小さな企業が生き残るのには何が必要なのか。各地の職人や町工場と共同で商品の開発・販売を行う金谷勉さんは「1つの商品、1つのデザインが会社を変えることがある。
福井県鯖江市のメガネ関連会社の復活劇をご紹介しよう」という――。(第1回)
※本稿は、金谷勉『小さな企業が生き残る』(日経BP社)の一部を再編集したものです。
■メガネの街・鯖江の厳しい現状
福井県鯖江市といえば、みなさんがすぐ思い浮かべるのが眼鏡だと思います。実際、眼鏡フレームの国内生産シェアは約96%で、国産眼鏡フレームのほとんどを鯖江でつくっていると言ってもいい。なにしろ人口6万人のうち、10人に1人は眼鏡関係の仕事に従事しているというのですから、すごい話です。眼鏡の一大産地です。
でも、これって裏返せば、それだけ眼鏡への依存度が高いということ。眼鏡が売れなくなると人も街も元気がなくなってしまうことを意味しています。
2000年以降は、そうした悪夢が現実なものになっていました。中国産の安価な眼鏡を扱うチェーン店が登場し、いわゆる「価格破壊」の波が全国に押し寄せたのです。国内の需要が高まる一方で、鯖江の眼鏡関連の企業は軒並み売り上げを落としました。
そこに追い打ちをかけるようにやって来たのが2008年のリーマンショックです。
国内需要が冷え込んだことが大打撃となり、鯖江には豪雪地帯さながらの冬の時代が到来しました。
1995年創業、従業員15人と、家族経営が多い鯖江では中規模に当たる株式会社キッソオも、眼鏡メーカーに材料を供給してきた商社だけにもろに影響を受けました。2008年に8億5000万円あった売り上げは翌年には半減し、僕が出会った2012年2月には債務超過にあえいでいる最中でした。
■売り込んでいたのはメガネではなかった
出会った場所は東京インターナショナル・ギフト・ショー(日本最大の総合見本市、毎年2月と9月に開催)。出展者が百貨店や専門店といった売り手のバイヤーに会って自社商品を売り込める「ビジネスマッチング」の場でした。
その当時、僕らはまだ町工場の人たちとの協業を本格的に進めていたわけではありません。その前年に、同じビジネスマッチングで出会った福井県あわら市のリボンメーカーと、植物を模したしおり商品を開発したこともあり、僕自身、地方のつくり手といろいろなことを仕掛けていきたいと思っていたので、マッチング企画に参加したのです。
「あれ? 眼鏡とちゃうのか」
まず、キッソオという社名は聞いたことがありませんでした。資料に所在地が鯖江と書かれていたので、きっと眼鏡の商品を持ち込んでくるのだろうと思いきや、同社のディレクターである熊本雄馬さん(当時33歳)が見せてくれたのは、眼鏡のフレームの材料であるセルロースアセテートという素材でつくったリングやブレスレットでした。
■色合いや模様はきれいだけれど…
本業の眼鏡業界が苦しくなり、取り扱っている素材の注文が減っている。数年前から眼鏡の材料・技術を使って眼鏡ではないモノづくりをしようと、「鯖江ギフト組」という地元のつくり手が集まったグループで勉強会を始めたそうです。
そして、自社の特徴であるカラフルな素材を使ったアクセサリーのビジネスに乗り出した。
本業の眼鏡以外でなにか活路を見出せないかと模索していたわけです。
とはいっても、材料商社なのでこれまで完成品を売った経験もなく、眼鏡業界以外の人たちとも接したことがない。ギフトショーでブースを構えていましたが、販路をなかなか広げられずにいました。
当時、僕の会社セメントプロデュースデザインでは約500店のセレクトショップや雑貨店への取引口座を持っていたこともあって、僕らにそのアクセサリーを売ってもらえないかという相談でした。
見ると、色合いや模様はカラフルできれいでした。でも、素材にあまり詳しくなかった僕の目には単なるプラスチックに映った。
「金属でもないリングが4000円もする。こりゃ、売るのは大変そうやなぁ……」
これが第一印象でした。
■気持ちはあるが何をすべきかわからない
セルロースアセテートはイタリアから輸入している材料で、そもそも仕入れ価格が高い。加工代などを加えると必然的にこの価格になってしまうという説明でした。
当然、この価格になる理由を買い手に説明し、納得してもらわないと売ることは難しい。そのためには、こういうジャンルの商材は説得力を持たせる付加価値やストーリー、見せ方が必要になってきますが、その当時のアクセサリー企画ではこの点が伝わりにくいように感じました。

