大阪・新世界に外国人客が集まる包丁専門店がある。値段は3000円~200万円で、どれも日本製だ。
カナダ出身の店主、ビヨン・ハイバーグさんが2011年に立ち上げた。なぜビヨンさんは日本の包丁を売るようになったのか。インタビューライターの池田アユリさんが取材した――。
■「日本人より日本の包丁に詳しい外国人」
「ほんとだ、スーッと切れる」
大阪市浪速区、新世界と呼ばれる繁華街にある包丁専門店「タワーナイブズ大阪 刃物工房(以下、タワーナイブズ大阪)」。3月某日、私はここで、魔法のようにニンジンが切れる包丁を手に、素直な感想が口からこぼれた。包丁の名は、同店が手掛けたオリジナル包丁「未来伝(価格帯は1万2000~3万2000円)」だ。力をほとんど入れなくとも、刃先が素材に吸い込まれるように入っていく。
「そう、その切り方です。優しく、包丁の重みに任せれば、素材がもっと美味しくなります」
目の前で包丁の使い方を教えてくれるのは、同店のオーナーであるビヨン・ハイバーグさん(56)だ。カナダ出身、デンマーク育ちの彼は、大阪の新世界で日本の包丁の良さを14年間伝え続けてきた。ゆえに、「包丁先生」と呼ばれている。
テレビにもたびたび出演。
TBSの「マツコの知らない世界」では「日本人より日本の包丁に詳しい外国人」と紹介され、包丁の奥深さを視聴者に伝えた。また、2020年には、出演した番組を元にしたムック本『NHKまる得マガジン 料理をもっとおいしく!包丁レッスン』が発売された。
180cmの大きな体格と優しい笑顔が印象的な一方、包丁の説明をするビヨンさんからは“日本の刃物へのこだわり”が伺えた。
■「日本の包丁が一番いい」
「ドイツのキッチン器具のブランドの高級ラインは日本製です。だからこそ自信をもって言える。日本の包丁が一番いい」
ビヨンさんが語る日本の包丁への思いは訪れた客に伝播し、その話を聞いた人たちがやってくる。すると同店は、大々的に広告を打たずとも世界各地から客がひっきりなしに訪れる店になった。タワーナイブズ大阪は、月に約3500人もの購入客で賑わい、週末には日本人と海外からの観光客が後を絶たない。
彼の思いを受け継ぐのは、多言語に対応できるスタッフたち。店のカウンターでは英語やフランス語、スペイン語などさまざまな言語が飛び交っている。ビヨンさんも流暢な日本語で会話していた最中、「デンマークの知り合いのお客さんが来たので、ちょっといいですか」と席を外し、来店した家族連れの観光客にデンマーク語で軽快に話し始めた。
彼が「世界一」と語る日本の包丁には、どんな可能性があるのだろうか。
なぜ、外国人のビヨンさんが日本の包丁に情熱を注ぐことになったのか――。
「もうすぐオープンする予定です」と案内してくれた開業準備中の新世界のバーで、ビヨンさんの話を聞いた。
■「良い斧で切れば、森は病気にならない」父からの教え
ビヨンさんは1969年にカナダで生まれ、2歳の頃に父の母国であるデンマークに移り住んだ。森の研究家である父の影響を受けて育ったという。
「父はよく『良い道具を使えば、良い仕事ができる』と言ってました。良い斧で切れば木の回復が早いので、森が病気にならない。父は森の博士だから、ハサミ1つにもこだわりました。たとえ倍の値段でも『倍の仕事ができるから』と」
日本の刃物に興味を抱いたのは17歳の頃。市の図書館で、漫画『子連れ狼』を読み、「日本の刀ってかっこいいな」と惹かれたという。
次第に日本への憧れを募らせ、1992年11月、23歳になったビヨンさんはワーキングホリデービザを取得して来日。やって来たのは、バブル崩壊直後の東京で、道行く人たちには暗い雰囲気が漂っていた。
次に移動したのは大阪だった。
仕事も住む場所も決まっていなかったビヨンさんが駅前で野宿をしようとしていると、周りのホームレスたちから「アーユーオーケー?」と心配そうに声をかけられた。
