■震源から1000キロ、バンコクの高層ビルが倒壊した
今年3月28日、ミャンマー中部を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生、震源から約1000キロ離れたタイの首都バンコクで建設中だった30階建ての超高層ビルが倒壊した。建設作業員らが倒壊に巻き込まれ、5月10日の捜索終了までに89人の死亡が確認されたという。
この地震によるバンコクの揺れの大きさは、体感や構造物への影響で測定する「改正メルカリ震度階」という指標で震度階級V(5)程度だったと推定される。日本で用いられる震度(気象庁震度階級)と直接的な比較はできないが、おおむね震度4程度に相当する揺れ方だ。
報道によると、倒壊したビルをめぐっては強度不足の鉄筋が使用された疑いがあるほか、エレベーターの構造にも欠陥があったとされ、タイ捜査当局は施工を担った中国国有ゼネコンの現地法人幹部らを逮捕している。日本のような頑強な耐震対策もなされていなかっただろう。それでも、震源から1000キロもの距離があり、中程度の揺れだった場所でビル倒壊にまで至ったのはなぜなのか。
大きな要因のひとつとして取りざたされているのが、「長周期地震動」だ。
■「遠く」に広がり「長く」続く
長周期地震動とは、大きな地震で生じる「周期」(揺れが1往復するのにかかる時間)が長い揺れのことだ。地震の揺れは震源で発生する地震波が地表に伝わることで起こる。
一般的な地震では、P波と呼ばれる縦揺れの初期微動のあと、S波と言われる横揺れの主要動が到達し、ガタガタと建物を揺らす。
一方、長周期地震動はこのP波・S波とは異なる波だという。
工学院大学建築学部の久田嘉章教授(地震工学)はこう説明する。
「P波やS波を実体波と言いますが、震源が比較的浅く、規模の大きな地震では、実体波のあとに表面波と呼ばれる別の波が生じます。これが長周期地震動をもたらすもので、地面の近くをゆっくりと、そして遠くまで伝わっていきます。遅いスピードでやって来て、長時間揺れることが特徴です」
■2011年3月1日大阪府咲洲庁舎で起こったこと
長周期地震動は関東平野や大阪平野など柔らかい堆積層の地盤を通ると増幅され、揺れが大きくなる。
また、マンションなどの高層建築物は、上階に行けば行くほど大きく揺れる性質がある。これは短周期の地震でも同じだが、長周期の場合、上層の揺れはより大きくなりやすい。
久田教授が続ける。
「建物に地震の力が加わると、自分のリズム(周期)で揺れ戻ろうとする性質があります。高層建築物では、この建物固有の周期と、長周期地震動のゆっくりした周期が一致しやすいんです。この周期が一致する、つまり共振すると揺れが成長して非常に大きくなっていきます」
長周期地震動は、過去の日本でも発生している。
特に大きく揺れたのが2011年の東日本大震災だ。この日、震源からおよそ770キロ離れた大阪府咲洲庁舎は約10分間にわたってゆっくりと大きく揺れ、最上階の揺れ幅は約2.7メートルにもなったという。この時、咲洲庁舎がある大阪市住之江区の震度は3で、地上にいる人のなかには揺れに気づかなかった人もいた。
■首都圏の高層ビルでは…
東京都心でも長い横揺れが続いた。都心の超高層ビルで東日本大震災に遭遇した人は、口々に当時の異様な光景を語る。
「免震構造のビルで、数十秒あちらに向けて揺れて、今度は反対向きに数十秒という振り子のような揺れが何度も繰り返された。向かいの高層ビルも同じ状態で、窓から見えるすれ違いの繰り返しが非常に気持ち悪かった」(汐留・42階)
「西新宿のビル群がそれぞれの周期で揺れていて窓が鏡のように反射して気持ち悪い映像だった。普段見えないビルの向こう側が見えた。コピー機が動いたり、天井の板が一部外れて落ちてきた」(東京オペラシティタワー43階)
「大きな揺れでスライド式の棚の扉が全部開いて、中のものが飛んできた。ゆっくりした揺れが続いて、頭では大丈夫だとわかっていてもこのままビルがポキッと折れるんじゃないかと不安だった」(新宿・42階)
