■炎上中の「遺族年金改正法案」は本当に改悪か
2025年5月16日、年金制度改正法案(正式名称は「社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律案」)が国会に提出され、5月30日に衆議院で修正の上、可決。6月13日に成立する見通しです。
今回の年金制度改正では「被用者保険の適用拡大等」「在職老齢年金制度の見直し」「遺族年金の見直し」「厚生年金保険等の標準報酬月額の上限の段階的引上げ」「将来の基礎年金の給付水準の底上げ」、そして私的年金制度の見直し等さまざま改正が盛り込まれています。
本記事では今回の年金制度改正の中でも特にSNS等で話題となっている「遺族年金」の改正について解説します。
遺族年金の前に、大前提となる公的年金制度の概要について確認しておきましょう。
日本は国民皆年金ですから原則として20歳から60歳までは1階部分である国民年金(基礎年金)に加入、そして会社員や公務員の人はさらに2階部分となる厚生年金に加入します。
国民年金および厚生年金の2階建てとなっている公的年金は、現役時代に保険料を払いながら次のようなリスクに備える“公的な保険”と言えます。
・老齢:高齢になることで、勤労による収入がなくなってしまう
・障害:障害を負うことで、勤労による収入がなくなってしまう
・死亡:死亡することで、それまで生活を支えられていた遺族が生活に困ってしまう
中でも1つ目のリスクに相当する「公的年金は老後に受け取るもの」と理解している人も多いと思いますが、公的年金“保険”は老後(老齢)だけではなく、障害になった場合や死亡した場合にも給付を受けられる制度なのです。
このように、公的年金はこれらのリスクに備える保険と言え、どの原因で受け取るかによって、それぞれ老齢年金、障害年金、遺族年金と呼ばれています。
今回の法改正の対象となっている遺族年金(「遺族厚生年金」「遺族基礎年金」)について具体的に見ていきましょう。
■会社員は遺族年金でいくらもらえるのか
では、現行制度下において会社員の場合、遺族年金はいくら受け取れるのか。確認してみましょう。
会社員は基礎年金のほか、毎月の給与から天引きされる形で厚生年金保険料を納付していますから、きちんと保険料を払い、公的年金(厚生年金)に加入しています。つまり、民間の生命保険に加入せずとも、すでに死亡した場合に備えた保険に一定程度は加入している状態と言えます。
ここでは、妻と2歳の子どもがいる会社員の夫が30歳で死亡した場合の遺族年金額を考えます。
夫は22歳から会社員として働き、30歳までの平均月収が35万円だった場合です。
会社員の遺族年金は、遺族厚生年金と遺族基礎年金の2つに分かれます。
遺族厚生年金は厚生年金への加入期間が25年未満の場合は25年加入として年金額が計算され、今回の場合、平均年収35万円・25年加入の老齢厚生年金相当額×4分の3=年間約43万円となります。
金額は一定の上限はあるものの、基本的に給与収入に比例して増えていきます。(この計算式は改正後でも変わりません)
これに子ども(年金制度上、18歳になった年度末まで、または障害状態にある20歳未満の方)がいる場合に遺族基礎年金も受給できます。
今回の例では子どもが一人ですから、基本年金額の約83万円(定額の基礎年金額、2025年度)に1人分の子の加算額である約24万円を合計した年間約107万円を子どもがいる間は受給できます。(後述しますが、改正後は加算額の約24万円が約28万円に)
「子どもがいる間」というのは、子どもが18歳になった年度末まで、つまり一般的には高校を卒業するまでになります。
まとめると今回の例の会社員の場合、遺された妻と子どもは遺族厚生年金と遺族基礎年金の合計で年間約150万円(月額約12.5万円)の遺族年金を受給できるのです。
■現行の遺族厚生年金制度にある問題点
このように遺族年金は生計を維持していた人が亡くなった場合に支給される年金給付のひとつですが、現行制度では受給の要件に男女差があり、子どもがいない60歳未満の方が受給できる遺族厚生年金は次の図表2のようになっています。
夫が死亡し妻が遺族となった場合、妻が30歳未満の場合は5年間の有期給付、30歳以上であれば無期限の給付です。
30歳未満で子どもがいなければ養育費の負担はなく、ご自身で働きながら収入を得ていくことも可能でしょうし、将来的に別の人と再婚する可能性も考えられます。そういったことから、30歳未満の場合は5年間の有期給付になっています。
一方、妻が死亡し夫が遺族となった場合、夫は55歳未満の場合は遺族厚生年金を受給できません。また55歳以上60歳未満の場合には受給権は発生するものの、実際に受給できるのは60歳以降となります。
このように現行の遺族厚生年金は男女差があるのですが、女性の就業率が向上してきたこともあり、こういった男女差を解消していこうというのが今回の遺族厚生年金の改正です。
■5年間の有期給付の意味
改正後は、以下の図表3のように妻、夫ともに同じ条件となり、子どものいない60歳未満の遺族の場合、5年間の有期給付となります。つまり、5年間で生活を立て直し、新しい人生を歩んでいきましょう、ということです。
30歳以上の妻にとっては改悪かもしれませんが、60歳未満の男性にとっては大幅な改善と言えるのではないでしょうか。
すでに見たように、子どもがいる場合は遺族基礎年金および遺族厚生年金の2階建てで遺族年金を受給します。
子どもがいる間は今回の改正による影響はないのですが、子どもが18歳になった年度末以降(年金制度上の“子ども”がいなくなった後)は影響を受けます。