彼らの優しさに触れ、ビヨンさんは「ここで1回チャレンジしよう」と思い立つ。
当時を振り返りながら、ビヨンさんは「ほんの1年間のつもりがちょっと伸びて、ちょっと延びて……今でまるまる32年」「よく『何人(なにじん)?』と聞かれるけど、私は大阪人かな。海外より大阪の方が長いから」と笑う。
■日本の刃物に魅せられて
日本での最初の仕事は、ショットバーでのアルバイトだった。当時は日本語がまったく話せなかったが、お酒に酔って同じ話を繰り返す常連客のおかげで、日本語の良い訓練になった。
いくつかの仕事を転々とした後、スイスに住んでいる姉の紹介で海外の刃物研ぎ道具の販売を始めた。そこで、大阪にある刃物メーカーに単身で営業に行った際、メーカーの社長から「研ぐものはいらないけど、輸出の手伝いをやってくれないか?」と打診された。
もともと貿易に興味があり、日本の刃物にも憧れを持つビヨンさんは、その刃物メーカーで働くことになった。
そこからビヨンさんは、日本の刃物業界に没頭していく。実際に全国各地の刃物職人の工房を訪問。職人たちのたくましい腕が刃物を叩き、削り、生み出していく……。
その様を見て、ビヨンさんは「なんてプロフェッショナルなんや」と心が震えた。
自分でも和包丁を使うようになり、道具としての素晴らしさを実感する。「包丁を使うのが楽しすぎて、最初の頃は毎日、野菜スープでした」とビヨンさんは肩をすくめた。
■海外製と何が違うのか
ビヨンさんは日本製の刃物、特に和包丁を「まちがいなく、世界一です」と言う。そう言ってもらえるのは日本人として嬉しいことだが、どんなところが素晴らしいのかがわからなかった。ビヨンさんにそう質問すると、「まず、切れ味がすごい」と返ってきた。それは「鉄の硬さ」が関係しているそうだ。
海外製の包丁と比べると、日本製のものは鉄に多くの炭素が含まれている。一般的に炭素含有量が高いほど硬くなり、切れ味も鋭くなる。包丁の重みを生かした切り方をすることで、食材の断面が綺麗になり、鮮度や味を高められる。
ただ、硬さを備えた分、乱暴な使い方をすると欠けてしまうことがある。だからビヨンさんは「包丁は優しく使ってほしい」と語る。
良い包丁は研ぎなどのメンテナンスを続ければ、何十年も使えるという。
ドイツの調理器具ブランド「ヘンケルス」は、岐阜県関市で作られた日本製の包丁を取り扱っている。有名な海外ブランドの高級ラインが日本製とは意外だった。つまり、日本の職人が作る包丁が世界的に認められているのだ。
■「もっと世界に伝えたい」と思ったきっかけ
ここで私は、なぜビヨンさんはここまで日本の刃物にこだわっているのかと疑問に思った。その質問に、ビヨンさんは「実は最初、『なんで私がやらなければならない?』と思っていた」と振り返った。
「でも、海外から来た私だからこそ、いろんなチャンスをもらってるんですね。例えば、刃物職人の工房を見学すると、彼らは『外国人だから、わからないところもあるはず』と思って丁寧に説明してくれる。普段は入れない作業場の奥まで見せてくれた。『どうか海外の人たちに、自分の包丁を伝えてほしい』と思ってくれたんです」
良いものを作り続ける刃物職人たちの生きざまに触れ、たしかな製品が出来上がる過程を見てきたビヨンさんは思った。「日本の職人たちが生み出したものを、もっと世界に伝えたい」と。この思いは、ビヨンさんの人生の中で揺るがない芯となった。

その一方で、職人たちを取り巻く環境に疑問を持っていた。それは、刃物業界を支える職人の後継者不足という現実だ。
■刃物職人の高齢化に危機感を抱く
ビヨンさんは机上に目線を落としながら、こう言った。
「一生懸命頑張っていいもの作ろうと思っているのに、ちゃんと理解されてない。尊敬されてないなと思ってて」
現在は包丁のオンライン販売も増え、職人との直接のやり取りも増えてきているが、少し前までは刃物の仲介業者による販売のみだった。そのため価格競争が激しく、安値で買いたたかれ、職人たちにほとんど利益が残らなかった。
