット商品はどのようにして生まれるのか。カネテツデリカフーズ(兵庫県神戸市)の「ほぼカニ」は、「世界一ズワイガニに近いカニカマ」を目指して作られた商品で、2014年の発売以来8300万パックを売り上げている。
飽和状態ともいえる練り製品市場で、なぜ売れ続けるのか。ライターの松田小牧さんが取材した――。
■カニカマなのにカニを確かに感じる大ヒット商品
販売開始から11年。シリーズ累計で1億パックの売り上げを誇る練り製品がある。それがカネテツデリカフーズの「ほぼ」シリーズだ。中でもズワイガニの食感、見た目、風味に近づけた「ほぼカニ」が人気で、これまでに8300万パックも売り上げた。
同社によれば、本物のカニで換算するとパック数と同じ約8300万匹分に相当するという。本物のカニはいまごろ、「なぜ俺たちよりも『ほぼカニ』を選ぶんだ!」と悔しがっていることだろう。
「ほぼカニ」を食べてみる。普通のカニカマと異なり、本物のカニのように口の中でパラパラとほぐれる。食感にはカマボコ感も残るが、カニの風味がふわっと広がっていく。添え付けの「ほぼカニ専用黒酢入和だしカニ酢」との相性は抜群だ。
温めると、さらにカニの風味が増す。よく見ると、パックもカニを模したものとなっている。
「ほぼカニ」の誕生は、村上健社長(当時、現在は会長)の「カニカマを強化すべし」という一言から始まった。
「練り物は、冬場はおでんがあるのでよく売れますが、どうしても夏場はあまり売れない。その夏場をてこ入れする商品として、カニカマに目を付けました。
また、カネテツには多様な商品がありますが、カニカマがなぜか弱かった。そこに何か見落としがあるはずだと思ったのです」(村上氏)
一方で、この指示に現場は悩んだ。すでにスーパーの棚にはライバル会社のカニカマが並んでおり、市場は飽和状態。営業担当も「後発すぎるし、そもそもカニカマは価格も安い。そんな市場でいまから勝負しても難しいのでは」と反対した。
■カニのおいしさはデータでは測れない
そこで現場は、「世界一ズワイガニに近いカニカマ」という付加価値をつける方向に舵を切った。
開発担当の宮本裕志氏は、「レッドオーシャンに飛び込むわけですから、それくらい振り切る必要があるだろうと。
カニカマの知見はありましたので正直に言って開発はそんなに難しくないだろうと思っていました。ですがその考えは甘かった」と振り返る。
まずは本物のカニ身の成分分析から始めたところ、カニの旨味を構成するアミノ酸値はすぐにデータとして抽出できた。そこで100通りほど試作し、分析結果と同じ成分のかまぼこを作り上げた。しかし、できあがったカニカマは、なぜかおいしくなかった。
「なぜおいしくならないのか、その明確な理由はいまでもわかりません。ただ本物のカニ特有の磯臭さのほかにも、殻から取り出して食べる一連の流れや、そもそもカニを食べるという特別さなど、データでは測れないたくさんの要素が、頭で私たちが『カニだ』と感じる味に繋がっているのかもしれないと思いました」(宮本氏)
■だんだんカニが嫌いになっていく
宮本氏の試行錯誤は続く。
一口に「アミノ酸」といっても、「イソロイシン」や「ロイシン」、「リジン」など20種類が存在する。宮本氏は一つひとつの成分を誇張、あるいは抑えるといった作業を地道に繰り返した。
カニの繊維の向きの再現にも苦心した。一般的なカニカマは、繊維の向きがまっすぐになっていて、口の中に入れてもほどけることはない。しかし本物のカニはパラパラとほどける。
これを再現するため、機械を用いて繊維の向きを測定。たった1度、されど1度。わずかな傾きの違いでも味わいが変わる。試行錯誤を続けた。
全国から冷凍ズワイガニを取り寄せ、会社ではいつでもカニが食べられる状態。ときには高級料亭に食べにいくこともあった。
「毎日カニを食べすぎて、カニを食べていないときでも、自分からカニのにおいがしている気がするんです。あの日々は本当につらかったですね」と宮本氏は振り返る。
ひとたび工場の機械で試食品を作ると、一度に200~300キロのカニカマができてしまう。時間をかけてもなかなか完成しない状況に、宮本氏は追い詰められた。
■カニカマもモノマネも誇張が大事
「そもそも設備投資だけで数億円ものお金をかけて、さらに全国から取り寄せた高いカニを毎日食べている。私としても『ほぼカニ』以外の仕事もあるのに、仕事の8割は『ほぼカニ』の開発に取られる。
発売スケジュールが決まっても、商品ができない。これはかなりプレッシャーがありましたね。夢の中にまでカニが何度も出てきました。とび起きたら、口の中でカニの味がするんです」
試行錯誤の末、約2年をかけて、ようやく納得いくものが完成した。「とにかくほっとした」と語る宮本氏だが、「最初はカニが好きでしたが、食べすぎました。だんだんカニよりもほぼカニのほうがおいしく感じられるようになってきて、いまはカニがあまり好きじゃありません」と苦笑する。
結果として完成した商品は、本物のカニよりも旨味成分を大幅に誇張したものになった。
村上氏は、「ものまねタレントと同じです。ものまねタレントも、ご本人の特徴をものすごく誇張するじゃないですか。カニカマも『カニに似てる』と思われるためには、誇張が必要だったんです」と笑う。
■「これ、ほぼカニやんか」
「ほぼカニ」という特徴的なネーミングについては、試食の際に村上氏が発した「これ、ほぼカニやんか」の一言から決定。また、「『ほぼカニ』では本物のカニ肉が入っていると思われてしまう可能性がある」との意見から、パッケージには「※カニではありません」の注釈もつけた。

