大阪地検で起こった元検事正による部下の女性検事への性加害。ジャーナリストの柴田優呼さんは「元検事正の北川健太郎氏を訴えた被害者の女性にインタビューした。
女性からは、健康な心身だけでなく、検事として積み重ねてきたキャリアと収入まで奪われそうになっているという怒りが伝わってきた」という――。
■大阪地検のような組織で「二次加害」が起こるのはなぜか?
性暴力という一次加害を生き延びた被害者がさらに直面するのが、二次加害だ。二次加害は、被害者を自死に導いてしまうような痛ましい結果を生みかねず、極めて深刻であることが知られている。しかし、性暴力と同じような熱量をもって二次加害を防ごうとする動きは、いまだに不十分なままだ。
フジテレビと中居正広氏の件では、フジテレビ上層部の不適切な対応が、元アナウンサーの被害女性への二次加害を生んでいたことが第三者委員会の調査で明らかになっている。大阪地検のトップだった元検事正の北川健太郎被告が、部下の女性検事を性暴行した疑いで逮捕された事件でも、被害者のひかり氏(仮名)は多くの二次加害を受けている。
その結果フジテレビでは、被害女性はアナウンサーの仕事を続けることを断念して退職に至り、検事のひかり氏も職場に戻れなくなり休職に追い込まれている。被害者であるのに、二次加害が原因で、それまで懸命に取り組んできた仕事までできなくなる。
性暴力では元々、組織の上位にいる加害者と、キャリアの序盤や中盤にいる被害者の間の権力勾配が利用されることが多い。しかし、前途ある彼女たちの将来がこうして潰されてしまうこと自体を、問題視する声はあまり聞かれない。これも男性に比べて女性のキャリアの継続が大事にされない社会を反映している。
■性加害されキャリアや収入において、より痛手を受けるのは女性
性暴力の暗数は大きい。
今年1月、X(旧ツイッター)で「#私が退職した理由」「#私が退職した本当の理由」というハッシュタグをつけて、女性たちが相次いで発言したのは記憶に新しい。その中には、性被害に遭って告発しても組織がきちんと対応せず、二次加害のような状態が続き、耐えられなくなって辞めたといった投稿が少なくなかった。
PTSDで以後働けなくなる人も出るほど、問題は深刻だが、退職後にまた再就職しても、賃金や待遇、勤務条件が悪化する場合が多いと見られる。国際的に見ても、日本は男女の賃金格差が格段に大きい。また新卒至上主義で、女性は年齢を重ねるほど再就職が難しい上、女性を非正規雇用で安く使うことが常態化しているからだ。
こうした状況では、女性にとって退職することによる経済的損失は大きい。また企業や社会にとっても、人材の流出による社会的損失は大きいはずだが、このことは無視されてきた。性加害行為自体が表に出ないまま、加害男性はそのまま同じ職場で勤務を続け、被害女性だけが多くのものを失う結果になっているとしたら、あまりに理不尽だ。
■女性検事・ひかり氏が検察内で受けた二次加害の深刻さ
以上のことを念頭に置きながら、性暴力を受けた後、二次加害として現実にどのような事態に直面するのか、ひかり氏の経験をたどりながら、二次加害の苛烈さを報告する。誹謗中傷という一言で二次加害が説明されることも多く、現実にどのように傷つけられていくのか、被害者の立場から詳しく伝えている報道は少ない。警察発表などに基づき、被害者ではなく加害者側から犯罪を見る形で長年性暴力事件を報じてきた習慣から、メディアが抜けきれないことも関係している。
上司である北川被告から性暴行を受けた当初、ひかり氏は、非難されることを恐れて検察内では口に出せなかったという。
被害を受ける直前の飲み会で同席していた警察官には打ち明け、すぐに被害届を出すことを勧められたが、検事であるひかり氏ですら、それができなかった。
理由の一つは、北川被告が大阪地検のトップとして、組織内で確立された地位にあったからだ。「あの人がそんなことをするはずがない。悪いのは女性の方では」という反応になるとひかり氏は予測していた。以前別の男性からの被害を訴えた女性が、そうやって非難されるのを見ていたからだ。検察は序列が厳しく、しかも法を執行する組織。強固なヒエラルキーの下、上層部は偶像化され、特に検事正は尊敬の対象だ。そんな空気の中で被害申告をしたら、職を失うのではないかとひかり氏は恐れた。
■職場では尊敬される検察トップから加害され、被害を訴えにくかった
しかし幹部らのこうした反応はそもそも、加害者の目線で性暴力を見るものだ。加害者に問題はなく被害者の方に落ち度があったのではないか、と疑うのが基本姿勢になっている。そうしたレイプ神話が検察内部にも抜きがたく存在しているということだ。「でも性暴力は被害者の目線で見なければならないもの」と、検事として自身でも性犯罪事件を多く手掛けてきたひかり氏は言う。