ビヨンさんの知り合いの職人たちの多くは60歳以上。どんどん高齢化が進んでいるなかで、担い手を育てずに職人を辞めてしまう人も少なくなかった。ある職人から「子どもにはいい大学に行かせて、別の仕事をさせたい。職人の道は絶対ダメ」という話を聞き、ビヨンさんは「すばらしい日本の文化が消えてしまう……」と危機感を抱いた。
これがきっかけで、ビヨンさんは「自分にできることをしよう」と独立を決意した。その後、ある行動を起こすことになる。その行動が種となり、刃物業界に花を咲かせていく――。
■「最初は信用ゼロでした」通天閣のそばに店を構える
刃物メーカーで9年ほど経験を積んだ後、ビヨンさんは2011年1月に刃物専門店「タワーナイブズ大阪」をオープンした。現在の店舗にほど近い場所にある、飲食店の2階に店を構えた。
この場所に決めたのは、大阪の繁華街である「新世界」は観光客が多いことを見込んでのことだ。当時、スタッフは一人もおらずビヨンさんだけが店頭に立っていた。金銭的に店を構えるのが手一杯だったため、元職場の社長に頼み、いくつかの包丁を安価で置かせてもらうところから始めた。
その2カ月後に、東日本大震災が起こった。観光客が激減し、円高の影響も重なって刃物の輸出も難しくなり、経営に暗雲が立ち込めた。
「仕方がないな」と思ったビヨンさんは、ひとまず店の中で包丁研ぎの練習を始めた。すると、隣にある喫茶店だと勘違いした地元の客が入ってきた。ビヨンさんはひとまずその人たちに日本製の包丁の説明をすることにした。
「でもこの見た目だから、最初は信用ゼロでしたね(笑)」とビヨンさん。間違って入ってきた客からは「外国人が日本の包丁に詳しいはずがない」と思われていたようだが、彼のひたむきな姿勢が響き、新世界の人々に親しまれていく。
■外国人観光客に口コミで広がる
その頃から、ビヨンさんは包丁の実演販売を始めた。最初は包丁で紙を切って切れ味を見てもらったが、反応はイマイチ。「そもそも、誰も包丁で紙を切らないな」と我に返った。
「お客さんの話を聞くと『トマトが切れない』と言われました。それで、トマトと、根菜類もあるといいかなと思ってニンジンの試し切りを始めました。切った後の断面がわかるように、柔らかいものと硬いものを出すと『なるほど』になります。『この包丁いいね』『楽にトマト切れる』と言ってもらえるようになりました」
来店客は多くはなかったが、小さな刃物専門店に少しずつ常連客が集まるようになった。
2015年7月、東京都墨田区に2店舗目を展開。2016年12月にはオープン時の店舗の近くに移動し、大阪店としてリニューアルオープンさせた。両店とも、観光客であっという間に賑わうようになっていた。
その頃には30人ほどスタッフを雇っていた。働いているのは、もともと包丁に興味があった人だけではないという。
「仕事を探してるとか、日本の文化が好きとか、ものづくりが好きとか。包丁が好きで入ってきた人の方が少ないですよ。(日本人、外国人にかかわらず)人の目を見て話せるなら、ちょっと言葉が違ってても構いません。知識はしっかり教えます。大事なのは、人との繋がりが持てるかどうか」
■店の工房が起こした変化
ビヨンさんの採用理念が功を奏し、日本製のみを扱う刃物専門店は幅広い語学力を持つスタッフたちのおかげで、あらゆる国の観光客に対応できるようになっていった。すると、来店した客たちは帰国後に「日本のタワーナイブズなら良い買い物ができるよ」と周りに紹介するようになる。まるで根を張るように観光客の来店数が増えていった。
なかには、3日連続で通う客もいるという。1日目に自分用の包丁を買い、2日目に自国にいる家族に、そして3日目は「SNSで紹介したら頼まれて」と友人のものを探しにやってくるという。
ビヨンさんの行動は静かに、けれど確実に、日本の刃物業界に波紋を広げ始めていた。
