なぜ「愛子天皇」待望論が唱えられるのか。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「愛子内親王は、象徴天皇制のもとでの皇族としてのふるまい方を自ずから身につけている。
その点で別格である」という――。
■「子どもに継いでほしい」という親の想い
娘しかいない父親の心境はいかなるものなのか。現代の天皇家について考える上で、その点は、実は重要である。
かくいう私も、娘しか子どもがいない父親である。もし、自分に息子がいたとしたら、今とはやはり違う心境になるのではないか。そう思うときがある。
私は長く宗教学を学び、物書きをなりわいとしている。学者の家の場合、子どもも学者になるということは少なくない。天皇家のように継承が絶対的なわけではないが、学者の親は子どもにも知的な職業に就いてほしいと望むものだ。
昔は特にそうした傾向が強かった。直接、子どもに学者の道を歩ませるようなこともあったが、優秀な弟子と娘を結婚させ、後継者とするようなこともあった。宗教学の世界では、その創始者とされる姉崎正治(まさはる)は娘を、戦後の宗教学界をリードする岸本英夫に嫁がせている。
姉崎自身、その前任者と言える井上哲次郎の姪と結婚している。井上は、内村鑑三の不敬事件で内村を激しく攻撃したことで知られる。
もちろん、現代では、かつて宗教学の世界であったようなことは起こらなくなった。しかし、現在の私にも子どもに何かを継いでほしいという思いはあり、娘が東大を受験するときには、自分の受験の経験にもとづいて、かなりアドバイスはした。
■沖縄訪問の真意とは何か
現在の天皇には、愛子内親王という娘しかいない。現在の規定では、女性が天皇になることはできないし、皇太子になることもできない。歴代の皇室において皇太子が不在のときもあったが、それは異例のことだった。現在の天皇には、弟の秋篠宮という皇嗣(こうし)はいるが、皇太子はいない。今の制度では、秋篠宮が天皇に即位しない限り、その子である悠仁親王が皇太子になることはない。
こうした状況にある現在の天皇の立場は、相当に微妙なものである。しかも、国会では、皇統の恒久的な安定と皇族の確保のための議論が進んできた。結局、具体的な法案にはまとまらなかったものの、それは当事者である天皇や皇族がかかわらないまま進んでいった。

天皇の立場からすれば、そうした問題について無関心ではいられない。一般国民以上に関心を持っているはずだし、危機感はもっとも強いだろう。しかし、立場上、そうしたことについて発言することはできない。
発言は許されていなくても、行動で示すことはできる。それが、6月4日~5日に行われた、愛子内親王を伴っての天皇夫妻の沖縄訪問だったのではないだろうか。
■「慰霊の旅」は天皇のライフワーク
今年は戦後80年の節目の年であり、今回の沖縄訪問は戦没者の慰霊を目的としたものだった。戦争末期の沖縄は激戦の地であり、多くの戦没者が生まれた。しかも、日本本土の占領が終わりを迎えてからも、沖縄はアメリカによる占領下におかれ、それは1972年に「本土復帰」が果たされるまで続いた。
もともと沖縄には、日本本土に対する複雑な感情があった。したがって、1975年に現在の上皇夫妻が沖縄を訪問した際には、過激派による火炎瓶事件が起こっている。
戦没者に対する「慰霊の旅」は、上皇夫妻にとって天皇に在位していた時代のライフワークであった。それを現在の天皇夫妻が受け継ぎ、今年は、「玉砕の島」の一つである硫黄島からはじまり、沖縄の後には広島や長崎を訪れることが予定されている。

そうした慰霊の旅に愛子内親王が同行したことは、実はこれまでにないことだった。上皇夫妻の慰霊の旅に、現在の天皇も秋篠宮も、さらには清子内親王(現・黒田清子氏)も同行したことはなかった。
■重要な意味を持つ愛子内親王の同行
今年の2月、天皇が65歳の誕生日を迎えた際の記者会見で、「愛子にも、戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたい」と述べている。産経新聞(6月4日)の報道によれば、この時点から、天皇には沖縄に愛子内親王を同行させることを希望しており、雅子皇后も同じ考えであったとされる。
そうであるなら、今回の愛子内親王の沖縄訪問は、天皇夫妻が強く望んだことで実現したことになる。
愛子内親王の将来の道としては、結婚して皇室を離れることが考えられる。ただ、国会で議論が進められたように、結婚した皇族女性がそのまま皇室に残り、「女性宮家」が創設されることもありうる。今のところ、それは決定されてはいないのだが、天皇としては、そうしたことも考えているはずだ。
女性週刊誌では、今回の同行について「愛子を魂の後継者に」(「女性自身」2025年6月24日号)という見出しが躍っていたが、これを見て、重要な点を突いていると感じた。これから、愛子内親王がどういう人生を歩んでいくにしても、今や皇室の伝統になった慰霊の精神を娘にも受け継いでほしい。その点で、今回の同行は、前例のないものである分、極めて重要な意味を持っているのである。
■女性宮家創設案のゆくえ
国会で、皇族数の確保について審議が行われても、結論が出なかったのは、女性宮家が創設された場合、その夫や子どもを皇族とするかどうかで議論が分かれたからである。

皇族としないのであれば、それは、明らかに男女差別である。女性が皇室に嫁いだ場合、無条件で皇族になる。美智子上皇后も雅子皇后も民間の出身で、皇太子と結婚することで皇族となった。ところが、愛子内親王が結婚後、女性宮家を創設したとき、その相手は皇族としないことを強く主張する人々がいるわけである。
女性宮家が創設されたとしても、夫や子どもを皇族としないのであれば、皇族の数は減らないにしても、数が増えるわけではない。それでは現状に大きな変化は生まれない。皇族でありつづける女性と結婚する相手が現れるのか。女性宮家の創設は、今でも難しい皇族女性の結婚のハードルを、さらに上げるだけになるのではないか。その懸念はどうしてもぬぐえない。
それは、戦後すぐの段階で皇籍臣下した旧宮家の男性を皇族の養子にしようとする案についても言える。それに該当する男性はいるようだが、すでに80年近く一般国民としての生活を送っており、人生の途中から皇族になることは相当に難しい。
美智子上皇后や雅子皇后が皇室の一員になったとき、「ご成婚」ということで、国民は歓呼の声で大歓迎をした。
それに類したことが、養子になる旧宮家の男性に起こるとは思えない。最初に国民からどう受け取られるかは、その後に強く影響する。
■なぜ愛子内親王は別格であるか
愛子内親王の場合には、皇族として生まれ、しかも、象徴天皇制のもとでの皇族としてのふるまい方を自ずから身につけている。そこには、「国民ファースト」の精神を受け継いでもらいたいという天皇夫妻や、さらには上皇夫妻の願いもこめられている。その点で、愛子内親王は別格であり、だからこそ愛子天皇待望論が強く唱えられるのである。
皇位の安定的な継承や皇族数の確保について、本来なら、天皇の考えを聞きたいところである。だが、その道は封じられている。
そうした状況の中で、私たち国民は、その行動から、天皇の真意を理解していく必要がある。なぜ沖縄に愛子内親王を同行したのか。今のところ、天皇が甥である悠仁親王を慰霊の旅に同行することは考えにくい。
天皇自身が愛子内親王の天皇への即位を望んでいるとまでは言えないだろうが、週刊誌の見出しが示唆するように、精神の面での後継者になることを望んでいる可能性は極めて高い。その点についてどう考えるのか。
私たち国民は、天皇の真意を理解した上で、国会が議論を深化させるよう見守る必要があるのではないだろうか。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)

宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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