■なぜ日本では「ジブリ作品」を配信で視聴できないのか
2025年5月『火垂るの墓』が日本のNetflixで配信された。
ジブリ作品といえば、DVDなどパッケージを購入しておく以外には、日本テレビの「金曜ロードショー」で不定期に放送されるのが唯一の視聴方法だった。『火垂るの墓』は2018年以来テレビ放送がなく、今回の配信インフラによってようやく「見たい時に見られる状態」になった。
だがいまだに他のジブリ作品は「日本人だけ」が配信で見ることができない状態だ。Netflixは2020年からジブリ作品を、日本とアメリカ・カナダ以外の全世界へ配信している。(註:アメリカ・カナダではワーナーのHBO MAXが配信)
コロナ後は日本以外の全世界が一気にジブリ作品を自由に見始めた、という状況なのだ。
アニメが誰のものかを考えれば、仕方がないともいえる。1984年『風の谷のナウシカ』から2006年『ゲド戦記』までは徳間書店が出資し、1989年『魔女の宅急便』からは日本テレビが出資。ジブリ映画は基本的にこの2社を中心とした製作委員会で支えられてきた。
そうなると映像の使い先としては視聴率をだせる放送内利用が最優先であり、配信に売り切ってしまうわけにはいかない、ということだろう。
■なぜトトロが世界中で愛されるようになったのか
日米加以外の190カ国近くに配信されたNetflixでのジブリ作品の視聴状況はどうだろうか。
例えば、『となりのトトロ』だと、「500万人程度が660~800万時間視聴する」という傾向がほとんど落ちることなく、それが2年間続いている。
NetflixのNo.1視聴となった「ONE PIECE: Season 1(実写版)」の場合は5.4億時間(23年下半期)→0.9億時間→0.6億時間(24年下半期)と下がっているが、むしろこちらのほうが「普通」なのだ。基本的にはピークを頂点として少しずつ次のシーズン再開までは低速になっていくのが当たり前のNetflix舞台上で、スタジオジブリの作品は常に一定数の視聴者を“永続的”に囲い込み続けている。
一般的に、通常放送のアニメにくらべ、劇場版アニメは世界での広がりが鈍い。それにもかかわらず、『となりのトトロ』はなぜ世界中で愛されるようになったのか。その経緯を、Netflix配信後のデータを分析し、世界のアニメファンがどのように反応していったかを見ていきたい。
■きっかけは1枚のバス停の絵
ひとまず『となりのトトロ』がどうやって生まれたかについて振り返りたい。
スタジオジブリとしては1984年『風の谷のナウシカ』、1986年『天空の城ラピュタ』ときて、1988年に3度目のチャレンジとして誕生した作品である。
冒険活劇が2回も続き、次も同じことをやったら終わりだということで、趣向を大きく変えることになった。
作品の端緒は、宮崎駿氏が『アニメージュ』に“ちょっと描いてみた”という具合に投稿していた1枚のバス停の絵だ。これをベースに話を膨らませた。
1980年代、戦前を知る世代にとって映画は別世界に連れていってくれるものであり、「昭和30年の日本の田園時代にお化けと子供たちの交流」という話に“貧乏を思い出す”と嫌がったのだという。
それで2本立てならいいだろう、と新潮社が出資する高畑勲監督の『火垂るの墓』と徳間書店が出資する宮崎駿監督の『となりのトトロ』をあわせて上映することになった。だが、それを聞いた徳間書店の副社長は「お化けに墓までくっつけるのか!」と激怒、火に油を注ぐような座組だったようだ。
ジブリの前2作は東映配給だった。だが「うちのカラーに合わない」と東映から断りが入り、急遽東宝に持ち込んだ。受けてはくれたものの、仕上がりの『火垂るの墓』の宣伝ポスターをみて、「こんな暗いポスターで客が来るわけないだろう!」と、東宝ともひと悶着あったようだ。
■高畑氏と宮崎氏というライバル
ただ、よきライバルでもあった高畑氏と宮崎氏の2本立てということで、クリエイティブの面では相乗効果があった。
『火垂るの墓』は作家・野坂昭如氏の同名小説がもとになっている。そもそもは、アニメージュ編集長尾形英夫氏が「日本は戦争に負けた。大人は自信を失ったけど、子供たちは元気だった。そういう映画を作りましょう」というところを発端に企画が始まった。
野坂氏も「映画になど出来るはずがないと思っていた」が、本作をみて「アニメ恐るべし」と思ったという。そのくらい秀逸にできあがったアニメ作品を、宮崎氏が意識しないわけがない。
当時、「ネコバス」の原型を考案していた宮崎氏は、「ネコが空を飛ぶ、そんなバカなことやってられないよ。俺も文芸で行く!」と言い放ったという。トトロという架空のキャラクターを題材に決めるも、試行錯誤が続いた。
鈴木氏が「でもね、宮さん。あのネコバスは秀逸なキャラクターであると、高畑さんが言ってましたよ」というと「あ、そうですか」と宮崎氏は納得したようで、自身が得意とするエンタメ路線に軌道修正されたそうだ。
■「大コケです、ほんとに大コケ」
間をつなぎ続けた鈴木氏も苦労が絶えない創作過程だった。プロデューサーは2本ともに原徹氏を指名。なぜ同じ人物をプロデューサーにしたのか。製作がはじまれば、やがて高畑さんと宮崎さんはケンカになる。
後の『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』のときにも同じ構図で(こちらは2本立てではなかったが)2人のライバル関係こそが、ジブリ映画の真骨頂とすらいえる。
結果として『火垂るの墓』は間に合わなかった。高畑氏は公開延期を主張。宮崎氏は「『火垂るの墓クーデター計画』こうやれば『火垂るの墓』は完成する!」と作業を早めるために技術的な提案をして介入を試みたという。なんとか2本同時上映とはなったが、上映時に、2カ所色がついていない状態でスタートせざるをえない状況だった。