2店舗を展開し、人員を増やした頃、ビヨンさんは「スタッフが包丁の名入れや研ぎ、柄付けができるようにするのはどうだろう?」と考えた。
そこで、プロが使用するような研磨機の導入を検討。「まだお金がなかったので、最初は職人に『こういう機械っていくらですか?』って少し聞くだけでした」とビヨンさんは語る。
だがある日、職人から「全部発注したよ、あとでお金返してね」と告げられたそうだ。ビヨンさんは急な展開に「えー!」と驚いたものの、あっという間に大阪店の中に工房ができた。
■静かに引退するつもりだった職人…
その後、藤井啓市さん(大阪府堺市)や小林弘樹さん(岐阜県関市)などの包丁職人たちを週1、2回招き、スタッフへの指導をお願いした。さらに、職人たちには店の工房で包丁を製作してもらい、客にその製作工程を見学してもらうようにした。(現在、工房はスタッフのみが作業)。この試みが、予想外の展開を見せる。
「日本の職人が包丁を作っているところが見られる」と口コミが広がり、観光客がさらに押し寄せるように……。
すると、職人たちは客から、
「一緒に写真撮らせてください」

「サインもらえますか?」

「SNSで友達になってください」
と求められるようになった。
今までは一つの工房で、黙々と包丁を作っていた職人たち――。人前で自分の技術を見せることがなかった彼らは、脚光を浴びる場所ができたことによって、職人としての仕事に誇りを取り戻していった。
「職人たちが作った包丁もどんどん売れました。静かに引退するつもりだった職人が、今は4人の弟子と頑張っています。お客さんと職人が繋がれば、三方よしです。それがずっと安定すれば、次の時代の人が生まれる。質を下げずにいいものを作っていけば、(日本の包丁は)ニーズがたくさんあります」
こうして、やりがいと自信を得た職人たちから「技術を継承する」という希望が生まれた。古き良き日本の文化が、ビヨンさんによって再び輝き始めたのである。
■忘れられないフィンランド人の寿司職人
「今まで印象に残っているお客さんはいましたか?」と聞くと、ビヨンさんはある料理人の話を始めた。彼の記憶に刻まれた、忘れられない出来事だった。
店を開いて数年が経った頃、とあるフィンランド人の寿司職人が店を訪れた。40代ほどのその男性は、自国で和食レストランに勤務していた。ビヨンさんが包丁の説明をする間、男性は真剣な面持ちで聞き入っていた。すると突然、茫然とし、大粒の涙をこぼし始めた。
「修業してきた5年間、何をやってたんだろう。自分は和食のことを分かっていると思ってたけど、包丁の大切さに気づいていなかった。あなたの話を聞いて、それが悔しくて……」
料理人の涙は、悲しみや後悔だけではなかった。異国の地で和食の道を志し、懸命に努力してきたからこそ、ビヨンさんが語る包丁の真実が彼の心の琴線に触れたのだ。
ビヨンさんは言う。
「海外の料理人の中には、有名な高級レストランのシェフも来ます。良い包丁はカッコ良くて楽に料理できるけど、これで料理の味が変わるんだって気づいていない人が多い。それはすごく残念。だから何度も説明するんです」
■「包丁はお土産というより、未来を切り開く道具」
また、オランダから来た若いシェフの話も印象的だった。
店に来店するや否や、「両刃の菜切り包丁を買いたい」と言ったそうだ。だが、ビヨンさんは彼が包丁を使っているところを見て、あることに気づいた。彼は、葉物野菜をざっくり切るのに適した菜切り包丁で、細かく野菜を切ろうとしていたのだ。
そこでビヨンさんは「あなたに必要なものは、片刃の薄刃包丁かもしれない」と提案。しかし、その料理人は「片刃は使いにくい。無理」と一蹴した。料理人は、和包丁の特徴である片刃に難色を示したのだ。
そこでビヨンさんは元料理人のスタッフに頼み、オランダの料理人に片刃の薄刃包丁の使い方を学んでもらうことにした。1時間後、その料理人はビヨンさんの元に戻ってきてこう言った。
