■3年ぶりに1%の利下げを行ったロシア中銀
ロシア中央銀行は6月6日、政策金利を1%ポイント引き下げ、年20%にすると決定した(図表1)。利下げはおおよそ3年ぶりとなる。
足元でインフレの加速にピークアウトの兆しが窺えることに加えて、年明け以降は通貨ルーブルの相場が着実に持ち直していることから、高金利を緩和できる環境にあるとロシア中銀は判断したようである。
とはいえ、政策金利が20%である一方で、消費者物価が前年比10%程度だから、両者の乖離は10%ポイント程度と、依然として大きい。消費者物価の上昇率を大幅に上回る金利を2年ほど続けた結果、ロシア中銀はようやく、わずかながら金利を下げるという判断を下すことができたわけだ。こうした状況は、本質的には金融緩和とはいえない。
現にエリヴィラ・ナビウリナ中銀総裁は、ロシア経済を「全速力で走る自動車」に例えて、引き続きロシアのインフレリスクを注視し、その制御の必要性を訴えている。確かに今回、ロシア中銀は政策金利を引き下げたが、これが金融緩和の始まりではなく、あくまで景気や物価のオーバーヒートを抑制する必要があるという認識を示している。
当のロシア経済は停滞色を強めている。2025年1~3月期の実質GDP(国内総生産)は前年比1.4%増と、24年10~12月期(同4.5%増)から成長が大きく鈍化した。生産は軍需関連が堅調だが、民需関連が軟調である。一方で、消費も前年割れが視野に入る状況であることから、景気は成長率のイメージ以上に悪化していると判断される。
ここで景気に配慮して大幅な利下げを行うと、ナビウリナ総裁が指摘するように、インフレに歯止めが利かなくなる恐れがある。景気低迷の主因は民需の不調にあるが、その民需は軍需による圧迫を受けている。
つまり軍需向けのモノやサービスの生産が優先される環境で民需を刺激すれば、インフレが需給の両面から促されて、大惨事となる。
■原油相場の下振れ、輸出も輸入も足踏み
国内で生産できない民需向けのモノは輸入で補えばいいが、その輸入もまた足踏みが続いている(図表2)。つまりロシアの輸入は、2023年後半から四半期で700億米ドル台、年間だと3000億米ドル弱のテンポで横ばいとなっている。輸入品には軍需品も多く含まれているため、国内で不足する民需品のどの程度カバーできているか不明だ。
ではなぜ輸入は足踏みしているのか。技術的には、欧米による金融・決済面からの締め付けが大きいと判断される。一方で、そもそも輸出が、原油相場の低迷を受けて停滞しており、それも輸入の制約になっていると考えられる。ロシアは基本的に、石油やガスといった化石燃料を輸出し、それで得た外貨でモノを輸入する経済であるためだ。
原油相場の軟調の直接的な理由は、最大の需要家である中国の景気低迷にある。加えて4月以降は、いわゆる「トランプ関税」に伴う不確実性が、原油相場を下振れさせた。こうした状況の下で、国際価格より安価に取引されているロシア産原油にはさらなる価格下落圧力がかかっているため、ロシアの輸出は厳しさを増している模様である。
軍需による民需の圧迫を和らげるために、ロシアは輸入を増やして総供給を増やしたいところだ。
しかし輸出が不調であれば、外貨を稼ぐことができないため、輸入の拡大に制約がかかる。現在のロシアの輸入の不調は、民需の「弱さ」を反映するのではなく、民需を犠牲にするロシア経済が抱える構造的なぜい弱性を示すものだといえよう。
■景気失速も停戦交渉の理由の一つに
6月2日、ロシアとウクライナは前月に続いて、トルコ最大の都市イスタンブールで停戦に向けた直接交渉を行った。新たな捕虜交換などで合意したものの、停戦に向けた具体的な話は、前回と同様に、今回もまとまらなかった。しかし、この停戦に向けた交渉は、もともとはロシアのウラジーミル・プーチン大統領が呼び掛けたものである。
プーチン大統領としては、米国の仲介が期待できないことに加えて、欧州と米国の関係がトランプ関税を巡って悪化していることなどに鑑みて、ロシアに有利なかたちでの停戦に持ち込みたいという思惑があるのではないか。ロシア経済が余力を失っていることも、プーチン大統領がこのタイミングで停戦交渉を持ちかけた理由の一つだろう。
特に原油価格の下振れで、ロシア政府は予算を実質的に組み直す必要に迫られている。このまま原油価格が軟調に推移すれば、政府は、膨張する軍事費を国債の発行で賄わなければならない。とはいえ、国債を引き受ける民間の投資家は限定的だから、結局はロシア中銀が買い支えることになる。そうなれば、金融面からインフレとルーブル安が加速する。
それでも、経済運営の統制を強めれば、ロシアはウクライナとまだまだ戦える。
一方、その選択は国民の生活に多大な犠牲を強いるため、プーチン大統領としても渡りたくない橋だろう。戦争が3年以上も続いていることもあり、国民の不満が募っている。経済と政治の両面で、できるだけ早期での停戦を、ロシアも実現したいところだろう。
■経済成長が“歪み”の証左
洋の東西を問わず、戦時期において進む軍需による民需の圧迫であり、その結果としてのインフレの対処は、継戦能力を維持するうえで最も優先すべき政策目標となる。国民生活を強く圧迫するため、国内で内乱が生じ、戦争が不可能となりかねないためだ。歴史的に革命を経験しているだけ、ロシアはこの展開に対してナーバスといえよう。
こう考えていくと、ロシア中銀のナビウリナ総裁が、金融緩和に対して極めて慎重な姿勢を保つ理由も頷けるところである。ようやく物価や通貨に安定の動きが出てきたとはいえ、これらも消費者物価上昇率の10%ポイント以上の金利を設定し続けて、なんとか実現した経済的な成果だ。戦争が続く以上、ロシア経済は常に暴走しかねない。
そもそもロシアでは、ウクライナとの戦争が始まって以降、政府と中銀の予測を上回り続ける経済成長が記録されている。こうした状況をして、経済が堅調に推移していると居評価を下す論者もいたが、基本的には軍需の膨張に伴う“歪”な経済成長である。要するに政府と中銀は、ここまで戦争が激化するとは考えていなかったのだろう。

民需の強い圧迫を伴う以上、そもそも不健全であるし、持続可能性も高くはない。中銀は今年の経済成長率が1~2%増と、グローバルな景気の減速もあり、昨年の4.3%増から低下すると予想している。それでも今年の成長率が中銀予測を大幅に上回るようなら、それはロシア経済にとって、活況よりも悲鳴を物語る数字になるのではないか。
(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)

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土田 陽介(つちだ・ようすけ)

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員

1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。

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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介)
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