だからといって、これといった代替案がすぐに浮かぶわけでもなく、初回の面談はそんなもやもやした感じで終わりました。ちなみに、キッソオでは5社へマッチングの申し込みを行い、面談に至ったのは僕の会社1社だったそうです。
ギフトショー後、キッソオの熊本さんが熱心に僕の大阪事務所に通い始めました。会った際に僕がちょっとつぶやいたことなどを現場に持ち帰り、そこで考えた材料やサンプルを月に2回ぐらいは持ってくるのです。
半減した会社の売り上げは回復せず、頭打ちの状態が続いている。
「なにかをしなければならないが、なにをしていいのかわからない」
そんな焦る気持ちが表情からひしひしと伝わってきました。そこで、まずは現場を見るべきだろうと、デザイナーを連れて鯖江のキッソオ本社にお邪魔することにしました。
■本社で感じたハードルの高さ
よくよく聞くと、セルロースアセテートは熱に弱い性質があって曲がりやすいのだそうです。しかもイタリアで製造された材料を買ってくるので、日本でオリジナルの柄をつくることもできないとのこと。加えて加工賃も高くなるという。眼鏡にとっては優れた素材でしたが、それ以外の用途では実に扱いにくい素材でした。
仮にキーホルダーをつくったとしても売価が3000円を超えてしまう。

「3000円もするキーホルダーを、誰も買ってくれないやろうな……」
実に悩ましく、ハードルの高さをつくづく痛感しました。
材料をなるべく使わず、今ある設備でできる商品ってなんやろう?
僕の会社でさっそく具体的な商品案を練り始めました。デザインチームからは、時計、照明、フラワーベース、ボールペンのキャップ、収納ボックスなど十数案が出てきました。ただ、その段階では製造そのものが難しかったり、材料と価格が見合わなかったりと、どの案も課題を乗り越えられそうもなく、難航していました。
■33歳社員の「暴走」
ちょうどそのころ、僕は個人的にミミカキを探していました。ミミカキはツメキリ同様に日常的によく使うし、出張先にも持っていったりする。
ツメキリはすでにこだわってつくられたものが市場にあるのに対し、当時、ミミカキはドラッグストアで売っているものが大半。こだわっていても竹製のものがあるぐらいで、自分のライフスタイルに合って積極的に使いたいと思うミミカキがありませんでした。
「だったら自分でも欲しいと思えるものをつくってみてもええなぁ。イタリアの素材だし、イタリア人が使っても様になるようなものを」
そんな思いつきから、みんなが出したアイデアにミミカキの案を加えることにしました。
すると、このミミカキ案に熊本さんが飛びついたのです。
理由は他のプロダクトに比べると、ミミカキは1本の棒ですから、素材量が少なくて済む。
その分原価も抑えられるからです。そしてなにより決め手となったのが、眼鏡の加工法が使えるので新たな設備投資も要らないし、特別な技術も必要としなかったこと。しかも1枚の板から効率よく削り出せるので無駄もない点でした。
とはいっても、されどミミカキです。
どう見ても他人からすれば冒険です。キッソオの社内では自社ブランドに女性向けのアクセサリーをつくろうとしている矢先なわけで、まったく違う雑貨をつくる案に反対意見が出てつぶされかねない。熊本さんは、商品化を内緒で進める「暴走」に打って出ました。それだけ形にしたかった、結果を出したかったのだと思います。
■メガネ加工の技術を応用
これまでやったことがないことに挑戦するときは、時には無謀とも思える行動や思い切りが必要になります。
苦しいときはどうしても守りに入るし、悲観的になりがち。でも、新たな一歩を踏み出さないと、なにも変えることはできません。僕らも不安はあったものの、熊本さんの真剣さと熱意に引き込まれるような形で企画はどんどん進み始めました。