「廊下にあった重さ約500キロの防火扉が倒れていた。長い揺れで何度も開け閉めを繰り返してねじ切れたか、外れたのだと思う。地震の後2~3日たってもビル内のあちこちで『ギーッ ギーツ』と音がして、揺れが継続しているような感じがした。
「長い時間にわたって左右に揺れ続けて、洋上で嵐に遭遇した船のようだった。アメリカの同時多発テロの光景が思い浮かんで、床が抜けてがれきと共に落下して、数秒後には死んでしまうのではないかと覚悟した」(ニューピア竹芝ノースタワー19階)
■南海トラフでは「最大6メートル」揺れる想定
いま、長周期地震動による被害が最も懸念されるのが、近い将来高い確率での発生が予測される南海トラフ地震だ。
政府の中央防災会議に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が2015年に公表した報告によると、最大級の想定地震が発生した場合、長周期地震動による「最大変位」が、中部圏と近畿圏の一部地域では「固有周期5~6秒の建物で300cm以上」、首都圏では、「固有周期5~6秒の建物で200cm程度」に達すると書かれている。
最大変位とは、長周期地震動によって生じる片側への揺れの大きさのこと。端から端まで、全体の振れ幅はその倍になり、中部圏・近畿圏では6m超、首都圏では4mもの揺れ幅になる可能性があるのだ。東日本大震災の際に観測された揺れを大きく上回る。
久田教授は言う。
「南海トラフ地震が起きると、震源域に比較的近い近畿圏や中部圏だけでなく、首都圏でも長周期地震動によってかなり大きな揺れが想定されます。南海トラフ地震の想定震源域から首都圏へは柔らかい堆積層が続き、東日本大震災の時以上に長周期の地震は増幅されて、非常に効率よく伝わってきてしまいます」
特に東京の湾岸エリアには、埋立地や緩い地盤の上に高層のオフィスビルやマンションがひしめいている。
こうした軟弱地盤の土地では、長周期地震動による揺れも、首都直下地震などが起こった場合に襲う短周期の揺れも増幅しやすい。
■「建物自体が倒れる可能性もゼロではない」
高層建築物は、基本的には「地震に強い」とされている。
1981年5月以降に適用されている「新耐震基準」を満たしたマンションならば、震度6~7の巨大地震が起きても、構造上建物自体が倒壊する危険性は低い。
ただ、中層以下のマンションでは1981年以前に用いられていた「旧耐震」の建物も多く存在しているほか、新耐震基準を満たしたものでも、場合によっては建物そのものへの大きな被害も起こりうると久田教授は言う。
「埋立地など地盤の悪いエリアに高層建築物を立てるときは、建物が安定するよう地下深くの固い地盤に達するまで杭を打ち込んで基礎をつくります。つまり、杭が長いということはそれだけ柔らかい地盤の層が厚い証拠で、そうした地形は地震の揺れも増幅されます。例えば30メートルとか50メートルの杭を打っているとなると、相当地盤が悪いと言えるでしょう」
中でも緩い砂地盤は、地震で液状化して流れる可能性がある。高層マンションでは、杭が折れて傾いたり、最悪の場合は倒れる可能性も「ゼロではない」という。
2024年1月1日に能登半島で起きた地震では、石川県輪島市で鉄筋コンクリート造りの7階建てビルが倒壊した。この倒壊は短周期の揺れが原因とみられるが、現場近くには液状化の痕跡があり、倒壊は杭の損傷が原因と推定されているという。
「もちろん、基本的に高層建築物では厳しい液状化対策をしているので大丈夫なはずですが、過去には杭の長さが足りておらずマンションが傾くという事件もありました。自分が住む場所や働く場所、これから住みたいと思っている場所の液状化の可能性など、地盤状況や、どの程度の長さの杭を打っているかは確認しておいたほうがいいでしょう」
■コピー機が凶器となって襲ってくる
また、建物の構造自体は無事でも、さまざまな被害が想定される。
東日本大震災を超えるような長周期地震動の巨大な揺れが襲ったとき、首都圏の高層ビルでは何が起こるのだろう。