1カ月での動員は45万人(最終的には80万人)。これに鈴木氏は「大コケです、ほんとに大コケ、全然お客さん来ないんです」と述懐する。
のちにその45万人は『千と千尋の神隠し』で初日で超えることになる数字だ。当然ジブリのブランドにとっても好ましくない結果である。
■トトロが生んだ意外な副産物
東映の担当者からは「宮崎さんもそろそろ終わりだね」と言われる。
鈴木氏は当時の心境を「そのときから、僕は本気でヒットをめざし、宣伝にも全力で取り組むようになりました」「僕が初めて、映画ってヒットさせなきゃいけないって考えるのは『魔女』です」と回顧する。結果としてプロデューサー心に火をつけたことになった。
映画としては惨敗した『となりのトトロ』は意外な副産物を産んだ。それはジブリにとっての「派生ビジネス」だ。
いまではド定番のトトロのぬいぐるみも、ジブリ自身が企画したものではない。ぬいぐるみメーカーが「ぜひうちに商品化させてほしい」と何度も説得され続け、映画公開の2年後にようやく売り出された。
1990年から販売がはじまったぬいぐるみが予想外に売れ、映画の制作費の補填になり、会社のマークもそれ以降はトトロを使うようになる。
ジブリは基本的に自社のキャラクターを他社のコンテンツコラボにはださないし、協賛企業の広告にも基本的には使わせない。映画至上主義のスタイルをとってきた会社といえる。だが、実際にはトトロのぬいぐるみをきっかけに社内にキャラクター商品部も設けて、本格的な展開を始めている。
こうした柔軟性は、日本では難しくとも海外ではネット配信をすすめたところにも見られる
■海外のアニメ好きからの意外な評価
スタジオジブリの作品は「アメリカ、カナダ」では2020年春にHBO MAXで視聴できるようになった。
MALはアニメ好きのためのWikipediaのような存在で、Members(アニメをリストインしている人)、Score(アニメ評価)、Popularity(Members数の歴代ランキング)、Ranked(Scoreの歴代ランキング)の4つがトップに表示される。
青少年・大人向けが幅をきかせるMALでのMembersは意外にも112万人とかなりの数だ。人数だけでいえば、2万作品以上あるアニメのなかで143位とトップ級だ(『葬送のフリーレン』や『劇場版 呪術廻戦0』に挟まれる形だ)。
評価Scoreも8.25と高い。2万作ある中で順位は335位。とはいえ、約40年前の作品がこの順位をとっているのは驚異的と言える。
『となりのトトロ』のページ自体は2006年に新設されたが、数字の伸びが急激に目立つのは、配信が始まった2020年だ。
(これはNetflixだけの功績ではない。1988年に20世紀FOX版、2005年にDisney版が劇場版映像・ビデオ・DVDで出ており、そこで魅了されたコアなファンもいる)
だがこの約20年間のレビューのうち、毎年3~7件と増えていたトトロのページで2020年だけは1年で18件と急増する。明らかに配信が始まった年に、魅了されたファンが書き込みをするようになった証左だ。
驚くべきはアニメの秀作が爆発的に増え、目がこえた海外の日本アニメファンが増えた2020年時点でも「1988年の劇場版アニメ」がこうしたトップ評価が得られているという点だ。
■世界に届いていない「お宝」
3年前と現在で比較してみると、Membersは約25万人増加した。登録している国籍別でみると、増加数は、アメリカ・カナダ・ブラジルや英・独・仏などいわゆる「欧米」が目立つ。だが、増加率でみれば「インド、トルコ、インドネシア」といった人口の多い成長国があがってくる。
より詳細にみると、2022年時点では83カ国の国籍で登録をされていた「トトロ好き」が、2025年現在は227カ国になっている。
どんな国が増えたのか。例えば3年前はMembersゼロだったのに現在では500人以上のファンが生まれた国が7カ国あった。ルクセンブルク、エルサルバドル、アイスランド、トリニダード・トバゴ、スリランカ、アゼルバイジャン、ホンジュラス。
こういった国は明らかに「Netflixがなければトトロに出会うことのなかったファンたち」であろう。
MALはあくまで英語がそれなりのレベルにある若者×高学歴層に限られる。実際にNetflixをみて、ここまでたどり着けない人々も含めると、「ファン人口が2~3割増えた」では効かないほどにすそ野が広がっているといえる。
もはや40年前のアニメが、2025年現在こうした評価を得ているのだ。そう思えばジブリほどの作品は多くないにしても、1980年代以前にあれだけ人々の熱狂をさらったテレビアニメ、劇場版アニメで世界に届いていない「お宝」がまだまだ眠っていると考えてもおかしな話ではない。
さあ、今こそ『トトロ』に続く、日本のレガシーアニメが今世界の脚光を浴びるチャンスが広がっている時だ。
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中山 淳雄(なかやま・あつお)
エンタメ社会学者、Re entertainment社長
1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。
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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)