ところが、試作を始めるとすぐさま壁にぶち当たったのです。
外観がきれいなセルロースアセテート素材だけで一体成型することを目指したのですが、削り出すとどうしても先端部分が細く、薄くなる。これだと耳をかくときの加重に耐えられずに先端が折れてしまうという指摘が、工場から上がってきました。やがて試行錯誤の末、熊本さんからある提案がありました。
眼鏡フレームのこめかみ部分を加工する機械で本体に穴を開け、そこにチタンの棒を通してはどうかというものでした。実はこれは眼鏡のこめかみ部分にあたるフレームの歪みを補強するための「シューティング加工」という技術を転用したもの。すべてを眼鏡フレームの製法で、しかも数万円程度の金型費用でつくることができるわけです。
■こだわったパッケージ戦略
商品は出来上がったものの、次はいくらで売るのか。
最初に設定していた想定販売価格から原価コストを算出していったのですが、どう頑張っても原価が3000円を超えてしまうことがわかりました。市場を調べて僕が想定していた価格は高くてもせいぜい2000円どまり。だったら、いっそ使う素材も一番良いものに変えてしまおうと、強度とバネ性に優れ、チタンでも最高クラスのβ(ベータ)チタンに切り替えました。
「でも、こんな高額のミミカキが果たして売れるんやろうか?」
不安は募るばかりです。
パッケージのデザインが勝負を分けるだろうと感じました。
当初、社内から出てきたアイデアは試験管のような筒型のパッケージでした。商品の形状から普通に考えると筒型になるのかもしれませんが、そのままだとペンのようにレジ横で、しかも束ねた状態で売られる可能性があります。100円台の商品ならそれでも構いませんが、3000円を超える商品では販売につながらないかもしれない。
考えてみると、初めてこの商品を見る人がすぐにミミカキとわかるだろうか。なんの説明もなければ、おそらくわからないままでしょう。売り場でしっかりと接客をしてもらえるように仕向ける必要があります。そこで、売り場に並べる際に必然的に平置きされ、ある程度スペースを確保できることを狙って、箱型に変更しました。
■3900円のミミカキ
さらに、置いてあるだけで人の目をひきつける仕掛けも欠かせません。
そこで思いついたのが、紳士や少女が眼鏡をかけているように見えるデザインでした。これなら眼鏡由来のミミカキであることを、見ただけでなんとなく伝えられる。「ギフトとして贈られるミミカキ」という今までにない領域を切り拓いていくうえでも、こうした遊び心が有効に響くのではないかと考えました。
説明パンフレットには「『かける』ではなく『かく』」というメッセージを加えました。
商品名も「Sabae mimikaki(サバエ ミミカキ)」とし、あくまでも眼鏡の産地鯖江の商品であることを強調しました。内職にかけるコストも惜しんで、熊本さんの奥さんにお願いするほどギリギリで調整したにもかかわらず、販売価格は税別3900円。これにはちょっとビビりました。
なにはともあれ、2012年9月のギフトショーで晴れてお披露目となりました。
キッソオの熊本さんと出会ったのが2月ですから、半年足らずで商品ができたわけです。僕らの会社でもダントツの、あり得ないほどの早さ。熊本さんをはじめとするキッソオ側の、会社の現状を変えたいという熱い思いと、ためらわない行動力にただただ僕らも突き動かされたからだと思います。
■予想の5倍の注文
とはいえ、3900円の売り値に対する不安は依然拭い去ることはできず、ギフトショーの初日を迎えるまではドキドキでした。初回に用意したのは1000個。箱の原価を考えた際の印刷の最低ロットが1000個だったので、それに合わせてつくることにしたのです。
「1000個ぐらいだったら、1年あればなんとか販売できるやろう」と腹をくくりました。
そうした在庫のリスクはキッソオに負担してもらい、商品・パッケージ・パンフレットのデザインから展示会出展、そしてプロモーションと営業まではセメントが持つというリスクシェアをしました。
ギフトショー当日になると、そんな心配をよそに、ブースには次から次へと来場者が集まってきました。誰もが初めて見るミミカキに興味を示している。結局、会期中に入った注文は5000本を超しました。当時、改装工事中だった梅田阪急(大阪市)から、2期オープンで開く催事の目玉で扱いたいという申し入れもありました。