「ありがとう。1番良い薄刃はどこ?」
結局、そのオランダ人シェフは店に次の日も訪れ、計30時間以上滞在。和包丁や洋包丁を含めて12本ほど買っていったという。
ビヨンさんの店は、包丁を売るだけの場所ではない。客の体格や用途をくみ取り、最も適した1点を紹介することを大切にしている。その姿勢は、高級レストランの料理人であっても、家庭の味を支える一般人であっても変わらないという。
「ひとりひとりに合わせて説明すれば、その道具はお客さんにとって特別になる。包丁屋さんは毎日何十本も売るかもしれないけど、その人にはすごく大切な1本。包丁はお土産というより、未来を切り開く道具です」
■スタッフが刃物職人として独立
コロナ禍で店の売り上げが9割も減少するピンチに見舞われたビヨンさんだったが、彼は焦らなかった。この期間を、スタッフたちが刃物職人としての技術を磨く時間に充てようと考えたからだ。
その後、本格的にインバウンドが回復し、タワーナイブズはコロナ禍以前より慌ただしくなった。各地の刃物職人たちが急ピッチで製作しているが、日本製の包丁が足りない状態が続いている。
自社のオリジナル商品として、2017年に一般家庭の人が取り扱えるシリーズ「未来伝」を発売。それもたびたび在庫切れになるほどの人気ぶりだ。
「例えば、『みんな、良い包丁を買いましょう』となったら、日本の1億2000万人が包丁を買う。そうすると今の職人だけでは(生産力が)間に合わない。でも、『間に合わないなら、海外から輸入しましょう』ではない。うちは100パーセント日本製だから、どうやってこの業界を応援していくかです。職人が足りないなら、『じゃあ、職人を育てましょう』となる」
昨年、ビヨンさんの下で働いていたスタッフの1人が岐阜県に移住し、職人として独立した。それをビヨンさんは「すごく自慢です」と言う。
日本の食文化と、それを支える道具である包丁の重要性――。それを次世代に繋いでいくことこそ、これからの日本に必要なことだとビヨンさんは考えているのだ。
■日本人が忘れてしまったもの
ビヨンさんは、包丁に対する日本人の意識に危機感を抱いていた。
「日本の包丁が伝わってないんじゃなく、みんな良さを忘れてしまっただけだと思います。昔の日本の家庭では、おばあさんが包丁の使い方を教えてくれました。でも最近ではおばあさんと一緒に住んでる家庭が少ないから、次の時代に伝える機会が減っている。包丁だけじゃなくて、大切な文化が消えてしまう気がします」
ビヨンさんは国内外問わず、包丁についての講演会を続けている。最近だと、近所の小学校で包丁について話をする機会があった。そこでは子どもたちだけでなく、学校の先生たちにも包丁の使い方を教えたそうだ。
講義が終わり、子どもたちが「包丁先生、見て!」と上手に切れたニンジンを嬉しそうに見せてきた。切ったニンジンを大事そうに持ち帰る子どもたちの姿を見送りながら、ビヨンさんは胸が熱くなったという。
「家庭では、ぜひ子どもたちと一緒に包丁を使ってみてください。子どもは手伝いたい。親と一緒にやりたいです。子ども用包丁を用意して、隣で使い方を教えてあげてください。まずは指をしっかり曲げること。それができたら、すぐに料理の手伝いができるようになります」
■現場レポ:「タワーナイブズ大阪」の工房へ
午前11時頃、私はビヨンさんとのインタビューをいったん切り上げ、通天閣近くのバーを後にした。すぐそこにある包丁専門店のタワーナイブズ大阪に向かうためだ。黒い壁で覆われた2階建ての建物は、一見すると何のお店かわからない佇まいをしている。
手提げ袋の中に、10年以上ほぼ何の手入れもしていない三徳包丁を新聞紙にくるんで忍ばせていた。同店では購入した包丁に限らず、プロの職人が使用する機械で研ぎ直しをしてくれると聞いたからだ。