現行制度では、子どもがいた状態で遺族年金の給付が始まった場合、子どもが18歳になった年度末以降、遺族基礎年金の支給は停止されるものの、遺族厚生年金は無期限で支給されることになっています。
しかし、今回の改正後はこの遺族厚生年金の無期限の部分が5年の有期給付になります。この部分については、改正前は無期限で受給できているわけですから改悪と言えるでしょう。
■遺族厚生年金の金額は1.3倍に
今回の改正では一部、「5年の有期給付」になるなど改悪と見える部分もありますが、一方で受給要件が緩和されたり増額されたりして、改善される部分もあります。
まず有期給付で受給する場合の遺族厚生年金の金額が、これまでよりも増額(有期給付加算と呼びます)され約1.3倍となります。また、遺族となった妻もしくは夫の所得や障害の状態によって配慮が必要な場合には、5年目以降も最長65歳まで給付を継続する配慮措置が講じられます。
さらに亡くなった配偶者の方が報酬が高かった場合には亡くなった配偶者の厚生年金記録を分割し遺族の年金記録に上乗せする「死亡分割」という仕組みも導入されますので、老後の年金額が増額されます。
最後に、現行の遺族厚生年金では「生計を維持されていた」遺族が受給できる、つまり遺族の年収850万円未満が要件でしたが、今回の改正でこの要件が撤廃されますので、遺族となった配偶者は年収水準によらず受給できるようになります。
SNSなどでは遺族年金が5年で打ち切られることになり「改悪だー!」と騒がれていますが、詳細を見ていくとさまざまな状況に応じた配慮がされていることも確認できるのではないでしょうか。
■これまで対象外だった1.6万人が給付対象に
今回の遺族厚生年金の改正は、男性は2028年4月から実施、女性は2028年4月から20年かけて段階的に実施されていく予定です。ここできちんと理解しておきたいのは、次の方は今回の改正の影響を受けないということです。
・60歳以上で死別された方
・子どもがいる方
・改正前から遺族厚生年金を受け取っていた方
・2028年度に40歳以上になる女性
厚生労働省による試算では、改正後に原則5年の有期給付の対象となる女性は年間約250人である一方、これまで受給対象外だった男性で新たに5年の有期給付の対象となる人は約1万6000人と推計しています。改正前であれば無期限で受給することができた女性にとっては確かに改悪かもしれませんが、一方で新たに受給できるようになる男性もいます。
男女の収入格差は減少傾向にあるとは言え、まだ完全になくなったわけではないかもしれません。しかし、今回の改正も女性については20年間かけて段階的に実施していくものであり、男女の収入格差がさらに是正されていく可能性もあるでしょう。
■加算額が約30万円アップすることも
遺族厚生年金の「改悪」に注目が集まっていますが、今回の改正では遺族基礎年金の改正も盛り込まれています。
遺族基礎年金では子どもの人数に応じた加算額があります。改正前の加算額は、こども2人目までは一人につき年額23万4800円、3人目以降は1人につき年額7万8300円でした。子供が3人いる家庭では、年額54万7900円の加算額となっていました。
それが、子供の人数にかかわらず一律で子供一人当たり年額28万1700円(いずれも2024年度価格)となります。3人いる家庭では年額84万5100万円となり、29万7000円のアップとなるわけです。
さらに、改正後は子どもを養育している人の状況に影響されず、子どもが遺族基礎年金を受給できるようになります。具体的には、次の図表5にあるような事例です。
例えば、事例1は「元夫の死亡後、妻が遺族基礎年金を受給していたが、妻が再婚したため、妻は遺族基礎年金を受け取れなくなった」というものです。
現行制度では、このように子ども自身の選択によらない事情で遺族基礎年金が受け取れなくなってしまうこともあるのですが、改正後は改善され、引き続き遺族基礎年金を受け取れるようになります。
■「公的年金はあてにならない」では損をする
このように今回の改正では働き方や生き方、家族構成の多様化に対応するため、遺族厚生年金の5年有期給付に限らず、さまざまな改正が行われます。
改正項目の1つだけに注目すれば改悪となっている部分があるのは確かです。しかし、公的年金制度は最大公約数的に、より多くの人に適切な保障が提供できるように設計されていると言えます。すべての人にヌケモレなく、くまなく完璧な保障が提供されるものではありません。
大切なことはすでに加入している公的年金制度からどのくらいの遺族年金を受給できるのかご自身の状況について確認しておき、万が一の際の保障が足りない場合には必要な保障について、民間の収入保障保険などで補完しておくことです。
「公的年金はあてにならない」などと、はなから確認もせず、すべてを民間の保険でカバーしようとすると必要以上の保険料を払ってしまい、無駄な支出が増えてしまう可能性があります。
自分の場合に遺族年金がどのくらい受け取れるのかを確認し、必要な分だけ民間の保険でまかなうのが賢い家計管理、資産形成と言えるのではないでしょうか。
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横田 健一(よこた・けんいち)
ファイナンシャルプランナー
1976年生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同大学院修士課程修了。マンチェスター・ビジネススクール経営学修士(MBA)。
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(ファイナンシャルプランナー 横田 健一)