このように性被害者は被害を口にした時、周囲から逆に中傷を受け、二次加害をされるのではないかと恐れる。これに対して、権力勾配をバックにした性加害者の態度はまるで違う。
例えば性暴行の現場は、北川被告の住む官舎だった。そこに住む同僚に見られるかもしれないのに、酔いつぶれて前後不覚のひかり氏を連れ込んだこと自体、北川被告が「自分には権力があり、誰にも咎められない」という頭があったからではないかと、ひかり氏は推測する。
■なぜ妻であり母である被害者が襲われたのか?
ひかり氏は既婚で幼い子供もいたのに被害を受けた。これについてひかり氏は、「北川被告は、自分の万能感を確かめたかったのではないか。性的にも支配したかったのだと思う。私が恋愛の対象だったと言っているが、全く信じていない」と話す。実際、暴行の最中に「これでお前も俺の女だ」と言ったことは、その後ひかり氏に渡した手紙の中で、本人が認めている。妻であり母であり職業人である女性の尊厳など、まるで無視した言い方だ。
なお北川被告も既婚だが、これまで婚姻外での関係が複数あったことを、手紙の中で自ら語り、そのことも報道されている。しかしこのこと自体を批判する声はあまり上がっていない。
最近、既婚男性との関係が報道された結果、若い女優の仕事が次々にキャンセルされるということが起きたが、これも地位のある男性をかばい、若い女性の方を罰するという権威主義的な目線でものを見ることに、ふだんから社会が慣れ親しんでいることと無縁ではないだろう。
もし、ひかり氏が仕事と育児を両立中であったことが、被害対象になったことと関係していたとしたら、許せないことだ。仕事をしながら子育てをするには今の勤務地でなければ無理で、遠隔地に異動させられたら辞めなければならなかった、とひかり氏は話す。だが検事の仕事に情熱を持っており、絶対辞めたくないと思っていた。それを北川被告はよく知っていたという。同時に北川被告は組織のトップであり、最終的な人事権を握っていた。「だから怖くて、とても被害を訴えられないと思っていたのではないか」とひかり氏は話す。
■むしろ家庭があり、転勤しづらい女性だから狙われたという可能性
こうした危険はこれまで見過ごされてきたが、もっと周知して対策が講じられるべきだ。検事に採用される女性は、この10年で全体の3割から4割に上っているが、今から35年前頃は数パーセントだった。つまり現在上層部にいる大半は男性である一方、中堅以下の女性たちのボリュームゾーンが存在することになる。権力勾配が生じやすい状況だ。
民間企業でも、組織内のポジションにおける男女格差はずっと存在しているが、最近は育児と両立しながら働き続ける女性が以前より増えている。
もし育児のため転勤するのが難しいという女性の部下の弱みに付け込んで、性的なハラスメントが行われることがあったとしたら、卑劣な話だ。
これらのことが明らかにするのは、権力勾配を背景にした性暴行は、権力犯罪でもあるということだ。性という手段を使っているだけで、本質的には強者が弱者を蹂躙するタイプの犯罪であると言える。
■北川被告は傷つけた女性を密室に呼び出し、訴えないかと確認
被害を受けて以後、ひかり氏は当然のように、北川被告と職場で接することを避けていたが、決裁を口実に北川被告はひかり氏を呼び出している。被害者にとっては、密室で一対一で加害者と向き合うことになり、恐怖でしかない。そこで北川被告は、ひかり氏が訴えないか直接確認してきたという。
その時のひかり氏の気持ちを、北川被告が手紙の中で次のように引用している。
「レイプした部下を自分の部屋に呼びつけて、誰も立ち会わせずに話をさせることが、被害を受けた者にどれほどの恐怖で、苦痛で、更に傷を抉ることになるか想像できるか」