店内に入ると、ショーウィンドウに飾られた包丁やハサミが整然と並んでいる。左のスペースには、長いカウンターがあり、客とスタッフが楽しそうに言葉を交わしていた。彼らの手もとには試し切りができるようにと、包丁とトマト、そしてニンジンが用意されていた。
私は、タワーナイブズ大阪のスタッフに自分の包丁を託した。飛んできた鋼が付かないようにゴーグルを装着させてもらい、工房に入らせてもらうことができた。
■持参した包丁も磨いてもらうと…
店の奥に位置する工房には、刃物職人が使用する研磨機が5台ほど置かれている。スタッフの人たちが真剣な眼差しで研磨機に包丁をあてたり、名入れをしたりしている姿はどこから見ても若き職人だ。
ウィーンと音を立てる縦型の研磨機に、男性スタッフが絶妙な角度と力加減で包丁をあてていく。金属が擦れる音に、私の期待も高まった。
刃が削れ過ぎたり、ゆがんだりしないよう研磨機の番手(目の粗さを表す数字)を変えて、研いでいく。最後には砥石を使って手作業で磨き、その研ぎ終わった三徳包丁を渡された瞬間、私は驚きを隠せなかった。研ぎを終えた包丁の刃が、新品のように光っていたからだ。
何よりも驚いたのは、見違えるほど切れ味が良くなっていることだ。試しにニンジンを切らせてもらうと、断面はみずみずしく輝いている。トマトは身がギュッと濃縮されたまま、力を入れなくてもスッと刃が入っていく。「包丁を持つことが楽しい」「今まで無駄な力を使って切っていたんだな」と思い知らされた。
■包丁が、おいしい料理に繋がっている
取材が終わりに近づいた頃、ビヨンさんが店のカウンターで包丁の使い方を教えてくれた。
「根菜類のニンジンは刃を前に落としながら切ります。柔らかいトマトはUターンして切るのがおすすめ。少し前に切れ目を入れて、スッと引いて切ると楽に切れます」
「みじん切りはまな板に刃先を置いたまま、手首だけで滑らせます。押し込むように使うのは良くない。包丁の重みを使えば、手が疲れないでしょう。断面がピカピカだから、刺身が醤油を吸い込みすぎないし、野菜はドレッシングなしでも美味しいです」
ビヨンさんがタワーナイブズ大阪のすぐ側にバーを開いたのも、「日本製の包丁で切った素材を元に作った料理を食べてもらいたい」という思いからであった。
「包丁の業界は素敵なものづくりの世界。鉄の塊を立派な道具にしてくれる業界です。そこは、大好きな美味しい料理と繋がってる。これからも前向きに続けたいと思います」
■「優しく、丁寧に使えばいいんです」
自宅に帰り、夕飯の支度にとりかかった私は、さっそく研いでもらった包丁を手に、ビヨンさんから教わった使い方でニンジンを切った。腕の力を使わずとも、すいすいと切れていく。ニンジンの断面が宝石のような輝きを見せると、なんだか嬉しい。
3人家族の我が家の料理を支える包丁を軽視していいはずがない。……はずがないのに、私はずっと、その道具をぞんざいに扱っていたのだ。
ビヨンさんは、「1本の包丁を長く使えるように優しく、丁寧に使えばいいんです」と言っていた。研いでもらった包丁は、自分の手には少し大きいような気がした。
「今度、自分に合った包丁を相談しよう」
そう思いながら、作ったばかりのコンソメスープをすする。口の中で、つるつるとした食感を残したニンジンが、気持ちよく転がった。

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池田 アユリ(いけだ・あゆり)

インタビューライター

愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。

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(インタビューライター 池田 アユリ)
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