この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■国家公務員でDVの父親
中部地方在住の二藤瑞子さん(仮名・50代・既婚)は、国家公務員の父親が43歳、看護助手の母親が37歳の時に生まれた。
「両親の馴れ初めは聞いたことがありません。国家公務員の父は、『俺が1言ったら10悟れ』『俺の3歩下がって歩け』『女のくせに~するな』『女はこうあるべき』が口癖で、アルコール、麻雀、女、タバコが大好きで、看護助手をやっていた母は父に対等に見られておらず、まるでお手伝いさんのように扱われていました。仕事帰りに父は、8畳二間の家に10人近くの仲間を毎晩のように連れて帰ってきて、麻雀やらカラオケやらで深夜まで大騒ぎしていました」
母親は父親から命令されるがまま働いていた。それを見て育った二藤さんは、物心ついた頃から、タバコがいっぱいになった灰皿を片付けたり、お酒をふるまったりしていた。
「『タバコを買ってこい!』と言われて、自分のおやつ代を握りしめて買いに走ったのもこの頃。
幼い頃の二藤さんにとって、父親が帰宅する夕食の時間が最も嫌いだった。
父親は一人で帰宅した時は、「酒! 飯!」と叫び、家族を無視して飲み始める。そのまま夕食タイムに突入すると、酔っ払い始めている父親は、ついているテレビの内容や母親、二藤さんの些細な言動で暴力が発動する。母親が少しでも反論しようものなら、熱いお茶をぶっかけたり、せっかくの夕食をぶちまけられたりするのは日常茶飯事だった。耐えられず母親が泣き出すと、父親はさらにイライラがエスカレート。幼い二藤さんは母親を守ろうとするが、大の男に敵うはずもなく、かえって怒りを買い、頭や腕を叩かれあっけなく撃沈。父親の暴力によって母親も二藤さんも怪我をすることがあったが、母親は「体裁が悪い」と言って病院には一度も行かなかった。
「サザエさんのような楽しい会話が飛び交う食卓が現実に存在するなんて、小学校の高学年になるまで信じられませんでした。食卓が家族のコミュニケーションの場とは思えませんでしたし、家族の食事がおいしいと思ったことはありませんでした」
成長するとともに二藤さんは少しずつ学んでいった。
「口答えも会話もしなきゃいいんだと。
二藤さんは、大晦日や運動会が大嫌いだった。なぜなら、父親が朝から晩まで酒を飲むからだ。
酔っ払ってくると母親を怒鳴り散らし、その勢いで飲み食いしたものを吐いてしまうこともあった。運動会では、友だちにだらしがない父親の姿を見られるのが嫌だった。
外で飲んで帰ってくることもあった父親は、時々警察の世話になったこともある。警察から電話がかかってきて母親が迎えに行くと、
「こんなアホな女は知らん! なんで来やがった!」
とキレた。
「夜中なのに母は、必ず私を連れて行きました。私がいた方が父は暴れないと思っていたのだと思いますが、実際は私がいてもいなくても一緒でした。私は牢屋に入れてもらえばいいのにと思いましたし、父はもちろんですが、母に対しても『あんなに馬鹿にされて、情けない』と思っていました」
■育児放棄する母親
二藤さんの家庭は、母親にとっても地獄だったようだ。
二藤さんがまだ幼稚園に行っていた頃、雑誌の付録を「一緒に作って」と頼んだことがある。
しかし母親は「できるところまでやりな」とイライラした調子で言った。母親と一緒に遊べると思った二藤さんは嬉しくなって、組み立て前の切り取るところまでやって、また声をかけた。すると母親は、「本に作り方が書いてあるでしょ?」と目もくれない。二藤さんが「でもわかんない」と甘えた声を出した途端、
「作れないなら何で買ったの!」
と母親が怒鳴った。まるで大嫌いな父親と同じような怖い声だった。
また母親は、二藤さんに歯磨きを教えなかった。幼稚園で初めて歯磨きを知った二藤さんは、親の膝の上でゴロンと寝そべり、仕上げ磨きをしてもらう子が羨ましくて仕方がなかった。
幼稚園の先生によって、二藤さんの乳歯が虫歯だらけになっていたことが発覚すると、歯医者通いが始まった。
小学校に上がったばかりの頃、二藤さんがトイレに起きると、父親が酔い潰れて眠った隣で、母親が缶ビールを飲みながらタバコをふかしていた。
「今まで母のそんな姿を見たことがなかったから、ショックでしたね。母は、父のことも私のことも、もう嫌だったんでしょうね。
小学生の頃の二藤さんは、教師や男子とも仲が良く、クラスの中心的人物だった。しかし満たされなかった。
