※本稿は、和田秀樹『熟年からの性』(アートデイズ)の一部を再編集したものです。
■日本各地に性器を神として祀る信仰がある理由
日本の各地には、男女それぞれの性器のかたちを彫った石造物が、道祖神みたいに道端や村境などに祀ってあったりしますね。
どんなものなのか、興味のある方はネットで「性神」とか「生殖器信仰」といったキーワードで探すと、多種多様なものを見ることができます。
中には「双体道祖神」といって、男女が性交しているものや、男神が女神のおっぱいをもんでいるものなど、じつにユニークは性神様もいらっしゃいます。
ちなみに、性器を神として祀る信仰を「性器信仰」または「生殖器信仰」といい、性器は「性神」といいます。
日本人が、男女の性器のかたちを彫った石造物(性神)を道端や村境などに祀るようになったのはなぜか?
日本は農業国だったので、セックスは繁栄の証であり、五穀豊穣の祈りに通じるものとして、生命力あふれる「おめでたい」ものという考えがあったからではないでしょうか。
現に、男性器や女性器を祀った祠(ほこら)や神社などが各地にあり、お祭りのときは神事として「おかめ」と「天狗の面」をかぶった男女(実際はふたりとも男)が神前で、しかも参拝客がたくさん見ている前で、セックスの演技を行う儀式がいまだに続いているところもあります。
でも、これを当局が取り締まったという話は聞いていません。
■万葉歌人も詠んでいた超エロチックな歌
また、日本神話や奈良時代の『万葉集』などにしても、エロチックなものが少なくないですね。例えば、『万葉集』のなかの山上憶良の歌に、次のようなものがあります。
「天の川相向き立ちて我が恋ひ君来ますなり紐解き設けな」
(私訳:天の川を挟んで向き合って立ち、恋しいあの人が来るのを下着の紐を解いて待っていましょう)
一年に一度、七夕の日だけ会うことができる恋しい彦星と、一刻も早くセックスをしたいと思っている織姫が、下着の紐を解いて待っているという意味です。
もうひとつ、こちらは柿本人麻呂の歌集(巻十二相聞)にある作者不詳の歌です。
「人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日ぞ多き」
(私訳:人の目につく着物の上の紐は結んでおいて、人の目につかない下の紐はほどいて、あなたを恋い慕う日が多いのですよ)
「着物の下の紐をほどいて……」ということは「セックスをしたい」という意味でしょう。こちらもかなりエロチックな歌ですね。探せばほかにもたくさんあります。
ですから、日本人はもともと性に対して大らかだったのです。
■日本人にとってセックスは「エネルギッシュなもの」
また、浮世絵の春画であれ、谷崎潤一郎や川端康成みたいな文豪たちの、老年の性を扱った小説であれ、他人の性行為を描写したものがけっこうたくさんありますが、日本人はそういうものを見て、何か元気をもらえるところがあったのではないでしょうか。
つまり、日本人はセックスというものが“エネルギーを与えてくれるもの”と考えていたのではないか。
「セックスはエネルギッシュなものという位置づけだった」、と私は思っています。
ですから、男性器なるものは「たくましさ」の象徴みたいなものであったし、女性器は「母なるもの」の象徴みたいな感じだったのでしょう。
■江戸時代では混浴など当たり前だった
「日本人は、昔は性に対して大らかだった」といいましたが、「大らか」というより、「当たり前のこと」として認識していたのかもしれません。
江戸時代、いやもっと古い時代から、庶民は明らかに性に奔放だったと思えるのは、性的なお祭りや浮世絵春画などを見てもわかります。
江戸時代の銭湯などは男女混浴でしたから、風紀がどうのという意識はまったくなかったようで、春画には銭湯で何組もの男女がセックスをしているところを描いているものさえあります。
春画は「枕絵」と呼ばれ、結婚する娘に性教育の教科書として使われていました。
また、戦国時代には「春画を持って出陣すると勝つ」という俗信も生まれ、武士たちは鎧櫃(よろいひつ)に春画を忍ばせて戦場に出たとも言われています。そういうことから、春画は「勝ち絵」と呼ばれたりもしました。
ほかにも、春画には「火除け」や「厄除け」などありがたいご利益があると信じられていました。
そして、浮世絵春画は、19世紀にゴッホや印象派の画家たちに影響を与えることになりました。そんな歴史があり、現代になって、日本より先にヨーロッパで春画展が開かれるようになりました。
■ヨーロッパから始まった浮世絵春画展
ピカソも春画に影響を受けたといわれ、2009年にはバルセロナのピカソ美術館でピカソと春画の関係性にフォーカスした特別展が開催されたこともありました。
ヨーロッパ各地で開かれた春画展の中でも、特に2013年の大英博物館の「大春画展」は評判を呼び、9万人の来場者がありました。そして、なんと、そのうち6割が女性だったのです。
大英博での成功を受け、日本でも浮世絵春画展が企画されたのですが、20カ所以上の美術館に断られ、最後に細川護煕元首相の永青文庫が引き受けてくれて、やっと実現したのでした。
数ある日本の美術館のなかでも、「うちでやりましょう」と手をあげてくれるところがなかったのですね。
警察に対して睨みが利く元首相くらいしか春画展はできないんだ、と噂されました。
春画は日本で生まれたものなのに、なぜそんなことになったのでしょうか。
■なぜ日本人は性に不寛容になったのか?
キリスト教文化の国では19世紀くらいまでは性的なものに対する抑圧はきびしいものでした。
日本は明治以降、近代化のために、欧米の文化にならって、その性的にきびしいキリスト教文化を取り入れてしまったために、このような状況(性的なものに対する不寛容な状況)になったと考えられます。
例えば、結婚前の処女性にこだわるのもキリスト教の考えですし、キリスト教の中でもカトリックは、セックスは子供を生むためのものであるとして、少なくとも快楽のための性を否定しています。
そのため、いまだにアメリカの宗教原理主義者たちは堕胎も禁止していますし、避妊もカトリックでは基本的にやってはいけないことになっています。
それまで日本人にとっては「当たり前」だったことが“劣情”とみなされるようになったのは、近代化のためにヨーロッパ文化を取り入れ、「性」に対するキリスト教の考え方が影響したと考えられます。
■昭和以降「ぜいたくは敵だ」と検閲されるように
さらに昭和になって軍部が台頭してきて、性に対する厳しい検閲が始まり、戦時下になると、「欲しがりません、勝つまでは」とか「ぜいたくは敵だ」などといって、国民に我慢を強制するようになりました。
文学などの性的描写ばかりか、ただ性を連想させるものにさえ検閲がどんどん厳しくなってきたのです。
考えると、キリスト教文化が流入したことに加え、昭和になってからの軍国主義的精神が、日本人の性に対する不寛容な考え方に影響しているのではないかと思います。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。
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(精神科医 和田 秀樹)