「ひょっとしたら」という期待もありましたが、ここまでの反響は予想外でした。同時にほっと胸をなでおろしました。でも、そんなうれしさの余韻に浸っている場合ではありません。1000本しか用意していなかったので、慌ててキッソオに追加注文をお願いしました。
■メガネの会社からミミカキの会社へ
広告などは一切打っていませんが、メディアが面白がって次々に取り上げくれたことも大きかった。デザイン誌の『日経デザイン』に至っては、その年の12月号で表紙にミミカキの写真を掲載してくれました。
翌年にはグッドデザイン賞も受賞し、僕らにとっても、キッソオにとっても初めての出来事が連続して起こり、互いに喜びました。
こうした露出と拡散も手伝って、発売から2年で販売本数1万5000本を突破し、4年で3万6000本を超すロングセラー商品に成長したのです。
その後、キッソオとは同じセルロースアセテートを使って、眼鏡フレームのレンズ枠の加工技術を応用した「Sabae kutsubera(サバエ クツベラ)」、また、丸く切削する技術で「Sabae tsumekiri(サバエ ツメキリ)」を開発しました。後者は岐阜県関市の刃物技術と協業した取り組みです。眼鏡の材料と加工技術で生まれたギフト向けのグルーミングセットが着々と揃っています。
ミミカキが売れ、メディアにも取り上げられ、一躍「ミミカキの会社」として有名になったキッソオ。もともと手がけていたアクセサリーも順調に伸び、5年でアクセサリー事業部の売り上げは12倍に拡大(註:数字は書籍刊行時。現在は14倍に)。材料商社から雑貨メーカーへのジャンプ(進化)に成功しました。
■「金融機関のほうから融資の話を持ってくる」
これにともなって、財務状況も大幅に改善したそうです。
なにしろ、材料販売の粗利率は卸だけに低くならざるを得ません。対して自社で開発する雑貨は粗利率が40%を超す。雑貨の売り上げ比率が高まることで債務超過だった瀕死の状態を脱し、2014年には黒字にも転じています。
また、2022年には直営店もオープン。アクセサリー販売売上の約半分をECなども含めた直販が占めるようになったことでさらに利益率が改善し、コロナ禍も乗り越えることができたといいます。
「金融関係に追加融資を受けるのが非常に難しかった。ところが最近は、金融機関のほうから融資の話を持ってくる」とキッソオの吉川精一社長は満面な笑みで話してくれます。どこか、「してやったり!」という思いもあるのでしょう。
また、社員を募集していないのに、吉川社長のもとには県外から「入社したい」という問い合わせが入るようになったと聞きます。同社が鯖江、ひいては福井の有力企業として注目されるようになった証しといえるでしょう。
ちなみに、僕の会社も、webデザインや展示会ブースのデザインの仕事を頂くようになり、キッソオは「相談される会社」から「仕事を依頼してくるクライアント」に変わっています。
1つの商品、1つのデザインが会社を変える。
大きい会社となるとこうした変化はなかなかダイレクトに感じにくいもの。デザインが持つ影響力とすごさをあらためて感じました。

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金谷 勉(かなや・つとむ)

セメントプロデュースデザイン社長

1971年大阪府生まれ。京都精華大学人文学部を卒業後、企画制作会社、広告制作会社を経て、1999年にデザイン会社「セメントプロデュースデザイン」を大阪にて設立。企業の広告デザインや商業施設のビジュアル、ユニクロ「企業コラボレーションTシャツ」や星野リゾート、コクヨとの企画ディレクションなどに携わる傍ら、自社商品の開発・販売を行う。2011年からは、全国各地の町工場や職人との協業プロジェクト「みんなの地域産業協業活動」を始め、つながった工場や職人は500を超す。経営不振にあえぐ町工場や工房の立て直しに取り組む活動は、テレビ番組「ガイアの夜明け」(テレビ東京系列)や「NHK WORLD」(NHK)で取り上げられる。各地の自治体からの勉強会や講演の依頼も多く、年間200日は地方を巡り、京都精華大学や金沢美術工芸大学でも講師を務める。

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(セメントプロデュースデザイン社長 金谷 勉)
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