「友だちから家族の幸せそうなエピソードを聞くと羨ましくて、むしゃくしゃして、つい靴を隠したり、下校時に『お菓子持ってこい!』って命令したり、『○○ちゃん無視ね。裏切ったら次のターゲットだから』っていじめていました。4年生の時は私みたいな家庭の友だちがいたので、2人でつるんでいじめていました。最終的には短期間でしたが私がターゲットにされてしまい、身をもっていじめられる側の気持ちがわかり、それ以降、いじめはやめました」
しかし6年生のクリスマスのこと。仲の良い友だちの家庭の話を聞くうちに羨ましくなり、クラスの女子を集めて二藤さんの家でクリスマス会をすることになったが、その子だけ呼ばなかった。
するとその子の親から母親に話が行き、「そんな事やったらだめでしょ!」と叱られた。
「何も響きませんでした。父からも何か言われたと思いますが、いつも怒鳴られているし、『母や私をいじめているお前が言うなよ!』と思うだけで全く響きませんでした。ただ、担任の先生から注意された時は、良い生徒と思われたくて、素直に謝りました」
小5になった時、高校で寮がある看護科が存在することを知った二藤さんは、「看護師になって、実家から遠いところに就職しよう」と思い、その高校を目指した。
しかし合格したものの条件が合わず、寮に入ることはできなかった。仕方なく、3年間我慢した二藤さんは、実家から通えない県外の看護大学の推薦枠を獲得し、見事合格。学歴のない両親は反対しなかった。二藤さんは家を出ることに成功した。
■反面教師
二藤さんは18歳のとき、洋服直しをしている会社の経営者兼職人である同い歳の男性と知り合う。その年のうちに交際が始まると、22歳で結婚。「女は25歳までに結婚するものだ」という古い考え方の両親は喜んだ。
「実を言うと、私は家族に求められない分、小5の時から彼氏がいました、心のオアシスといったら大げさですが、誰かに支えてもらいたい気持ちが強かったと思います。私は『母のようにはならない!』『父みたいな人は選ばない!』と、酒に呑まれない人、家族や親戚に優しい人、共に笑って過ごせる人を求めていました」
二藤さんは結婚と同時に看護師の仕事を辞め、3人の子どもに恵まれた。
実家を出て以降、二藤さんは、最低でもお盆と正月には実家に帰省していた。子どもが生まれた後は、夏休みや冬休みなどの長期休みの際に遊びに行くようになった。
「親戚や近所の子たちと仲良くなって、大きくなってからは、子どもたちだけで泊まりに行っていました。ただ、長男には障害があり、パニックを起こすと落ち着くまでに時間がかかるのですが、そんな時、父はぱちーんとほっぺたを数回たたき、怒鳴りました。その時の顔は、私や母を睨む顔と同じでした。その後のフォローはもちろんありません。孫にまで手を出すんだと思うとショックでしたね……。でも、子どもたちが3人とも小学校に上がると、お互いに守り合うようになったせいか、父が手を挙げることはなくなりました」
一番下の子が2歳で保育園に入った31歳の頃から、二藤さんは看護師に復帰した。
■母親の異変
父親は国家公務員を52歳で早期退職し、その後は運搬の仕事に就き、65歳で退職。それからは朝から下着姿でずっと酒を飲んで過ごしていた。
一方、母親は家事に畑仕事にと、父親にこき使われながらも、近所の俳句サークルに所属。ウオーキングで意識的に身体を動かし、大きな病気はもちろん、風邪もひかずに過ごしていた。
ところが2018年になったばかりの頃のこと。ちょっとやそっとでは寝込まなかった母親が、「体調が悪い」と二藤さんに訴え始めた。
「母は81歳の春頃から、『横腹が痛い』『重い』と訴えていました。父にも相談したそうですが、『俺だってお前たちのために働きすぎてボロボロだ。お前は思いやりも情けもない冷たいやつだな。湿布貼って畑仕事してこい』と言われたそうです。だからずっと、畑仕事による筋肉痛だと思い込んでいました。母は昔から貧血があったのとコレステロール値が高かったため、時々内科にかかっていたので、私はそのかかりつけ医に相談するように言いました」
母親はかかりつけ医を受診したが、医師は母親の「筋肉痛だと思う」と言う言葉を信じたのか、湿布を出しただけだった。
夏になっても母親の横腹の痛みは良くならない。再びかかりつけ医に相談すると、総合病院の受診を勧められる。
母親が総合病院に行く日、心配だった二藤さんは付き添った。血液検査や便検査、エコー検査などを受けた結果、なんと母親はステージⅣの大腸がんと判明。医師から「手の施しようがありません。余命3カ月でしょう」と告げられた。(以下、後編へ続く)
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)