人間の性意識は、どうすれば正しく把握できるか。医師の和田秀樹さんは「1976年にアメリカで出版され、世界21カ国語に翻訳されビリオンセラーとなったシェア・ハイト博士の『ハイト・レポート』は、『性的なことは恥ずかしいことではない』という意味づけを理論的に報告している。
中でも第9章の「女性は年をとるに従って能力が増大し、幼児期から生涯にわたって性の楽しみを味わえる」という報告はかなり衝撃的なものだった」という――。
※本稿は、和田秀樹『熟年からの性』(アートデイズ)の一部を再編集したものです。
■セックス三昧だった心理学者
キリスト教の影響で性的なことに対する抑圧が強かった欧米が、ゆるやかになったのはいつ頃からでしょうか。
ひとつには、ジークムント・フロイト(1856~1936)の弟子のウィルヘルム・ライヒ(1897~1957)が、性の解放を主張したあたりが考えられます。
そもそもフロイト自身も、「性欲を抑圧しているから自分は神経症だ」などといっていましたし、ライヒがそれをさらに一歩進めて、「性的なものを解放することが人間の解放なんだ」と、1930年代に主張をしていました。
けれども、現実にライヒの主張が多く受け入れられたのは、70年前後のヒッピー文化の頃でした。ライヒの主張はヒッピーの教科書として使われました。
それと、フロイトという人は非常に抑圧の強い人だったので、ひょっとしたら奥さんしか女性を知らないのではないかという説があります。
その点、弟子のカール・グスタフ・ユング(1875~1961)という人は、いい加減というか奔放な人でした。
フロイトのお気に入りの患者さんとセックスしたり、自分の患者さんとセックスしたり、奥さんと愛人をいっしょに住まわせて3人でベッドに寝たりと、めちゃくちゃなことをしています。
ユングはそういう人だったので、「性的なことの抑圧が心の病の原因だ」と主張するフロイトと比べて、性的にはまったく抑圧されていなかった人でした(笑)。
■「性の科学」により生まれた「無意識理論」とは
それに対して、性的に抑圧されていたフロイトは、いわゆる性的なエネルギーが人間に果たす役割とか、人間の本能に影響をどのくらい与えるのかとか、心の病にどう影響するのかといったことを、突き詰めて研究したわけです。

そういうことからフロイトは、いわゆる「性の科学」と呼ばれる研究分野での第一号になりました。
もうひとつ、フロイトの大発明といわれるのが「無意識」というものでした。
フロイトの言う「無意識」とは、自分で自覚することのできない抑圧された心の深層のことを指しています。
フロイトは、「無意識」は過去の経験や体験によって作り出されるものであるとし、人間は常に自分の行動を自分でコントロールしているのではなく、欲求や願望が無意識に自分の行動をコントロールしていると考えたわけです。
要するに、「人間というのは、意識していない心の世界に動かされる生き物なのだ」という概念です。
結局、フロイトの性についての理論を突き詰めたのがライヒで、その無意識理論をさらに発展させたのがユングでした。
■世界に先駆けてポルノを解禁したスウェーデンとデンマークの国策
先ほど、70年前後のヒッピー文化の頃に、ライヒの主張が多く受け入れられたと言いましたが、欧米では、60年代後半から70年代にかけて、いわゆる性的なるものに対するタブー視が急にゆるみました。
どうしてか?
これについては、いろんな説がありますが、現在の日本と同じように国民の高齢化に頭を悩ませていたスウェーデンとデンマークは、1967年に世界で初めてポルノを解禁し、ポルノ映画の上映を合法化しました。
つまり、人さまのセックスとか性器を写した映像が許されるようになったわけです。
その時代に、国が高齢者に活力を与えて元気にするために、性的なものを解放すべきと考えていたということは、今の日本人からすれば、大変な驚きです。
そのころのスウェーデンとデンマークの高齢者率は13%(当時の日本はまだ6%)で、世界でいちばん高齢者の多い国でした。
そういう事情もあって解禁したのかわかりませんが、いずれにせよ、性的なもので高齢者が元気になるということを経験的に知っていたのでしょう。

だから世界に先駆けてポルノを解禁したわけです。
ポルノの解禁に非常に意味があるのは、売春を公認するのとちがって害が少ないし、そのうえもっといいことに男性ホルモンが増えるからです。
■日本の性教育を世界より遅らせた「はどめ規定」
スウェーデンとデンマークほどゆるやかではありませんが、アメリカやヨーロッパのキリスト教文化の国々でさえ、無修正ポルノが解禁され、映画でも写真でもぼかしのないものを観たり買ったりすることができます。
ただし、写真などは見たい人がポルノショップなどへ行って買うものとしていて、子供の目に触れるところには置いていません。
その点、デンマークは進んでいて、1967年に世界で初めてポルノを解禁した3年後から、学校での性教育が義務教育課程に導入されました。
また、スウェーデンでは同性愛、小児性愛なども含むポルノが合法化され、児童ポルノの所持、頒布、陳列が合法となりました(これは現在では非合法ですが)。
こうした“性の先進国”に比べて、日本の性教育は、世界的にみて遅れていると言われています。
その理由は何でしょうか?
要因のひとつとして、いわゆる「はどめ規定」と呼ばれるものがあるからだと考えられます。
「はどめ規定」とは何かというと、日本では、体の器官、月経、性感染症、性暴力などについては学校で教えられているのですが、学習指導要領のなかに「性行為は取り扱わないこと」という趣旨の文言があるのです。
これが「はどめ規定」と呼ばれるものです。
要するに、「子供に性的好奇心を喚起させるような情報をわざわざ与えるべきではない」「寝た子を起こすな」という、一部の人の意見がいまだにまかり通っていて、性教育を否定しているからなのです。
■スウェーデンの高齢者施設で売られている「驚きの物」
「性の先進国」と呼ばれているスウェーデンでは、他にも非常にユニークな政策を行っていて、国民の幸福度も高く、寝たきりの老人もほぼいないと言われています。

