園選びや習い事など子どものことを決める際は子どもに判断を任せてよいのか。こども園園長の赤川幸子さんは「幼い子どもは先の見通しを持って判断することができない。
大人が決めるべきことと子どもに選択させることは明確に分けるべきだ」という――。
※本稿は、赤川幸子『「個性」と「才能」が伸びる シュタイナー式子育て』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
■「子どもは子どものまま」尊重する
Q.ある子育て本で、「子どもも大人と同じ扱いをしましょう」と書かれていました。なので、どうしたいかをいつも本人に聞いているのですが、あいまいな答えしか返ってきません。
A.「どうしたいのか」の判断を子どもに譲ってはいけません。

「どうする?」と聞いたなら、答え通りにしましょう

最近の親御さんには、「子どもを一人の人間として尊重しよう」という気持ちが強くあるように思います。子どもを労働力と考えていた時代から、まだ100年も経っていないことを考えれば、これは素晴らしい進歩だといえるでしょう。
ただ、子どもを尊重しようとする気持ちが強すぎるあまり、「子どもを子どもとして扱っていない」ように思えます。そのために、大人の意図がうまく子どもに伝わらないということが多いようです。
また、「今を生きる幼児期の子ども」に、いろいろと考え合わせて大事なことを決めさせるのは、まだ早いのです。
子どもを人として尊重するということは、「子どもと大人を同じに考える」ということでなく、「子どもは子どものまま」尊重しなければなりません。
■「どうする?」と聞いた時は子どもの答え通りに
よく目にするのが、子どもに「どうする?」とたずねる場面。
意向をたずねるのはよいのですが、実は親の中に「こうしてほしい」という思いがあり、最終的には親の思う方向へと導いてしまうということが多々あります。「AかBか」を聞き、子どもが「A」と答えた場合です。「そっか。Aを選びたいんだよね。わかるよ。でもね、BはこうだからBにしない?」というようなやり取り。
「あなたの言うことはわかる」とワンクッションを置くことで、一見子どもを尊重しているようにも見えます。しかし実際は、子どもを説得し、否定しているのです。これでは、子どもの中には不満が積もるばかりです。
「これ、もういらないの? どうする?」と聞く母親に対して、「捨てる」と答えると、「でも、もったいないじゃない」と言われる。このようなやり取りは、当たり前にあるはずです。
もし、親の中にはじめから「捨てる」という選択肢がないのであれば、子どもに「どうする?」という質問をすべきではありません。

「どうする?」と、子どもの意見を尊重するふりをして、結局は親の思った通りにさせてしまう。そのようなことが続けば、子どもは意見を言うこと自体をやめてしまいます。なぜなら、「自分が何を言っても、結局は親の思い通りになる」と学習してしまうからです。
「どうする?」と聞くときは、必ず子どもの答え通りにする。
そのことを忘れてはなりません。
■子どもは先の見通しを持って判断できない
Q.習い事をしたいと自分から言うので、習わせるのに毎回長続きしません。
A.見通しがなく判断するのが子ども。選択の責任を子どもに負わせてはいけません

「あなたがピアノを習いたいと言ったんだから、ちゃんと練習しなさい」「食べるって言ったんだから、残さず食べなさい」「やるって言ったのに、なんでやらないの?」
そんなふうに、お子さんに言ってしまうことがあると思います。
ここで、「これがしたい」「これをする」と言ったときのお子さんの気持ちを想像してみましょう。お友達がピアノを弾いているのを見て、「私も弾きたい」と言ったときには、毎日練習が必要だということは知りませんし、弾けるようになるために長い時間が必要だということもわかってはいません。大きなハンバーグを見て「あれが食べたい!」と言ったときには、こんなにもお腹がいっぱいになってしまうなんて、想像できなかったのです。「これをする!」と宣言したときの気持ちが簡単になくなってしまうなんて、その時には思いもよらなかったのです。
ただ、同じようなことは大人にもありますよね。例えば、読書をしようと思ったのに、スマホを見てしまった、など。
子どもは、先の見通しを持って判断をしているわけではありません。
よくわからないまま、「これがしたい」「これをする」と言っているに過ぎないのです。ですからまだ、その責任を負わせるのは早すぎます。「自分で言ったのだから、最後までやりなさい」というのは、子どもには酷な話です。自分の選択が、どのようなことを引き起こすのかがわかっていないからです。ピアノを習うという選択が、毎日の練習につながるなんて思いもよらないわけです。
■大きな選択を子どもに任せてはいけない
園の見学に来て、「どう? この園気に入った?」とお子さんに聞く親御さんがいます。「この子がここがいいと言ったので」と、園を選ぶ方もいらっしゃいます。しかし「園選び」という大きな選択を、お子さんに任せてはいけません。大事なことを選ぶのは、大人の責任です。