久田教授は続ける。
「東日本大震災のときに東京が経験したものとはけた違いの、相当な室内被害が想定されます。建物の構造上の壁ではない間仕切り壁はゆがんだり、ひび割れたり、崩れ落ちたりすることがあります。天井パネルが剥がれ落ちるほか、壁のゆがみでドアが開かなくなるかもしれません」
固定が不十分な家具は倒れ、一部の照明器具も落下する。オフィスビルではストッパーが甘かったコピー機などの大型什器が滑り、凶器となって襲ってくる。ガラスを突き破り、地上まで落下する可能性すらあるという。
これらを原因とする人的被害も想定されるほか、二次被害の懸念もある。
「長周期地震動の長く、大きな揺れでパニックを起こしてしまう人もいるでしょう。ビルが崩れると勘違いして非常階段を転げ落ちたり、階段に人が殺到して押し倒されたりすることも十分にあり得ます。さらに、慌てて外に出れば外装材などの落下物の危険もあります」
また、エレベーター停止による閉じ込めも大きな課題だ。首都直下地震では、都内だけで最大で約2万2000台の閉じ込めにつながりうるエレベーターの停止が予測されている。
南海トラフ地震などによる長周期地震動でも、多数の閉じ込め被害が発生する可能性がある。
■揺れを感じた瞬間にすべきこと
必要なのは、基本を見直すことだ。
家具や什器をしっかりと固定することはもちろんだが、日々、住民間でコミュニケーションをとることが重要だという。
「高層マンションで被災した場合、基本的には同じフロアの人で助けあうしかありません。家具が倒れて動けなくなったり、ドアがゆがんで脱出できなきなったりしたとき、もっとも助けてもらいやすいのは隣人でしょう。日ごろからコミュニケーションをとって顔の見える関係を築いておくことが大切です」
また、前項でもふれたが、大きな揺れの中で無理に動けば、二次災害を招く可能性がある。
「実際に地震が起きたときは、慌てて非常階段は使わないこと。棚などから離れて落下物のない安全な場所で揺れが収まるまで待機するのが基本です」(久田教授)
揺れを感じた「その瞬間」、どう行動するべきか。きちんと知っておくことが、自分や大切な人たちの命を守ることにつながる。
超高層ビルやタワーマンションは、大都市圏を中心に増え続けている。不動産調査会社「東京カンテイ」のまとめによると、2024年12月末時点で、全国にある20階建て以上の分譲マンションは1561棟。24年だけで44棟が完成した。首都圏の1都3県で812棟、近畿圏の2府3県で400棟を占める。また、25年にも全国で41棟の竣工が予定されているという。商業施設やオフィスビルを含めると、その数はさらに多くなる。
仕事や食事、観光などで高層階に滞在する人も多い。都市の高層化が進む今、長周期地震動とそれによってもたらされる被害は、多くの人にとって無関係ではない。
久田 嘉章(ひさだ・よしあき)
工学院大学建築学部教授。地震動の数値シミュレーション開発や建物の地震対策、防災まちづくりを専門とする。2022年に東京都が公表した「首都直下地震等による東京の被害想定」では、東京都防災会議地震部会の専門委員として主に長周期地震動を受けた高層ビルの様相、耐震化の被害低減効果、帰宅困難者のシナリオなどを監修した。
----------
川口 穣(かわぐち・みのり)
ノンフィクションライター
1987年、北海道生まれ。大学卒業後、青年海外協力隊員として中央アジア・ウズベキスタン共和国に派遣、同国滞在中の2011年にライター活動を始める。登山雑誌編集者を経て、現在は雑誌・ウェブで取材・執筆。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長。著書に『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)、構成・文を担当した書籍に竹内洋岳『下山の哲学 登るために下る』(太郎次郎社エディタス)などがある。
----------
(ノンフィクションライター 川口 穣)