ユニークな政策といえば、スウェーデン南部ブロビー村の高齢者施設リンドガルデンの例をあげることができます。
そこでは、「健康的な性生活を送ってもらうためのプログラム」なるものを導入しているのです。
高齢者施設に「性生活を送ってもらうためのプログラムを導入」なんて、ちょっと驚きですが、「さすが」と思わされますね。
この施設には65歳以上の入居者が50人くらいいるのですが、入居後は直ちにカウンセラーとの間で性的関係や性欲について、ざっくばらんな意見交換が行われています。
また、施設の職員は全員が性科学の専門家から研修を受けた人たちばかりなので、入居者は悩みや困り事があったときは、職員に相談して専門的な対応を受けることもできます。
なんといっても驚かされるのは、施設の売店では入居者用に性具や潤滑剤なども販売していることです。
入居者たちは、そこで必要なものを自由に買い求めることができ、買い物をした籠には、ドアノブに下げる「邪魔しないで」と書かれたプレートも入っているとか。
■日本の高齢者施設でも一部の施設で性の新しい取り組みも
日本の高齢者施設でも、入居者の「性にまつわるトラブル」が問題になっていますが、施設側でも対策の一環として、性に対する新しい取り組みをはじめているところもあるようです。
例えば、スウェーデのリンドガルデン施設に似た取り組みをしていて、売店で性のセルフケアグッズを販売したり、入居者が集まるロビーにも商品を置いて、希望者が気軽に手に取れるようにしている施設があります。
施設の運営に関わる人がスウェーデンやデンマークなどを視察して、「なるほど、いい考えだ」と思って導入したのかもしれません。
ただ、そういう施設はまだほんのひと握りしかありません。もっともっと広がっていくといいですね。

■欧米の人々の性の意識を変えさせた『ハイト・レポート』の衝撃
「性的なことは恥ずかしいことではない」、という意味づけを理論的にしたのが、1976年にアメリカで出版されたシェア・ハイト博士(1943年~)の『ハイト・レポート』だと考えられます。
ハイト博士は面接調査を行い、1974年に男性の性行動を、1976年に女性の性意識と性行動についてまとめて報告。
これが『ハイト・レポート』といわれるもので、全米をはじめ、世界21カ国語に翻訳され、ビリオンセラーとなりました。
あらゆる世代の女性の生の声をのせた本は、世界じゅうの女性たちに驚きと感嘆をもって読まれました。
著者のシェア・ハイトさんが女性だったから、女性ならではの質問をすることによって、女性の本音について触れることができ、それがたまたま時機を得たというか、ある種のうねりがあったときに、それを理論的に支えたこともありました。
『ハイト・レポート』より40年くらい前に出たアルフレッド・キンゼー博士の『キンゼー・レポート』は、調査方法などについていろいろ問題があったと言われていますが、『ハイト・レポート』は、あらゆる年代の女性に対して性生活に関する事細かな質問をし、そこから得た回答を完全に匿名で記述したものだったので、性の実態が生の言葉で率直に表現されていました。その点で『キンゼー・レポート』よりもかなりインパクトが強かったようです。
■女性の性の本音が明らかにされる9つの章
『ハイト・レポート』について少し詳しく説明しますと、女性版は1972年から数年にわたって約4500人もの女性に対してインタビュー(面接)し、さらに全米10万人の14歳から78歳までの女性に質問書を配布し、3000あまりの人から寄せられた回答を詳細に分析して、当時の米国女性の性の実態を赤裸々にして、1976年に報告したものでした。
質問は、まずオーガズムの有無、感じ方などから、そのときの両脚の格好にはじまり、自慰の経験、方法、意識等々と続き、性交、クリトリス刺激の詳細、女性同性愛、男性への性的隷属、性革命、高齢女性の性など広範囲に及び、それまで決して語られることがなく、女性自身が他の女性の様子を知るすべもなかったリアルな情報がぎっしり詰まっています。
章立てとしては、以下のように9章にわかれ、各章ごとに多くの女性の本音が書かれています。
1 マスターベーション

2 オーガズム

3 性交

4 クリトリスへの刺激

5 レズビアニズム

6 性的奴隷

7 性革命

8 年配女性たちの性

9 新しい女性のセクシュアリティに向かって
中でも第9章の「女性は年をとるに従って能力が増大し、幼児期から生涯にわたって性の楽しみを味わえる」という報告はかなり衝撃的なものでした。
報告書を通して、多くの女性が男性主導のセックスになんらかの不満を持っていることがわかるだけでなく、それがどんな不満なのかなどを具体的に知ることができます。

また、男性にとっても、女性の性の生理、感覚、感情、希望、欲望、男性への本音などを具体的に知ることができるので、勉強になり、性生活に役立つのではないかと思います。
興味のある方には一読をおすすめします。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。

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(精神科医 和田 秀樹)
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