こうして2014年、満を持して販売に踏み切った「ほぼカニ」。おいしさには、かなりの自信があった。しかし、当初は想定を下回る売れ行きにとどまった。
そんな状況を、SNSが打破した。「ほぼカニってww」「お父さんと一緒に笑った」――。そんな投稿がネット上にあふれ、一気に認知度が高まったのだ。同社が誤認防止のために記載した「※カニではありません」の表記も、ジョークとして受け取られることが多かった。
2022年には、優れたネーミングを表彰する「日本ネーミング大賞」を受賞する。その際に審査員の一人からは「こんなネーミング、AIでは出ない」と言われたという。
「ほぼカニ」の完成に伴い、「これでようやく『ほぼ』の開発を終われる」と考えていた宮本氏。しかし、顧客からの「次の『ほぼ』はなに?」という期待の声が、新たな商品の開発に踏み切らせた。
■カニの次はホタテ、うなぎ、いくら…
そうして2015年以降、「ほぼホタテ」「ほぼエビフライ」「ほぼうなぎ」「ほぼいくら」など、毎年順調に「ほぼシリーズ」の新製品を世に送り出している。

「『ほぼカニ』を作るのには、苦労しました。ただそのおかげで、開発の土台ができた。あのとき経験した苦労や失敗がすべて、次回以降の製品に生かされたと感じています」(宮本氏)
「スーパーで商品を見る時間なんてほんのわずかですよね。そこで『ほぼカニって、何?』と思って見てもらえたら大成功。さらに家庭の中で『これ見て!』『いま食べたの、本当にカニやと思う?』といった会話が生まれることも狙えます」(村上氏)
現在カネテツ社内では、「ほぼの乱獲プロジェクト」が実施されている。これは社員が次の「ほぼ」製品を企画し、経営陣にプレゼンするプロジェクトだ。開発に関わるメンバーがキッチンに入って試作品をつくることが許される。
この優勝作品の一つが「だいたいイカ」。この商品はその後「テレビ番組の中で、出演者の誰か一人にでも本物だと思ってもらえたら発売決定」という経緯を経て販売が決定した
■「てっちゃん」の遊び心
プレゼンは社員が料理人の扮装をして現れたり、プレゼンの最中に踊りだしたりと、かなり自由な形式で展開される。
宮本氏は「みんなプレゼンの準備をやりすぎて、『それは仕事なのか?』と言いたくなることもありますが、社員が楽しんで、おいしいものだけでなくお客さまが喜ぶものを作ってくれているということで、役員からも許可を得ています」と話す。
振り返ってみれば、既存の“当たり前”にとらわれず、自由な発想でチャレンジしていくその姿勢は、創業当初からのカネテツらしさともいえる。1951年、同社は当時ではまだ斬新だったマスコットキャラクター「てっちゃん」を生み出し、1959年からは松島トモコが歌う「てっちゃんの唄」をCMで流し、関西を中心に知名度を高めた。
さらにその自由さが浮き彫りとなったのが、広告や小説、エッセーなどマルチな才能を発揮した中島らも氏による「啓蒙かまぼこ新聞」だ。
大学卒業後、広告代理店に入社した中島氏は、ある日灘中・灘高の同級生だった村上健氏(現会長)の元を訪れ、「月額28万円で『宝島』に出稿してほしい」と依頼。当時常務だった村上氏は、その提案を受け入れた。
その結果、雑誌『宝島』の中に、カネテツの宣伝とはまったく関係のない内容の「啓蒙かまぼこ新聞」の掲載が始まった。読者の中には「こんな会社あるわけがない。架空の会社だ」と思っていた人も少なくなかったというが、従来の企業広告の手法にとらわれない啓蒙かまぼこ新聞は、当時大反響を呼んだ。
■なぜ長年売れ続けるのか