子どもは目の前にある情報をもとに、選択をします。そして、それが将来に及ぼす影響については、考えることができません。
お子さんがシュタイナー園に見学に来て「ここがいい」と言ったのは、美味しいおやつを食べたからかもしれませんし、その日のご機嫌がよかったからかもしれません。通うことを渋るようになったときに、「あなたが決めたんでしょ」と言われても、子どもは困ってしまうでしょう。
大人が決めるべきことと、子どもに選択させることは、明確に分けなければなりません。大事なことは、大人が決める。
そして子どもに選択させたことであっても、責任をとるのは、大人の仕事です。
■幼児期は親の判断を見せる時期
Q.子どもの自己主張が激しく、どう説得しても聞き入れてくれません。つい親のほうが受け入れてしまいますがいいのでしょうか?
A.「ダメなものは、ダメ」と言っていいのです。ダメなものは、ダメと示すことが大事

幼児期は判断や選択について、判断材料をどんどん吸収している時期です。
親や先生の選択を見ながら、何がよくて、何がダメなのかを学んでいるのです。
道徳的なことに関しても、最初から何が正しくて、何が間違っているのかがわかっているわけではありません。
子どもは、まっさらな状態です。周りの大人の振る舞いや価値判断に触れるうちに、だんだんとわかる、知るようになります。
「こういう時は、こうするものなんだよ」という判断を示してあげることで、子どもは徐々に判断の仕方を学んでいきます。この積み重ねが、大きくなってからの判断の根拠になっていくのです。ですから、幼児期を「判断ができない時期」と捉えるのではなく、「親の判断を見せる時期」と考えるといいと思います。
そもそも子どもは、大好きな大人のまねをしたがるもの。それは、行動だけでなく、考え方や思考の巡らせ方にまで及びます。ぱっと決めるのか、深く考えて決めるのかといった態度は、驚くほど親子で似ていることがあります。内面も、まねを通して似てくるのです。
「ダメなものは、ダメ」という姿勢を示すことは、とても大切です。
「ダメ」という言葉そのものを使うのではなく、やっていいこととよくないことの一線をはっきり示すということです。
■「ダメなものは、ダメ」でいい
子どもの言う通りにしていると、子どもは判断の基準を親から学ぶことができず、何が正しくて、何が間違っているのかがわからなくなってしまいます。
ちょっと歴史を紐解けば、「ダメなものは、ダメ」と言っていた時代がすぐそこに見えてきます。会津藩校の日新館では、6歳から9歳までの藩士の子どもに、「什の掟(じゅうのおきて)」が示されていました。いくつかの教えは、現代ではそぐわないものもありますが、「一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ」「一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」「一、弱い者をいぢめてはなりませぬ」などは、普遍的な教えだといえるでしょう。
そして注目すべきは、最後に示された「ならぬことはならぬものです」という一文です。まだ判断ができない小さな藩士の子に、「ダメなものは、ダメなのだ」と念を押しています。
大人には理由が必要かもしれませんが、幼い子どもには単に「ダメ」と示すだけでもいいのです。嘘をつかない、卑怯なことをしない、弱いものをいじめないということに、理由はいりません。

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赤川 幸子(あかがわ・ゆきこ)

こどもとくらし代表取締役

広尾シュタイナーこども園・高輪シュタイナーこども園園長。短期大学卒業後、国際線客室乗務員として7年間勤務。その後結婚、出産。区立・私立幼稚園非常勤職員、区立・私立保育園非常勤職員、保育ママ、産後ケアのベビーシッターと保育業界のあらゆる職種で約10年経験を重ねる。「都会に生まれ育つこどもにこそ、シュタイナー教育を」の思いから、2008年東京都港区に高輪シュタイナーこども園、2011年には広尾シュタイナーこども園を開園。

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(こどもとくらし代表取締役 赤川 幸子)
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