「顔を見るだけで、声を聞くだけで、存在を感じるだけで恐怖であることが理解できないのか」
これに対し北川被告は謝罪しつつも、「人に知られずに今回のことを解決するため」だったと言い訳をしている。被害者のことは何も配慮せず、自己利益を優先したことが浮き彫りになっている。「あの人がそんなことをするはずがない」といった信頼とは、うらはらの行為だ。
■被告は検察を辞めたが、退職金満額、企業の社外取締役にも
このような北川被告の行動も二次加害なら、その後何の罰も受けず、組織内で自由に振る舞う加害者の様子を見ることも二次加害だ。
北川被告は規定通り退職金をもらい、定年より早く退職した。
その後弁護士としての活動も始め、複数の企業の社外取締役も務めた(逮捕後、再任が撤回されている)。「本来なら逮捕されて懲戒となり、高額の給料も退職金ももらえず、弁護士資格も得られないはずなのに」とひかり氏は憤りを感じた。
それでも退職後は、北川被告は検察に関わらないようになるとひかり氏は思っていた。しかし北川被告は盛大な退官祝いパーティを開いてもらい、その後も検察幹部や職員と毎晩のように飲み歩き、密な交流を続けていた。飲み会の場で、コンプライアンスのあり方や部下との関わり方について説教しているという話も伝わってきた。周囲の人は何も知らないので、北川被告を囲む飲み会に、ひかり氏は数えきれないほど誘われたという。
■職場での二次加害が続き、「重いPTSDで仕事は無理」と診断される
口止めをする一方で、被害者の自分の感情を逆なでするような行動を取る北川被告に、どんどん傷口が抉られていったという。「心臓が止まるんじゃないかというほど胸が痛んだり、耳が圧迫されて聞こえなくなったり、のどの奥にいろいろなものが詰まっているように感じたり」するようになった。被害当初からそうした痛みは感じていたが、どんどん悪化していった。つらさを抑えるために、性暴力被害者の側に立ち、被疑者を起訴するための仕事に没頭したが、緊張と不安で床に入ってもほとんど眠れなかった。
早く病院に行かなかったのは、自分が崩壊しているのを確認したくなかったからだったという。まだ自分は検事としてやっていくのだと思っていた。しかし家族に心配されて初めて精神科に行った。重いPTSDで仕事は無理だと診断された。
自分を救い、また仕事ができるようになるには犯罪者をきちんと処罰する必要がある、とひかり氏は北川被告を訴えることを決めた。これは重要なポイントで、犯した罪に相応する処罰をすることが社会の安全のために必要であるだけでなく、それが一次加害および二次加害に苦しむ被害者を救うことにもなるという面は、もっと広く知られた方がいい。
■北川被告と親しい女性副検事が、ひかり氏が悪いという噂を流した
北川被告の逮捕後、ひかり氏はようやく職場復帰の準備を始めることができた。ところが知らない間に、北川被告と親しい女性副検事が、被害者がひかり氏であり、ひかり氏に落ち度があったかのような話を拡散していたのだという。女性副検事は事件直前の飲み会に同席しており、ひかり氏と同じフロアの同じ部署で働いていた。毒が投げ込まれたような気持ちになり、怖くなって職場に戻れなくなった。
「自分の心を深く傷つけていることを、興味本位で皆が話す。誹謗中傷は集団でいじめを受けるようなもの。大きな塊となってドーンとくる」「1回傷つくと、また経験するんじゃないかと怯えるようになる。人や社会や組織を信用できなくなってしまい、人間関係までうまくいかなくなる。その結果、能力が十分発揮できなくなる。自分は役に立たない、だめな人間だと感じるようになる」とひかり氏は話す。
■まるで「被害者に落ち度があった」かのような認識が広まる
ひかり氏がさらにショックを受けたのは、検察は副検事が噂を広めていたのを知っていたのに、ずっと放置していたことだ。「検察がすぐに止めていたらこんなに広がらなかった」とひかり氏は言う。ひかり氏の知るかぎり、自分に対する中傷は東京や海外にまで広がっていた。ひかり氏の支援者の中には実際、ある男性記者から「自分は知っているんだ」と、ひかり氏を中傷する噂を聞かされたという人がいる。
誰も止めてくれないので、ひかり氏は副検事を告訴したが、検察は彼女を不起訴にし、軽微な戒告処分をしただけだった。「性加害には必ず二次加害がくっついてくる。それなのにきちんと対処しないのは、結局、性加害を軽んじているからだ」とひかり氏は話す。「検察がしていること自体が二次加害。厳正に処罰してほしかった。これではまるで、誹謗中傷をされても検察は動かないし、被害申告をしてもむだだと一般の人は思ってしまう」と指摘する。
この誹謗中傷によりひかり氏は病休の継続を余儀なくされたわけで、検察は彼女のキャリアの継続のためにサポートする気がどれだけあったのだろうか。「仕事を失うことは、生活と命にかかわる重大なこと。男性は家族を支えると言うが、今の時代、女性も一緒。私たちも共働きで何とか回していた。独身だと女性も自分の生活を支える必要がある。働けないと経済的に困窮していく。私もこれからキャリアアップして、給料がやっと上がってくる時期にさしかかっていた」「夢を持ってやってきた仕事を奪われるのは、自分の半身を失ったようでつらい。性暴力は魂の殺人。でも魂だけじゃない、経済的な損失も大きい」とひかり氏は語る。
■女性を大事にできない組織が、まともに機能するはずがない
記者会見を開き、公益通報として窮状を訴えるようになって、検察内部ではひかり氏の孤立が続く。「匿名で支えてくれる少数の人たちを除いて、皆離れていった。私は仲間まで失ってしまった」
検察のこうした姿勢に対する批判は「『私の声まで奪うのか』大阪地検元トップの性加害を訴えた女性検事に『口止め』した検察の卑怯な『隠蔽工作』」に書いたが、社会は今、大きな転換点にさしかかっている。検察も例外ではなく、採用の3、4割が女性であるということは、彼女たちを大事にしないと、今後検察は立ちいかなくなるということだ。検察はただでさえ離職率が高く、パワハラ体質も強く、勤務状況も過酷だ。二次加害に遭うひかり氏をこのように扱っていることが、若い女性検事たちの目にどのように映っているだろうか。女性がわずかしかいない時代に育った幹部たちが、その時と変わらない価値観のまま検察組織を運営するのは、とうの昔に限界になっている。

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柴田 優呼(しばた・ゆうこ)

アカデミック・ジャーナリスト

コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。

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(アカデミック・ジャーナリスト 柴田 優呼)
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