なおこの広告は当時の社長に許可を取ることなく進められ、村上氏がアメリカに留学してからは、村上氏に確認を取ることもなく広告が掲載されていたという。いつの間にか勝手に「てっちゃん」の父親まで紙面に登場しているという型破りさだったが、村上氏は「反響もよかったし、社員も『てっちゃんが動いている』と喜んでくれた」と振り返る。
中島氏は「ほぼカニ」が売り出される10年も前に泉下の人となったが、いまだに同社には「ほぼカニは中島らもですね」との声が寄せられることもあるという。村上氏が芽吹かせ、中島氏が育てた自由さが、いまなおカネテツの屋台骨となっているといえよう。
「ほぼシリーズ」を作る中で、同社には大きな気づきがあったと村上氏は語る。
「いわゆる“ヒット商品”と呼ばれるものは、大体3年でヒットが終息します。ただ『ほぼカニ』は10年経っても廃れていない。これはなぜなのかと考えていくと、『ほぼ』は単なるフェイク商品ではなく、困りごとを解決する商品なのだと改めて気づきました」
■「食の困りごとを解決」という要素
もともと「ほぼカニ」を作った背景としても、夏場の需要拡大とカニカマ商品の売り上げ増のほかに、「高くなってしまったカニを、少しでも安く手軽に食べられるように」といった思いもあった。
「ほぼうなぎ」についても、絶滅が危惧されるうなぎに対し、持続可能な資源確保に貢献したいとの思いが込められている。そのほか、「ほぼエビ」はエビ・カニアレルギー、「ほぼイクラ」は魚卵アレルギーの人でも問題なく食べることができるとの狙いもあった。
「アレルギーをはじめ、食の困りごとはたくさんあります。たとえば家族の中で一人だけ食べられない人がいると、本人も家族もつらいですよね。そこで『ほぼ』シリーズは、そんなお困りことを解決していくものにしようと改めて掲げたのです」(村上氏)
そんな思いから、カネテツでは「食のお困りごとを解決するものづくりの考え方」を「ネリバーサルデザイン」と呼称することに。いまは植物性タンパク質由来の練り物の開発を進めているほか、2026年の創業100周年に向けて、新たな「ほぼ」商品の開発も進めている。
単なる一過性のヒットではなく、練り物・シーフードを通じて持続可能な社会に貢献することを目指すと決めた同社は現在、その輪を広げるために他社との連携も進めている。2023年には、マルコメとコラボした「ほぼカニ汁」を発売し、2024年にはローソンで「おつまみほぼカニ」の販売を始めた。
2024年には、本社の敷地内に「ほぼカニ」を持ったカニを祀った「ほぼカニ神社」を設置するなど、その自由な発想は止まらない。次に私たちを驚かせ、ときに楽しませてくれるものは何だろうか。

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松田 小牧(まつだ・こまき)

ライター

1987年生まれ。大阪府出身。2007年防衛大学校に入校。人間文化学科で心理学を専攻。 陸上自衛隊幹部候補生学校を中途退校し、2012年、時事通信社に入社、社会部、神戸総局を経て政治部に配属。2018年、第一子出産を機に退職。その後はITベンチャーの人事を経て、現在はフリーランスとして執筆活動などを行う。

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(ライター 松田 小牧)
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